モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

手作り信州麹味噌の仕込みのために大豆の脱粒をする小春日和の週末(妻女山里山通信)

2018-11-24 | 男の料理・グルメ
 4日に収穫し畑に束ねて干しておいた大豆の脱粒をしました。サヤが弾けることもなくいい状態に乾燥しています。小春日和の穏やかな日で、作業は順調に進みましたが、午後になると雲が出始め寒風が吹き始めました。

 畑から見える拙書でも紹介の根子岳と四阿山。前夜に降雪があり薄っすらと白くなっています。こちらも拙書にある中野の高社山も山頂付近が白くなっていました。右手前は、松代の奇妙山。里山の紅葉も盛りを過ぎて盛んに落葉しています。

 一反の畑で作業開始。JAちくまから借りてきた脱粒機。かなり大きな音が出ます。

 作業がしやすい様に大豆を集めました。ひとつの山で作業が終わると、次の山に移ります。

(左)最後にブラジル豆のフェジョン・プレットも脱粒します。フェジョン・コズィード(煮込み)やトマトシチュー、ブラジルのパワーフード、フェイジョアーダにすると最高です。私のレシピ集のMORI MORI RECIPEでも紹介しています。(右)休憩。A氏が作ったフジが瑞々しく美味です。

(左)脱粒された大豆が袋に溜まっていきます。(右)粉塵がかなり凄いのでマスクをして作業。作業は順調に進んで、午後一時に作業は終了。年明けに味噌の仕込みを行います。

(左)お待ちかねの昼食。今回は私が採ったクリタケとムキタケにS氏手作りの黒大豆の豆腐。S氏とK氏手作りのユメチカラのすいとん。他に人参と長葱が入りました。白出汁の醤油味。天然キノコからいい出汁が出て馬鹿旨です。(中)原木栽培している大きな椎茸を焼いて、S氏お手製のしょうゆ・バター・味醂で作ったタレをかけていただきます。椎茸の旨味がもの凄いのです。(右)K氏持参のシードルで乾杯。

(左)体が温まりお腹も満たされたところで、実はこれが一番大変な作業。マルチを剥ぎ取るのですが、枯れ草が絡み、飛散防止の両側の土もあり簡単ではありません。曇って寒風も吹き始めました。以前はマルチを使わない時期もあったのですが、草取りが追いつきません。悩ましい問題です。(中)4時までかかってやっと作業は終了。道具を片付けて解散です。私は冷えた体を温めに戸倉上山田温泉へ。夕食のユメセイキで作るおろしうどんの食材を買って帰る頃にはすっかり暗くなっていました。(右)千曲川の堤防を走ると、長野の恵比寿講煙火大会の花火が次々と上がりました。冬の花火は空気が澄んでいて乾燥していて本当に鮮やかです。停車してしばらく遠花火を観ていました。私は見上げてみる花火より遠花火が好きです。これが終わると北信は本格的な冬に突入していきます。

「しずかさや 外山の花火 水をとぶ」小林一茶
「大名の 花火そしるや 江戸の口」小林一茶
「音もなし 松の梢の 遠花火」正岡子規
「死にし人 別れし人や 遠花火」鈴木真砂女
「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司

「遠花火 歓声もなく 温(ぬく)もなく」
「遠花火 記憶の底に 散る夜かな」
「君の名を 呟いてみる 遠花火」 林風(いずれも自作です)
 色々な想いが交錯する遠花火です。


 翌日、買い物のついでに立ち寄った千曲川の土口水門からの北アルプス。右に双耳峰の鹿島槍ヶ岳。左にやはり双耳峰の爺ヶ岳。仁科三山の二座です。鹿島槍ヶ岳の積雪に陽の光があたって光っていました。暖冬のせいか千曲川には鴨の姿がまだ見られません。河原のドロヤナギはまだ緑です。ススキが微風に揺れています。

 振り返ると斎場山(旧妻女山)から西へのびる長尾根の先端の笹崎。川中島の戦いで上杉軍が布陣した尾根です。よく見ると分かりますが、尾根の先端は削られて崖になっています。千曲川の河川工事に使うために江戸時代に切り取られました。トンネルは、上信越自動車道の薬師山トンネルです。
 紅葉は盛んに散っています。見通しがよくなるこの時期が、山城や山の古墳巡りには眺望が効いて最適なのです。歴史マニアはぜひおいでください。上杉謙信本陣の斎場山や清野氏の鞍骨城がおすすめです。

