モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

米子大瀑布から四阿山カルデラ一周!(妻女山里山通信)

2010-08-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 日本百名山の一つ四阿山は、長野県と群馬県に跨がる標高2354mの名峰であり、古くは修験者の山でした。真田の隠密とも深い関係にあります。四阿山は、根子岳、浦倉山、奇妙山とで直径3-4キロのカルデラを形成しています。約200万年前から30万年前にかけて大規模な噴火を伴った造山活動があり、もっとも標高が高い時は4000m以上の独立峰だったといわれています。それが噴火活動により次第に吹き飛び、現在のようなカルデラになったそうです。今回は息子達と7年越しの目標だったカルデラ一周のトレッキングに挑戦しました。

 7年前に菅平牧場から四阿山、根子岳と縦走した時に、四阿山山頂から見たカルデラに驚き、感動し、ぜひこの中を歩いてみたいと思いました。その後、調べると、米子大瀑布を起点としてカルデラをほぼ一周できるルートがあることを発見。いつか歩こうと決めていました。しかし、全長が20キロほどの長いコースであり、サッカー部で鍛えていたとはいえ小学生には無理。その上、米子大瀑布からのルートは、小根子岳、浦倉山方面とももうひとつ不明瞭で情報も不確実でした。そんな理由から挑戦は先送りになっていきました。

 しかし、近年根子岳への旧道が地元の方の尽力により谷新道として復活したことや、浦倉山への道の情報も得られたので挑戦することにしました。小学生だった息子達も充分に大きくなり、むしろこの機を逃すと私が体力的にもたなくなる恐れもあったため、今回の山行となったわけです。距離が長いだけでなく、カルデラ内はほぼ手つかずの自然林であり月の輪熊の大生息地です。そこにお邪魔するわけですから、野生動物への配慮も当然必要です。

 また、この夏の四阿山辺りの天気は非常に不安定で、集中豪雨も頻繁に起きているようです。沢を渡る箇所も多いため、豪雨があると渡河不能になる危険もあります。エスケープルートの確保や撤退の判断も必要です。今回のルートの場合、米子大瀑布から1-2キロのルートが一番危険そうです。そこで、渡河の多い根子岳へのルートを雷雨のない午前中に登る事にしました。もちろん早出をします。早朝にだれもいない米子大瀑布から見上げたカルデラの森は人間の侵入を拒むかのように朝もやに霞んで遥か遠くに見えました。よし!あの上に登るぞと声をかけて出発しました。

 幸いに雷雨には合ませんでしたが、根子岳への登りは途中イタドリとアザミの薮に阻まれ難儀しました。特にアザミは体が触れると痛くて痛くて「痛い!痛い!」と叫びながらの突破になりました。これは予想外でした。また、当日の高湿度と暑さには本当に参りました。それでも根子岳への尾根に乗ってマツムシソウ、シナノオトギリ、ヤナギラン、ウメバチソウなどの花畑から菅平が見えた時には、皆歓声を挙げました。大すき間から四阿山へのシラビソの森の急登は応えましたが、四阿山からの絶景がその疲れを癒してくれました。しかし、山頂の気温が24度でクジャクチョウやキベリタテハに混じって、羽蟻や蠅が舞っていたのには驚きました。

 帰路の浦倉山への道は、熱風と冷風が交互に吹き付けるという悩ましいだらだら続きの長い尾根。アサギマダラを追ってやっと浦倉山にだどりつきました。浦倉山からは以外といい道だと思ったのもつかの間。よかったのは土鍋山への分岐まで。その先は少し怪しいところも。下って沢に出たところで道が崩壊していたり、一部踏み跡が不明瞭な所もありました。途中で水が切れたのですが、道が崩壊した沢で甘露を汲む事ができました。また、米子への下りでは湿度と疲労から私の腰痛と膝通が出てしまいましたが、なんとか無事に戻る事ができました。

 いつも通り写真撮影に手間取る事も多く、10時間もかかりましたが、終わってみると楽しい山行で息子達も満足そうでした。しばらく多忙のため更新が滞るかもしれませんが、なんとか四阿山のルポにも取りかかりたいと思っています。

■歴史の中の四阿山
 四阿山は、真田幸村と非常に深い関係にあります。真田十勇士はフィクションですが、真田忍びは実在のものです。戦国の乱世、真田は北の上杉、南の武田という強大な勢力に挟まれた厳しい状況にありました。まさしく信濃の国は、ベトナムかアフガニスタンか。そんな状況の中、天下の情報を素早く正確に捉えるために、真田幸村は山伏の情報源を活用したのです。
 真田氏のいる上信越国境には、山伏が修行する霊山が連なっていました。その中でも四阿山は、たくさんの山伏達が集まる代表的な霊山でした。頂上には白山権現を祭神とする四阿神社がまつられています。鳥居峠付近には中社と籠り屋があり、山伏達の修行場となっていました。
 
 山伏達は古来より関所の通行が自由だったそうです。彼らは苦行に励み、棒術や刀術にたけており、強靱な肉体をもっていました。彼らが真田忍びの中核を担い、隠密活動や敵のかく乱など変幻自在の大活躍をしたのだそうです。
 当時、真田幸村は、世に「不思議な弓取り」と言われました。天下の大群を相手に、一歩も引かぬ変幻自在の戦いを挑みましたが、その背景には四阿山を舞台にした特殊技能を持つ山伏達の忍びの活躍があったのです。そんなことに思いをはせながら四阿山に登るのも、またいいかもしれません。また、麓の上田市や長野市松代町には、真田ゆかりの史跡がたくさんあります。登山の後に訪れてみるのもいいのではないでしょうか。しかし、あの装束で、どんな高山でも駆け登っていた山伏達は、まさにスーパーマンですね。

