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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

遠山郷の旧木沢小学校、大鹿村中央構造線博物館、鹿塩温泉山塩館、小渋ダム。大町エネルギー博物館、大町ダム、鬼無里の東京!?(妻女山里山通信)

2017-08-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 南信の中川村にある陣馬形山オートキャンプの続きです。翌朝は午前6時前に起床。朝食後にテントを撤収し下山して遠山郷に向かいました。まずゴールデン・ウィークにも訪れた旧木沢小学校へ。次男は初めてです。
大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その1」2017.ゴールデン・ウィーク。信州の南端近くの秘境、遠山郷と大鹿村へ。そして伊那谷から下諏訪へと、中央構造線を巡る旅
遠山郷、大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その2

(左)旧木沢小学校校庭。盆踊りのやぐらでしょうか。東京だと「東京音頭」、松代だと「真田節」、遠山郷はなんでしょう。鹿塩の湯には「塩見音頭」があるのですが。(中)職員室前の廊下。懐かしすぎて、音楽室から「夏は来ぬ」の合唱が聞こえてきたりしそうな感じ。廊下にはハモンドオルガンがたくさん並んでいて懐かしい響きが味わえます。猫踏んじゃった。(右)校長先生はお昼寝の最中でした。

(左)体育館で卓球。昔は得意だったのですが、ずっとやっていなかったのでダメダメでした。ちなみにわが家には卓球台があり、今は高齢で駄目ですが母が異常に上手かった。(中)教室です。懐かしい木製の机が並びます。雑巾がけもしましたね。小学生の頃、私は放送委員長をしていたのでお昼の放送とか運動会のアナウンスをしました。(右)遠山森林鉄道の展示も充実しています。林業を駄目にしたのは外材ではなく、日本の林業行政なのです。車や家電を売るために自民党が林業を犠牲にしたのです。上にリンクした記事では、もう少し詳細な写真をご覧いただけます。ノスタルジーに浸るだけでなく、我々が効率や便利のために何を失ってしまったかが分かります。

(左)昼はちょっと外れた「信玄」という蕎麦屋へ。可愛い小学生の姉妹がお手伝いをしていました。お姉ちゃんが注文をとりにきて、私が字が読めなくて息子になんて書いてあるって聞いたらお姉ちゃんがえ?って表情をしたので、「あっ、おじさん馬鹿だから字が読めないんじゃなくて、眼鏡がないから読めないんだからね」と言ったらクスッと笑っていました。小さな妹が小上がりで夏休みのドリルをしていたのですが、全然進んでいなくておじさんはちょっと心配になりました(笑)。十割蕎麦は夏休みでなかったのですが、蕎麦は美味しかったです。水もいいんでしょうね。それと地鶏の焼き物が大層美味でした。息子たちが代わり番こに運転してくれるので私はビールを。(中)旧道の古い月の島橋。こういう廃墟があちこちに見られます。(右)大鹿村の中央構造線博物館再訪。ここはお勧めです。

(左)中央構造線の立体模型。地質が色分けされていてよく分かります。ランプで色々表示できたり、断面を上昇させて観ることができます。(中)中央構造線を実際に切り取ったものです。素晴らしい。(右)中央構造線の西と東の違いがよく分かります。前回詳しい説明を聞いたので、今回はパスしましたが。学芸員の河本さんの説明は秀逸です。ぜひお聞きすることをお勧めします。

(左)マイロナイトやチャートなど、各種の岩石標本が並んでいます。単なる石も切断して磨くと非常に美しいものだと分かります。(中)事務所の入り口に岩石見本があって欲しいなと思ったら、石は下の河原で拾ってくださいと(笑)。それはそうです。売るほどあります。で河原で石を探しました。(右)こんな風に色々な石が見つかります。ストーン・ハンティングも楽しい。

(左)そこから大鹿村のほぼ最上部にある信濃宮へ。南朝の宗良親王を祀る神社。南北朝の時代というのは、実に魑魅魍魎が跋扈する時代でした。それが明治維新のクーデターや、安倍売国奴政権まで繋がっているのです。田布施システムで検索を。(中)その帰りにゴールデン・ウィークに泊まった民宿美野鹿の上からの眺め。前回の記事をご覧頂くと花桃が満開の様子が見られます。今回は緑濃い大鹿村。(右)夕方少し前に今夜の宿、鹿塩の湯の山塩館に着きました。前回は怪我をしていて入れなかった塩辛いお風呂が楽しみです。

