モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山と上杉謙信・武田別働隊【妻女山里山通信】

2007-09-26 | 歴史・地理・雑学
本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」ですが、小難しい込み入った内容にもかかわらず、アクセスが増えてきています。最近は一日10人を越えることもあります。大河ドラマ「風林火山」もいよいよ川中島の戦が近づくにつれ、妻女山への関心も高まってきたのでしょうか。

ところで、このページを作ったきっかけですが、妻女山は斎場山を起源とし、現在の妻女山とは違う山であるということは、麓の集落では当たり前のように語り継がれてきたことなのですが、それが現在では地元の人でさえ知らないものがいるという事実を聞き、しかも、妻女山の起源や変遷について詳しく調べまとめた本さえないと知ってからは、これはまずいと一念発起したわけです。観光客のみならず多くの歴史家やマニアが赤坂山を妻女山と勘違いしておられます。

在郷ではないため資料の収集には苦労しましたが、実家のものがよく頑張って集めてくれました。それを紐解き分析し、古老の意見も聞いてまとめるのに9ヵ月近くかかりました。今もって完全に解明されたわけではありませんが、大まかな道筋は辿ることができたと思います。

さて今回載せるのは、上杉謙信が妻女山へ布陣したときの経路と武田別働隊が海津城から妻女山へ襲撃するときに辿った経路です。どちらも第一級の史料がなく、いくつかの言い伝えがあり、また、地元の人でも知らないような地名が出てくるので、解析はなかなか困難でしたが、これも妻女山で遊び育った利を活かして、なんとか描画してみました。カシミール3Dの制作は、Macではできないので、中学生の次男がWinでやってくれました。左上の地図を別ウィンドウで開いて文と並べてご覧になると分かりやすいと思います。

青い線は、上杉謙信が妻女山に布陣したときの経路。謙信の軍は、旧谷街道の要所、大室から可候峠を越えて加賀井へ下り、まだ武田本隊が到着していない海津城を巻くように象山南の多田越えから清野に入り、妻女山各所に布陣したと伝えられています。但し、武田信玄が先に布陣していたという説もあり、その場合は善光寺より、裾花川、犀川を超え、茶臼山の麓を南下し雨宮の渡を越えて斎場山に入ったと見るべきでしょう。隊を分けて両ルートから布陣したという説もあります。今回は前者を図にしてみました。

山にある地名は、みな史料に出てくる地名です。千人窪などは、上杉の軍を千人隠したということで地元でも知られているところです。但し、このころの妻女山は、今の妻女山ではなくもっと上の斎場山古墳のある場所のことでした。現在の妻女山は、ただ赤坂と書かれています。以外と知られていない事実ですが、象山の竹山城も天城山の天城城も斎場山の謙信本陣も、みな古墳の上に建てられています。当然壊されています。まあ、武田も上杉もとんでもない罰当たりというわけです。

黄色い線は、海津城を出陣した武田別働隊が辿ったと思われる経路です。西条の入から唐木堂越え、大嵐の峰を辿り、鞍骨、天城を巻いて妻女山へ攻め込みました。また、『更級郡誌』には、甲ノ十将が夜間越えたる処として戸神山の記載があり、倉科生萱土口等より妻女山を襲うため、とあります。戸神山(三滝山)は、大嵐山(杉山)の南の頂で、鏡台山までを戸神山脈といいます。透けた青い線は、昔の千曲川です。

唐木堂越えは、戸神山から坂城の日名へ抜ける道で、真田へ抜ける地蔵峠と並んで当時の重要交通路でした。戸神山脈へは、唐木堂からと大嵐へ登る二つの道があったということです。軍勢の多さからすると、二つのルートで登り、大嵐の峰で更に隊を分けて、一部は倉科、生萱、土口に下りて妻女山へ向かったと見るのが妥当だと思われます。当時は、電車やバスがないのですから、峠を越えて行き来することは普通のことでした。そのため、峠道もよく整備されていたと思われます。

私の低山トレッキングルポ「モリモリキッズ」で「本当の妻女山フォトルポ」と、「清野氏の要害、鞍骨城についてのフォトルポ」をしており、詳しく説明していますので興味のある方はご覧になってください。また、2004年8月には、小笠原長時の金華山にある林城のフォトルポもあり、松代城の説明もあります。
■「国土地理院の数値地図25000(地図画像)『松代』」をカシミール3Dにて制作。高さを1.5倍に強調。
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幻の大トチに会いに

2007-09-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
久しぶりに牛ノ寝通りの大マテイ山を訪れました。一時涼しくなった関東ですが、残暑がぶり返し標高差はないものの湿度が以上に高く、思いの外ハードな山歩きになりました。また、9月上旬に関東を直撃した台風9号の爪跡は予想以上に酷く、多くの倒木が登山道を塞いでいました。林床には、強風で折れた木の枝が散乱し、中には地面に深く突き刺さったものもあり、嵐のすごさが想像できました。森が元通りに再生するには、長い時間がかかるでしょう。

猛暑と長雨のせいか、例年ならたくさん見られるタマゴタケやアカヤマドリ、セップなどの夏キノコがまったく見られません。気の早いハナイグチもあったりするのですが、気温が高いせいで秋キノコも全く見あたりません。わずかにチチタケ、ツエタケ、シイタケ、アカジコウ、ウスヒラタケ、ヌメリツバタケモドキがあっただけ。今年はキノコが2週間からひと月近くも遅れそうです。

とにかく湿度が高く、ハエやアブが異常発生。立ち止まると何十匹とたかられるので、おちおち止まって休んでもいられません。凍らせて持ってきた烏龍茶もどんどん無くなります。幸いオオスズメバチには、遭遇しなかったのですが、クロスズメバチ(ジバチ)やキイロスズメバチは活性が高く、相当に気を遣いました。

やはり、長雨と高温で秋の花も遅れているようです。シモバシラ、フシグロセンノウ、ミヤマママコナ、ヤマジノホトトギス、ヤマトリカブトが少し見られただけ。ラニーニャによるといわれるこの猛暑の影響は、相当後まで続きそうです。今年の冬はどうなるのでしょうか。

今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。訪れてみてください。
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