モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

きのこ狩りが栗拾いに…アケビも(妻女山里山通信)

2008-09-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 入るはずの仕事が来ないので、小雨の中いつもの山へ。あちらこちらから菌糸の匂いがします。しかし、きのこが無い。きのこに雨は必要ですが、同じぐらい太陽も必要です。それでも、足元のハタケシメジなどを採りながら進むと朽ちかけたハナイグチがひとつ。どうも芳しくありません。ミズヒキやノコンギクの咲く山道を歩き、急斜面を下降。猛毒のヤマトリカブトの花が、たくさん咲いていました。ウラベニホテイシメジが二本だけ。

 驚いたことに、帰りにチチタケを数本見つけました。どちらかというと夏のきのこです。栃木県では異常なくらいの人気とか。秋ナスと一緒に炒めてうどんの汁にします。ここのところ急激に冷え込んだ信州ですが、9月の気温が高めだったためかきのこの発生が遅れているようです。けれどもサクラシメジは、もうお終い。しかたがなく、山栗(芝栗)をたくさん拾いました。渋皮煮にします。

 雨が激しくなってきたので、帰路に就きました。オオスズメバチも木の虚に頭を突っ込んで、今日は飛び回ることはなさそうです。羽虫の攻撃にも合わなかったのは幸い。自然は甘く見ると酷い竹篦(しっぺ)返しを受けますが、ちゃんとつきあえば裏切られることはありません。途中寄り道して山椒の実を採取。乾燥させて磨りつぶして使います。本格的な秋は、もう少し先のようです。

 チチタケは、栃木の人のように信州丸ナスと炒めて(+ハタケシメジ)煮込みました。ここでハナイグチと去年のクリタケを投入。手打ちうどんのつゆにしましたが、バカ旨でした。食感はボソボソですが、絶品の出汁がでます。松茸より珍重するという栃木県人の気持ちが少し分かったような気がします。

 採ってきたアケビで、アケビのブルーチーズ入りミソハンバーグを作りました。ほんのりと苦味のあるアケビの皮は、油や信州味噌とよく合います。そこにブルーチーズを合わせたのがまさにミソです。コクのある野趣豊かな和洋折衷ハンバーグになりました。レシピをアップしました。ご覧ください。

 ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。
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『甲陽軍鑑』元和写本に注目!(妻女山里山通信)

2008-09-28 | 歴史・地理・雑学
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 調べものをしに森将軍塚古墳の麓にある長野県立歴史館へ行きました。まだ開館前だったので古墳に登ることにしました。この夏に息子達と登った2号墳への「森の小道」と書かれた綴れ折りの登山道を登ります。このところ朝晩冷え込んでいますが、それまで気温が高かったので、紅葉は遅めです。

 10分ほどで2号墳に到着。前方後円墳を目指します。朝日を浴びた古墳の上は風もなくおだやか。眼下には実った稲穂が黄金色に輝いています。古代科野の国の大王も、このような風景を目にしたのでしょうか。しばらく佇んで川柳将軍塚古墳、土口将軍塚古墳、斎場山古墳、倉科将軍塚古墳などを眺めながら古代科野の国に想いをはせました。古墳の周りには、いち早く色付き始めたヌルデの木がたくさんあります。

 ここでメガネを忘れたことに気が付きました。これでは歴史館に行けません。出直しです。といっても中途半端な時間なので、有明山に登ることにしました。この夏も息子達と有明山将軍塚古墳には登ったのですが、有明山は子供の頃岡地側から登ったことがあるだけ。数十年ぶりの登山です。前回はバス停西の登山道を登ったのですが、バス停に出る手前で左に山道を見つけたので、それを登りました。急登でしたが、気温も高くないので快適に高度をかせぐことができました。

 コバノガマズミが赤い小さな実をつけています。大雨の直後だからかキノコはほとんど見かけません。15分ほどで、有明山将軍塚古墳の上にある高圧鉄塔のさらに30mほど上の尾根道に出ました。左へ辿れば10~15分ほどで有明山(615.7m)です。なだらかな山道は尾根上に一本なので迷うことはありません。ただ、この辺りまで月の輪熊が出没しているので気は抜けません。五感をフル動員して周囲に気を配ります。熊鈴は不携帯なので、太い枝を杖にして、時々大きな音を立てます。

 山頂は木々に囲まれて展望はありません。赤松林を散策して、帰りは有明山将軍塚古墳経由で下りました。森将軍塚古墳で、ガイドの方に古墳の説明をしていただきました。ダンプ200台分の砂利が敷き詰められているという説明には驚きました。全て千曲川から人海戦術で運び上げたものです。大王の権力の大きさだけでなく、皆に本当に崇拝されていたのだろうと推察されます。その方には、斎場山の研究をしている旨を伝え、サイトを見てくださるようお願いしました。古代科野の国の話は、尽きることがありません。

