モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

高さ81センチのタンポポを発見! 自分のおしっこのシャボン玉の中に棲むアワフキムシ(妻女山里山通信)

2014-05-29 | アウトドア・ネイチャーフォト

 デスクワーク、畑仕事、山仕事と目の回るような忙しさの季節。椎茸のホダ木の灌水のついでに山の除草と山蕗の採取へ。最高気温が28.8度になったこの日は、長坂峠に出ると冠着山(姨捨山)方面に積乱雲が出来始めていました。これは今年初の雷雨になるだろうと思いました。この間まで、朝は炬燵が必要だったのに、夏の景色です。信州の季節の移ろいは、本当にドラスティック。体がついて行きません。それでも夏と違うのは湿度。25%しかないので、暑さの割には快適です。盛んに鳴くハルゼミも、夏のミンミンゼミやアブラゼミに比べると喧騒感はありません。ただ、まとわりつくクロメマトイやアブやハエが煩い。

 ナルコユリ。前記事の菅平のアマドコロと比べると、ずいぶんと華奢です。斜めに高く立ち上がる感じではなく、横に這うような感じです。本来葉の下にぶら下がっているはずの花が葉の上にあるのは、風で煽られたからでしょう。周りは野生の三つ葉の群生です。お浸しにして食べますが、味は濃い味のセリという感じです。
 シダ類も旺盛に伸びてきました。左はリョウメンシダ。表裏が同じような感じです。右はイノデ(猪の手)でしょう。出始めの芽が茶色で猪の手のように見えるからの命名だそうです。妻女山のニホンカモシカは、リョウメンシダとヤブソテツは食べますが、イノデを食べた所や食痕は見たことがありません。しかし、このイノデを食べる虫がいるのです。イカリモンガという蛾の幼虫の食草なのです。数ある蝶や蛾の仲間でも、シダ類を食草とするのは極めて珍しいといえます。

 イカリソウ(碇草)は、淫羊霍(インヨウカク)という強壮剤で、前述のアマドコロと共に小林一茶が酒に漬けて愛飲したというもの。体を温め、冷えからくる腰痛にも効くそうです。全草が薬効があるそうですが、薬酒に入れるため、今回は根っ子だけを使います。
 日当たりの良い所に生えるヒレアザミ(鰭薊)。図鑑には草丈1mとありますが、これは1.5mもありました。葉だけでなく茎にまで刺のある板状のヒレがあるのですぐ分かります。精神安定、利尿、解毒作用がある薬草です。中国では、嫩葉(どんよう)、つまり若葉を食用としたそうですが、中華炒めでしょうか。塩と油で茹でて牡蠣ソースでしょうか。『倭名類聚抄』にも布保々天久佐(フホホテグサ)と出てくるので、帰化したのは相当古い時代です。モリアザミの根っ子がヤマゴボウ。帰化植物のヨウシュヤマゴボウの根は有毒です。妻女山山系では、このヨウシュヤマゴボウ、オオブタクサ、セイタカアワダチソウ、カモガヤ、アレチウリなどが、主な除草の対象になります。除草作業の人にお願いですが、蝶の食草になるイボタノキクララは、形を覚えて切らないでください。産み付けられた卵が全滅します。効果のない松枯れ病の農薬空中散布は、シジミチョウ類に壊滅的な被害を出しています。

 妙に高いタンポポ(蒲公英)を見つけました。今までのシナノタンポポの最高が80センチだったのでメジャーで測ってみると、なんと81センチ。記録更新です。しかし、よく見ると、これはセイヨウタンポポとの交雑種でした。シナノタンポポは、カントウタンポポの亜種で、共に2倍体。偶数倍数体は大きく育つ傾向があるのですが、シナノタンポポは、いつできたのでしょう。まさか、世界中で核実験が盛んだった頃ではないでしょうね・・。古代の窒素飢餓が有性生殖、2倍体を産んだという説があるようです。
 貝母(編笠百合)は、果(さくか)をつけ、枯れ始めました。梅雨入り前には種を飛ばし始めます。風車のような水車のような形をしているので、種はウバユリの様に薄いのかと思って開いてみると、2ミリほどの楕円形でした。今度は果が弾けるところを撮影してみたいものです。

 ミヤマウグイスカグラ(深山鶯神楽)の赤い実がなり始めました。実をついばむウグイスが神楽を舞っているようにみえることからの命名だそうですが、残念ながらそのシーンは、まだ目撃したことがありません。実はナツグミのような渋みはなく酸味もなく甘いのです。子供の頃、これをたくさん口に含んで潰して飲んで、種をブブブッと飛ばした記憶が蘇ります。
 トンボエダシャクでいいのでしょうか。幼虫はお馴染みの尺取り虫。地面にはアオオサムシと昆虫の死骸を食べる森の掃除人ヒラタシデムシが盛んに這いまわっていました。
 アワフキムシ(泡吹虫)。この泡は、中にいる幼虫の排泄物、つまりおしっこで、界面活性剤のアンモニア石鹸で泡立っているのです。いわば、自分で作ったシャボン玉の中に住む虫なんです。アリなどは、中に入ったら即窒息と、非常に高い防御性があるのですが、この泡を難なく破る天敵がゴミムシ(塵芥虫)です。

