モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

この夏のゼフィルスやオオムラサキのスライドショー(信州・妻女山里山通信)

2012-10-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 この夏、妻女山山系に発生した蝶達のスライドショーをYoutubeにアップしました。妻女山から斎場山、薬師山、天城山、鞍骨山までですから、2キロ四方位。それなりにかなり広い面積になります。尾根が四方に張り出しているため、東西南北の全ての方向に向いた尾根や谷があり、植生に変化があるのが特徴です。
 特別な希少種がいるわけではありませんが、それなりに多様な蝶たちが、季節の移ろいとともにあちこちで飛び交っています。

 まず最初は、6月から8月にかけて現れる国蝶のオオムラサキ。今年は梅雨明けが遅かったためか、樹液の出がよく、あちこちで樹液が出たため虫達が分散してしまい、昨年の様に樹液バーが大混雑で、樹液争奪戦の激しいバトルが起きるということもありませんでした。樹液バーは、どこも閑散としていて訪れた虫達はゆっくりと樹液を吸っていました。その分撮影は大変でした。

 6月末、まだ樹液がそれほど出ていない時には、森のギャップで落ちた山桑の実が潰れて発酵し始めたのをオオムラサキが吸っていました。また、その桑の実を大量に食べた猪の糞にもオオムラサキは集まっていました。真新しい獣糞は、オオムラサキの大好物でもあるのです。古くて乾いた糞は吸えないので、新しいジューシーな糞に集まるのです。臭いのを我慢して撮影しました。

真夏の果実と獣糞と、樹液バーに集まるオオムラサキ。6月の奇麗な個体から、翅がボロボロになり口吻が切れた個体が出て来る8月まで。襲われた個体も登場します。普通マニアは、奇麗な個体しか撮影しません。図鑑写真ならそれでもいいのですが、生態を写すのであれば、そういう姿も行きている彼らの証し。しっかり撮影する必要があります。そして、ボロボロになった翅で求愛。里山で息づく小さな生命のひと夏の物語です。

Omurasaki butterflies in Japan 2012【オオムラサキ】


 二作目は、初夏から10月まで飛び交うその他の蝶達。今年はウスバシロチョウ(ウスバアゲハ)が、3年ぶりに大発生しました。氷河期の生き残りともいわれる半透明の翅が美しい蝶です。特に逆光での撮影が映える被写体。草高30センチに満たないヤエムグラの下にカメラを潜り込ませて撮影。そして、里山の小さな妖精ゼフィルス。樹上性のシジミチョウの一群で、日本には25種が生息しています。ほとんど3センチ以下の小さな蝶ですが、翅がメタリックカラーのものも多く、魅力的な蝶です。

 他には、海を渡って旅をするアサギマダラや、同じくタテハチョウ科のヒオドシチョウ、ルリタテハなど。地味ですが、ジャノメチョウやセセリも魅力的です。蝶には、それぞれ独自の食草、食樹があり、それらが絶えると蝶もいなくなります。里整備や林道の除草の際には、それらに対する配慮が必要なのですが、実際は全く考慮されずに行われているのが実情です。

Butterflies in Saijo Mountains 2012【妻女山山系の蝶】


 現在、私は仲間達と「妻女山 里山デザイン・プロジェクト」という名称で、オオムラサキを中心とした里山保全の活動をしています。オオムラサキの保護だけが目的ではありません。オオムラサキはきっかけで、里山の生態系全体の保全が目的です。帰化植物も増えています。里山は、昔から人の手が入ることで成り立ってきたので、放置されるとすぐに荒れ放題になってしまうのです。

 では、放置して自然に還るのを待てばいいではないかと思われるでしょうけど、原生林に戻るには400~500年が必要ともいわれています。第一、原生林と接して人々が暮らすのは、色々な問題が発生し困難です。原生林と人里の間には、緩衝地帯が必要です。それが里山なのです。

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上杉謙信と武田信玄「川中島合戦陣取りの図」(妻女山里山通信)