 頂上の二つの社は古い歴史を持っています。ここは真田町長(おさ)にある山家神社の奥宮です。「山家神社の由緒より」:---創立年は不詳であるが、延喜式神名帳収載の山家神社で、大国主神を祀って旧山家郷の産土神としたものである。景行天皇の御代(71~131)に日本武尊を合祀したと云う。社伝に、「本社の別当浄定というもの越の泰澄の徒弟にして加賀の白山比め神社を信仰し、其の神霊を勧請し、養老二年奥社を四阿山絶頂に奉遷す。」とある。この奥社は二社あり、南向きの社を信州向社(信濃宮)、東向きの社を上州向社(上毛宮)という。---また、中央にある石室内の小さな石祠は、その信仰の始まったところと伝わっているそうです。

●米子大瀑布と米子川をはさんで対岸にある一見場違いに見える人工的な台地は、旧米子鉱山の跡地。製錬所に住居や事務所、保育園や大浴場などがありました。ここは米子大瀑布の絶好の展望台となっています。
 米子硫黄鉱山は、寛保3年(1743年)から始まったといわれています。交通の不便な深山の標高1500~1600m付近にあるため、経営者は度々変わったようですが、昭和9年(1934年)に中外鉱業株式会社が本格的な営業採掘を始めました。時代は、日清、日露、世界大戦を迎え、爆破火薬の材料にされたため硫黄の生産量が増え、月産1200tを生産し、他にも蝋石(ろうせき)、ダイアスポアなどを産出しました。ここには鉱山関係者の家族1500人が生活していたそうです。毎日、この絶景を見ながら働き暮らしていたんですね。
 しかし、戦後、硫黄の需要が減少、石油化学工業の発展により年々縮小し、昭和35年(1960年)に閉山されました。

四阿山カルデラ一周トレッキングのフォト・レポート。下のスライドショーも御覧ください。




★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】夏の信州のトレッキングに、神話の山、虫倉山の難関ルート「さるずべりコース」をアップ。蜻蛉や蝶の写真とパノラマ写真、山里の原風景などがご覧いただけます。2010年の記事をご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。四阿山。根子岳からのパノラマ写真も。
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虫倉山の「さるすべりコース」アップ!(妻女山里山通信)

2010-08-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 長野市中条の歴史ある名峰「虫倉山(1,378m)」の「さるすべりコース」から「不動滝コース」へのトレッキング・フォトレポートを、MORI MORI KIDSにアップしました。鎖場連続のなかなか厳しいコースですが、登りがいのある楽しいルートです。
 湿度が異常に高く、雲の中の登山はサウナの中を登るようで応えましたが、この季節でないと見られない動植物もあり、楽しめました。首都圏からもわざわざ訪れる人も少なくないというのが分かる素晴しい山でした。松代方面からは、茶臼山を超えて19号から大町街道に入ると近くて便利です。

 写真は、さるすべりコースの全貌、ホツツジ、サカハチチョウです。

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里山保全の難しさ(妻女山里山通信)

2010-08-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 ある日の早朝、忙しさと猛暑で手つかずだった山の除草に向かいました。案の定クズ、アレチウリが繁茂し一瞬気が遠くなりかけました。それでも冬期にクズの根塊を切り、樹木に絡まったつるが誘因補助の役割をするので切除しておいたので、昨夏よりもずっとましなのです。クズは帰化植物ではありませんが、ここ30年ぐらいで一気に増えました。今では首都圏の新興住宅地の崖や郊外の空き地に繁茂しています。東京では、これにカメムシがつき、洗濯物についたり住居に舞い込んだりして被害を出しています。除草は午前中いっぱいしましたが、持参した冷茶はすべてなくなり、もう少しで熱中症になりそうなほどでした。

 クズやアレチウリは、針葉樹林にからみつくと光合成を阻害し、立ち枯れさせてしまいます。そんなもの放っておけばいいんじゃないの自然のままに。いつかバランスが取れて自然に戻るでしょ、という人がいます。それは半分当たっていて半分間違っています。それは、荒れた里山を放置してバランスの取れた自然林に戻るには400~500年かかるといわれているからです。そもそも里山というのは、数百年あるいは千年以上に渡り人々が手を加えて成立してきた半人工林なのです。

 それが、戦後炊事用のガスが普及したことにより、それまではどちらかというと過剰利用さえされてきた里山は放置されてしまいました。林業の衰退も大きな要因です。すると、それまで人の手が加わり維持されてきた「多様性」が消滅し始めたのです。現在の里山を見ると、クズ、アレチウリ、ブタクサ、セイタカアワダチソウ、カモガヤなどの主に帰化植物が繁茂し多様性を失わせています。在来種の植物が姿を消しつつあるのです。また、それは森に生息する「多様性」をも奪っています。知らない間に蝶の種類が激減したり、本来見られた昆虫がいなくなったりしています。問題なのは在来種を駆逐してしまうことと、多様性を失わせてしまうことでしょう。

 なぜか帰化植物にはキク科が多いなと思い調べてみたところ、それには大きな理由があることが分かりました。人為的な移動によって容易に運ばれる。世代交代が早い。繁殖に特定の昆虫が要らない。散布が容易で大量である。競合する植物が少ない。高い繁殖力等々です。植物学には「雑草」という言葉はありません。しかし、農学には「雑草」という言葉があります。林業では蔓(つる)植物を植林を立ち枯れさせたり絞め殺したりするため「森のギャング」と呼んだりします。

