モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

秋の気配漂う樹液バーとギャップに咲き乱れる仙人草。ミンミンゼミの交尾(妻女山里山通信)

2016-08-27 | アウトドア・ネイチャーフォト

 この夏は晴れの予報でも雲が多く、撮影が全く捗りませんでした。そうこうしている内に秋の気配が漂い始めました。クマノミズキの小枝が赤く染まり始めました(左)。晩秋には珊瑚のように真っ赤になり、実も濃紺になります。シオカラトンボのメス(中)。尾部付属器が開いていて中央に小突起があります。俗にムギワラトンボといわれますが、未成熟なオスもこの色ですが、眼が未成熟の薄茶色ではなく黒いので、これは成熟したメスですね。畑の害虫として知られるマメコガネ(右)。山ではマメ科の植物やクヌギなどを食べます。鳥やスズメバチが天敵ですが、土壌中のバチルス・ポピリエという乳化病菌が幼虫に寄生するため大量発生を抑えているということです。つまり、農薬の空中散布などで土壌汚染されて細菌が死ぬと大量発生の可能性もあるわけです。

 樹液バーで吸汁中のオオスズメバチのもとへヒメスズメバチが飛来しました。これだけ大きさが違うと全く勝負にならないことはヒメスズメバチも分かっていて、上側に反転して留まりました。隙をついてなんとか吸汁しようとするのですが、すぐにオオスズメバチに排除されてしまいます。少し離れた所で待機。チャイロスズメバチもやって来ましたがあっけなく排除されました。厳しい世界です。

 このオオスズメバチですが、既に1時間以上ずっと吸汁を続けています。この樹液バーは、太いコナラの根元部分にあり、樹液が豊富に出るため発酵して白く結晶化しています。よってアルコール分もかなり高めなのでしょう。このオオスズメバチは既に泥酔状態なのです。目の前にヤセバエがやって来たのですが気がつきません。向こう側にはルリタテハもやって来ました。

 泥酔したオオスズメバチが樹液バーを離れ、ヨロヨロと木を登り始めましたが、途中でよろけて落ちそうになったりしています(左)。思い切り顎を開いて、もう吐きそうという感じです(中)。実際は何をしているのか不明ですが。その内、地面に落ちて同じ所をクルクルヨタヨタ回り始めました。この間に、ヒメスズメバチやルリタテハは一斉に吸汁を始めました。しかし、20分後に2匹のチャイロスズメバチが飛来し、排除されました。
 そして、その10分後になんとまたあのオオスズメバチが戻ってきてチャイロスズメバチを排除し、また吸汁を始めたのです(右)。オオスズメバチの体重は、人間の一万分の一ぐらいなので、人間にとっては感じられないほどのアルコール量でもオオスズメバチは充分に酔うのでしょう。いきなり飛び立って撮影中の私の顔面に激突したり、飛び立つのに失敗して地面に落下したりしたこともありました。

 隣のコナラにある樹液バーにアカタテハが飛来し吸汁を始めました。成虫で越冬し、早春から舞い始めます。幼虫の食草は、イラクサ科のカラムシ(茎蒸)、クサマオ(アオソ:青苧)、ヤブマオ(藪苧麻)など。青苧は、上杉謙信が栽培を奨励し、糸や布で利益をあげていたことは有名です。この後、オオスズメバチとヒメスズメバチが飛来し、排除されてしまいましたが、わりとすぐにいなくなったので、また樹液にありつけました。

 この所、樹液バーにはチャイロスズメバチが多く飛来する様になりました(左・中)。小さいハチですがかなり攻撃的です。千曲市による松枯れ病の空中散布で昆虫が全滅した昨年でしたが、夏の終わりに20匹以上のチャイロスズメバチだけが飛来し、撮影しようと車外に出たところで襲われ、危うく刺されまくるところでした。オオスズメバチには敵いませんが、やや大きいヒメスズメバチなら簡単に撃退します。社会寄生を持つハチです。樹液バーでの撮影も、シーズン終わりになると、顔の横でスズメバチがホバリングしたり飛び回っても平気になります。不感症になったわけではなく、間合いや虫達の気分が分かるようになるのです。来シーズンになると、またすっかり忘れていますが…。
 昼に友人のログハウスへ寄り弁当を食べた後、前の草地でシロツメクサで吸蜜するヤマトシジミを撮影(右)。

 その帰りに陣場平に寄って帰化植物のオオブタクサを探して除去。帰ろうと林道への小道を歩いて行くと足元でガサガサと音がします。見るとミンミンゼミが交尾中でした。オスメスを判別するためにそっとつまんでひっくり返しました。少しバタバタしましたが離れることはありません。左下が腹板があるオスで、右上がメスでした。本来は木の幹に掴まってするのですが、何かの拍子に落下したのでしょう。以前撮影したアブラゼミの交尾も林道の真ん中でした。交尾は30分以上続きます。無防備なので交尾中に襲われることもあるでしょうね。

 陣場平とその手前のギャップでセンニンソウ(仙人草)が咲き誇っています。まだ蕾も多いので、満開になるのはもう少し先。いい香りのする野草ですが毒草なので、葉や茎の切り口に触れるとかぶれることがあります。

 そのギャップの奥で見つけたつる性植物(左)。花は小さく、直径が10ミリぐらい。花期は終わりを告げていてほとんどが結実していました。緑色の実は、熟すと紺色から黒になっていく様です(中)。葉は小さく繊毛があります(右)。これが調べてもなかなか種名が分からず難儀しました。手持ちの図鑑でやっと判明。ナデシコ科のナンバンハコベ(南蛮繁縷)でした。別名は、ツルセンノウ。南蛮とつくので帰化植物かと思いましたが在来種で、その異国風の花の形からの命名だとか。