 長い信州の冬の訪れに、なにか暖かくなれるアウターが欲しいなと探していました。ただ、街中でどこでも見かけるどこぞのダウンパーカーとかは嫌だし、もっと手作り感がある素朴でお洒落なものはないかなと思ってたどり着いたのがアイルランドのアラン諸島の漁師が着るアランセーターでした。しかし、新品は7万ぐらいするので中古を探したのですが、欲しいヘチマ襟のものがなかなか見つからない。やっと見つけたものが写真のスコットランド製のインバーアラン。手編みで防水のため脱脂がゆるいので羊の匂いがします。我が家では私が子供の頃にめん羊を飼っていて、母や私がデザインしたセーターを業者に編んでもらって着ていたのでむしろ懐かしいのですが、人によっては抵抗があるかもしれません。アラン諸島では、各家の主婦が編むわけで、模様の基本は綱や網だったりしますが、家によってデザインが異なるのです。このアランニット、スコットランドのあるひとりの女性が、ひと目ひと目編んでくれたかと思うと、大切に長く着たいなと思います。作った人の静かで熱い想いが感じられる服です。
 次のはペルー製のアルパカ100%のカーディガン。波や鯨の尾や舵輪などインカの模様が描かれています。実は30数年前にボリビアのラパスのブティックで買い求めたアルパカのお洒落なセーターがあるのですが、今でも充分に着られるのです。アルパカの丈夫さと独特の艶が魅力です。工業製品の安いものを数年で着捨てていくか、少々高くても長く着るか。私は後者を選びます。20〜30年前のデザイナーズブランドやアウトドアブランドのウェアを大切に今も着ています。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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晩秋の妻女山。ホダ木椎茸は大豊作。天然のムラサキシメジ、シモフリシメジは不作(妻女山里山通信)

2018-11-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 気温9度。なんだか暖冬のようで寒風もない妻女山へ。そうはいってもそろそろスタッドレスに履き替えないとと思っています。標高の高いところへも撮影に行きますしね。

(左)上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平も落葉が進み晩秋の佇まいです。風が吹く度にチリチリと枯れ葉が舞い落ちてきます。(中)谷の倒木にナラタケの老菌。こうなると食べられません。(右)なんでしょうね。葉の文様は、ウスバサイシンなどと同じカンアオイですねヒメカンアオイでしょうか。

 紅葉も終わりです。黄色い枯葉はダンコウバイ。

(左)倒木にムキタケ。これももう最後です。あとは雪中のエノキタケかな。ムラサキシメジとシモフリシメジは雨が少なく不作。(中)ジコボウ(ハナイグチ)ですが老菌なので採取しません。(右)抗癌作用があるカワラタケですが、これも老菌。これとコフキサルノコシカケやマタタビなど、十数種類を焼酎に漬けて薬酒を作っています。

 昼は横穴式の円墳がある今は亡き友人のログハウスで昼食。前日買った信州サーモンの握り寿司と納豆巻き、しじみの味噌汁で昼食。楓が赤く燃えています。

 彼が鬼籍に入ってもう5年。私もその年令になりました。今年は在京の友人も亡くなりました。人は平等に年を取らないというのは、中国の諺ですが、しみじみと身に染み入る言葉です。寒風が吹くと落葉松の針のような葉がチリチリとアラレのような音を立てて降り注ぎます。

(左)ダンコウバイの黄葉。(中)斎場山(旧妻女山・上杉謙信本陣)。赤く燃えるのはヌルデ。(右)落葉松の林道。今年はジコボウは雨が少なく不作でした。

(左・中)仲間とやっている椎茸の原木栽培はすごいです。出すぎて干し椎茸の製造が間に合いません。大きなものは15センチぐらい。仲間に生椎茸を採っていってとメール。バターソテーとか酒蒸しにすると最高に美味です。(右)戊辰戦争以降の戦没者を祀る妻女山松城招魂社。

 妻女山(旧赤坂山)展望台から松代の眺め。

 妻女山(旧赤坂山)展望台背後にある善光寺地震の慰霊碑。

妻女山(旧赤坂山)展望台から望む善光寺平、川中島。AC長野パルセイロのホームスタジアム。松本山雅優勝。J1昇格おめでとう。長芋のつるを焼く煙がたなびくのもこの季節の風物詩。さて、次の三連休は一反の畑で採れた大豆の脱粒をします。妻女山SDPの作業と納会もあります。忙しい年末になります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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中尾山ハイキングの翌日は一反の畑で大豆の収穫。手作り味噌を作ります(妻女山里山通信)