 特に戦後国策によって植えられた落葉松は、このつる植物に弱く、からみつかれると光合成ができなくなるため、上の方の枝を異常に長く伸ばします。すると正常ならば奇麗な縦長の二等辺三角形になる樹形が逆三角形のようないびつな形になります。これらは風倒木になりやすく、現在信州の里山では本来ならば伐採時期を迎えた落葉松が、あちこちで奇形になり倒れたり立ち枯れしたりしています。しかし、それも森を読む力がなければ見えてきません。

 一番上のカットは、つる植物により巻き付かれ、その上腐朽菌に冒されて倒れてできたギャップ(GAP)です。ギャップができると今まで光が届かなかった林床まで光が届く様になります。するとその瞬間から次の生存競争が始まるのです。里山保全は、ときに人工的にギャップを作り森林の更新を促します。つまり立ち枯れや倒木になる前に人工的に除伐して森の更新を促すわけです。昔は薪にや茸栽培、材木に利用してそれを行ってきたわけです。つる植物も結束の材料や生活工芸品の材料などで盛んに使われたため適度に刈られていました。

 下のカットは、「ヘクソカズラ(屁糞葛)」。可愛い花ですが、葉や茎の悪臭からとんでもない名前をつけられてしまいました。東京の道ばたでも普通に見られる花です。やはりつる性の寄生植物ですが、樹木を絞め殺したり立ち枯れさせるようなことはありません。実は乾燥させると無臭になり、しもやけ、あかぎれの民間薬でした。古名は「屎葛(くそかづら)」だったそうで、万葉集にも詠まれています。後年そこにさらに屁がついたわけですからいやはや。

「かわらふじに 延ひおほとれる屎葛 絶ゆることなく宮仕えせむ」(高宮王)

 かわらふじとはサイカチの木です。サイカチの木にからみつく臭いと嫌われても冬でも枯れないヘクソカズラのように、私もしぶとく宮仕いいたしましょうという意味ですが・・・。ちなみにサイカチは松代の山にも普通にあります。実は天然の石けんとして環境にやさしいので注目されています。

「屁糞葛も花盛り」ということわざがあります。「娘(鬼も)十八 番茶も出花」ですね。

The Emerald Forest

アマゾンの熱帯雨林も日本の里山も同様に大切なものです。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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虫倉山の「さるすべりコース」とは(妻女山里山通信)

2010-08-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 旧中条村が長野市と合併したために名峰「虫倉山(1,378m)」は長野市の山になりました。あそこが長野市?と思われる方も少なくないと思いますが、前述したように江戸時代は松代藩の領地であったということを考えると、そう不自然なことでもないような気がします。
 今回その「さるすべりコース」に関してご質問をいただいたので、他にも登りたいけど情報が欲しいという方もいるかと思い、MORI MORI KIDSにトレッキング・フォトレポートを載せる前にコースを写真で紹介しようと思います。

 太田の水車前に駐車して、大きな看板通り右へ進みすぐに左手の道に入ります。T字路を右へ橋を渡ったら、あとは道なりに外小手屋の集落の中をジグザグに登って行くと虫倉神社に着きます。ここまでが結構長くて30~40分かかります。ここで初めて「さるすべりコース」の表示が出てきます。神社から奥社までは10~15分ほどです。

 最初の写真が、その奥社の左横から始まる鎖場の崖登り。約5mほどありますが、割と足場もしっかりとれるのでそれほど大変ではないと思います。ただ当日は雨後のため岩が滑って少々難儀しました。ここを登ると急斜面の森の道になりますが、まだまだ余裕です。気持ちのいいミズナラの林を抜けてコルを過ぎると岩混じりの急登の始まりです。

 鎖場が連続しますが、三点確保で鎖や木の根を使いあせらず慎重に登ればいいでしょう。一番難儀したのが四枚目のカット。たかだか2mほどの段差なのですが、微妙に足の置き場が合わずに、最後は腕の力で体を引き上げて登りました。左に鎖が張ってあるのですが、そちらからは登りにくい感じです。

 この後で、土の急斜面の鎖場がありますが、雨後でやや泥濘状態だったので滑らない様に慎重に登りました。上へ行くほど尾根はやせてきて高度感も高まります。両側とも非常に急峻なので滑落しない様充分に注意が必要です。このコースは、やはり中級者以上向けといえるでしょう。低山とはいえ決して侮れないルートです。

 最後は岩塊を巻く様に登ると頂上直下に出ます。神社から頂上までは、1時間20~40分ぐらいだろうと思います。ひとついえるのは、このコースは登りに選んだ方がずっと楽しいということです。
 私達は、帰路には山頂から西へ尾根を辿り「不動滝コース」を下りましたが、「岩井堂コース」や「小虫倉コース」へ下るのもありだと思います。車が二台あればデポしておくことも可能です。初心者や家族連れには「不動滝コース」の往復をおすすめします。

 私達が登った日は、あいにくの天候でしたが、晴れていればほぼ360度の大パノラマが堪能できます。それがこの山の最大の魅力でしょう。特に北アルプスの大展望は特筆ものといえるでしょう。錦秋の頃にまた登ってみたいと思います。