 帰りに妻女山展望台へ。松代方面を撮影。珍しく根子岳と四阿山が見えていました。両山とも拙書で詳しく紹介しています。根子岳は、県の天然記念物のミヤマモンキチョウが生息します。こちらが撮影に成功した記事です。わずか3分間の出会いでした。四阿山は、真田氏に深い関係を持つ修験の霊峰です。こちらが四阿山から根子岳縦走の記事です。上空に巻雲が出ていました。秋ですねえ。左のロケットの打ち上げ雲の様なものは何でしょう。

 上杉謙信が本陣としたという斎場山(旧妻女山)。左へ15〜20分下ると妻女山展望台(旧赤坂山)。右へ10分ほど下ると、土口将軍塚古墳、次に薬師山。こここから鏡台山までの広い山域も拙書では詳しく登山コースを紹介しています。蝉の鳴き声がここまで聞こえてきます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。
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『真田丸』でハイカーや歴史マニアが増えた清野氏と上杉景勝の鞍骨城跡へ。大発見も!(妻女山里山通信)

2016-08-24 | 歴史・地理・雑学

 登山道整備と撮影を兼ねて鞍骨城跡までトレッキングをしました。例年なら登山者は少ないのですが、『真田丸』の影響で、今年は夏でも登る人が全国各地から来ます。
 妻女山の駐車場の奥から右の林道へ(左)。登山者ノートがあります。登山届ではありません。下山時に歩いたコースや出会ったもの、感想などをお書き下さい。鞍骨山までは、ここから約90〜100分です。標識も完備していますが、天城山周辺は尾根が十字に出て分岐も多く迷いやすいので、地形図の載った拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』とコンパスを持参して行くことをお勧めします。
 20分から30分で堂平大塚古墳の分岐(中)このカットの反対側が謙信の陣城跡の陣馬平で、4月の茶花でもある貝母の群生地。中国原産の薬草ですが、かなり強い毒草です。林道を登って10分ほどで天城山(てしろやま)の登山道に入ります(右)。

 約20分登ると天城山頂(左)。「天空の古墳 坂山古墳」の標識。ここを東へ下りて行きます。7、8分で二本松峠(坂山峠)(中)。「右 倉科坂 左 清野坂」の標識があります。倉科側が清野坂で、清野側が倉科坂なのです。倉科の人が清野へ行く時に登る坂なので倉科側が清野坂なのです。これを勘違いしてこの標識を反対にしてしまう人がいて、設置したMさんが憤慨していたのですが、ひょんなことから知り合いのSおじいさんであることが分かりました(笑)。彼には理由を説明して納得してもらいましたが、他にも誤解している人がいそうです。ここには、鞍骨城跡まで850mの標識があります。あと約40分で鞍骨山頂。

 途中でルリシジミを発見(左)。強風に耐えていましたが、揺れるので撮影も大変でした。峠から約20分で駒止めと呼ばれる深い竪堀(中)。さらに7、8分で高圧線の鉄塔(右)。すぐ先に二条の堀切があり、それを超えると鞍骨城内です。ここで登山道に出ていたエビガライチゴとヤマガシュウを切りました。以前、ここで友人のフランス人が戦国時代に使われた宋銭を発見しました。

 ボタンズルで吸蜜するのはホソヒラタアブか(左)。牡丹蔓は仙人草より花は小さく葉も切れ込みがあります。二つ目の堀切からは左手に清野側の林道倉科坂線に下りる登山道があります(中)。鉄塔から10分ほどで鞍骨城跡の一の郭(右)。左(北側)から二の郭へ登ります。補助のトラロープが下がっています。

 大きなケヤキのある広い二の郭(左)。ここを右へ歩き、南面に回ります。見上げると本郭が見えています(中)。所々に矢印を描いた小さな板があるので目安に。南面を斜めに登って行きますが、道は細く非常に不安定なので要注意です。見上げると本郭の石積みが見えます(右)。

 登って行くと南面の四角い凹みのある郭に着きます(右)。ここからつづら折れで少し登ると山頂。山頂直下の石積み(中)。南側が大手です。Mさんが立てた「天空の山城 鞍骨城跡」の標識。
 武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ…、鞍掛山へ御上がり云々」との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか…。いずれにせよ山城マニア、戦国マニア必見の山城です。

 山頂からは、落葉期だともっと景色がよく見えるのですが…。眼下に松代城跡が見えます。ここから20mほど先にある二つの展望岩に行ってみました。拙書の地図でも紹介しています。
「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態(妻女山里山通信)大河ドラマでは見えてこない戦国時代の姿

 まず一つ目、西の展望岩から。出発地点の妻女山(赤坂山)が見下ろせます。上杉謙信の本陣と地元で言い伝えてきた斎場山(本来の妻女山)は登って来た尾根の向こう側になります。中央に合戦場という文字がありますが、これはここの住所表記なのです。八幡原の信玄軍と、霧にまぎれて茶臼山麓を北上し越後に帰ろうとしていた上杉軍が、霧が晴れてしまい両軍の中央で戦になった場所という言い伝えでの地名です。

 さらにネズミサシのある痩せ尾根を辿って東の展望岩へ(左)。途中に小さな竪堀があります。狭い東の展望岩(中)。南北とも急峻な崖なので転落に注意。ここからは、松代城跡が眼下に望めます(右)。

 望遠レンズで、松代城跡周辺を撮影。これは江戸時代のものを復元したものですから、山本勘助が造ったという戦国時代の海津城はもっと砦の様なものだったのではないでしょうか。元々は、清野氏の倉があったといわれています。
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信) その2