 午後、出直して長野県立歴史館の資料室にこもりました。妻女山麓の避病院の史料は見つかりませんでしたが、現在『甲陽軍鑑』の研究では最も注目されている国語学者の酒井憲二氏による『甲陽軍鑑大成』全七巻、汲古書院の第四次川中島合戦の記述がある本文篇上と研究篇の主要カ所をコピー。『新編信濃史料叢書』第15巻の真田家御事蹟稿の第四次川中島合戦の記述の部分をコピーしました。

 『甲陽軍鑑大成』全七巻、汲古書院の第四次川中島合戦の記述がある本文篇上と研究篇は、なかなか深く読み応えがあります。史料としての価値は低いという評価をくだされていたものは、主に何度も改変された木版本であり、酒井氏は小幡勘兵衛が元和七年に筆写したという、いわゆる「元和写本」を研究対象としています。歴史学の立場からする『甲陽軍鑑』の本格的な研究は、まだまだ始まったばかりだそうですから、今後が楽しみです。さらに新たな第一級史料が見つかると面白いのですが。

 江戸後期に川中島で書かれた作者不詳の『甲越信戦録』などは、歴史学的には史料としての価値は認められていませんが、地元の口伝の中にも多くの事実が含まれているだろうことは、想像に難くありません。ただ、日本陸軍参謀本部が編集した『日本戦史』川中島の戦 日本戦史学会編などになると、国威発揚、軍事利用の意図が強すぎて、さすがに真に受けることはできませんが…。

 明治35年の後の大正天皇の妻女山御遊覧に始まり、以降第二次世界大戦勃発まで、皇室や軍将校達の妻女山来訪が続き、松代町町長や清野小学校の教師や生徒は、その度に大変だったようです。実際に妻女山周辺を使って軍事演習も行われています。先の皇太子御遊覧の折には、妻女山(赤坂山)にわざわざ御遊覧所(四阿)を建設(事後真田邸庭に移設)し、川中島の史蹟には妻女山から見えるように大きな目印(旗か)を各所に立てたそうです。

 戦後も川中島の戦いの研究は、自衛隊にも引き継がれ、私が小学校の時は、確か双発のヘリコプターが来校し、中を見せてもらった記憶があります。今では考えられないですね。かように第四次川中島合戦は、国威発揚に軍事にと利用されてきた歴史があるのです。その中で、戦国時代ばかりに焦点が当てられ、古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山は、忘れられてしまったのです。

 古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山については、私の研究ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をぜひご覧ください。
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上杉謙信槍尻之泉の新事実発見!妻女山湧き水ブームとは・・(妻女山里山通信)

2008-09-26 | 歴史・地理・雑学
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 第四次川中島合戦において上杉謙信が斎場山に布陣した際に、謙信が槍尻で突いたら水が出て陣用水としたといういわれがある「上杉謙信槍尻之泉」ですが、これは江戸後期の川中島合戦ブームに便乗して作られた作り話だと思われます。あそこの地形を見ると、別に槍で突かなくても自然に何カ所かで水が湧き出ていたことは充分に想像できるからです。

 江戸後期、1802~9(享和2~文化6)年にかけて十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』がベストセラーになると、旅ブームが起きます。続いて信州では、作者不詳の『甲越信戦録』がヒットします。信玄と謙信の一騎討ち、啄木鳥戦法、信玄の茶臼山布陣、勘助討ち死にの胴合橋などは、すべてこの本が初出です。史実に創作もかなり含まれている読み物です。続いて1823(文政6)年、松代藩八代藩主に真田幸貫(松平定信次男)が就任。この頃江戸歌舞伎が全盛期を迎え、庶民の旅も盛んになります。

 そして、1831(天保2)年、この頃らしいのですが、松代藩士月岡万里嘉知が、江戸詰中の父に宛てた書状の中で、妻女山湧き水ブームの大騒ぎについて記述しています。日付は4月14日。まもなく松代城でも桜が咲く頃でしょうか。主文では、日々暖かくなってきたことや花の丸御殿「御茶部屋」の茶坊主に病人が多く出て迷惑している様などが書かれていますが、追記として妻女山湧き水ブームのことを書いています。

 「尚々岩野村妻女山より霊水出 毎日貴餞群集御大さハぎニ御座候 右之水諸病或はでき物色々之病気効能御座候由 右之池は昔謙信公川中島御陣之節妻女山二御陣有之其節石突二而御掘被成候跡卜申伝ハ利 今度何れより申出候哉 御城下近在ハ申不及善光寺下越後よりもまへり候由 毎日大さハぎニ御座候以上」(真田宝物館だより第20号より)