 ところで虫倉神社は、松代藩真田家の尊崇が厚かった神社ですが、代々の藩主で虫倉山に登った人はいるのでしょうか。

★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】夏の信州のトレッキングに、鏡台山をごアップ。蝶の写真とパノラマ写真、鏡台山から見えた富士山のカットがご覧いただけます。次は神話の山、虫倉山です。
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山姥伝説の虫倉山へ(妻女山里山通信)

2010-08-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
 長野市中条(旧中条村)の信州百名山の名峰「虫倉山(1,378m)」に息子と登りました。虫倉山は、江戸時代に「山姥嶽」と記されたことがあるように、子供の守り神、子宝の神様が祀られた信仰の山です。旧盆の13日は、あいにくの曇り空で、しかも湿度が100パーセント近くというサウナ風呂の中を登るような山行となりました。コースは、太田の水車の前に駐車し、虫倉神社から「さるすべりルート」へ。帰路は山頂から西へ尾根を辿り「不動滝ルート」を下るというものです。

 この「さるすべりルート」は、サルスベリの木がたくさんあるわけではなく、猿も滑るほどの急斜面という意味の様です。虫倉神社から始まるコースは、奥の院の裏手の崖登りから始まり、鞍部に着いてほっとしたのもつかの間、頂上まで鎖場の急登が連続するというなかなか厳しいものでした。神社から山頂までは、1時間半弱でしたが、前夜の雨で岩や木の根が滑るので難儀しました。また、異常な湿度で必要以上に体力を消耗。汗びっしょりのバテバテ登山となりました。葉が生い茂っているので、今回はそうでもなかったのですが、落葉期だともっと高度感があってスリル満点だと思います。

 あいにく山頂からの展望はほとんどなし。それでも、わずかに鹿島槍ヶ岳や五龍岳が顔を見せ、善光寺平も少しだけ見えました。展望は諦めて山頂に旋回するオニヤンマを追いかけました。パサパサと音を立ててホバリングするのですが、なかなか留まってくれません。それでも辛抱強く待っていると、アブを捕らえ小枝に留まって食べるところをなんとか撮影できました。その他にはキアゲハやツマグロヒョウモンの雄と雌が飛来したのですが、活性が高く残念ながら撮影できませんでした。

 お昼を食べていると正午になりました。厚い雲海の下のあちこちからチャイムや音楽が流れてきて、こんな厳しい山塊のすぐ下に山里があるのだなと不思議な感じがしました。時折雲が切れて眼下に集落の屋根や棚田が見えましたが、それはまさに日本の山村の原風景といえるもので、強い郷愁を誘うものでした。わざわざ首都圏から登りにくる充分に価値のある山だと思います。晴天の日には北アルプスから戸隠連峰、四阿山と360度の大展望も堪能できます。信州むしくらの湯「やきもち屋」に一泊して登るのもいいかもしれません。

 途中で小雨もぱらついて、こんな日は誰も登って来ないだろうと思っていたら、男性がひとり不動滝コースを登ってきました。彼が下山した後から小学生の女の子を含む家族四人が登ってきました。やはり信州は、山好きな人が多いのだなと思いました。この家族は後から下山してきましたが、ツリフネソウの残花が揺れる不動滝の渓流でお父さんがサンショウウオを発見しました。種類は黒焼きなどで食用にされるハコネサンショウウオです。今は、手厚く保護されているようですが、虫倉山麓の人たちも昔は貴重な食料としていたのではないでしょうか。

 あいにくの天候でしたが、この季節でなければ見られない動植物や菌類に出会えました。偶然にチチタケの群生地を発見できたのも収穫です。次は紅葉の季節に登ってみたいと思います。
 この虫倉山、松代から見ると茶臼山のかなたに見えるいかにも遠い奥山で、無関係にみえますが、さにあらず。中条村、小川村までが松代藩の領地で、松本藩の美麻村との境には口留番所が置かれ、出入り口を取り締まっていました。また、虫倉神社は、松代藩真田家の尊崇が厚く、江戸幕府の老中となった第八代藩主幸貫は、定紋の幕、祭礼幟、鳥居を寄進。夫人が神簾、姫が千羽鶴を奉納しています。




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よばひ星たんと流るるペルセウス座流星群いとをかし(妻女山里山通信)

2010-08-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州では台風一過になるはずの12日の夜から13日未明にかけて、北東の空にペルセウルス座流星群が見られます。妻女山展望台からだと、右前方、金井山方向の天空です。松代城跡からだと候可(そろべく)峠の方向でしょうか。詳しい情報は、流星電波観測国際プロジェクトのサイトで。国立天文台の「夏の夜、流れ星を数えよう」キャンペーンでも見られます。

  流れ星は、古今東西色々な伝説や逸話を秘めています。願い事が叶うとか、命がひとつ消えるとか・・・。
「星は昴(すばる) 牽(ひこぼし) 明星 夕星(ゆうづつ)  よばひ星すこしをかし 尾だになからましかば まいて」 『枕草子』204段 (清少納言)
 よばひ星とは流れ星のことで、夜這いをしたい男性の心から生まれると考えられていました。私の家に来る道すがら尾を引いて人の目にとまることがなければいいのに、という意味です。ペルセウルス座流星群が大量に流れる13日深夜は、平安時代だと「まあ、今夜は夜這したい殿方があんなにたくさん!」となるのでしょうか。

 写真はスイッチバックと田毎の月で有名なJR篠ノ井線の姨捨駅。日本三大車窓に数えられるホームからは、善光寺平が一望できます。ホームのベンチが線路ではなく善光寺平に向いているのも素晴しい。夜景もおすすめです。無人駅で改札もないので、善光寺平側のホームまで行って夜景や星空を撮影する事もできます。もちろん列車に乗ってきて、次の列車を待つ間に存分に撮影するのもおすすめです。ここなら、ペルセウス座流星群もよく見えるでしょう。