 昼にKさんのログハウスに行ってみました。時間がないのですぐに戻りましたが、見える景色はもう夏のそれでした。古墳の上も除草されていましたが、そうです。この上には亡きKさんが植えたヤマシャクヤク(山芍薬)があるのですが、息子さんご存知でしょうか。切ってしまったかな。毎年梅雨頃咲いたけれど、咲くのが3、4日と短く、見頃に出会えるのが難しい花なんです。
 ところで、今頃里山に入ると必ず虫に刺されるのです。それもズボンの中に入って柔らかい膝の裏や腿の内側など。マダニではないようですが、野生動物についたノミでしょうか。以前、岩合光昭さんの事務所にライオンの写真を借りに行き、数千カットをチェックしていた時に、王者ライオンのオスの顔や首に、2センチはあるダニがびっしり食いついていて仰け反ったことがありました。妻女山では、大きなオオスズメバチの女王蜂が徘徊を始めました。

 例年に比べるとハルジオン(春紫苑)の咲くのが遅めです。それでも結構咲き始めたのでウスバシロチョウが盛んに吸蜜していました。暑く燦々と太陽が照りつけるので、活性が高く凄い速さで頭を振りながら吸蜜して、すぐ別の花に移るので、撮影が難しいのです。ハルジオンは、帰化植物ワースト100に入っているので、本当は除草の対象なんですが、ウスバシロチョウのことを思うと、なかなか除草に踏み切れないのも事実です。蝶の研究家のTさんも言っていましたが、ハルジオンが入ってくる前は、この花の少ない季節に、一体なんの花で吸蜜していたのだろうと思わずにはいられません。

 最後のカットの左は、その日の午前5時の畑。スナックエンドウとニラと二十日大根を採りに行きました。ヒナゲシ(雛芥子)はまだ閉じています。ヒナゲシは、コクリコ(雛罌粟)といわれたり、グビジンソウ(虞美人草)、ポピー、アマポーラなどともいわれ、世界中で愛されています。庭には一般的な赤いケシの花も植えてあるのですが、この太陽色の花が気に入って種を蒔きました。 花言葉は、恋の予感・いたわり・思いやり・陽気で優しい・忍耐・妄想・豊饒。
 栽培種からはアヘンはもちろんできません。右は山の帰りに撮影したもの。緑と茶色ばかりの畑で、ひときわ輝いています。ヒナゲシは、世界中で歌われてきましたが、ここでは70年代に流行ったギリシャの歌姫、ナナ・ムスクーリの『アマポーラ』を。もう相当のお婆ちゃんですですけど、若かりし彼女の透明な歌声は、本当に素敵でした。アンドレア・ボチェッリのも秀逸

Nana Mouskouri - Amapola

 
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ナルコユリの提灯が揺れる。小林一茶も愛飲した黄精酒はナルコユリやアマドコロの根っこが原料(妻女山里山通信)

2014-05-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ウスバシロチョウの撮影と帰化植物の除草のために妻女山へ。蜂が本格的に営巣する前に、一通り除草をしておこうというわけです。二回目は梅雨明け頃にします。この時は、ムモンホソアシナガバチが草叢(くさむら)のあちこちに巣を作っているので大変危険なのです。除草作業の際に毎年必ず刺されています。一年に4回刺されたことも・・。すぐにポイズンリムーバーで毒を吸い取るので、大事には至っていませんが、アナフィラキシーショックはやはり怖いです。

 倒木の横たわる獣道を抜けると、森の中の広いギャップに出ます。十数頭のウスバシロチョウが陽光を浴びて舞っています。まずここのオオブタクサを除草しました。花粉症を引き起こすなかなか厄介な帰化植物です。除草は、一時間ほどで終了。帰りの別のギャップでは、ヨウシュヤマゴボウを10本ほど除草。これも放っておくと2mにもなり厄介な帰化植物です。駐車場の縁や道路脇には、カモガヤが。信州の小学生の花粉症の多くは、これが原因だとも言われています。通学道路沿いに多くあるからです。これも除草の対象。