 要約すると「岩野村妻女山より霊水が出て、毎日貴賤群衆で大騒ぎになっています。この水は諸病・でき物など、色々な病気効くという噂がたったためです。この池(泉)は、むかし謙信公が川中島に出陣の時、妻女山に御陣なされたおり、槍の石突きで堀られた跡といい伝えられています。この度は、どこから噂が出たのでしょうか。城下近在はいうまでもなく、善光寺町、下越後よりも人が押しかけ、毎日大騒ぎです。」というようなことです。昔も今も大衆の空騒ぎは同じようにあったということですが、この謙信槍尻之泉、どうも江戸時代と現在では、その位置が違うようなのです。

 現在の妻女山が、戦国時代は赤坂山で、本当の妻女山は斎場山といい斎場山古墳の頂であるということは、このブログでも再三再四記していますが、謙信槍尻之泉も別の場所だったというのは、今回初出であると思います。

 それに気が付いたのは、妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」、別ページの上杉謙信斎場山布陣想像図の一番下にある江戸時代後期に描かれた榎田良長による『川中島謙信陳捕ノ圖』を見ていた時のことです。現在は、会津比売神社下から妻女山へ登る道の途中に泉があるのですが、図会では左下に分かれて小径が延びていて、その先に小さなお堂があり、どうもそれが謙信槍尻之泉らしいのです。この図会が描かれたのは、同じ頃ですから泉は既に有名だったはずです。不思議に思って調べると、意外な事実が判明しました。

 父によると、江戸時代に泉と池があったとされる場所に、明治22年清野村に岩野村が合併したときに、その場所に伝染病患者を収容する清野村避病院が建てられたというのです。当時の写真は、当時村役場に勤めていたKさんの家に残っています。場所は、妻女山へ登る高速道路のトンネルをくぐった上の平地です。現在の道は、今の泉から登って右へ曲がっていますが、舗装される前は図会のように左へ曲がっていました。右手は谷で蕗がたくさん生えていました。どちらかというと地形的には、こちらの方が泉が出そうな感じです。上の絵で、池とあるのは千曲川の古い流れの跡で、戦国時代の千曲川は妻女山にぶつかって流れていたのです。泉の水もこの池に流れ込んでいました。子供の頃は、雷魚がいて釣りをしたこともあります。その池は、高速道路が作られるときに埋められてしまいました。

 清野村避病院は、水を必要としたので謙信槍尻之泉の上に建設したようです。霊水伝説も関係あるかも知れません。その時に、江戸時代からの泉と池は消滅し、現在の泉に取って代わられたらしいのです。この病院は、明治45年9月、一町五か村組合立伝染病院の開院に伴って閉鎖されたようです。

 ということで、現在の上杉謙信槍尻之泉はオリジナルではないということが、ほぼ判明したといえるのですが、引き続き清野村誌などで確認したいと思います。ちなみに会津比売神社の参道には、謙信槍先之泉なるものがありますが、あれは昭和の作で上の泉の水を下へひいただけのものです。かように人はいつの時代も都合良く逸話を作り出していくものなのでしょう。

 ところで、この時に岩野村の名主をやっていたのは、実は我が家の祖先の林逸作なのです。ひょっとしたらこの騒動は、彼が村興しのために一計を案じて仕掛けたのではなどと思ってしまいます。親友に松代藩の御用絵師、青木雪卿がいました。二人による発案かもしれません。
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栗拾いとキノコの偵察・妻女山と松代藩(妻女山里山通信)

2008-09-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 大雨が降ったばかりなので、キノコはだめだろうと思いましたが、妻女山へ。とりあえずハタケシメジを30本ほど採取。車で陣場平まで登ってみました。下車するとアッという間に大量の羽虫に取り付かれました。これでひるんではキノコ狩りなど到底できません。山は相当湿っていて、あちらこちらから菌糸の匂いがします。しかし、あるのは前回出たキノコがカビたものだけ。思った通りです。

 それでも多孔菌科のキノコを撮影したり、獣道を分け入って野生の胡桃の出来具合を確かめたりしました。その間も熊鈴は鳴らし続け、時々笛も吹きます。メスの群れはいいのですが、単独のオスの猪に襲われたらひとたまりもありません。蛇は大丈夫。オオスズメバチも気温の低下で活性が低いので大丈夫でしょう。

 キノコはありませんでしたが、山栗(柴栗)を200粒ほど拾いました。これで栗ご飯を作ります。小さくて茹でてから皮を剥くのが面倒なのですが、その味の濃さは栽培栗の比ではありません。オオスズメバチの威嚇を受けましたが、なんとかしのいで拾いました。

 その後は、招魂社の近くの森を散策。カビたアシナガイグチや、これも死んでカビに取り付かれたミヤマカミキリなどを撮影。展望台で景色を見ようと登ると、ちょうど30代の男性が一人、車もバイクもなかったので電車で来たのでしょう。カマを持って突然現れた私にちょっと驚いたようですが、挨拶をして本当の妻女山(斎場山)や、上杉謙信の布陣の形などを説明しました。