 また、駅のすぐ上の国道403号線にある千曲川展望公園からは、さらにダイナミックなパノラマが望めます。流星観察には最適の場所でしょう。そして、同公園にある千曲川河川事務所の姨捨ライブカメラには、もしかしたら流星が映るかも・・・。静止画だから無理かな。条件が良ければ一時間に50個も流れ星が観察できるそうですから。願い事もたくさん叶うといいなあ。

When You Wish Upon a Star(星に願いを)


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朝日の様に爽やかに(妻女山里山通信)

2010-08-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
  確か気象庁は長期予報で、東日本の今年の夏は冷夏と予想していませんでしたか。しかし、実際は北海道で37度になるほどの猛暑。信州も例外ではなく、連日暑い日が続いています。最高気温は東京より高いほど。ただ朝夕はやはり涼しくなるのと、空気が東京のように汚くなく湿度も少ないので、まとわりつくような空気の重さがありません。逆に日中の直射日光は標高が高い分紫外線も強烈で、アウトドアでの作業は地獄です。
 というわけで、ぎっくり背中も癒えてきたので飯前仕事へ。黒雲に覆われた尼巌山の上から朝日が顔をのぞかせました。昨年まで借りていた畑は腰まであるカヤツリグサなどで薮状態。隣の落花生のある我が家の畑まで侵略されそうな勢いなのでしばし草刈りしましたが、これが大変。その後、アーティチョーク、ズッキーニ、ミニカボチャなどを作っている畑へ転戦。最近の雑草は、名前もよく分からない帰化植物がほとんどで本当に手を焼きます。おかげで背筋通がまた出てしまいました。
 そんな時は、ソニー・クラークの「朝日の様に爽やかに」なんぞが合います。厚い雲も日が昇るにつれて取れ、また猛暑の空が訪れましたが・・・。
Sonny Clark: "Softly as in a Morning Sunrise"


 コンパニオンプランツとして植えているマリーゴールドが満開です。借景は、第四時川中島合戦の時に上杉謙信が山頂の円墳の上に陣幕を張り、鼓を鳴らし舞を舞わせたという伝説の残る斎場山(旧妻女山)。一番下のカットは、その謙信が陣城(七棟の陣小屋)を築いたとされる陣場平です。夏草が生い茂って、まさに「兵どもが夢の跡」。今はクロメマトイとヤブ蚊しかいません。今年は多雨でオオスズメバチが少ないのが安心ですが・・・。
 猛暑で夏真っ盛りかというと、実はもう秋の気配がただよう松代の里山なのです。あまりの暑さに夏の花は全て咲き終わりました。去年は旧盆のころに満開だったクサギの花は、既に散り始めていました。秋には羽根つきの羽根のようなかわいい実をつけるのですが、花は白粉臭い強烈な匂いです。ヒヨドリバナ、マルバフジバカマ、オカトラノオも全て咲き終わってしまいました。もうアキノキリンソウが咲いていました。

 そして、山道を下っていると緑の中に鮮やかな黄色い花が。キツリフネ(黄釣船)です。渓流沿いなど湿ったところに生えるツリフネソウは、熟女を想わせる艶かしいマゼンダピンクですが、このキツリフネは愛らしい少女のような黄色。いずれにせよ全草が毒で、誤って食べると嘔吐するそうですが・・・。花言葉は「私に触らないで!」。学名のインパチェンスは、「我慢できない!」。触れると種が弾けとんでしまうから。やはりこの花も、夏の終わりと秋の始まりを連想させます。そう思って森を抜けて見上げた空は、ここ数日でずいぶんと高くなったような気がします。
「草波に 誰も乗せぬか 黄釣船」 林風

 しかし、里に下りると相変わらずの暑さです。眠れない夜もあります。そんな時はボサノバがいいですね。ブラジルではBossa Novaと書くので、ボサノーヴァと書いた方が発音には近くなります。50年代にリオの裕福な学生やミュージシャンの間で生まれたスタイルですが、感性が合うのか日本人には特にファンが多い様です。暑い夜にヘッドフォンでボサノバを聴くと一気に心はリオデジャネイロに飛びます。カリオカ風にいうとヒウジジャネイロかな。
 
 ご存知アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲。リオのコパカバーナにある高層アパートのドルミトリーに滞在していた時には毎日プライア(海岸)へ日光浴に行きました。イパネマはその隣の海岸。イパネマの通りを抜けてレブロン海岸にあるクラブへも行きました。イパネマの娘のモデルは、エロイーザ。「ゲッツ/ジルベルト」が有名ですが、ここは私の好きな小野リサで。
イパネマの娘 (Garota de Ipanema)

 彼女のベルベットヴォイスは、いつ聴いても輝いています。
Desafinado - Gal Costa
<iframe width="640" height="480" src="//www.youtube.com/embed/JMbCeM0Ro1A" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 コルコバードは、リオの海岸に突き出した上に両手を広げたキリスト像の立つ岩山。リオの象徴的なパワースポット。一説にはNew Yorkの自由の女神をはらませてしまって、どうしてくれるのよといっている彼女に、俺じゃないよ知らないよと両手を広げている、という小話(ピアーダ)を聞いたことがあります。
Corcovado - Lisa Ono