 アマドコロ。アマドコロの根茎は生薬の玉竹なんですが、アマドコロは、ナルコユリと非常に似ています。見分け方は茎。触ってみて茎が筋張っていたら間違いなくアマドコロです。民間薬では混同して使われており、本来中国産のカギクルマバナルコユリの根茎を指す黄精も、アマドコロの根っこを指して売られている場合もあります。黄精酒は強壮剤で、あの小林一茶も愛飲していたそうです。50歳を過ぎて28歳の嫁を娶り、3男1女をもうけます。62歳で2番目の妻を迎え、64歳で3番目の妻との間に1女をもうけています。小林一茶は俳句と同じくらい、営みの回数を記した『交合記』が有名ですが、黄精酒はそんなに効くのでしょうか。と書いたのですが、これはナルコユリでした。花の付け根に緑色の少し膨らんだ部分が見えます。妻女山山系にはアマドコロはありませんでした。菅平とかもう少し高地にあり、草丈も高くもっと大型です。
 刺なしハリエンジュ(刺なしニセアカシア)が満開です。花は天ぷらで食べられます。養蜂家にとっては大切な木なんですが、全国の河川敷や里山で異常繁殖している帰化植物。我々妻女山里山デザイン・プロジェクトでも、千曲川河川敷で2回ほど伐採作業をしました。
 風が吹くと、桐の花がポタポタと落ちる様になりました。林道を歩いていると、足下に一面紫色の桐の花の絨毯。見上げると桐の大木がありました。

 後日、いくつかの群生地から掘り出したアマドコロの根っこ。抗癌作用のあるコフキサルノコシカケカワラタケマンネンタケマタタビ、桂皮、ナツメ、アマゾンのガラナなどと共に焼酎に漬けて私オリジナルの薬酒を作ります。砂糖は入れません。毒ですから。
 右は菅平高原のアマドコロ。妻女山山系のものに比べると茎も太く、草全体が大型です。妻女山山系のものは、ずっと小さく茎も細く、赤茶色をしています。同じアマドコロでも少し種類が異なるのでしょう。

 森の奥で、今まで知らなかったギンラン(銀欄)の群生地を見つけました。高さは15センチぐらい。花も7ミリぐらいしかないので、知らないと見過ごすような、けれどもとても希少な野草です。共生関係にある外生菌根菌は、特殊な土壌にのみ生息するもので、持ち帰ってもまず育ちません。売られていることもありますが、間違いなく枯れます。やはり山に置けギンラン。
 オオアマナの群生が一気に咲きました。これも帰化植物なのですが、なぜこの山中に群生地があるのか不思議です。別名はベツレヘムの星。フラフラとクサカゲロウ(草陽炎)が舞って来て留りました。いかにも儚げですが、卵は優曇華(うどんげ)と呼ばれます。こちらはなんと長男の車のバンパーに産みつけられ、100キロを旅して来たウスバカゲロウの優曇華。幼虫は、あのあり地獄。

 ウスバシロチョウは、ハルジオンが咲き始めたので、吸蜜行動も活発です。蝶の研究家のTさんによると、妻女山山系のウスバシロチョウは増えているそうです。私も実感でそう思います。幼虫の食草のムラサキケマン(紫華鬘)が増えたのと、吸蜜するハルジオン(春紫苑)が増えたのが要因でしょう。ユーミンの歌に『ハルジョオン ヒメジョオン』という歌がありますが、ハルジョオン(春女苑)は、間違いというわけでもなく、ハルジオンの別名です。ヒメジョオンと韻を踏んだのでしょう。

 てんとう虫の仲間のナミテントウ。ナミテントウは、違った紋同士が後尾するため、体の模様の変異が大きいのです。春蟬が激しく鳴いています。クマバチが盛んにホバリングしながらメスが来るのを待っています。クマバチには、あの大きな体にあの小さい翅では、航空力学的に飛べないと不本意なレッテルを貼られていた哀しい過去があります。レイノルズ数(空気の粘度)の法則でやっと、こんな大きな体に小さな翅でも飛べることが証明されたのですが・・。人間にとって空気はサラサラですが、小さなクマバチにとっては結構粘度のある物質なわけで、ちょうど人間が水中を泳ぐ感じなのかもしれません。クマバチは羽音が大きいのでびっくりしますが、オスは針がないので刺しません。メスもいじめない限り人を刺すことはありません。
 斎場山の西に、非常に大きなイノシシのヌタ場(泥浴び場)があります。雨が多いと大きな池になるのですが、今回はちょうど三つの露天風呂という感じになっていました。昼は警戒して入ることはありません。きっと風流に月見風呂なんぞしているのでしょう。

 斎場山(旧妻女山)の頂上は、大きな円墳で、上杉謙信が本陣を設けた場所として有名ですが、この尾根が除伐されました。獣害対策のためです。といっても除伐してもイノシシは普通に歩いていますけどね。より警戒心は強くなるでしょうけど。写真でも分かると思いますが、斎場山古墳から西へ向かって七基の塚が並んでいます。通称旗塚などと呼ばれますが、おそらく古墳時代が終わった後の、県司か郡司の墓ではないかと思われます。