 本郭に戻りました。クララが結実しています(左)。キアゲハが二頭舞っていました(中)。昼食は、リオ五輪にちなんで、ブラジル料理のフェジョン・コズィード(ブラジルの黒インゲン豆の煮込み)をご飯にかけたもので、ブラジル人がほぼ毎日食べるソウルフード。黒インゲン豆は私が栽培したものです。上にファリーニャ・デ・マンジョーカというキャッサバ芋の粉と激辛で酸味のあるハバネロソースをかけて。ハラペーニョとタマネギのピクルスも。塩コショウと大蒜を効かせた自家製アンチョビーオイルで焼いた目玉焼きも。馬鹿旨でした。私が作ったレシピはこちらです。蝉の声を聞きながら、風に吹かれながら、景色を眺めながら、ゆるゆると30分ほど過ごしました。

 帰りにキク科のキオンが咲いているのを発見(左)。小さい秋ですね。以前、陣馬平で出会った人に教えてもらったコナラにできる菌えいをやっと見つけました(中)。探すとなかなか無いのです。取り方も教わったので、形のいいものを三つ取りました。根本はこんな感じで尖っています(右)。周りの樹の皮を剥ぐとツルンとした球体が現れます。ある種の菌がこんないたずらをするのです。自然は本当に面白い。今回の最大の収穫で大発見でした。

 小さなヤマグリがたくさん落ちていました(左)。今年はシナノガキも豊作です。3センチぐらいの美しい羽根を発見(中)。カケスの翼の青い部分の羽毛で、初列雨覆と大雨覆と呼ばれる部位だとか。トビかノスリに襲われたのでしょうか。樹液バーに立ち寄ってみると、チャイロスズメバチが(右)。ルリタテハが吸汁したいと試みるのですが、攻撃的なチャイロスズメバチが邪魔をします。樹液バーは昆虫も減り、随分と寂しくなりました。信州の夏もそろそろ終わりです。久々にいい汗をいた山行でした。
 それから妻女山登山者ノートにも色々情報を書き込んでいただき、本当にありがとうございます。なんでもいいのです。ご自分が見つけたもの、感じたことをご自由にお書き下さい。

清野氏と戦国時代

川中島合戦の上杉謙信にまつわる妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。(妻女山里山通信)歴史マニアと歴女必読! 地名から読む川中島合戦

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復活したゼフィルス。夏の終わりを感じさせる妻女山の樹液バー(妻女山里山通信)

2016-08-19 | アウトドア・ネイチャーフォト

 妻女山駐車場の奥のオオブタクサを除草していて、この山系では珍しい花を見つけました。ガガイモです。大国主命と共に国造りをした少彦命が、天之蘿摩船(あまのかがみのふね)に乗ってきたと記紀には書かれています。古名は蘿摩(かがみ)、またはカガミグサといいますが、舟型の実がその由来の様です。
 生薬名を羅摩子(らまし)といい、滋養強壮や解毒作用があります。綿毛の種子はケサランパサランとなって舞うのが見られます。今回調べて、この毛を綿の代用として針刺しや印肉に使用したということを初めて知りました。花びらには繊毛がありますが、この時期に多い夕立から守るためでしょう。水滴が繊毛の上に付いて花びらが傷むのを防ぐのです。

 夏の終わり。樹液バーが寂しいのでゼフィルスが集まる千曲市側のギャップに来ました。昨年は松枯れ病の空中散布でありとあらゆる昆虫が絶滅した草原です。今年はわずかですが復活しました。いかにネオニコチノイド系農薬の空中散布が、昆虫採集より遥かに甚大な環境破壊をもたらすかが分かります。もちろん人的被害も出ています。商売目的の大量採取は別として愛好家や子供の採取は禁止すべきではありません。それとは比較できないほどの環境破壊があることを知らないといけません。
 シロツメクサで吸蜜中のツバメシジミ。後翅の尾状突起と眼状紋が、本当の頭部を食べられないようにするカモフラージュの役目をしているといわれています。蝶を網で捕るのは簡単ですが、撮影は困難を極めます。この日は時折風が強く吹いたので余計に大変でした。

 ゲンノショウコ(現の証拠)で吸蜜中のヤマトシジミ。私は基本的に望遠マクロを使わず超接近撮影のため、気配を感じてすぐ逃げられてしまうのです。気配を殺すのがコツなんですが難しい。忍者になった気分で撮影しています。瞳に見える黒い点は偽瞳孔です。ゲンノショウコは、十薬と呼ばれるドクダミや当薬といわれるセンブリと共に日本の代表的な薬草です。この夏は自作したドクダミ茶をもっぱら愛飲しています。

 例年より少し早く咲き始めたセンニンソウ(仙人草)。野草の中では一二を争うほど香りがいいのです。近くでは爽やかな、離れては甘い八角の様な魅惑的な香りがするのです。ブライダルブーケの様に咲き乱れるのは一週間ほど先でしょうか。名前は知っていても見た人が少ないのは、残暑の厳しい里山で咲くからでしょう。私は毎年この花が咲くのを楽しみにしています。花びらに見えるのは萼片で、美しい花ですが毒草です。

 樹液バーに戻ると、サトキマダラヒカゲが吸汁に来ていました(左)。この反対側にはもう一頭いましたが、カナヘビに襲われたのでしょうか、後翅がほとんど噛みちぎられていました。オオムラサキのオスもやって来ました(中)。かなり翅が傷んでいますが、飛翔には全く問題ない様です。コナラの根本にできた樹液バーにヒメスズメバチがやって来ました(右)。手前のアオカナブンが邪魔らしく攻撃して落としましたが、前回のオオスズメバチの様に殺すことはありませんでした。

 そこへ先ほどのオオムラサキが上の樹液バーで、ノコギリクワガタとオオスズメバチの攻撃に遭い退散して、ここにやって来ました。撃退されたアオカナブンもしぶとく戻って来ました。そこへチャイロスズメバチが来店。追い出されたのはオオムラサキのオスでした。この夏は少雨で樹液の出が悪いので、樹液バーの席争いはいつになく熾烈です。樹液バーには、優しく迎えてくれるマダムや、イケメンのホストや可愛いホステスはいないのです。