 直訳すると飲み水なんですが、美味しい水と訳されています。これではミネラルウォーターのCMみたいです。愛する事を恐れる事はない、水を飲む様に愛を受け入れなさいという隠喩でしょうか。ポルトガル語の歌詞は秀逸です。しかし彼女は本当に美味い、ではなく上手い。カバーとは思えないほど。
Agua de Beber (cover)

 2014ワールドカップと2016オリンピック。風はブラジルに向いて吹いていますね。財政と映画「シティ・オブ・メン」にも描かれた治安をどうするかが問題ですが、なんとかなるでしょう。よく神様が作った箱庭の様といわれるリオは本当に美しい街で、昼と夜景と空から見ましたが、言葉をなくします。
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松代出身の世界的なアコーディオニストCoba【妻女山里山通信】

2010-08-06 | BABYMETAL・LOVEBITES・ジャズ・宮本佳林・クラシック
 Coba(こば)こと小林靖宏は、信州松代生まれで、日本のというより世界の代表的なアコーディオニスト(手風琴奏者)。彼のサイトはこちらブログはこちらです。全く無関係ですが、私は小学校のときアコーディオンやっていました。やたら重かった記憶があります。上のカットは、粘菌のコマメホコリの変形体。森の珊瑚。動画は削除されることも多いので、Cobaで動画検索をしてください。

 信州の高速道路や真夏の高原のスカイラインを走る時に流すとベスト。お気に入りのCDです。
『SARA Coba(小林靖宏)~アコーディオン』
サラというのは、彼のイタリア時代の師匠の娘さんの名前。


 ポルトガル語でいうとサウダージ。今は失われてないもの。郷愁と憧憬と哀しみと。
『過ぎ去りし永遠の日々』


『coba/リベルタンゴ』


『ラ・ストラーダ (la strada)』


『遠くなる街』


『coba "agua monegros" 』


『coba eye』


『sakura - 小林 靖宏(coba) Yasuhiro Kobayashi 』


『Coba / Pearl Rain』


1995-1997年には、アイスランド出身のミュージシャン、ビョークのワールドツアーにも参加。
Björk - I miss you (Live 1997)

 アコーディオンの音色は、元気な曲でもどこかセンチメンタルで、心の隙間に忍び込んでくるような音色です。ミュゼットと呼ばれるウェット・チューニングによるビブラートの効果がそう感じさせるのでしょう。アコーディオンは、昔の欧州の映画にはよく使われていましたね。しかし、アコーディオンは、バンドネオンもそうですが6種類あって、必ずしもフランスのイメージという楽器でもないんですね。元は中国だし、原型はドイツ辺りで作られたようで、欧州全体で使われていますから。でもシャンソンにはやはり似合いますね。
 Cobaは、圧倒的に海外での評価の方が高いミュージシャンですが、日本でももっと注目されていい人だと思います。


 シャンソンつながりで一曲。とてもキュートです。彼女はパリジェンヌでしょうか。エディット・ピアフの名曲。
la vie en rose-Edith Piaf-(Caro)


ぎっくり背中はまだ完治しませんが、安静状態でやることが色々たまっています・・・。しかし、フライパンの上の猫状態。
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SUMMERTIME(70's グラフィティ)【妻女山里山通信】

2010-08-04 | BABYMETAL・LOVEBITES・ジャズ・宮本佳林・クラシック
 ジョージ・ガーシュウィンの作曲したオペラ『 ポーギーとベス』(1935年)の第1幕で、黒人の漁師の女房クララが歌った子守唄が Summertime(サマータイム)です。歌詞は中学生でも分かるレベルのものですが、なかなか意味は深いのです。人種差別がまだ激しかったころのアメリカですからね。70年代の暑い夏、むさ苦しい長髪をなびかせてジョージのファンキーやアウトバック、赤毛とそばかす、新宿のダグなんかに足げく通ったものでした。ホームは国分寺と国立でしたから、PeterCat、寺珈屋、船問屋、ほんやら堂、ピーナッツハウス、ピッコロ、グルマン、まねき、国分寺書店、キャンディーポット、ミルキーウェイ、レモンの木、蛇の目寿司、多摩蘭坂のおでん屋等々。

SUMMERTIME


Summertime and the living is easy

Fish are jumping and the cotton is high



Oh your daddy's rich

And you ma is good lookin'

So hush little baby don't you cry

One of these mornings you gonna rise up singing

Yes you'll spread your wing and you take to the skies



But till that morning
There's nothing can harm you
Yes with daddy and mummy standing by

Oh don't you cry
No don't you cry
Don't cry

 サマータイムのマイ・フェイヴァリット・シングス(My Favorite Things)を集めてみました。聴き比べてみてください。同じ曲でも表現の違いに驚かれると思います。前回の坂田明のものやジャニスのものなど、ガーシュインの原曲とはまるで違いますからね。それが音楽の素晴しさでしょう。
Janis Joplin - Summertime


Billie Holiday - Summertime


Ella Fitzgerald - Summertime


Sarah Vaughan - Summertime (Master Take)


Nina Simone -summertime


Summertime (COVER)カラオケですから驚きです。セクシー! シャンソン、ボサノヴァもクール!


Voyage en saxo sur Summertime de Stan Getz...