 上杉謙信の本陣とされる斎場山を教えてさしあげると、行きたいといわれました。どうしようかなと思いましたが、途中オオスズメバチも舞っていなかったので、道順を教えてあげました。但し、熊と猪は遭遇する可能性があるので、手を打ったり大きな声を出したりして登ってくださいとアドバイスしました。無事に行けたでしょうか。 本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」についても見てくださるようお話ししました。

 そして、林道に戻り松代方面のパノラマ写真を撮影しました。実は昨日は、用事のついでに午前中にエコール・ド・まつしろ、午後には松代夢空間の事務所を訪れました。妻女山についての松代藩の史料をご存じの方がいらっしゃらないかどうか、そのお願いのためです。どちらもわざわざ貴重な時間を割いていただいて、丁寧な応対をしていただきました。感謝です。やはり、一人では調査にも限界があります。なにかいい史料がみつかるといいのですが。

 いずれ妻女山の講座をなどと過分なお話もありましたが、妻女山の歴史だけでなく、ナチュラリストとして里山の豊かさや危うさ(粘菌も紹介したい)、ヤブ山の歩き方、古道をたどるトレッキングを、文章や映像などで紹介できたらいいなと思います。また、「方言のずくと古代科野国」については、書きかけの文章を仕上げどこかで発表できればと考えています。
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MORI MORI RECIPEアップ!と小豆の収穫(妻女山里山通信)

2008-09-20 | 男の料理・グルメ
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 MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をアップしました。マリングルメのマリンレシピの中から、私が創作した料理、レシピ制作にかかわった料理を抜粋したものです。実は、信州郷土料理や山菜・キノコ料理、内臓料理、ブラジル料理、中華の込み入った料理、手作りアンチョビー・オイルサーディン・ベーコン・ウィスキーマーマレードなどは、全て私の創作料理です。料理の撮影は、全て私が担当しています。そこで、男の料理として新たなサイトを立ち上げました。今後は新しいレシピも増やしていきます。すでにエスニックにブラジル料理を5つ載せました。なお、マリンレシピは、従来通り公開しています。

 おそらく山菜料理やアウトドア料理、酒の肴関係が増えると思います。友人からジビエも手に入りそうなので下手物関係も増えるかもしれません。記述なども変えていきますので、読み物風にしようと思っています。ブラジルですと、ブラジル放浪中のエピソードを添えるとか、山菜料理だと、その採取の方法や大変さだとか。うんちくなども。

 台風一過の今日の午前中は、小豆の収穫を手伝いました。小豆は粒の大きい大納言ではなく、より味のいい少納言です。全て自家製で、ぜんざいなどにするわけです。先日の中秋の名月にも、それでおはぎ(ぼた餅・半殺し)を作りました。半分は胡麻で。これも自家製の胡麻で、白ゴマと黒ゴマを半分ずつ天日乾燥しています。市販の胡麻とは香りが全く違います。

 台風が思ったよりも南を通過したので、雨があまり降りませんでした。秋の作物やきのこ狩りを考えると、もう少し降って欲しかったのですが、自然はままなりません。ついでに無農薬栽培の人参の除草もしました。一番下の写真は、その赤坂河原から見た斎場(妻女)山脈です。やや右の斎場山山頂の円墳上に上杉謙信が本陣を構え、右手笹崎山、左手赤坂山(現在の妻女山)にずらっと兵を並べたわけです。

 lMORI MORIKIDSの天城山きのこ狩りのページの一番下に、このパノラマ写真と山座同定の写真を載せました。ぜひご覧ください。
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続きのこ狩りは楽し(妻女山里山通信)

2008-09-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 今秋二度目のきのこ狩りです。前回同様、月の輪熊、猪、ニホンカモシカ、マムシ、オオスズメバチの棲息地へ。今回もヤブ蚊の襲撃に遭いましたが、それ以上に色々な生き物たちが歓迎してくれました。まず、イタチでしょうか、頭を食われたヤマネズミ(ホンドヒメネズミ)。続いて蟻にたかられるヤマネズミの亡骸。日光浴中のジムグリ。威嚇するオオスズメバチ。倒木の上を駆け抜けたシマリス。極めつけは陣場平の草原を猛スピードで駆け抜けたニホンカモシカでした。

 ここ数日は雨が少なかったので大きな収穫は期待できなかったのですが、前回蜂に襲われたときに投げ捨ててきた鎌の回収命令が父から出ていたので、きのこ狩りとなりました。無くした鎌は桑鎌といい、普通の鎌より刃が厚く、2センチぐらいの木や枝なら楽に切断できるもので、普通には売られていない貴重なものなのです。無くしたポイントはサクラシメジのポイントでもあるので見当はつきますが、油断すると滑り落ちてしまう相当の急斜面です。