 最後に、依然アップし忘れた赤松の切り株に発生した変形菌(粘菌)の、マツノスミホコリを載せておきます。触ると簡単に崩れます。中は墨状の粉で、それが胞子なのだろうと思います。変形菌は、これから梅雨になると雨上がりに大量発生するようになります。




 
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昨秋急逝した山仲間を偲ぶ会を彼が植えた満開の躑躅の園で・・(妻女山里山通信)

2014-05-19 | アウトドア・ネイチャーフォト

 妻女山山系では、氷河期の生き残りと言われるウスバシロチョウ(薄羽白蝶)が蜜を求めて盛んに舞っています。希少なホタルカズラ(蛍葛)が咲き、更に希少なギンラン(銀蘭)が林下に咲き始めた晴天の日、昨秋急逝した山仲間のKさんを偲ぶ会が、彼が愛した山で行われました。

 彼が植えたヤマツツジ(山躑躅)が満開のログハウスに、彼の遺族の方々と山仲間が大勢集まりました。ストーブこそ焚きませんでしたが、彼がいつもそうしていたように、焚き火を燃やし、3月に倒れた落葉松の枝落としや玉切りをして片付けました。

 そして、土口から藪山を登ってきた猟師のTさん達が到着したところで、堂平大塚古墳の脇にある石碑の除幕式を行いました。息子さんが見つけたという北アルプスの山の形をした石には、「山を愛した○○○○ 生地のここに眠る」と刻まれています。除幕式の後で記念撮影。私からは、昨年の9月にここで行ったパエリア・パーティーの写真を差し上げました。それにしても64歳。早すぎます。
 その前年には、私の隣家で彼の友人であり、Kさんと同い年の私が幼少の頃に可愛がってくれたTさんも亡くなりました。Tさんが亡くなる2ヶ月前、Kさんとこのログハウスで、次のBBQパーティーには彼を呼ぼうと話していたのです。Tさんが亡くなった後、あんないい人が亡くなって俺のようなヤクザな人間が生きているなんてと言っていたKさんが、その翌年急逝するとは・・。ヤクザどころか、我々の里山保全活動に最も協力してくれた恩人でした。本当に大切な人を失ってしまいました。
 福一以降、やはり何かが起こっていると思わざるを得ません。なにせ福一由来のホットパーティクルは、米西海岸どころか、ノルウェーでも確認されているのですから。殆どの場合因果関係が証明できません。情報弱者でいたら、安全性バイアスにかかっていたら、犠牲になるのはあなたかも私かもしれません。
 ただ、見えないもの、五感で感じられないものを持続的に怖がるというのは非常に難しいことです。知性はもちろん想像力をフル動員し続けないと無理です。だから放射能は怖いのです。本能に優れた野生動物さえやすやすと被曝するのです。たかがお湯を沸かすのに、そんな危険なものを使ってはいけないのです。
 大阪大学の深尾葉子さんの言葉を紹介しておきます。「この世の中は、まともな脳みそを持とうとする人は生きるのが本当に難しい。自らの感覚にフタをして、利権や保身をめざし役割を演じて生きることが有利であり、仕事であると錯覚されている。しかしそのような生き方こそが、人類を滅ぼす。原発問題はそれを極端に示している。」

 石碑は、彼が愛してやまなかった千曲川と北アルプスの方向を向いています。それはちょうど西の方角で、まさに西方浄土を指しています。石の形が、ちょうどここから正面に見える北アルプスの爺ヶ岳によく似ているので、皆ピッタリだね。よく見つけたねと言っていました。

 記念撮影を終えてバーベキュー・パーティーの開始。猟師のTさんが、鹿肉と猪の肉を大量に持ってきてくれました。鹿肉はロースで、刺し身でということでしたが、私は念のため焼いて食べました。旨かったですねえ。猪の脂身は甘くて、これもまた美味です。ご家族からも大量の差し入れが。私は自家製のジンギスカン*と、手作りのベーコン、陣場平で採った山蕗でキャラブキを。キャラブキはご母堂に好評の様でした。
 会話では、Kさんとの馴れ初めやエピソードなどが色々出てきました。初めて聞く話やお馴染みの話。いずれも彼に対するそれぞれの温かい想いがよく表れていました。今回は大安吉日でもあり、妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々では、行事などで来られない仲間も多かったので、いずれ報告会も兼ねて、また集まろうと思います。
*自家製ジンギスカン=市販のものは甘すぎて添加物もあるので、ラム肉を買い求め、玉葱・人参・林檎・大蒜・生姜を摩り下ろし、赤ワイン・本みりん・醤油・胡椒・ミックスハーブで揉み込んで作りました。生姜が効いていて旨いと好評でした。手作りベーコンは、亡きKさんも絶賛してくれた自慢の味です。