2012-10-12 | 歴史・地理・雑学
 上杉謙信と武田信玄の一騎打ちで有名な「川中島合戦」ですが、その一騎打ちを初め第一級史料がなく、悉く江戸時代のバイアスがかかっているため、物語がまるで史実かの様に語られているのが現状です。そんな中で、以前ブログで、『甲陽軍鑑』元和写本に注目!という記事を書きました。国語学者の酒井憲二氏による『甲陽軍鑑大成』全七巻(汲古書院)です。史料としての価値は低いという評価をくだされていたものは、主に江戸時代に何度も改変された木版本であり、酒井氏は小幡勘兵衛が元和七年に筆写したという、いわゆる「元和写本」を研究対象としています。
 そこには、戦国時代に使われ、江戸時代には使われなくなった甲州の方言があるということなど、国語学の立場から非常に興味深い考察をされています。興味のある方は、ぜひご一読を。県立長野歴史館にも蔵書があります。

 今回紹介するのは、逆に江戸時代のバイアスがたっぷりとかかった絵図です。作者は、榎田良長。調べてはみたのですが、この人物がどこのどういう人かは分かりませんでした。ただ、絵図の千曲川や犀川の流路や谷街道のルートから、この絵図が描かれたのが江戸時代後期ということは分かります。一番上の図で、蛇池というのがありますが、蛇池ができたのは、ここを流れていた千曲川が北へ瀬直しで完全に移された後ですから、1781(天明元年)以降ということになります。

 上杉謙信がなぜ斎場山に布陣したかについては。「上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから」に記したので、ご笑覧ください。現在とは違う、戦国当時の千曲川の流れがポイントです。

 絵図が描かれた目的ですが、江戸時代後期になると、庶民の旅も盛んになり、善光寺参りなどで信州を訪れる旅人も増えました。そんな旅人の土産として木版の「川中島合戦絵図」がたくさん作られ売られました。これらもそのひとつではないかと思うのです。真ん中のみ北が上ですが、一番上と下の二枚は、南が上になっているので、そのつもりで見てください。

 二枚目は、武田信玄の茶臼山陣取図ですが、この茶臼山は現在の茶臼山ではなく、その南にある大正時代に崩れてしまった南峰、有旅茶臼山です。山城が描かれているのですが、非常に詳細な描写がされています。ひょっとしたら、この絵は崩れる前の実際の形をかなり正確に描いているのではないかと思われるのです。

 その理由は、一枚目の絵にあります。これは、上杉謙信が布陣した妻女山です。現在の妻女山は、戦国当時は赤坂山といい、妻女山は斎場山と呼ばれていましたが、『甲陽軍鑑』には誤って西条山と記されてしまい、それが後世まで流布してしまいました。それはともかく、この絵の斎場山を中心とした山系の描写が、実に現実のものとそっくりなのです。絵図にある様に地名を入れられるほど正確に描かれています。赤く細く描かれた山道は、現在でも辿る事ができます。

 ということで、今は崩れてない有旅茶臼山も、同様にかなり正確に描かれているのではないかと思ったわけです。川中島から有旅村を通り、青池村、山布施村を抜けて笹平へ抜ける古道も地元の人なら分かるはずです。山城の跡がどうだったかは、明治生まれの人が健在であれば確認できるかも知れません。古老の談として、山頂には城跡があり、堀切もあったという記述を読んだ事があります。

 三番目は、川中島の全体図です。中央の四角は、合戦が行われた範囲を示しているのでしょうか。絵図はディフォルメされている部分もありますが、かなりリアルで、当時の地形や河川や道路の様子を正確に描写しているのではないかと思います。当時の旅人は、こんな絵図を見ながら川中島合戦の史跡巡りをしたのかと思うと楽しくなります。

ちなみに、江戸後期の旅ブームでは、1831(天保3)年、妻女山に上杉謙信の槍尻の泉で霊水騒動なるものまで起きています。謙信公の霊験灼(あらたか)で、この水は万病に効くと噂が広まり、城下近在、善光寺町、下越後よりも人が押しかけ、大騒動になったというのです。