 なんとか鎌を探し当てて、前回採らないでおいて成長したサクラシメジを20本ほど採取。お目当てのウラベニホテイシメジ探しとなりました。イッポンシメジ科で、一本だけで生えていることも多いのでイッポンシメジとかイッポンカンコウなどとも呼ばれます。ただし、本来のイッポンシメジは毒キノコです。また、似ているクサウラベニタケは、よく間違われるキノコで、最も中毒例の多いキノコのひとつでもあり注意が必要です。

 ところが、そのお目当てがないんです。やっと見つけても老菌だったり、(なにも敬老の日だからというわけではないでしょうが)幼菌でもカビが生えてしまっていたりで、良い状態のものが見つかりません。それでも数本をゲット。そして極めつけは、80歳の母が見つけた白樺の倒木上のウスヒラタケの株。なかなか良い状態でした。午前中いっぱいを使ってきのこ狩りは終了。ノコンギクやマツヨイグサなど秋の花を愛でながら帰路に就きました。明日あたりから雨が続きそうです。信州の山はいよいよ本格的なキノコシーズンに突入です。

今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズの天城山をご覧ください。
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本当の妻女山(斎場山)からハタケシメジを移植

2008-09-14 | 歴史・地理・雑学
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 昼食後、着替えて山仕事の続きへ。前回駆除したクズとアレチウリが枯れたので、新たに見えてくる茎を切断するためです。今回は、鋸に剪定鋏、桑用厚手の鎌、スコップと万全の構え。保護メガネと軍手は必須です。午前中は、妻女山松代招魂社の慰霊祭のため遠慮して、午後の出陣となりました。

 折しも今日は、八幡原で川中島合戦の再現イベントが開催されています。午前の部を見た人達が妻女山へも来るだろうと思っていたら、案の定山仕事をしている私の後ろを何台も車が妻女山展望台へと登って行きます。それを後目に残暑の中クズとの戦いです。鎌でアレチウリとクズのつるを引き落としてから、茎の切断にかかります。太さ5センチもあるクズの茎は鋸で切断します。これは、晩秋か早春に根元を掘り起こして地中深くで切断しないと根絶できません。

 ツルを引きずり落とすと、ブタクサの花粉が飛び散ります。アレチウリのとげがささります。虫は飛ぶし花粉は飛ぶし、クモの巣はひっかかるしで大変楽しい作業になってしまいました。その後、妻女山松代招魂社の駐車場へ。この上のわが家の山の手入れに入ります。先日かたづけたばかりなのに、またも不法投棄。服が入った袋が4つ。開封していないパンツまであります。袋は洋服の青山。どういうことでしょうか。もったいないなと思いましたが、未開封といえども履くわけにもいかないので、丁重に廃棄。いつかとっつかまえてやりましょう。

 そして、何者かによって刈られてしまったハタケシメジの培地を、荒らされないように枝で覆い保護。観光第一で人の山を勝手に刈らないで欲しいものです。オカトラノオとかオトコエシとかヒヨドリバナとか、林の縁にしか生えない野草もあるのです。なんでも人間の都合で歩きやすいようにすればいいというものではありません。野生動物や野生植物のテリトリーに入らせてもらうという謙虚さが必要です。また、里山は手入れをしてなんぼの世界ですが、林の境界線の草を全て刈ってしまうと、逆に不法投棄がし易くなるという欠点もあるのです。

 不法投棄を片付けて招魂社を見ると、慰霊祭の後のお爺さん達が、まだ飲んだくれていました。明治は遠くなりましたね。前に書きましたが、わが家の先祖の関係者も京都御所の警護に行っています。わが家の山には、松代藩が射撃練習をした弾丸が今でも出土します。展望台へ向かうと10人以上の観光客がいました。急遽作業着姿でタオルを首に巻いて観光ボランティアに変身です。

 「え~。本日は妻女山にお越しいただいて有難うございます。これからボランティアで、妻女山についてご説明をさせていただきます。」から始まって、ここ妻女山は本当は赤坂山で、本当の妻女山は往古斎場山といいあそこの山ですと指さすと、全員が「おお~!?」と感嘆の声を挙げるわけです。上杉軍の布陣形態や武田軍の布陣形態、武田別働隊の辿った道筋などを説明しました。また、そこから見える山の名前も聞かれたので、飯縄山、陣場平山、虫倉山、茶臼山などを説明しました。連休なので関西など遠くから来た方々も多かったようです。時間が許せば、明日の午後もボランティアで説明に行くかも知れません。