 長野市側はどうだろうと、林道倉科坂線に行ってみました。上信越自動車道とタワーがある松代SAが見えます。左向こうに蛇行する千曲川。写真右手に行くと松代城(海津城)。奥の山は金井山城跡のある金井山。尾根の先端の向こうにMウェーブが見えます。ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声がBGMです。空中散布はないのに昆虫がほとんど見られず、意気消沈して戻ってきました。春から続く異常気象のせいでしょうか、非常に気掛かりです。
 ナショナルジオグラフィック日本版サイトに気になる記事が載っていました。「北極点がヨーロッパ方向へ急移動と研究発表」エルニーニョやラニーニャもその影響で変化か。異常気象が常態化するかもしれません。

 妻女山展望台から望む川中島(左)。ここは本来赤坂山といいます。謙信本陣の妻女山ではありません。『真田丸』効果で観光客や歴史マニアが激増しています。年配の歴史マニアだけでなく若い歴女も多いですね。ただ、長野市の看板にはここが戦国時代の妻女山(本名は斎場山)ではなく、謙信の本陣は更に100m高い斎場山であると明記していないため、誤解して帰っていく人がほとんどです。そこで時間がある限りボランティアで説明をしていますが、時間が限られます。私の説明を聞くことができた方は幸運だと思って下さい。拙書ではそこを詳しく書いています。
 妻女山松代招魂社(中)。例年ならここにオオムラサキが乱舞しているのですが全く見られません。招魂社は、戊辰戦争以降の戦没者を祀っている神社です。ブログ内検索で「妻女山松代招魂社」を調べていただくと詳細な歴史が分かります。妻女山展望台から松代城方面の眺め(右)。信玄軍が立て籠もった海津城は目と鼻の先です。
 さて、次回は久しぶりに登山道整備と撮影を兼ねて鞍骨城跡まで登ってみようと思います。妻女山の駐車場から90〜100分で行けます。標識も完備していますが、天城山周辺は迷いやすいので、拙書を持参して行くことをお勧めします。何に出会えるでしょうか、楽しみです。

川中島合戦の上杉謙信にまつわる妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

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衝撃! 殺戮だけのためにアオカナブンを襲うオオスズメバチ! 妻女山と斎場山の真実(妻女山里山通信)

2016-08-14 | アウトドア・ネイチャーフォト

 三つ前の記事で、オオスズメバチがアオカナブンを襲い、頭からバリバリ食べるシーンを載せましたが、今回さらに衝撃的なことが起きました。コナラの大木の根元に湧いた樹液を吸うオオスズメバチ(左)。この様に白くなると発酵しアルコール分も含まれます。たくさん吸うと酔っ払うこともあります。アルコール分は微量ですが、オオスズメバチの体重は人間の約一万分の1なので微量でも酔うのです。酔ったハチの行動はまさに人間と同じです。
 吸汁に訪れたアオカナブンを排除するだけでなく突然襲いました(中)。6本の脚で羽交い締めにして攻撃。頭に噛みつきます(右)。

 強靭な顎で頭部に噛み付いています。オオスズメバチの顎の噛み砕く力は樹木を齧って樹液を出すほどなので相当強いのです。カマキリやセミを襲ったり肉食もしますが、樹液を吸いに来たコナラでわざわざアオカナブンを襲う理由が分かりません。それが、この後の行動で更に謎が深まりました。理由のひとつとしては、今年の夏は雨が少なく樹液の出が悪いということがあります。そのため、樹液バーでの争いが頻繁に起きてはいるのですが、他の個体は排除するだけで殺したりはしないので、この個体特有の性質なのでしょうか。

 執拗に攻撃を続けます(左)。この時点で頭部を噛み切っているので、アオカナブンはすでに絶命しています(中)。どうも三つ前の記事で撮影したオオスズメバチと同じ個体の様な気がします(右)。驚いたのは、前回は肉団子にして巣に持ち帰ったのですが、今回は殺すだけで巣に帰ったといいうことです。殺戮だけが目的だったのでしょうか。非常に不可解です。もっともこのアオカナブンはすぐにトゲアリなどの餌になり無益な殺生ということでもありませんでしたが。感情とか遊ぶとかは本当に高度な哺乳類のものだけなのでしょうか。衝撃的な出来事でした。
 この撮影ですが、望遠マクロではなく50ミリf2.0のレンズで撮影しています。そのためレンズフードの先端から被写体までは20センチもありません。なぜ逃げないの?なぜ襲われないの?とよく聞かれますが、彼らの生態を知り、その時の感情(気分)を見ているからなのです。それでも誤って追いかけられたことは何度もあります。オオスズメバチに100m追いかけられたこともあります。3回転びましたが、最後は彼らが嫌いなフィトンチット充満のヒノキ林にダイブして逃れました。

 その樹液バーにキマワリとクロスズメバチがやって来ました。クロスズメバチは地蜂とかヘボとか呼ばれ、地面に巣を作りますが、その蜂の子は信州では高価な珍味です。すがれ追いともいいます。蜂の子はタンパク質が、100グラムあたりで約17グラムと多く、その他ビタミンA・B1・B2、カルシウム、鉄分なども含まれる優良食材なのです。蜂の子は甘辛で煮付けて酒の肴やご飯のおかずに。または一緒に炊き込んでヘボ飯にします。子供の頃は地蜂は捕れないので、アシナガバチの巣を落として祖母に料理してもらいました。信州人のソウルフードですが、今の子供達は食べないでしょうね。農薬や添加物満載の加工食品やジャンクフードまみれ。挙句に放射能汚染食材。

 チャイロスズメバチも来ました(左)。社会寄生をするハチで小さいながら攻撃的なハチです。森の宝石アオカナブン(中)。左後ろにいるのは、シラホシハナムグリかシロテンハナムグリか。この辺は角度で色の見え方も変わるし同定が非常に難しい昆虫です。オオムラサキのオスも吸汁にやってきましたが、カナブンの団体やオオスズメバチに占拠されてなかなかありつけません(右)。