 上杉謙信の斎場山(誤って西条山)布陣は、『甲陽軍鑑』にも出てきますが、武田信玄の茶臼山布陣は、江戸時代後期の川中島の無名の作者によって書かれた戦記物語 『甲越信戦録』にならないと登場しません。他の史料には全く出て来ないので、これは創作でしょう。謙信が既に斎場山山系に布陣しているのに、わざわざ4キロ以上も離れた茶臼山に登る理由が分かりません。千曲川対岸の横田城を中心として、横に広く斎場山と対峙するのが普通ではないでしょうか。
 斎場山へは、妻女山展望台奥の駐車場から右の林道を15分登って、長坂峠の分岐を右へ3分で円墳のある山頂に着きます。茶臼山へは、茶臼山動物園入り口を過ぎて、信里小学校へ。そこを右折すると茶臼山登山口駐車場。旗塚(崩れてしまった南峰)経由で登山道を15~20分で茶臼山山頂です。但し展望はありません。山頂分岐を直進すると、すぐに北アルプス展望台があります。

■絵図上から『川中島謙信陳捕ノ圖 一鋪 寫本 』『川中島信玄陣捕之圖 一鋪 寫本』『河中島古戰場圖 一鋪 寫本』榎田良長 彩色
出典:東北大学附属図書館狩野文庫(平成20年5月23日掲載許可取得済)流用転載厳禁


★妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」など。このブログでも右上の検索窓に「妻女山」をコピペしてブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。

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■「プルトニウム製造軍需工場が原発」を理解しないと原発問題の核心は見ない。原発=原爆、核ミサイル=宇宙開発。六ヶ所村の再処理設備には、年間800tの使用済燃料を再処理する能力があり、稼働すれば純粋プルトニウムを毎年8t(核弾頭1000個分)生産、原発1300基分に匹敵する核廃棄物を放出する。
兵器搭載可能プルトニウム量は 世界一の国 「日本」   プルトニウム生産拠点は「電力各社」  ミサイル実験は「宇宙開発の名で」 アメリカ 国家安全保障通信社の論文より。原発=原爆、核ミサイル=宇宙開発である史実を知らなければならない。非核三原則を米は嘲笑し、核を持ち込んでいた。もちろん日本政府と官僚は知っていたが、いっさい記録にのこさず証拠隠滅を謀った。
■TPPは、アメリカが破綻しそうなのを、日本の資産乗っ取ることで解消しようというアメリカの戦略以外の何ものでもない。米国公電をウィキリークスが暴露
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キノコのシーズン真っ盛りの信州の里山(妻女山里山通信)

2012-10-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風一過からやっと涼しくなり、朝晩冷え込んで朝露が降りる様になりました。やっと秋のキノコのシーズン到来です。そんなわけで、私が大事にしているシロ(キノコの菌糸があり発生する場所)を回ってみました。キノコ狩りというのは、ただ闇雲に山を歩いていて見つかるというものではないのです。キノコの種類によって発生する時期やタイミング、場所をしっかり把握しておかないと、無駄に時間を取られるだけなのです。

 今年は猛暑の影響で、9月が熱すぎたため、秋のキノコで最初に出て来るサクラシメジ(アカンボウ)、ウラベニホテイシメジ(イッポンカンコウ)が不作でした。そして、ここ2年ほど不作だった信州では一、二を争う人気の時候坊(ハナイグチ)が今年こそは出ているだろうと、そのシロを中心に駆けずり回ったのです。

 結果は、豊作でした。ハナイグチは、傘が開ききったものより、開く途中のものが喜ばれます。虫が入り易いのと、傘の裏にあるスポンジ状の管孔に部分が消化が悪いからです。本来、ハナイグチは外生菌根を形成する樹種がカラマツ属に限定されるため、それ以外の針葉樹の下には発生しないのですが、杉林に発生するものが確かにあるのです。

 傘の色がやや濃いめの他は、落葉松林に発生するものと全く代わりがありません。どういうことなんでしょうね。私は、二カ所ほどハナイグチが発生する杉林にシロを持っていますが、非常に不思議です。ただ、5~10m離れたところに落葉松があるので、それと共生関係を持っているのかもしれませんが、その落葉松の近くには出ないのが不思議です。ところが、今回杉林の縁で見つけた一本は、半径10mの周囲に落葉松はないのです。不思議です。