2018-11-06 | 男の料理・グルメ
 忙しい週末です。中尾山ハイキングの翌日は、一反の畑で大豆の収穫をしました。S氏が前もってビーバーで刈っておいたものを集めて結束して立たせます。こうして乾燥させるのです。

(左)一反の畑は広いです。5人で黙々と農作業に励みます。時々、しなの鉄道や北陸新幹線が通過していきます。ヒヨドリが鳴いています。(中)穏やかなインディアンサマー(小春日和)の日。単純作業ですが地味に疲れます。(右)10時のティータイム。なぜかS氏手作りのおから。美味です。右上の紙コップは、K氏手作りのシードル。これもなかなか美味。

 晴れてきました。右に富士ノ塔山、左に陣場平山。右手前は、ブラジルのパワフルなソウルフード、フェイジョアーダにも使われる美味しいフェジョン・プレットなんですが、まだ緑色のさやも多いので収穫はしませんでした。大豆の収穫ももうすぐ終了します。

 落ち穂拾いをします。もったいないですからね。どれぐらいの収量になるでしょうね。200キロ以上は確実です。また冬の好日に糀味噌の仕込みをします。大豆が非常に旨いのと余計な添加物もないので、非常に美味しい味噌になります。

(左)お待ちかねの昼餉。キノコうどんです。うどんはK氏手作りの、幻の小麦・伊賀築オレゴンの手打ちうどん、具は私が持参した、天然キノコのハタケシメジ、クリタケ、ムキタケ。豚肉と前の畑の私が種を皆に配った、奥多摩の伝統野菜の野良坊菜。実は昔にオランダから伝来したセイヨウアブラナなんです。アブラナ科ですが、他のアブラナ科の野菜とは交雑しません。味噌は我々の手作り味噌。(右)七味唐辛子をかけていただきます。馬鹿旨です。何杯もお代わりしました。

(左)更に、S氏手作りの豆腐を生姜醤油で。(右)K氏手作りのシードル。ラベルもお洒落です。

 農作業も終わったので、ゆるゆると昼餉を楽しみます。昨日の中尾山ハイキングの話や、今後の作業の話など。妻女山里山デザイン・プロジェクトの納会の話なども。

(左)帰る前にたわわに実った渋柿を収穫。(右)私も200個位もらいました。干し柿にしてもいいのですが、柿酢を作ります。ヘタを取って熱湯消毒した樽に入れて和紙で蓋をします。それだけです。柿を洗ったり拭いたりしてはいけません。それが酵母の素です。年明けには柿酢ができています。体にも非常によく、二日酔いにも効きます。柿酢を作り始めてから、酢を買うことはなくなりました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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2018 中尾山ハイキング。紅葉狩りと歴史探索と北アルプスと日本の原風景・棚田を散策。夜交氏(妻女山里山通信)

2018-11-03 | 歴史・地理・雑学
 今年も長野市・川中島と篠ノ井の中尾山ハイキングのインタープリターを務めさせていただきました。通常はインストラクターといいますが、インタープリターは、里山の自然を歴史を含めて解説する更に奥深い、大学レベルの講義に相当する情報を提供するものです。それをできるだけ分かりやすく、面白く解説するのが私の約目です。
 昨年は歴史のハイキングで麓をハイクしましたが、今回は一本松峠の向こう側の旧山布施村夜交まで行きます。

(左)快晴の8時半に出発式。高校時代からの友人で、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーでもあるN氏が今回のコースを説明。この後私が動的ストレッチをみなさんと行い出発です。(中)舗装路を登ってお見合い風呂で有名になった中尾山温泉松仙閣。前方には裾花凝灰岩の白い山が見えます。(右)昨年同様普段は入れない砂防ダムのコースを登りました。真ん中に空間があり、大きな岩や倒木はブロックしますが砂は流れる形式の砂防ダム。

 裾花凝灰岩の白山を借景に燃える紅葉。左下の紅葉はヌルデです。ヌルデの非常に面白い性質は検索してください。聖徳太子とも関係があります。果実の表面にあらわれる白い粉のようなものはリンゴ酸カルシウムの結晶であり、熟した果実を口に含むと塩味が感じられます。信州の山村では昔これを塩の代わりに使用したという言い伝えもあります。江戸時代に女性が使ったお歯黒がこれです。