 いつもこちらで案内されてるんですかというので、「いやたまたま山仕事の帰りにたくさん人がいたので来ました。」というと、「偶然ですか。超ラッキー!ありがとうございます」と喜んでいただきました。また。須坂在住の年輩の方とは、後で色々と地元の話をさせていただきました。その後再び下に下りてクズの除去の仕上げ。さすがに疲れました。写真は、私の部屋から見える本当の妻女山(斎場山)と、わが家の茗荷の間に移植したハタケシメジです。うまく根付いてくれるといいのですが。

 妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をぜひご覧ください。
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鉄鍋パン:新信州郷土料理(妻女山里山通信)

2008-09-13 | 男の料理・グルメ
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 雨降りの午前中、PCメンテをしながら念願の「鉄鍋パン」を焼くことにしました。鉄鍋は厚手のすき焼き鍋です。レシピは、あちこちからの寄せ集めを適当にアレンジ。ノバックとか、だいたいパンなんて小麦粉を適当にねって木の棒に巻き付けて焼いたり、石焼きにしたりしたもの。チャパティやナン、中国の餅(びん)や日本のおやきも同じようなものです。発酵させて焼くだけ。大袈裟に考える必要はないはず。

 強力粉がないので、うどん用のホームランと地粉をブレンド。粉300グラム、インスタントドラーイースト大さじ1、砂糖大さじ1.5、塩小さじ1をよく混ぜて、ぬるい牛乳と水200ccで親のかたきを討つように、たたき付けながらよくねります。バター15グラムにオリーブ油大さじ1を加え、自家製の白炒りゴマを大さじ4ほど入れて更に15分思いっきりねります。

 今日は気温が低いので40度のぬるま湯で湯煎状態にしながら40分ねかせます。3~4倍に膨らんだところで、鉄鍋にサラダ油を塗り、火で軽く温めてからパン生地をのばして入れ、更に15分ほどフタをしてねかせます。そして、いよいよ焼きに入ります。弱火で20分ほど、いい香りがしてきます。焼き具合を見てひっくり返し、更に10分ほど焼けばできあがり。写真のようなパンが焼き上がりました。厚さは4センチほど、外はパリッとしていますが、中はフワフワではないですが、しっとりと柔らかい。初めてにしてはなかなかの出来映えでした。噛みしめるとジワジワと粉の旨さが出てくるパンです。

 これに信州の杏の名産地、千曲市森の親戚が作った手作り杏ジャムをつけていただきます。思ったよりも簡単で美味しい。これははまりそうです。この間のきのこ狩りで、山で拾ってきた山胡桃を、今度は入れて焼いてみようと思います。ソーセージを巻いたり、信州新町名物ジンギスカン入りパンなんてのはどうでしょう。キノコ入りパンも旨そうです。色々アイデアが涌いてきそうで楽しみです。息子達にもアイデアをつのりましょう。なんかものすごいパンができそうです。
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きのこ狩りは楽し(妻女山里山通信)

2008-09-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 今秋初のきのこ狩りです。場所は詳しくは言えませんが、月の輪熊、猪、ニホンカモシカ、マムシ、オオスズメバチの棲息地です。昔は妻女山展望台の近辺でも色々採れたのですが、環境の変化で今はまったく採れません。昔は山道でも採れたのですが、林道が拡幅されてからは、それも採れなくなりました。木山をして山の手入れをしなくなったのも採れなくなった原因のひとつです。私が子供の頃は招魂社周辺でも松茸が採れました。その後松枯れ病の蔓延により山は荒廃し、今はその面影すらありません。

 そこで現在は、時間をかけて山奥のヤブ山に入らなければならなくなったのです。とても素人が入れる山ではありません。まず相当の急斜面です。隠れた崖もあります。そして、今回もスズメバチの襲撃を受けましたし、猪や熊のものと思われる糞も発見しました。ヤブ山ですから、現在地を知ることが出来なければ確実に遭難します。

 今回は四人で入ったのですが、その中になんと八十歳の母がいました。去年のきのこ狩りでは急斜面で転んで一回転し九死に一生を得たのですが、それにも懲りず付いていくといってききません。父は山で死ねたら本望だろうなんて笑っているのですから救いようがありません。私が面倒を見ることにして出発しました。

 この時期の信州の低山は、まだ夏山でものすごい藪なのです。エビガライチゴやタケニグサを駆除しながらでないととても前に進めません。クズやアレチウリとの戦いも待っています。そして、ここと決めた地点から急斜面の森に入るのです。と、ここで携帯電話が。なんと仕事の打ち合わせの電話でした。きのこ狩りの最中なのでとも言えず、急斜面で木につかまりながら打ち合わせ。こんな経験も信州ならではでしょうか。