 緑の濃くなってきた森は、最高気温も20度ぐらいで、風も爽風。本当に気持ちのいい日でした。ハルゼミが鳴いています。ログハウス下の草むらでは、ウスバシロチョウが何頭も舞っています。3時過ぎ、それぞれの思いを胸に、皆山を下りて行きました。そいいえば、昨年Kさんが、全く出ない我々の椎茸のホダ木を見て、材が悪かったんじゃない?と言っていましたが、今春見事にニョキニョキと出ました。彼に見せたかった。そうそう、椎茸と平茸はニホンカモシカも食べるのです。ジコウボウやムラサキシメジは食べませんが。

 彼はここで、生まれてから高校二年までを過ごしました。この美しい風景が、彼の原点であり、最も愛した風景なのです。私は井上陽水の『少年時代』を想い出しました。「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに彷徨う 青空に残された 私の心は夏模様~」。ここでは、この地元、千曲市出身の歌姫・熊木杏里が植村花菜とデュエットしている動画を紹介しておきます。透明な歌声が、この風景とよく合っているように思います。
 彼との付き合いは短いものでしたが、亡くなるこの一年間に限れば、彼とこのログハウスで一番出会い語り合ったのは、間違いなく私でした。彼の突然の死に、生まれてこの方経験したことのない喪失感に襲われました。昨年末には父を亡くしましたが、一年以上前に末期癌の宣告をされていたので、心の準備ができていました。月曜の朝に彼から電話をもらって、木曜日に会おうと言って、木曜日に突然死んだと聞かされ、土曜日に葬儀。翌日の日曜日に私はひとりで預けていた荷物を取りにログハウスへ行きました。そこで片付けて掃除をした後で、この風景を見ていたのですが、葬儀を済ませたというのに、彼が亡くなったということが実感できず、ただ変わらぬ美しい風景を静かに見ているだけでした。

●少年時代 熊木杏里 植村花菜

 
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信濃蒲公英に吸蜜するシェルランプの翅を持つウスバシロチョウ(妻女山里山通信)

2014-05-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今年のウスバシロチョウ(薄羽白蝶)の初見は、5月6日でした。ただこの頃は、まだ吸蜜(きゅうみつ)できる花がほとんど咲いていません。花を求めても留まれず、ただひたすら舞い続けている状態なので撮影ができません。幼虫の食草であるムラサキケマンは咲いているのですが、この花では吸蜜しないのです。一度ムラサキケマンに留まって吸蜜しようとする一頭がいましたが、やはり無理でした。わずかに咲くミツバツチグリや咲き始めのタンポポが命の糧となります。ヒメオドリコソウでも吸蜜していましたが、いかんせんどうにも花が小さく蜜も少ないようです。

 グングン伸び始めたヤエムグラ(八重葎)に留まって休んでいる一頭を見つけました。花が少なく飛びつかれたのでしょうか。ウスバシロチョウは、シロチョウ科ではなくアゲハチョウ科なので、ウスバアゲハ(薄羽揚羽)とも呼ばれます。ヤエムグラは、種がひっつき虫として有名ですが、茎にも刺があって撮影しているとよく服に絡みつきます。

 結局、この個体はかなり長い時間留まって休んでいました。幸運な一頭は、シナノタンポポ(信濃蒲公英)を見つけました。吸蜜は激しく小刻みに頭を口吻ごと前後し行います。ひとつの蜜腺の蜜の量が少ないのか、花の上をあちこち歩き回っています。

 車が通る林道脇の蒲公英は、純粋なシナノタンポポではなく、セイヨウタンポポとの交雑種の様です。花の下の総苞外片が、シナノタンポポは密着しているのですが、交雑種は斜め下へ反り返っています。氷河期の生き残りと言われるウスバシロチョウは、ご覧のとおりかなり体が毛むくじゃらです。翅は鱗粉が少なく、シェルランプのシェードの様に少し透き通っています。重なった向こう側の翅や、背後にある花が透けて見えるなんとも美しい蝶です。

 陣場平の緑も日に日に濃くなってきました。この風景の中に十数頭のウスバシロチョウが舞っています。ウスバシロチョウは、本当に太陽が好きで、日が昇ると盛んに飛び始めます。逆に曇り空で湿度が高い日は、頻繁に留まる様になります。翅が重くなるのでしょうか。翅を羽ばたかせる角度が狭いため、優雅に舞うというよりパタパタ舞うという感じで飛びますが、樹冠まで登るとす~っと滑空して下りてきます。その姿はとても優雅です。しかし、ヤエムグラに留まったメスに、背後からオスがいきなり乗りかかりました。結構乱暴な求愛行動です。結局メスに激しく暴れられて逃げられてしまいました。メスが気に入ると交尾に入りますが、メスは気に入った場所を求めて、交尾したままオスを引きずって行くことがあります。