(左)本当に塩辛いお風呂でした。湯上がりにはシャワーで流すことをお勧めします。でないと塩で体がベタベタします。いいお湯でした。夕食は地物を使った素朴な料理ですが、無化調で素材本来の味が楽しめます。喜久酔の黒純米を頼みました。私は醸造用アルコールが入った日本酒は呑みません。この黒純米は甘露でした。辛口というよりあっさり口です。鹿肉のカルパッチョと鯉の甘露煮がツボでした。(中)これはイワナですかね。アマゴではないような。美味でした。(右)夏野菜の天ぷら。山塩で頂きます。美味。

(左)朝食です。もちろん朝風呂にも入りました。素朴ですがひとつひとつ丁寧に作られています。普段は1日に二食の私ですが、美味しくいただきました。気さくなご主人との会話も楽しいものでした。土産に鹿肉が入った大鹿カリーと山塩羊羹を買いました。大鹿カリーは鹿肉の存在がイマイチだったので、下にある塩の里で買った鹿肉のソーセージを入れたら馬鹿旨でした。山塩羊羹もお勧めです。(中)食後のんびりする息子たち。せせらぎの音が涼しい。(右)チェックアウトして向かった先が小渋ダム。大きなダム湖ではボートを出して釣り人が。

 小渋ダム。アーチ式コンクリートダムで、高さが105m。股間がヒュンヒュンします。高所恐怖症の人はヤバイです。田中康夫旧長野県知事の時代に脱ダム宣言がありましたが。確かにゼネコン儲けの不要なダムもあるのは事実ですし、ダムのコンクリート使用量はいくらでもごまかせると、その筋の人から聞いたこともあります。でも必要なダムもあるのも事実です。ビジターセンターでは、ダムの建設の歴史が見られ、ダムカードがもらえます。
 ダムに下りていく階段が見えますね。私は昔アマゾンのサンタレンの奥地で大きなダムの見学に、しかも夜に行ったことがあって、その時に100m以上の階段をサーチライトを頼りに下まで下りたことがあるのです。怖すぎてもう笑うしかなかったですね。しかもダム湖には大きな穴があって、膨大な量の水が吸い込まれて行くのです。地獄の入り口に見えました。

(左)小渋湖。(中)アーチ式のダムなのでカーブを描いています。ダムの管理事務所もとんでもない所にあります。(右)へっぴり腰の息子たち。まあ演技ですが。でもこの左右を覗き込むと、あながち演技でもないような。

(左)で、高速に乗って安曇野ICで下りて千国街道(糸魚川街道)を北上。混んでいたので途中で山側の道に逃れ、大町の「ちひろ美術館」でトイレ休憩。息子たちが幼いころ訪れました。次男が屋外にある木琴だかの楽器を思いっきり叩いて木琴のバチの玉がどこかへ飛んでいってしまい、探しても探しても見つからずそそくさと後にしました。その節はごめんなさい。彼女があんな粗悪な絵の具ではなく、マッチカラーを使っていたらなと悔やまれます。世界最高の透明水彩絵の具ですが、彼女の時代にはありませんでした。安価で安全で発色が素晴らしい透明水彩絵の具です。これ以上のものはありません。創業者が存命の時に家族で訪れて貴重な話を聞きました。(中)大町の商店街へ。通路の淺井裕介氏の作品はそのままでした。嬉しいですね。(右)昼は大町駅前の「豚のさんぽ」へ。これは長男が頼んだチーズカレー豚ラーメン。なんか見本写真よりカレーが少ないなと、でも美味しかったと。次男は汁なしつけ麺。美味しかったけど麺が負けてるなと。私は辛豚ラーメンを食べたのですが、辛すぎて大変な事になったのでコメントは控えさせていただきます。とにかく信州の店は量が多いので、少食の私には問題なのです。