Miles Davis "Summertime" (1958) モダン・ジャズの「帝王」。


Summertime - Albert Ayler LP持っています。ジャニス、ビリーホリデーとともに三大サマータイムとも・・・。


Itzhak Perlman with Modern Jazz Quartet - Summertime イツァーク・パールマンがMJQと共演という贅沢な大人のサマータイム。


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暑い日はハイボールとジャズに限る(70's グラフィティ)【妻女山里山通信】

2010-08-03 | BABYMETAL・LOVEBITES・ジャズ・宮本佳林・クラシック
 PC作業に何日も縛られた後で急に山仕事をしたらぎっくり背中になってしまいました。痛みが治まるまで絶対安静にしていないとなりません。というわけでフィールドワークもできないので、たまにはジャズのことでも書いてみようかと思います。以前書いたと思うのですが、学生時代はジャズ漬けの毎日でした。別にジャズ風味の漬け物を漬けるバイトをしていたわけではないのですが、たくさんアルバイトもしました。多い時は、プレイボーイの寝具デザインのバイト、イベント屋のバイト(社員運動会・歌謡ショー)、ジャズ喫茶のバイト、なにかもうひとつと計四つのバイトと学業が重なって倒れたことがありました。

 なにに使ったかというと、まず当時ブームだったオーディオ。私はラックスマンのアンプが欲しくてしゃかりきになって働きました。スピーカーは、安アパートでは大音量で聴けないのでスタックスのコンデンサー型高級ヘッドフォンを買いました。当時ジャズのLPは学生の身分には不相応なほど高く、バイトをしないととても買えるものではありませんでした。そして映画青年でもあったので、これも二番館、三番館専門とはいえかなりの出費。彼女とデートとなれば、学生とはいえたまにはおごらなければいけません。体が三つぐらいあればいいなといつも思いました。

 そのジャズ喫茶のバイトですが、今ではノーベル賞候補にまでなった某作家のジャズ喫茶「Peter Cat」です。交代制でたいてい夜のカウンターの中をやりましたが、時には昼の授業がないときなどは、バイトの女の子と店をまかされて二人でやることもありました。MH氏がいるときはかけられないキースのケルンコンサートなんかを内緒でかけたりしていましたね。店には学生や美大生、音大生、大学関係者の他、マスコミや業界の人も多く、ライブ演奏もしていたのでジャズメンの出入りも多くありました。学生運動は既にかなり下火でしたが、それでも近所のそれ系の書店には公安が立ち入ったり、学園祭も不穏な空気が流れたこともありました。そんなときも、こんなときも、いつも流れていたのがジャズでした。

 CDになってから、なんていうかLPのような有難味がなくなりましたね。さらにMP3になってからは音質の悪い音楽を聴くのが当たり前みたいな風になってしまって・・・。確かにプチプチプチとかザーッという雑音はなくなったのですが、一緒にその周りについていたシニフィエ(signifié)の全てが消えてしまったような気がしたのは私だけでしょうか。ジャズ喫茶のアルテックやJBLのスピーカーからは、音だけではなく夢や哀しみや憧憬、青春の苦悩などありとあらゆるものが低周波とともに溢れ出ていたような気がします。

 ところがインターネットの時代になって、昔は到底観る事ができなかった往年のジャズメンの演奏や歌をいつでも好きな時に鑑賞することが可能になりました。これは有難いことです。といっても懐メロばかり聴いているわけでもないのです。たとえばこんなのを・・・。



チャーリー・パーカーの再来といわれる彼女ですが、女性らしいふくよかさというか、優しさというか、オリジナリティのあるサウンドです。



「ウィスキーがお好きでしょ」は、石川さゆりが定番で好きですが、ジャズバージョンもいいです。



夏はラテン・ジャズがいいですね。

やはり御大はいいですね。演奏は焼けこげそうなほど暑い夏です。いまでもミトコンドリアなんでしょうね。粘菌ブルースなんて作ってもらえないでしょうか。
SUMMER TIME 坂田明 With 渡辺香津美


坂田明といえば、やはりこの方・・・。決してピアノを壊す(燃やす)のが趣味な人ではありません。暑気払いの熱いセッションです。。
Yosuke Yamashita Trio:"GUGAN"

 霞ヶ関のイイノホール(閉館)で行われたマンフレット・ショーフ楽団とのセッションは、忘れる事ができないコンサートでした。少し前の席に故殿山泰司氏が座っていて、楽しそうに聴いていたのを思い出します。
次回は、猛暑にちなんで「SUMMER TIME」でまとめてみようと思います。ジャニスとかね。

◉村上春樹さんの国分寺のジャズ喫茶「ピーター・キャット」を中心に綴ったブログ『国分寺・国立70sグラフィティ』もご覧ください。

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自然が作ったガウディの塔。粘菌の魅力 (妻女山里山通信)

2010-08-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 雨上がりの鏡台山の登山道で見つけた黄色い物体。緑のトンネルの下で雨露に濡れたその黄色い塔は、木漏れ日を浴びながらてらてらと光っていました。下からマクロ撮影をすると、まるでスペイン、カタルーニャ出身の建築家、アントニオ・ガウディの塔のようです。大きそうに見えますが、マクロで3センチまで寄っているため、実際は横にのびた小枝の太さが5、6ミリぐらいしかありません。鮮やかな山吹色ですが、足下を注意して見ていないと気がつくこともない大きさです。

 この黄色いアメーバ状の物体は、変形菌、または粘菌と呼ばれる動物と植物の中間的な存在の生物です。変形菌は、動物の様に体を変形させて移動したり大きくなりながら、キノコの様に胞子を飛ばして増える生物です。菌類に似ていますが、菌類とは異なりセルロースからなる細胞壁を作ります。しかも単細胞生物。その歴史は人類よりもはるかに古く、森の倒木や切り株、落ち葉や枯れ草などに棲み、それらを腐らせる微生物を食料とします。学校の授業でもほとんど取り上げられることもなく、知らない人が多いと思いますが、深山だけでなく公園や庭など、どこにでもいる極ありふれた生物です。気がつかないだけなのです。この粘菌は、脳も神経もないのに迷路を抜けられるのです。以前紹介しましたが、この研究成果で北大の中垣准教授のチームが、イグ・ノーベル賞を受賞したのです。