 心配した母は、急斜面もなんのその。息ひとつ切らさず歩いていきます。このおばあちゃんを見たら孫達も驚愕するでしょう。いやはや敬愛する我が母ですが、尊敬するを通り越して化け物に見えてきました。全く凄い人です。テレビで取材して欲しいほどですよ。写真は、その厳しいきのこ狩りの最中に撮影したものです。オトコエシの残花、変形菌(粘菌)のススホコリ、アップはしていませんが、アキノギンリョウソウも撮影しました。

 さて収穫ですが、蜂の襲撃にもめげずサクラシメジの群れをゲット。出始めのウラベニホテイシメジも少し、この山域では珍しいアカヤマドリも採れました。サクラシメジは、天ぷらに。残りは鶏胸肉、去年のハタケシメジ、油揚げと炊き込みご飯にしました。さらに余った分は湯がいて塩漬けに。アカヤマドリは、バターたっぷりのスクランブルエッグ。アカヤマドリは、バターとの相性がよく、これは美味でした。ウラベニはさっと湯がいておろし醤油が一番。初物の味覚を楽しみました。危険がいっぱいの楽しいきのこ狩りはまだまだ続きます。
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妻女山の恵みキノコうどん(妻女山里山通信)

2008-09-10 | 男の料理・グルメ
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 この秋初のキノコうどん。ハタケシメジ、クリタケ、ムキタケ。いずれも天然物です。といってもキノコに詳しい方には、すぐに変だなとお分かりになるはず。採れる季節が合っていませんね。そうです、これらは去年の秋に採れたもの。冷凍して保存しておいたものなのです。

 ハタケシメジは、そろそろですが、それ以外はもっと後に出るキノコです。キノコの冷凍ってあまり聞かないかもしれませんが、クリタケ等は茹でるよりそのまま冷凍した方が味が損なわれずに保存できます。むしろ細胞が壊れやすくなるのか風味が増します。ハタケシメジ、ムキタケは、さっと湯がいて水気を切ってから冷凍します。わが家にはキノコ専用の冷凍庫があるのです。うどんはもちろん手打ち、地粉をブレンドして朝打っておき、半日ねかせます。それはもう美味です。自然の恵みに感謝しながらいただきました。

 妻女山展望台は、風林火山で有名になりました。あんな里山でキノコが採れるんだと思われるかもしれませんが、歩いて4、5分で天然キノコが山のように採れるなら苦労はしません。熊が出る山奥で、急斜面の藪やスズメバチ、クモの巣、毛虫などと戦いながら苦労して採るのです。採る場所は親子でも教えないなんて話もありますが、そんな大袈裟なものでもありません。キノコ目が肥えてくればだいたいどこにあるか見当はつきますから。それでもキノコ狩りは、やはり大変です。親戚のものは、熊に遭遇しています。月の輪熊に眼(がん)をつけられて勝つ自信がないとキノコ狩りはできないかも…。オオスズメバチは、もっとやっかいです。

 母は今年80歳になったのですが、一緒に行きたいと言っています。去年は急斜面で転んで一回転したのですが、スタッと無事に着地したので今年も大丈夫だと言っています…。離れて住むキノコ狩り大好きな孫達はとても心配しています。ヤレヤレですが、きっと付いてくるでしょう。

 この秋は、夏の高温とその後の長雨があったので期待できそうです。もっともこういう時には毒キノコも大量に発生します。ベテランでも間違えることがあります。クリタケそっくりなニガクリタケもあります。図鑑では分かりません。地域によって変異することもあります。簡単ではありません。少なくとも死に至る猛毒のキノコは確実に覚えておく必要があります。迷信による毒キノコの見分け方も絶対に信じてはいけません。

 ドクツルタケ、シロタマゴテングタケ、タマゴテングタケは「世界の三大猛毒菌」といわれるものです。しかし、実際に中毒が多いのは、ツキヨタケ、クサウラベニタケ、ドクササコ、クサハツ、カキシメジ、ニガクリタケなどです。これらの見分け方を確実に覚えておくことが必須です。また、アミタケなどは食べ過ぎると下します。基本的にキノコは生食してはいけないということも覚えておかなければなりません。

 今年はウラベニホテイシメジに始まって、ジコボウ(ハナイグチ)、サクラシメジ、ムラサキシメジも期待できそうです。近年わが家では、キノコの天然栽培もしています。妻女山の恵みの秋は始まったばかりです。次の記事では、この秋最初のキノコ狩りの様子と成果をお知らせします。お楽しみに!
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巨大芋虫にもめげずにゴマの収穫!限定発売中!(妻女山里山通信)

2008-09-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 無農薬無化学肥料で育てたゴマの収穫の季節です。裏の畑で白ゴマと黒ゴマを収穫。葉を取り除いて結束し乾燥させます。葉を取る作業自体は、それほど大変ではないのですが、問題はゴマに取り付いている巨大な芋虫。
 大きなものは9センチはあります。毒はないし人に危害を与えるものではないのですが、やはりこの大きさには驚きます。この作業中も隣で悲鳴をあげている人が約一名いました。