 ハナイグチを増やすには、9~10 月に、前もって別の林で採取したハナイグチ子実体の管孔層を粉砕し、雨の前日に、水で適度に希釈した液を林床に散布するといいそうです。まあ、そんなことをしなくても、一定の条件さえ揃えば、今年の様に沢山出ますが。数年前に、放置されていたわが家の山林を除伐したところ、翌年には約700本のハナイグチが採れたことがありました。やはり、適度な整備は必要なようです。そして、老菌は採らずに、次の胞子生産源とします。食べられない様なものまで採ってきてはいけないのです。

 獣道しかないような森の奥で、立ち枯れのコナラに、当地では片葉(かたは)と呼ぶウスヒラタケが出ていました。しかし、あるのは6mもの上。ただ見上げるしかありません。そこで思案した後、ガムテープを持参し、キブシの枝を3本つなげて、先にフックを作り、それでこそげ落とすことにしました。これが大成功。20枚余りの大きなウスヒラタケを手にする事ができました。

 キノコは、図鑑や生半可な知識で同定すると、いつか酷い目に遭います。怪しいキノコは保健所に持って行って鑑定してもらってください。そして、福島第一原発の事故後、日本のキノコは汚染されました。

■長野県の野生キノコの汚染状況
小海町豊里チャナメツムタケ32Bq/kgハナイグチ5.6・大町市美麻ハナイグチ21.9
不検出:木曽町日義マツタケ3.7・松本市ハナイグチ、伊那市ハナイグチとヌメリイグチ、南牧村ホンシメジ、南相木村マツタケとハナイグチ、佐久穂町ナラタケモドキ(10月4日県林務部)
南牧村ハナイグチ187Bq/kg・小海町ショウゲンジ129・松本市ショウゲンジ43・佐久穂町ハナイグチ20・佐久市ハナイグチ13(9月6-27日採集)


★キノコの写真は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】でご覧ください。

◉キノコのコラムも掲載の『信州の里山トレッキング東北信編』川辺書林が発売中。平安堂やAmazonで。カラー668枚の写真とコース地図。レアなバリエーション・コースも。

 すでにマスコミやネットの情報で、野生キノコの放射能汚染状況が報告されています。福島の原木や大鋸屑を使った栽培キノコは言うに及ばず、天然キノコも場所によっては非常に危険です。また、腐性性のキノコより、特定の樹木と共生関係を持つ菌根性のキノコの方が、放射性物質を溜め易いことも分かっています。チェルノブイリ後の研究で、除染方法も分かっていますが(下のスライドショー)、高濃度に汚染されたものは、除染しても食べられません。充分に気をつけなければ内部被曝します。内部被曝は、外部被曝の700倍ともいわれています。毒キノコの同定同様、要注意です。

 菌根性のキノコと腐性性のキノコに分けて解説しています。文章が長くて読みきれないときは、ポーズボタンをクリックしてください。



■長野県の栗→小布施町:不検出・下條村:不検出(いずれも検出下限値2.2Bq/kg以下)

■長野県のリンゴ→シナノスイート、シナノゴールド、秋映:全て不検出(いずれも検出下限値3.0Bq/kg以下)サンふじの出荷は11月中旬から


 キノコの汚染と除染については、10月28日(日)に、インストラクターとして参加する「中尾山-茶臼山ハイキング」でもお話しします。講演では、茶臼山の歴史について語る予定です。

■さわやかな「秋の中尾山ハイキング」を楽しもう

【日時】10月28日(日)8:00-8:30受付  ★雨天中止
【集合場所】黒木学園グランド(旧共和小学校)駐車場は、係員の誘導に従ってください
【参加費】ひとり200円(ただし中学生以下は無料)当日お持ちください
【持ち物】昼食、飲み物、マイ箸、シート、雨具、杖(あると便利)
【コース】
●一本松コース(黒木学園-中尾山-茶臼山-植物園-恐竜公園-黒木学園)約8キロ インストラクターと歩く秋の里山。キノコも採れるかな。アルプス展望台も。(私は、こちらを担当します)
●山麓アップルコース(黒木学園-共和園共-光林寺-恐竜公園往復)約4キロ リンゴ畑の中をゆっくり歩こう
【交流会】正午から。お昼を食べながら(キノコ汁提供)、インストラクターの話を聞いたり、歌を歌おう
【問合せ・申し込み】あいの島会館
【TEL】 050-3583-0890


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