(左)「大町エネルギー博物館」へ。ここに来た理由は、二つ前の記事で紹介した「北アルプス国際芸術祭」の淺井裕介氏の「土の泉」を観るためなんです。(中)大町市の色々な山や場所で採集した土で描かれた絵。制作にはボランティアの人も参加したそうです。土はそのままでは定着しないのでエマルジョンを混ぜて描いたのでしょう。素朴で非常にいい作品だと思います。(右)博物館の裏庭にある直流と交流の変換器。

(左)「大町エネルギー博物館」は、色々なアトラクションや展示があって面白いです。でも故障して動かないものがあったり。結構アバウトです。夏休みの家族が大勢訪れていました。(中)その上にある大町ダム。いや別にダムマニアではないのですけれどね。(右)大町ダムから大町市街方面の眺め。

(左)で、大町市から温泉を求めて小川村に行ったのです。しかし、星の浪漫館が貸し切りで入れない。よって峠を超えて鬼無里村へ。ところがここのお風呂も休業中。数日前に豪雨にみまわれあちこちで土砂崩れ。そんな鬼無里村に東京があるのです。賀茂神社も。(中)谷の都・東京案内図。これは作り事ではなく実際に京都からここに遷都しようかなとなった歴史があるのです。驚きますよね。ここの取材とレポはいずれするつもりです。興味のある方は検索してみてください。私は貞観の大地震と関係があるのではと思っているのですが・・・。(右)長野市へ戻りますって、ここ鬼無里も長野市なんですが。結局、裾花渓谷を下り県庁近くのうるおい館で入湯しました。ちょっとお値段は高めです。泉質は二種類あるのですが、ひとつは松代の秘湯・加賀井温泉の湯を薄めた感じです。

(左)そして、夕食は長男の勧めで、長野県庁やあちこちの官公庁に入っている「ししとう」へ。(中)直径34センチの皿に入ったあんかけ焼きそば。まあ美味しかったですけど食べきれません。4分の一は息子に食べてもらいました。(右)長男が頼んだ山賊焼き定食。私の3日分ぐらいの量です。というような感じでほぼ信州中を巡った楽しい旅は終了しました。さて秋はどこへ行きましょう。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください
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南信の中川村にある陣馬形山でオートキャンプ。豪雨の中でジビエ料理に舌鼓(妻女山里山通信)

2017-08-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 2015年の大晦日に登った中川村の陣馬形山があまりに素晴らしかったので、盆休みに息子二人とオートキャンプに出かけました。
陣馬形山で360度の大パノラマを堪能。信州伊那谷中川村」2015.12.31

(左)まず伊那のグリーンファームで食材の買い出し。ここはテレビでも紹介されたのでご存じの方も多いでしょう。県外ナンバーの車もたくさん来ます。今回は遠山郷のスズキヤの鹿じん、猪じん。馬のホルモンを買いました。それと朝採りの夏野菜。季節には地蜂の子や山盛りの松茸も並びます。訳の分からない動物園?もあります。ザザムシとかエゴマ油とか骨董品なんかも並んでいます。とにかく面白いマーケットです。(中)朝霧に包まれる陣馬形山。ほぼ山頂に無料のキャンプ場があります。ダンロップのテントを組み立てるのですが、久しぶりなので試行錯誤。これなんだ?これどこだ?(右)それでも陽が射す頃には完成。6人用なので大きいです。前室もあります。タープも付いています。

(左)キャンプ場の入り口から。キャンプ場は4段に分かれていて、一番下に陣取りました。(中)山頂へ向かう途中で振り返った最上段。テントがぎっしりです。(右)陣馬形山山頂。後方は伊那谷。森があるところは天竜川に流れ込んでいる川があるところです。善光寺平とは全く異なる風景ですね。