 これは、スズメガ科のシモフリスズメの幼虫で、検索すればすぐにたくさん出てきます。若いときはきれいな緑色をしていまが、サナギに近くなるとご覧のようなゴマ模様が出てきます。サナギはツヤのある赤茶色。幼虫の食餌植物は、ゴマ、モクセイ、シソ、クサギ、キリ、オリーブなどで、特にゴマは大好物のようです。

 そんな訳で、ゴマの収穫は虫嫌いな人には大変辛いものとなります。2センチぐらいの小さいのはいいのですが、9センチにもなるとちょっとびっくりします。成虫は大きさ(開張)110-130mmで、大型です。長い口吻が特徴的。土の中に入って蛹化し、蛹で越冬します。平地の公園や雑木林から低山などに普通に見られる蛾なのです。

 ついでに、誤魔化すという言葉がありますが、胡麻をいれると他の材料が悪くてもそれなりの味になることから、胡麻菓子が転訛して誤魔化すになったといわれています。この胡麻は自家用ですが、市販のものと比べると風味が全然違います。今年は手のかかる胡麻豆腐や香ばしいセサミ入フォッカッチャなどに挑戦してみようかと思います。胡麻おはぎや胡麻団子もいいですね。実りの季節・食欲の秋の到来です。

 今や、ゴマは99パーセントが輸入品。国産はわずかです。

■この美味しいコクのある香り高いゴマを限定販売します。
洗い黒ゴマ/100g:500円
洗い白ゴマ/100g:600円
100g単位でお願いいたします。(送料別、ゆうパック)

●ご注文やお問い合わせは、contactコンタクトのページからメールでお願いします。
◆申し訳ありませんが、現在は販売をしておりません。
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妻女山で山仕事と思いがけない出合い(妻女山里山通信)

2008-09-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 朝食後支度をして、わが家の山の手入れに妻女山へ。カマと剪定ばさみ、スズランテープを持って向かいました。まず最初に上杉謙信槍尻之泉の上にある山へ。落葉松にクズとアレチウリがからまって立ち枯れを起こしそうなので、その駆除です。

 近年信州の低山では、この二つが大量に繁茂し問題になっています。樹林の立ち枯れを引き起こしたり、藪になることで熊や猪、ニホンカモシカなどの隠れ蓑になるため出没を促進させる原因のひとつになっているのです。特にわが家のものは、立ち枯れると妻女山へ登る観光客の車に倒れる危険があるので、駆除が必要なのです。約30分ほどかけて藪を取り除き、葛の幹を探し出して切断しました。

 その後、妻女山松代招魂社の上にある山に行き、今度は不法投棄防止のための紐を張り巡らします。景観上から見ればこんなことはしたくないのですが、駐車場が近いために不法投棄が後を絶たないのです。先日も炬燵、座椅子二つ、扇風機二台、服一袋、靴などを片付けました。昼休みなどに妻女山へ休みに来る会社員などが捨てたペットボトルや空き缶も多数。困ったものです。ライブカメラを付けましょうか。

 その後、そろそろキノコが出始めたかなと山を登り始めたのですが、真っ黒な羽虫の大群に取り囲まれて退散。仕方なく車で陣場平まで登りました。この季節はスズメバチも要注意です。もちろん熊鈴は必須。長雨の後に晴天が続いたので、写真のようにたくさん出ていましたが、お目当てのものはまだでした。ただ中にセップがひとつ交じっているようです。

 下りて駐車場に来て、もう一度紐を張り下ると、男性がひとり葛の方に向かってカメラを向けています。何か撮れましたかと尋ねると、ウラギンシジミを狙っているとか。そして今まで撮影した蝶の写真を色々と見せていただきました。妻女山は、本当に色々な蝶が棲息しているようです。これからが楽しみになりました。

 そして、わが家の森の入口に掛けてある斎場山の看板について聞かれました。妻女山と斎場山の関係などについて、以前から疑問に思い調べていたそうです。本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」についてお話ししました。

 その方、Yさんも山登りとネイチャーフォトのサイトを持っていらっしゃるということで、メモ帳もなかったので、検索方法を互いに教えあって分かれました。早速帰宅して検索。My Memories of Alpine というサイトです。驚くほど信州の低山に登っていらっしゃいます。私も今後の参考にさせていただこうと思っています。東京の二人の息子達にも教えようと思います。

 30度を超える暑さと虫だらけの山仕事は相当にきついものでしたが、妻女山のすばらしさを再認識することができて、疲れも吹っ飛びました。今夜は、里山再生の話をしながらスプマンテで乾杯です。
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