 北向きの半日陰に群生するイカリソウ(碇草・錨草)。淫羊霍(いんようかく)という生薬で強壮剤として用いられます。真ん中のカキドウシ(垣通、籬通)の別名は、カントリソウ(癇取草)、レンセンソウ(連銭草)で、子供の夜泣きや疳(かん)の虫に用いられた民間薬です。消炎薬として黄疸、胆道結石、腎臓結石、膀胱結石などに、糖尿病の血糖値を下げる効果もあるそうです。右のハルザキヤマガラシ(セイヨウヤマガラシ)は、要注意外来生物です。明治の末期に帰化。日本の亜高山~高山に自生するヤマガラシとは同属です。 花柱が雄しべと同じ長さなのがセイヨウヤマガラシの特徴。林道脇やスキー場など、どこでも目にする帰化植物です。

 椎茸のホダ木の灌水と山の除草を終えて妻女山展望台に登ると、中央に爺ヶ岳、左に蓮華岳と右奥に針ノ木岳、右に鹿島槍ヶ岳が綺麗に見えました。周囲の里山の緑も濃くなってきました。さらに右には白馬三山も見えるのですが、やはり北にあるので残雪の量が全く違います。善光寺平広しといえども、北アルプス、戸隠連峰、四阿山と根子岳が望めるのは、妻女山(旧赤坂山)ぐらいなのです。ここは夕日の名所でもあります。
 梅雨入りまで、デスクワークに、山仕事に畑仕事と目の回るような忙しい日々の到来です。山仕事をしていると、大きなオオスズメバチの女王が、営巣地を求めてやってきました。秋と違って攻撃性は少ないとはいえ、やはり緊張します。クマバチが盛んに縄張りでホバリングしています。ブーンという大きな羽音に驚かされますが、これはオスで針を持っていないので刺しません。ただ、オス同士の空中戦はかなり強烈です。メスを待って何時間もホバリングする驚異的な体力を持っています。
 このクマバチは、長いこと航空力学的には飛べないと言われてきた不本意な過去があります。大きな体に比べて翅が小さ過ぎるというのです。理論的に飛べるはずがないと。そんな事いわれても目の前のクマバチは実際に飛んでいるわけですから迷惑な話です。ほっといてくれよと言うでしょう。レイノルズ数(空気の粘度)の法則でやっと、こんな大きな体に小さな翅でも飛べることが証明されたのです。人間にとって空気はサラサラですが、小さなクマバチにとっては結構粘度のある物質なわけで、ちょうど人間が水中を泳ぐ感じなのかもしれません。
 明日の長野市の最高気温の予想は、なんと30度! 最低が13度ですから、この気温差は要注意です。

★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。
 
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氷河期の生き残りウスバシロチョウが舞い始めた好日(妻女山里山通信)

2014-05-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
 桐の花が開花し始めた妻女山。山の除草と地伏せしてある椎茸のホダ木に灌水するため妻女山へ。鞍骨城跡へ向かうハイカーの車が何台か駐車してありました。山城ブームか、里山ブームか、最近人気があるのです。灌水を終えて戻ると、早々と下山してきた男性がいました。なんでも頂上には団体さんがいたとか。その後軽装の男女が駆け下りてきました。トレラン愛好家でしょうか。妻女山から鏡台山経由で、五里ヶ峯から一重山を結ぶ約20キロのループコースは、人気のようです。

 左から桐の花。田舎では昔家の屋敷に桐の木を植えたものです。娘が嫁ぐときにそれで箪笥を作って持たせたそうです。匂いを嗅ぐとはんなりと白粉の香りがします。ウスバシロチョウの食草のムラサキケマン(紫華鬘)。ケマンというのは仏具で、元々は生花で造られたリング状の環(花環)のことです。右はシロヤブケマン。妻女山ではほとんどがこちらです。

 ナラメリンゴフシ(楢芽林檎五倍子)と言って、実はナラメリンゴタマバチが作った虫こぶ(ゴール)。ホルモンの作用でコナラを奇形化し偽果を作ります。この中で幼虫は成長するのです。何か他の幼虫がぶら下がっています。ミノムシの幼虫でしょうか。虫こぶは奥が深いのです。
 氷河期の生き残りウスバシロチョウが舞い始めました。シロチョウ科ではなくアゲハチョウ科なので、名前はウスバアゲハの方が適当かもしれません。ステンドグラスの様な透けた翅が美しいので、逆光で撮影すると美しいのですが、まだ吸蜜する花が少ないので、そういう撮影はハルジオンが咲くまでもう少し待たなければなりません。

 貝母(編笠百合)の花は散り、風車のようなさく果が出来始めました。枯れると下を向き種を飛ばします。そんな日は大抵強風の日で、薄い種は遠くまで飛ぶのです。増えるわけです。さく果が種を飛ばすと、貝母は溶けるように消えていきます。