(左)登山道の真ん中にムラサキシメジ。豆腐と澄まし汁にすると美味です。フランスではピエ・ブルーといって高級キノコです。バターやクリームとあいますが、このキノコのおやきも美味です。(中)今回の最高地点の一本松の峠です。旧今井村と山布施村の山を巡っての抗争の歴史の看板があります。ここで大休止。西側に下ります。(右)里に出る途中のイノシシ牧場。種イノシシでしょうか相当大きなものがいました。我々が来たので興奮して激しく走り回り始めました。この後、この牧場の持ち主が軽トラで登ってきてすれ違いました。ジビエとして市場に出しているそうです。

 森から出て視界が一気に広がりました。わあっと歓声が。北アルプスが一望できます。左に仁科三山(爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳)、右に白馬三山(白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)。その右手前に神話の山・旧中条村の虫倉山。信州の里山の原風景です。おそらく縄文弥生時代の人も、戦国時代の人も、江戸時代の人もこの風景を見ていたのでしょう。こんな美しい風景の中でなぜ人は殺し合いをするのか。愚かです。

 白馬三山と右手前に虫倉山。神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいました。残りの四割にクラックが入り、大地震があれば崩壊必至の状況です。その状況は記事にしていますので虫倉山でブログ内検索をしてください。江戸時代の善光寺地震での虫倉山山体崩壊も記事にしています。ここまでが松代藩の領地でした。

(左)一本松から山布施に下ります。溜池がたくさんあります。埴科更科や塩田平は瀬戸内と並んで、日本で降水量が最も少ない地域なのです。よって先人は溜池を作りました。その数は集落の戸数よりも多いほどです。(中)とある溜池で地元の方のお話を聞きます。この地でどう生きてきたか、この地の自然など。非常に貴重なお話を聞くことができました。交尾中のアカトンボが何組も舞っていました。通常は猪や鹿の被害を防ぐための電気柵を特別に開けていただき畦(あぜ)道を歩きました。(右)そして、夜交の集落へ。

 棚田から見る仁科三山。中央の雲がかかっている鹿島槍ヶ岳は、右の平家の落人が隠れ住んだと伝わるかくね里の谷が、日本で五番目、信州で初めての氷河であると信大の研究チームにより認定されました。鹿島槍ヶ岳の名称の元は鹿島神宮です。現在その麓には鹿島という集落があり、鹿島神社が祀られています。稲刈りが終わって冬支度が始まる里山です。

(左)今回の昼食と交流会の場所。唐木田陶苑です。思い思いに昼食を頂いた後。インストラクターの講演がありました。私は最後に、この夜交(よまぜ)という小さな集落の歴史を話しました。祖を藤原氏とし、中野氏の一族が南北朝時代に夜間瀬氏を名乗ったことを話しました。川中島の戦いで夜間瀬氏は上杉方と武田方に別れたようですが、武田が滅びた後、豊臣秀吉の国替えで上杉景勝が会津へ移封になった際に、善光寺平の土豪は景勝の家臣だったため、家族家来全員を連れて会津に移りました。武田についたもの達が密かに移り住んだのか。どうしても残りたい人々が、山布施の山奥に隠れ住んだのか。その理由は色々推察できますが。これという明確なものは不詳です。幸運なことに夜交在住の方が参加されていて、古い墓石に五輪の塔や宝塔の墓石があることが分かりました。つまりこの夜交の集落は、戦国時代に移り住んだことが分かったのです。夜間瀬では、そのままで分かってしまうので、夜交と改名したのでしょうか。(中)唐木田陶苑の庭からの眺望。ここでは松代焼の陶器を買うことができます。我が家にもたくさんありますが、昔の松代焼は今のものとは釉薬とかが違うのですね。非常に魅力的な作品を作られているので唐木田陶苑で検索してみてください。(右)六地蔵。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を表すものです。

(左)夜交から一本松に戻ります。寒風もなく絶好のハイキング日和でした。(中)山布施のしみじみと心に残る風景。癒やされます。(右)一本松を超えて善光寺平が一望の場所。たわわに実ったリンゴが見事です。一日一個リンゴを食べれば医者要らずといわれます。こんな風景を見慣れているはずの信州人も、この風景を見ると綺麗だな、美味しそうだなと思います。今回のハイキングに参加すると、長野牛乳のミルクと、共和のリンゴがもらえます。来年参加されてはいかがですが。交流会では、拙書の販売もありましたがたくさんお買い上げいただきありがとうございました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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