 サトキマダラヒカゲも訪れました(左)。オオヒカゲもやって来ました(中)。虚の奥でずっと吸汁していたコクワガタが出てきました(右)。この後、木を下りて枯れ葉の中に潜って行きました。

 コミスジが葉の上で休憩中(左)。人の気配に敏感で容易に撮影させてくれません。樹上からミンミンゼミが落ちてきました(中)。指にのせると動きません。モデルになってもらいました。なかなか愛嬌のある顔です。
 モジホコリ科ススホコリ属のススホコリ(右)。いわゆる粘菌(変形菌)です。これは変形体ではなくすでに子実体で、胞子を飛ばす準備ができています。石灰質顆粒からなる外皮はもろく剥がれやすい。この夏は雨が少なく、粘菌がほとんど見られず残念です。

 シロヒトリ(左)。白一人ではなく、白燈蛾・白火取。名前の由来は、白火取と書く様に、夜になると灯火に飛び込み、火を消してしまう事から。 幼虫の食草は、クワ、タンポポ、スイバ、イタドリ、ギシギシ、オオバコなど。幼虫は、70ミリほど。昼間は写真の様にほとんど爆睡しています。
 帰ろうとするとノスリがネズミを捕まえて食べていました(中・右)。鳥は撮影機材が全く異なるのでしませんが、ノスリは大好きな鳥なのです。以前、隣家の畑で神の使いといわれる白蛇を捕まえてカラスと壮絶な戦いをしていたのを目撃した時は本当に興奮しました。

 『真田丸』で妻女山への訪問者が激増していますが、多くの観光客は展望台のある妻女山(実は赤坂山)を謙信本陣と勘違いして帰って行きます。長野市の看板にもその説明がないため、ここが本来の妻女山(本名は斎場山)ではないと知らずにいるのです。地元で上杉謙信の本陣と言い伝えられてきた妻女山は、更に100m高い斎場山のことです。山頂は古代科野国の古墳で円墳です。ここに謙信は盾を敷き陣幕を貼って本陣としたと地元では代々言い伝えてきました。写真は千曲川右岸の岩野橋少し下流から撮影したものです。

 これは千曲川左岸の岩野橋の近くから撮影したもの。謙信の軍勢は、斎場山を本陣として妻女山(旧赤坂山)から薬師山(笹崎山)、さらに斎場山南の陣馬平、天城山(てしろやま)、麓の斎場原に布陣したと伝わっています。ここへの行き方は拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林で詳しく地形図と共に説明しています。なお山の地形は戦国時代とほとんど変わっていないと思いますが、千曲川の流れは江戸時代の戌の満水の大洪水の後で、松代藩が大規模な瀬直しをしているので、戦国時代の流路とは全く異なります。「上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから」をお読み下さい。

妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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妻女山SDPは、ヨシと帰化植物の除去。昼は絶品手打ち肉味噌麺。海津城へ(妻女山里山通信)

2016-08-10 | アウトドア・ネイチャーフォト

 35度以上の猛暑日が続く信州ですが、最低気温が20度と低いのと、日中も湿度が低いのでなんとか凌げます。樹液バーでの4時間あまりの撮影も林下なので直射日光は遮られます。しかし、今年の樹液バーはオオスズメバチばかりなので神経が疲れます(左)。レンズフードの先端からハチまでは20センチもありません。撮影中に別のオオスズメバチが耳元に飛翔することもあります。写真の様にオオスズメバチの翅は非常に細く、また先端が傷んでいることがほとんどです。それでも飛翔には差し支えないのでしょう。そのためか羽ばたきのサイクルがカブトムシやカナブンより早く重低音の感じ。この音を見ずに認識できるかどうかが重要なのです。危険を感じたら即しゃがんで後退りします。
 同じ巣から来たハチは、口を合わせて情報交換をします(中)。他の巣から来たハチは強い方が排除することもあります。アオカナブンの脇から口吻を差し込んで吸汁するオオムラサキのオス(右)。出現するオオムラサキの数が減ってきたのが気掛かりです。

 車で樹液バーまで登ろうとすると、窓からミンミンゼミが飛び込んできて脚に留まりました(左)。動かないのでそのまま車を走らせました。樹液バーの上で車から降りるとしばらくして飛び立って行きました。
 樹液バーには、カブトムシのメスが上席を占拠中(中)。後からやってきたオオスズメバチが激しく頭突きで排除しようと試みますが、微動だにしません。別の樹液バーには、ミヤマクワガタが登場(右)。やや小型です。左のオオスズメバチを角でアッという間に排除しました。

 ふと足元を見ると、カブトムシの死骸にトゲアリが群がっていました。観察すると、カブトムシは綺麗で何かに襲われた様な形跡は見られません。中の肉も食べられていない様です。死因はおそらく餓死ではないでしょうか。タヌキやカラスなどに捕食された場合は、頭と胴がバラバラで中身が食べられていますから。今年は樹液の出があまりよくありません。また、カブトムシのオスは角が邪魔をして、狭い隙間の樹液を吸うことができないのです。
 トゲアリは社会寄生する習性をもっています。仲間のアリが獲物を解体する間、周りを兵隊アリが囲んで警戒しています。敵に襲われると蟻酸を吹き付けて撃退します。

 タテハチョウ科のゴマダラチョウ(胡麻斑蝶)が舞い降りました(左)。幼虫の食草は、オオムラサキと同じくエノキ。サトキマダラヒカゲ(里黄斑日陰蝶)タテハチョウ科ジャノメチョウ亜科(中)。幼虫の食草はタケ・ササ類。暗いところを好み、花にはめったに訪れません。さらに標高が高いところに生息するヤマキマダラヒカゲがいますが、混棲することも珍しくないようです。なんとバンパーに留まりました。
 樹形バーをトゲアリの大群が占拠(右)。これには後からやってきたオオスズメバチも難儀していました。トゲアリも樹液を舐めているのでしょう。肉食もするし、カタクリの種に付くエライオソームを食べ、種を巣の外に蒔くアリ散布をします。日本にアリ散布植物は、200種以上あります。