 イノシシのヌタ場の近くでギンラン(銀蘭)の蕾をひとつ見つけました。咲いても蕾のようなギンランですが、絶滅が危惧される希少植物です。妻女山山系で群生地をいくつか知っていますが、これは誰にも教えていません。樹木の根に外菌根を形成する樹木共生菌(菌根菌)と共生しているため採掘しても育ちません。しかし、高く売れるため、枯れるのが分かっていて盗掘し売る不届き者がいるのです。
 そんな藪山で、妻女山では珍しいイカリソウ(碇草・錨草)の小さな群生地を見つけました。生薬名は、淫羊霍(いんようかく)で強壮剤などに用いられます。
 タチタネツケバナの仲間。仲間と書いたのは、色々な種類があるからです。とはいえ、セントウソウと同様に花が小さいため、足元に群生していても注目する人はほとんどいないでしょう。そういう野草です。

 妻女山山系のあちこちで、ヤマツツジ(山躑躅)が咲き始めました。真っ赤なもの、桃色のものと色々です。子供の頃は、この花の根元にある甘い蜜を吸ったものです。しかし、レンゲツツジは致死性の毒があるので吸ってはいけません。庭木で植えてもいけません。もっとも、今の子供や親達は、ツツジの花を吸うことさえ知らないでしょうけれど・・。

 妻女山の登山口では、現在シナノタンポポ(信濃蒲公英)とクサノオウ(瘡の王)が咲き乱れています。シナノタンポポは交雑種が主です。クサノオウの別名は、皮癬草(ひぜんくさ)。生薬名は、白屈菜(はっくつさい)といいますが、非常に毒性が強いものです。瘡(くさ)・丹毒(たんどく)・湿疹を治す薬効があるために、くさ(瘡)の王と呼ばれるようになったとか。茎は中空で、折ると白汁が出て、橙黄色に変化します。
 あちこちでヤマフジ(山藤)が咲いています。花は美しく食べられますが、巻き付いた樹を絞め殺すので、実は厄介な植物なのです。旺盛な生命力で、一日に8センチも成長します。実も炒って食べられます。

 妻女山から見る、手前から象山、プリン型の皆神山。その奥が立石岳、右へ保基谷岳。中央奥に四阿山と左に根子岳。眼下は松代城下。一番手前に桐の花が咲いています。クマバチが周りでブンブン、ブンブンホバリングしている、初夏にしては北風の強い昼でした。こんな日は、長野市北部に降下したホットパーティクルが舞い踊るのでしょう。いずれ分かります・・。

 妻女山展望台から善光寺平。左に戸隠連峰と戸隠富士の名前をいただく高妻山。右に大きな山体の飯縄山。標高1917mなので、低いななどと言われますが、なかなかどうして自然が豊かで歴史のある山です。善光寺平の右手前にクレーンが見えますが、長野パルセイロのホームとなるサッカー競技場が急ピッチで建設されています。千曲川河川敷のヤナギやハリエンジュも緑が濃くなってきました。オオスズメバチの女王が徘徊し始める頃なんですが、今年は気温が低いのでまだ見かけていません。これからの季節は、山へは黒い服を着て行かないようにしないといけません。香水もご法度。

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北アルプスを眺めながら山菜天ぷらとジビエを堪能した大林山(妻女山里山通信)

2014-05-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 山仲間と春秋に行っている恒例のトレッキング。今回は、上田市、筑北村、千曲市、坂城町に跨る山体の大きな大林山です。2010年の12月30日に息子達と積雪の中を登ったのですが、滑る急登は大変なものでした。しかも山頂で昼食中に見る見るうちに雪になり、このままでは遭難すると急遽下山。今回は、それのリベンジも兼ねているので、長男も参加しました。当日は、天候に恵まれ山頂でもほとんど無風だったため、快適なトレッキングができました。

 戸倉上山田温泉街を抜け、55号線を坂上トンネル方面へ上り、現在は通行止めの四十八曲峠への旧道ゲートに駐車。万が一山林所有者が作業に来るといけないので、車一台分の幅を空けました。9時15分に出発。ゲートを抜けてヤマザクラやカスミザクラの咲く旧道を少し歩くと、33号カーブの標識。ここから山中に入り左の檜の植林地に取り付きます。最初はもの凄い急登で、その後も急登続きですが、人が登らない尾根で山菜狩りをしようということで選んだコースです。とにかく尾根の高みを登っていけば、必ず大林山北面をトラバースする登山道に出るので、迷う心配はありません。ただ、やはり道のない尾根なので初心者向きではありません。

 思ったよりも木々の芽吹きは遅れていて、散見されるコシアブラもまだ芽は小さく、多くは採れませんでした。途中、一本だけオオカメノキ(ムシカリ)が純白の花を咲かせていて、目を楽しませてくれました。這々の体で標高差200メートル足らずを登ると、トラバースの道に出ました。距離50メートルほど下ると中部電力の電波反射板の鉄塔があります。ここは刈払いされているので、山菜が採れました。そして、九竜山方面へ尾根を直登します。かなりきつい急登を何度かこなして11時に山頂へ。途中の尾根にはカタクリがあちこちに。ヒトリシズカやミヤマエンレイソウも。山頂にはキジムシロが咲いていました。