 そんな変形菌ですから、これに注目する人も変わり者が多いのは当然かもしれません。その筆頭は、日本の変形菌研究の先駆者ともいえる南方熊楠(みなかたくまぐす)でしょう。熊楠は、日本の近代民俗学の先駆者であると同時に、隠花植物の先駆的な研究者でもあります。八歳の時に『和漢三才図絵』などを筆写。十三歳の時に『動物学』の冊子を制作したのですから普通ではありません。十七歳で、超難関の 大学予備門(現・東京大学)に入学。同窓生には夏目漱石、正岡子規などがいたのですが、自分の研究に没頭するあまり落第して中退。米国に留学。後に渡英して大英博物館で学びます。並外れて記憶力がよく、「歩く百科事典」と呼ばれたそうです。

 多汗症でいつもふんどし姿だったとか、猫好きでいつも汚い猫を拾ってきたとか、反吐を自在に吐く事ができたとか、中米ではサーカス団に入っていたとか、晩婚で子供ももうけ子煩悩だったそうですが実は少年愛の人だったとか、なかなかの変人ぶりですが、昭和天皇に変形菌標本をキャラメルの大箱に入れて進献し、天皇の変形菌採取の案内をし、御前講話も行っています。森羅万象の探求者として多大な功績と研究成果を残しています。また、当時専門家でも気づいていなかった神社合祀への危険性を唱え、神社を中心とする多神教の風土こそ、日本人の情緒の基層をなすものであるとして反対運動を起こしました。しかし、結局この愚策により、村の生活に密着した氏神や産土神への信仰の母体となっていた全国の神社は十九万社から一万七千にまで減少、貴重な鎮守の森や文化遺産の多くが、その歴史とともに消滅しました。詳しくは、『南方二書』で検索を!
 現在朝ドラで人気の水木しげるが、南方熊楠の飼い猫の猫楠の視点で描いた漫画『猫楠』は、超おすすめです。

 数年前に国立科学博物館で、南方熊楠展が開かれたときに息子と行きましたが、地味な企画展にしてはたくさんの来場者があり、変形菌マニアも結構いるのだなと思いました。科博には、変形菌の立体模型もあり、非常に楽しいところです。ちょうど変形菌のモジホコリを、飼育セットもついてお土産に配布するというコーナーがあり、いただいてきました。もじたろうと命名して飼育したものがこちらリンクの写真です。餌はオートミールです。モジホコリは、変形菌の中で唯一飼育方法が確立しているもので、学校や研究機関など各方面で利用されています。

 そこで今回の変形菌ですが、モジホコリ科のキフシススホコリといいます。写真のものは変形体で、胞子を飛ばす子実体になるべく餌が多い切り株の隙間や枯れ葉の下から這い出て、ひたすら胞子を遠くへ飛ばせる高い方へと成長しているところです。雨上がりの日差しなどの刺激によって変身が始まるようです。この変形体というのは、億単位の核がありながら単細胞生物なのです。所々に盛り上がった節ができるのが特徴ですが、これもなるべく遠くへ胞子を飛ばすためだとか。このキフシススホコリは、子実体になると石灰質を排出して結晶化し子のう壁に沈着しスポンジ状の形になります

 変形菌は、餌があれば、餌に近い部分が口になり餌を取り込みます。また、体中が生殖器にもなります。世界には約800種類の変形菌が発見されていますが、まだまだ未知のものが森やジャングルに隠れているかもしれません。変形菌を見たいと思ったら夏の雨上がりの森の倒木や切り株を探すといいでしょう。深山でなくても、雑木林や公園、ときには人家の庭や道ばたにもでます。虫眼鏡を持って注意深く探すときっと見つかります。

 その昔、秦の始皇帝はが不老不死の食べ物として「大歳(たいさい)」を探し求めたといわれています。「肉霊芝」ともいわれるそれは、地中にある数十キロにもなるブヨブヨとした固まりで、古代切っても切っても減らない肉塊として食べられていたとか。中国では、何度か発見されていて研究もされているようです。その「肉霊芝」は薔薇のような芳香を持ち、肉のような食感だといいますが、変形菌ではないかといわれています。日本の山にも埋もれているかもしれません。

★変形菌(粘菌)の写真は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】の変形菌(粘菌)1.2.3をご覧ください。変形菌を食べる昆虫。変形菌が宇宙の侵略者と間違えられた。変形菌は食料になるかなどキャプションも色々。スーパーマクロでしか見えない地球のもうひとつの姿が見られます。ウーン、カワイイと思ったらあなたも変形菌の虜になったということです。さらに専門的には、京大の細胞性粘菌グループのサイトがおすすめ。特にムービーは見飽きません。

★以前日本テレビ『DASH村』で粘菌の解説に、故樋口源一郎監督のムービーと共に私の撮影した粘菌の写真が使われたことがあります。また、ソフトバンクから出版された『カラー図解でわかる 光と色のしくみ』という新書に写真が4枚掲載されました。山梨県小菅村の牛ノ寝通りで撮影したススホコリ、タマツノホコリ、ムラサキホコリ、コマメホコリが載っています。

妻女山の変形菌1


妻女山の変形菌2
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