 9時少し前に、木漏れ日の中を妻女山SDPのメンバーが登ってきました(左)。当日の最高気温は35度でしたが、ここの標高は520mほど。湿度も低く風も吹いていました。作業はまず謙信の陣城跡と伝わる陣馬平のヨシの根塊の除去(中)。ヨシの根は竹の地下茎に似ていますが。今回除去した大きな根塊を作るものはススキかもしれません。掘り出してひっくり返しました(右)。これで灼熱の太陽に晒せば枯れるでしょう。
「葦の根の ねもころ思ひて 結びてし 玉の緒といはば 人解かめやも」(詠人知らず 万葉集 巻七 一三二四)
(葦の根が絡み合うように、私たちの仲も強く結ばれていますと言えば、他の人がその仲を割くようなことがありましょうか)

妻女山SDPは、妻女山里山デザイン・プロジェクトの略です。今までの活動は、■MORI MORI KIDS Nature Photograph Galleryのトップページのインデックスの下の方にある妻女山SDPの番号をクリックしてご覧いただけます。

 続いて陣馬平と周辺のオオブタクサの除去作業(左)。蜂の巣に気をつけながらオオブタクサを抜いていきます(中)。草刈機で除草では根が残り、また出てくるのです。クサギ(臭木)が咲き始めました(右)。葉や茎を折るとピーナッツの香りが、花は白粉の匂いがします。ヨウシュヤマゴボウ(マルミノヤマゴボウ)も除去しました。

 長坂峠から芝山方面(左)。ヨウシュヤマゴボウも帰化植物(中)。ゴボウ根で、根はゴボウの様な匂いがしますが、毒草なので食べられません。オオブタクサはかなり厄介な帰化植物(右)。大きくなると茎の直径が5センチ、高さが3m以上になり、酷い花粉症の原因になります。しかも根から他の植物の成長を阻害する物質を出すので、刈るのではなく抜かないと駄目なのです。

 11時頃に作業が終了し昼餉の準備(左)。まず私が幻の天然ハナビラタケと畑で採れた金針菜のカキソース炒めを。S氏が作ってきた手作りのオイキムチと私のキュウリのラー油煮(中)。左手前がピーナツラー油に自家製ラー油を混ぜて私が作ってきたもの。あまりに激辛だったので濃いゴマ油で増量しました。N氏手作りのつくねのソテー(右)。美味しかったですが砂糖が余計でしたな。ラー油を垂らすとちょうど良い感じに。K氏が買ってきた小籠包も美味でした。
 いつも多彩な話題で盛り上がるのですが、今回は古代科野国や聖徳太子、徐福伝説など古代史の話で盛り上がりました。いわゆる学校で習う古代史がいかに出鱈目か。中国史や半島史との関連付けが重要にもかかわらず、世界史と日本史に分けて教える理由。記紀の如何わしさの理由。善光寺の秘仏の真贋。いやあ面白かったです。

 N氏のイカのぽっぽ焼きの後で、メインディッシュはK氏の超強力粉のユメチカラの手打ち麺(左)もちろん麦も自家製。これを茹でて氷水でしめます(中)。そしてS氏手製の肉味噌(甜麺醤・豆チ醤・豆板醤)と蒸し鶏、錦糸卵にキュウリの千切り、白髪ネギをトッピングして私のラー油をかけて混ぜていただきます。台湾混ぜソバの様な、ジャージャー麺の様な。これは絶品でした。ヒグラシとミンミンゼミの鳴き声がBGMです。すぐ横では樹液バーでオオスズメバチやアオカナブン、オオムラサキが吸汁しています。

 翌日は所要のついでに松代城(海津城)へ。櫓台から西を見ると斎場山(旧妻女山)。長野市の看板にもその記載がないため、多くの歴史マニアや観光客が現妻女山(旧赤坂山)を謙信本陣と勘違いして帰っていきます。地元で謙信本陣と伝わるのは斎場山です。更に上の陣馬平は、謙信陣城跡と伝わる台地で、『甲陽軍鑑』の編者の小幡景憲が描いた絵図が東北大学の狩野文庫に所蔵されネットで見ることができます。斎場山は妻女山と陣馬平の長い尾根上にあるのではなく、さらに400m西にあります。頂上は古代科野国の円墳です。『真田丸』効果で訪問者も激増しています。行き方は拙書で詳しく紹介していますが、右の林道を徒歩で20分。四駆ならば長坂峠まで車で登れます。

 櫓台から南を見ると、武田別働隊が越えたという戸神山脈が象山の続きに見えます。別働隊は、西条の入から戸神山の向こう森の平を超え、百瀬から倉科に下り、上の写真の二本松峠の向う側にある兵馬(ひょんば)で隊を整えて、天城山(てしろやま)を巻いて斎場山各地に布陣する上杉軍に攻め込んだといわれています。もぬけの殻でしたが…。拙書でも紹介していますが、妻女山を起点として鞍骨城跡から象山のループコース、鏡台山や五里ヶ峰を使うロングコースなど、歴史めぐりの色々なコースがあります。川中島合戦の武田別働隊の経路を歩いてみたいという方は、拙書をお買い上げいただいて、トレッキングの装備で巡ってください。不明な点がありましたら、左上のメッセージを送るからお問い合わせいただければ、お応えいたします。

この8月11日は、初めての国民の祝日「山の日」となります。それに先立ち、7月の第4日曜日(今年は24日)が「信州山の日」でした。私も関連でお仕事を頂きましたが、写真を使った記事や、講座・講演なども承ります。お気軽にお問い合わせ下さい。講演、講座も承ります。
 妻女山展望台の南にある大きな駐車場の奥には、清野氏の鞍骨城への地図や、登山ノート、拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の見本誌とパンフレットなどが置いてあります。お問い合わせやお仕事のお申し込みは、当ブログのメッセージを送るからお願いします。