 山頂で昼食。そんなにたくさん採れるとも思わなかったので、山菜係の私があらかじめ用意しておきました。タラの芽、ハリギリ、コシアブラ、ウド、我々が栽培している椎茸のどんこ。Tさんが生で食べられるほど新鮮なアスパラガスを持参。そして、Kさんが鶏肉を漬けて持参。これらを天ぷらで堪能しました。さらにSさんが持参のジビエ、タレに漬け込んである鹿肉をソテーしたのですが、私のアイデアでビールを加えてまろやかに。山頂は、ほぼ360度の大展望。風もなくゆるゆると昼餉の贅沢な、ちょっと食べ過ぎの時間が過ぎていったのでした。我々以外には、後で八頭山方面からひとり男性が、その後またひとり男性が登ってきただけでした。最初の方は、我々の食卓を見て、「フルコースだね。」と呟きました。確かに、山菜とジビエで山の幸のフルコースです。私は昔、フライフィッシングをしていましたが、ここにイワナかヤマメの塩焼きでもついたら完璧ですね。

 上からコシアブラ、ワラビ、椎茸、タラの芽、カタクリの葉、コシアブラ、ハリギリ、ウド。とても食べきれないので、お土産に持ち帰ってもらいました。真ん中は鹿肉のソテー・ビール煮。野趣豊かな滋味でした。大林山は、おおばやしやま、だいりんざんと言いますが、上田市室賀の人々は氷沢山と言います。南東方向に大きな氷沢という沢があるのです。沢名が山名になるのは、よくあることです。それだけ沢が利用され、重要なものだったということです。

 山頂からの眺めは、特筆ものです。西方の赤松などで一部遮られますが、北アルプスのスカイラインが、白馬三山から仁科三山、槍ヶ岳から常念岳まで綺麗に見えます。北には戸隠連峰と火打山、妙高山。西には根子岳と四阿山。南には蓼科山と八ヶ岳連峰。その右には美ヶ原。地味な山ですが、最近ジワジワと人気が出てきているのも、この雄大な展望のお陰かもしれません。結局頂上での昼餉は二時間にも及びました。

 下山の途中で八頭山を背景に咲く白い花。タムシバでした。Sさんが、この芽を食べてみてくださいというので、皆で食べるとミントの味。更に噛んでいくとレモンのような味に。そんなわけで噛む柴がタムシバに転訛したという説もあるそうです。更に下ると、今度は非常によく似たコブシの花が。花の直下に緑の葉があることで、タムシバと見分けがつきます。

 ぽんぽんの平で、コーヒーブレイク。Sさんが美味しいコーヒーを入れてくれました。息子が買ってきたあんこ入りのドーナッツがおやつです。コースの距離が短いので、今回は休憩や昼食を長めにしました。途中で花があると撮影時間も長めに取りました。こんなゆったりとしたトレッキングもいいものです。私自身が自律神経失調症の病み上がりのため、このコースはリハビリにも最適でした。

 帰路に見られた花は、ショウジョウバカマ、イカリソウ、シロバナエンレイソウなど。ヒトリシズカの群生やヤマブキも。スミレは、タチツボスミレがあちこちに咲いていました。登山道脇にはシジミチョウの食草のイボタノキも。林道整備の時に切られてしまうことが多いのですが、整備する人も行政ももっと勉強をしてもらいたいものです。知らずに自然破壊していることが非常に多いのです。

 37号カーブに下り立ったのは3時過ぎ。谷筋にニリンソウの群生地を見つけました。我々は33号カーブから登りましたが、32号カーブのカーブミラーの脇に、大林山・八頭山 登山口の標識があり、登山道がついています。これを登ると反射板の少し下の地形図で956mと書かれた尾根の場所に出ます。普通に登るならば、こちらを選んだほうがいいと思います。
 下山後は、いつもの様に戸倉上山田温泉の「万葉温泉へ」。温まった後、Kさんの田んぼと幻の伊賀筑後オレゴンを栽培している畑を見学してから、慰労会の居酒屋へと向かったのでした。
 慰労会では、山の話はもちろんのこと、艶のある話から放射能汚染やTPPまでの話まで多岐に渡りました。いくら楽しい酒の席といえども脳天気に酔っていられる時代は過ぎ去りました。日本は滅亡の縁にいます。それが分からない人は、情報弱者か安全性バイアスにかかっている人か、ダチョウ症候群にかかっている人か、変な思想や宗教に被れている人でしょう。幸い私の仲間は、程度の差こそあれ危機感は持っているようです。そうでないと生き残れない時代です。




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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
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川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も

★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。
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