 山頂から。中央アルプスは雲の中。手前は天竜川。見飽きることのない絶景です。中川村は香坂氏と深い関係にあります。前回の記事の抜粋。
ーーーこの中川村には、縄文時代から人が住んでいた遺跡がありますが、香坂氏(大草氏)が南北朝の頃から土着し、土豪としてこの地を治めていた様です。香坂系図には宗綱の第ニ子宗種、結城合戦〔永享12年(1440年)〕の功により大草郷地頭を賜うとも書かれているそうです。
★香坂(高坂)氏:東信濃の名族滋野氏、滋野三家の一つ禰津氏の禰津宗直の五男貞行を祖とする。香坂は佐久郡香坂(現佐久市香坂)に由来する。
★結城合戦:関東地方で起こった室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間の戦いで、結城氏朝が鎌倉公方足利持氏の遺子(春王・安王)を擁立して幕府に抗したが、将軍足利義教はただちに関東管領上杉氏に討伐を命じ、攻城一年余のあと落城、氏朝は自殺し、春王・安王は殺された。ーーー

(左)山頂近くに咲いていたコオニユリ。グランドシートがないので中川村のJAで買ったり、足りないものを買い足したりに下りました。(中)昼はタイ料理のアゲインへ。(右)そこから見上げる陣馬形山。山頂は左の一番高いところ。このあと望岳荘で温泉に入り、キャンプ場に戻りました。

(左)鶏手羽先のナンプラー漬けの揚げ物。これは絶品。これは作れますね。(中)長男が頼んだ牛肉の黒胡椒炒め飯。激辛ですが美味。(右)私と次男が頼んだトムヤムクンソースで炒めた焼き飯。上に卵焼きが。甘辛酸味の絶妙な焼き飯。

(左)雨が振り始めたのでタープの中で夕食の準備開始です。三人共料理は得意なので準備は流れるように進みます。私は300のオリジナルレシピのサイト「モリモリレシピ」も持っていますし。長男はトウモロコシを焼いています。次男はアンチョビーにオリーブ油を足して夏野菜のピルピルを作っています。(中)炭を起こすのは面倒なので(ゴミも出るし)、イワタニの風防付きカセットコンロと焼肉プレートを持参。写真では分かりませんが、外は猛烈な豪雨です。次男が天気状況を観ると、陣馬形山中心に雨雲が停滞。なんということでしょう。(右)さっと茹でてから醤油を塗って焼いたトウモロコシと、丸茄子・ズッキーニ・パプリカのピルピル。前菜ですが美味しかったですよ。

(左)次にメインディッシュのジビエ。まず鹿肉から。これは馬鹿旨で、アッという間に食べてしまいました。ビールが甘露。(中)夏野菜にピルピルで余ったアンチョビー風味のオリーブ油をかけて焼きます。焼きトマトも美味です。(右)猪を食べてこれは馬のホルモン。おたぐりとかアキレス腱(蹴っ飛ばし)とか。臭いです、でも旨い。猪とこれは締めのうどんに少しとっておきました。

(左)う〜臭い! でも食べてみると旨い。特にアキレス腱のコリコリ感と味は特筆モノです。(中)残しておいた猪肉と馬ホルモンに長ネギをたっぷり刻んでうどん。出汁はアゴ(トビウオ)です。もう馬鹿旨。ビールのあとは奄美黒糖焼酎の「れんと」で。中川村の米澤酒造の「今錦」特別純米酒も美味でした。(右)豪雨を逃れてランタンに綺麗な蛾がやってきました。なんでしょうね。たっぷり食べて、豪雨の音を子守唄に眠りにつきました。2時頃起きると雨は止んで伊那谷の街の灯が見えましたが、すぐに雲に覆われました。

(左)翌朝は6時前に起床。周囲は霧の中。まずデルモンテのスカイツリーでしか買えないという1本1000円の天空のトマト INCA REDを。次に超濃厚なリコピンリッチを。旨いです。(中)朝食は中川村の山のパン屋さんで買ってきたくるみパンで、BLTAE(ベーコン・レタス・トマト・アンチョビー・エッグ)サンド。卵も小さいですが自然卵で濃厚。分厚いベーコンはソテーして。(右)大口を開けてかぶりつきます。これまた馬鹿旨です。

 雨が上がって外はこんな風景です。満点の星空や中央アルプス、南アルプスは見えませんでしたが、楽しい一夜でした。豪雨はもの凄く、避難小屋に避難したキャンパーも大勢いました。わが家はダンロップの大型テントだったので、全く問題なく就寝できました。さて撤収後は下山して大鹿村に向かいました。鹿塩の湯の山塩館に泊まりました。塩辛い謎の温泉。それは次回の記事で。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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