妻女山の位置と名称について」妻女山と赤坂山と斎場山について。『真田丸』で訪問者が激増中。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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カブトムシのオスがメスを守る際に出す奇妙な鳴き声。花と虫と万葉集(妻女山里山通信)

2016-08-03 | アウトドア・ネイチャーフォト

 ヤブラン(藪蘭)が咲き始めました(左)。キジカクシ科ヤブラン属に属する多年草で、別名はリリオペ、サマームスカリ。信州では野生種を採ってきて庭のグランドカバーなどに植えている家がたくさん見られます。クズ(葛)の花も(中)。根塊から葛粉や漢方薬(葛根湯)ができ、万葉の頃から親しまれ秋の七草ですが、里山はもちろん首都圏などでも大繁茂して大変なことになっている植物のひとつ。昔はつるで葛布を作ったり、籠を編んだり色々利用したので、またそうしてどんどん利用するといいのですが。
ま葛延(は)ふ 夏野の繁く かく恋ひば まこと我が命 常ならめやも【万葉集】
(夏に生い茂る葛の様にこんなに恋をしていたら、私の命も持ちませんわ)夏の避暑地での恋は勘違い?
 植物には、いくらなんでもこの名前は可哀想という種名がいくつかありますが、その代表格がこのヘクソカズラ(屁糞葛)でしょう(右)。古名はクソカズラ(糞葛・屎葛)で、更に屁をつけて追い打ち。別名はヤイトバナ、サオトメバナというので、余計に可哀想。確かに葉や茎を揉むと臭いですが。生薬にもなるし、万葉集にも詠われています。
かわらふじに 延ひおほとれる 屎葛 絶ゆることなく 宮仕えせむ(高宮王)【万葉集】
(カワラフジの木にいたずらに絡みつくクソカズラ。その蔓さながらに不肖私めは何時何時までも宮仕えしたいものだ)宮仕えは昔も今も大変だった様です。
ことわざに「屁糞葛も花盛り」というのがあります。(臭くてあまり好かれない屁糞葛でも、愛らしい花をつける時期があるように、不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力があるということ。鬼も十八番茶も出花)ま、失礼なたとえですね。

 シオカラトンボのメスのムギワラトンボ(左)。ただ未成熟のオスもこんな色なので、尾部の形を確認しないと同定はできません。やや小さいので未成熟のオスかもしれません。
 ヒメギス(姫螽蟖)が駐車場の小石の上に(中)。マメ科の植物を好むので葛の草むらから出てきました。
こほろぎ(蟋蟀)の 待ち喜ぶる秋の夜を 寝(ぬ)る験(しるし)なし 枕と我れは【万葉集】
(こおろぎが出会い待った甲斐があったと喜んで鳴いているのに、私は枕を抱いて練るしかない)という身につまされる哀歌。このこおろぎはキリギリスのことであったという説。万葉集のこうろぎはコウロギで平安時代に入れ替わったとか、ややこしい説があります。
 アマガエル(右)。三歳の頃でしたか、アマガエルを次男の手に乗せて撮った写真があり、困惑した表情の息子がいつ見ても可笑しくてたまりません。アマガエルの表皮の粘液は毒なので、触ったら必ず手をよく洗いましょう。

 樹液バーにやって来ました。カブトムシがたくさん来訪。ペアのカブトムシを発見。オスが吸汁中のメスを守っています(左)。そんなことお構いなしにアオカナブンがガンガンと頭を突っ込んできます。オスのカブトムシは角を使って追い落とします(中)。でもめげません。またやって来ます。別のカブトムシも登場(右)。

 もうこんなになってしまいました。するとオスは、腹を伸縮させて威嚇音を出し始めました。20〜30センチの近距離で聞くと「ギューギュー」という様に聞こえます。音はかなり大きく、2m以上離れても聞こえましたが、「シューシュー」と機関車の音の様に聞こえる音色に変わります。これは距離によって聞こえる周波数が変化するからでしょうか。しかし、それで周りの昆虫が立ち去ることはありません。虚しいです。ただこれは交尾中や興奮した時にも出すので、威嚇音というより腹から出す鳴き声といった方がいいかも知れません。
 カナブンの右に小さな羽虫が三匹います。一番上と下は同じ種類でホシアシナガヤセバエ、中がモンキアシナガヤセバエの様です。彼らも樹液を吸いに来たのです。細く小さいので見落としがちですが、よく見ると結構たくさんいます。

 そこへ今度はノコギリクワガタも登場。大きなオスは下にいるカブトムシにはちょっかいを出さなかったのですが、ノコギリクワガタは即跳ね飛ばして落としました。ノコギリクワガタが攻撃を仕掛けていったからです。下のやや小さなカブトムシは、勝てないと分かっていて攻撃はせず、なんとかおこぼれを頂戴したいという姿勢を貫いています。
 左上に小さなアブが写っていますが、ベッコウハナアブの仲間です。ベッコウハナアブの中には、オオスズメバチの巣の中に産卵するものがいます。これは、スズキベッコウハナアブかニトベベッコウハナアブかどっちでしょう。

 メスのカブトムシが、長い吸汁に疲れたのか離れました(左)。う〜ん私お腹いっぱいと休んでおります。するとオスが樹液を吸い始めました(中)。しかし大きな角が邪魔になって吸いにくそうです。前回紹介したオレンジ色のブラシの様なもので樹液を毛細管現象を利用して吸い上げるのですが、ブラシの上のクリペウスという基幹で木を削って樹液を飲むこともできるそうです。
 メスが再び戻って来ました(右)。さっそく迎え入れ保護するオス。お父さんは大変です。安易に擬人化してはいけないのですが、なんだか涙ぐましい光景です。ほらカブトムシだってこんななのに、あなたも少しは見習いなさい!なんて旦那さんに言わないでくださいね。

 それで、再びボディーガードの仕事に戻ったわけですが、今度は少々厄介なオオスズメバチがやって来ました。厄介に思うのはカブトムシではなく撮影している私なのですが…。明確に樹液バーでの序列はカブトムシが上なので全く問題ありません。以前、オオスズメバチ2匹が共同作業で、猛烈な頭突きで攻撃したことがありましたが、それこそ屁でもありませんでした。ただ、同じぐらいのオスが来たり、ミヤマクワガタが来ると壮絶な大げんかになります。通常は、強い方が下に角を入れて投げ飛ばして終わりですが、時には胸と腹部の隙間に角を入れて、瞬時に切断してしまうこともあります。

 このオオスズメバチは、なんとか樹液を吸おうと接近します(左)。カブトムシの前脚が邪魔です(中)。それでも果敢にその前脚の下から頭を突っ込んで吸汁しようと試みました(右)。カブトムシの脚は凶器ですから、これはかなり危険な行為です。しかもオオスズメバチは、吸うのではなく激しく頭を振って樹液を貪るので、上に脚があったらできません。結果、諦めてすごすごと帰って行きました。オオムラサキの口吻がカブトムシの脚の一撃で切れてしまうこともある様です。

 これは翌日。オオスズメバチが吸汁の後、樹液で汚れた顔を前脚で拭って綺麗にしているところです。レンズフードの先端からは20センチもありません。しかも周囲には4匹のオオスズメバチと2匹のコガタスズメバチがいて、この撮影中には写真の個体の左10センチのところに1匹、私の頭の左20センチのところに1匹ホバリングしていたのです。もちろん撮影してすぐしゃがみ後ずさりしましたが、緊張する瞬間でずっと息を止めていました。
 オオスズメバチの近接撮影は何度もし、追いかけられたことは数知れず、最長は100m追いかけられましたが、刺されたことはありません。アシナガバチやムモンホソアシナガバチには、子供の頃から数えきれないほど刺されています。今年も一回刺されました。友人は刺されてポイズンリムーバーで毒抜きしようとしたのですが、眉毛の中だったので抜けずお岩さんの様になり病院に駆け込みました。今回、オオスズメバチの眼の中に模様が写っていますが、これは初めて撮影出来ました。眼の構造と関係あるのでしょうか。

 撮影をしていたら、私の本の熱烈な読者で中尾山-茶臼山ハイキングにも来てくれて、茶臼山から篠の城の山道を教えてくれた男性が登ってきました。彼のお陰で布施氏の歴史が紐解けたのです。色々話をしていると、私のカメラを持っている右手にシジミチョウが留まりました(左)。これでは撮影できないので、ゆっくりしゃがんでカメラを置き、右手から左手に移しました。盛んに汗を吸っています。これは珍しいことではなく、オオムラサキや色々な蝶に、撮影中に留まられたことがあります。汗は塩分もミネラルも豊富なのです。この後、二回吸いに来ました。ええ色白汗っかきなのです私。
 満足して葉で休んでいます(中)。後翅が20ミリと大きく、形も特徴的でウラギンシジミかなと思ったのですが、飛ぶとオレンジとラベンダーの色合い。同定できず仲間の蝶の研究家にメールしました。やはりウラギンシジミでメスでしょうと。今年は千曲市の空中散布が中止なので復活したのでしょう。どれだけベトナム戦争の枯れ葉剤、ラウンドアップと同じ除草剤(エコワン3フロアブル)が危険極まりないか、はっきりと分かりました。昨年はこの樹液バーには全く昆虫がいませんでした。一度だけ長野市側から来たのでしょう、攻撃的なチャイロスズメバチの集団が一時姿を見せ攻撃されましたが、本当に死の山でした。人的被害も出ています。中枢神経を犯す猛毒で、発癌性が高く、鬱病、脳の発達障害、多動性障害などを引き起こします。残留性が高く、水溶性なので山菜やキノコ、野菜の中に染み込み、洗っても落ちません。TPPはこの使用を遺伝子組み換え作物とセットで義務付けられ、伝統野菜は作れなくなります。作ると訴えられます。伝統野菜や郷土料理が完全に消滅するのです。和食文化は終わります。
 吸汁に向かうオオムラサキのオス(右)。この樹液バーには5頭のオスと2頭のメスが現れます。ネオニコチノイド系農薬の空中散布前に比べると圧倒的に減少しています。気になるのは、空中散布がなかった長野市側で発生が全く見られないということです。今年は、特に低山で蝶だけでなく昆虫全般が少ないと友人の研究家も言っています。それが気象条件によるものなのか、はたまた放射能の2016年問題に起因するものなのか、他の要因なのか不明です。
 さて、今週末は仲間と里山整備をします。オオブタクサなど帰化植物の除去がメインとなります。昼は仲間が手打ちの中華麺を作ってくるそうです。夏野菜も揃うでしょう。私もハナビラタケや金針菜、自家製のホアジャウ(花椒)が効いたラー油を持参します。何ができるのでしょう。

この8月11日は、初めての国民の祝日「山の日」となります。それに先立ち、7月の第4日曜日(今年は24日)が「信州山の日」でした。私も関連でお仕事を頂きましたが、写真を使った記事や、講座・講演なども承ります。お気軽にお問い合わせ下さい。講演、講座も承ります。
 妻女山展望台の南にある大きな駐車場の奥には、清野氏の鞍骨城への地図や、登山ノート、拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の見本誌とパンフレットなどが置いてあります。お問い合わせやお仕事のお申し込みは、当ブログのメッセージを送るからお願いします。

妻女山の位置と名称について」妻女山と赤坂山と斎場山について。『真田丸』で訪問者が激増中。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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