モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

斎場山でニホンカモシカのシロの子供に出会った小春日和の午後(妻女山里山通信)

2016-11-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
 小春日和の週末の昼近く、斎場山(旧妻女山)へ久しぶりに登ってみました。狩猟が始まったので、イノシシ狩りのハンターが2グループ入っていました。猟犬がどこかへ行ってしまったというハンターと長坂峠で談笑。途中で採ったというヒラタケとナラタケを見せてくれました。陣馬平を知らないというので拙書を見せて説明。犬は戻ってきたのですが、リードがなくて繋げません。仲間の車が来るのを待ちました。
 この季節、ハイカーは目立つ服装でホイッスルを携行し、銃声が聞こえたら吹いて存在を知らせてください。上から撃つので尾根の登山道を歩いているなら大丈夫です。妻女山山系では、主に天城山北西部の谷で狩猟が行われます。ハンターに出会ったら、これから向かうルートを説明し、仲間に無線で知らせてもらってください。

(左)斎場山山頂。山頂は、第四次川中島合戦で上杉謙信が本陣としたと地元で伝わる場所です。(中)山頂は古代科野国の古墳。円墳なので丸く平らです。落葉して北面の飯綱山や戸隠連峰が見える様になりました。(右)南方を見ると、右奥に天城山(てしろやま)、左に謙信が七棟の陣城を建てたと伝わる陣馬平の高い落葉松林。

 北側に戻ると下から視線を感じました。見下ろすと白いニホンカモシカが一頭。まだ子供です。グレーの子供を陣馬平で目撃したので、2月に出会った時に、お腹が非常に大きかったシロはやはり双子を産んだ様です。シロの母親も、シロとクロ(オス)の双子を産みました。シロはおそらく2007年生まれで、2011年に双子、2014年に一頭、そして2016年にまた双子を産んだというわけです。シロは夏毛が白いのでシロと呼んでいますが、冬毛は濃い灰色です。この子供は既に冬毛ですが、凄く白っぽい。とりあえずマッシロと呼ぶことにしました。個体識別のためです。しかし、野生動物なので触れたり餌付けは絶対にしてはいけません。
妊娠中のシロ(2016年2月)ニホンカモシカのスライドショー2本も

 警戒心よりも好奇心の方が強い様で、じっと私を見ています。レンズを替えるから待っててねと話しかけながら古墳を下りて近寄ってみました。目の下の涙袋の様なものは眼下線で、蹄間線からも出す粘液を木の幹や岩などにこすりつけて縄張りを主張します。同性の縄張りは重なりませんが、成獣のオスの縄張りは広く、メスのそれと重なることもあります。ニホンカモシカといいますがシカではなくウシ科。しかし、これだけ白いとヤギと間違えそうです。

(左)少し飽きたのか横を向いたり。(中)何か気になるのか別の方向を見たり。(右)オーイと呼ぶと振り返りました。額に茶色い毛があるのは、母親のシロと同じです。

 大丈夫そうなのでさらに近づいてみました。距離は4mぐらいです。最初の方のカットより、表情が柔らかくなっているのが分かるでしょうか。この個体がオスなのかメスなのか気になります。なんとなくこの柔らかい表情からメスかなと思いました。ニホンカモシカは、オスメス共に角があるので、判別が難しいのです。体長は100〜120センチで、体重は30〜45キロほど。昔は標高1500〜2000mの深山へ行かないと見られないといわれましたが、標高400mほどの妻女山でも見られるということは。天然記念物になったり、天敵だった狼も絶滅して個体数がかなり増えているのでしょう。長野県や岐阜県では、林業被害防止のために一定数が駆除もされています。

(左)すると、腰を下げて小便をし始めました。これで分かりました。間違いなくメスです。オスは立ったまま用をたします。たくさん溜まっていた様で、かなり長い時間していました。(中)終えると少し歩いて足元の枯葉を食べました。妻女山山系での冬の餌は、ヤブソテツやリョウメンシダ、青い三葉木通の葉やヒノキの葉など。ひとつのものを集中的に食べることはしません。(右)別に笑っているのではなく、反芻しているのです。
 秋に交尾をし、初夏に出産します。半年で離乳するそうですが、夏頃一頭で草を食べ歩く、双子のもう一頭を見かけたので、授乳されながらも採食歩行も始める様です。2〜3歳まで母親と一緒にいますが、採食歩行のルートは別々の場合もあり、ある時間になると同じ場所に集まっているのを見かけます。

 彼女の祖母は、マダムと呼んでいました。初見が2002年の夏で、その年に生まれた様です。2011年の1月にはシロと一緒のところを目撃しました。2012年には見なくなったので、寿命は約10年ということでしょう。カモシカの毛皮は保温性や防水性が高く、尻皮として利用され、肉は食用となりました。カモシカの呼び名は全国各地に沢山あり、アオジシ、アオ、踊り獅子とか肉馬鹿、単に肉なんていうのもあります。

 反芻はこの様に立ったまますることもありますが、普通は座ってします。しかし、積雪が深い時は立ったまますることが多く、これを「アオの寒立ち」といいます。ニホンカモシカはまず鳴きません。近づきすぎるとシュッ!と威嚇音を出しますが、これは強い鼻息で鳴き声ではありません。以前一度だけ子供が母親を呼ぶ鳴き声を聞いたことがありますが、グエーッ!という様な、ヤギかヒツジがだみ声で鳴いたような感じでした。

(左)そろそろ私にも飽きた様で、歩き出しました。そこで「ちょっと待って!」と声をかけると立ち止まって振り向きました。(中)しばらく口をモグモグさせながらそこにいましたが。(右)やがてゆっくりと谷底へ下りて行きました。30分もモデルをやってくれて感謝です。
 下記の拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の『「森の哲人」ニホンカモシカの好奇心』というコラムの中で、「昔、ニホンカモシカは群れを作っていたのではないか」という仮設を、『遠山奇談』を取り上げて書いています。興味のある方はぜひお読みください。

(左)陣馬平の落葉松の黄葉も風が吹く度にチリチリと雨を降らせます。(中)江戸時代の峠、東風越えに戻って、現在の峠、長坂峠を右に見て、左奥に斎場山。(右)長坂峠から北方の川中島方面。落葉して飯縄山や戸隠連峰がよく見える様になりました。

 妻女山(旧赤坂山)から、茶臼山と右奥の虫倉山、北アルプスの白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳が綺麗に見えました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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信州、善光寺平にも初雪。冬景色を求めて妻女山から陣馬平へ撮影に行きました(妻女山里山通信)

2016-11-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 11月の降雪は54年ぶりという東京ですが、ほとんどの人は降ってもみぞれかな位に思っていたのではないでしょうか。所謂上雪(かみゆき)なので、善光寺平でも南部の方が積雪が多かった様です。昼頃、所要のついでに妻女山へ寄ってみました。今年は早めにスタッドレスに交換しておいて正解でした。ただこの雪には放射性物質が含まれています。濡れたり食べたりは厳禁です。喜んでいる場合ではありません。

 妻女山(旧赤坂山)展望台から見る松代方面。上信越自動車道や下の国道403号は、路面に雪はなく順調に流れていました。降雪を知らずに東京方面から冬タイヤをはかずに車で来てしまった観光客は焦ったかもしれません。

 展望台から茶臼山方面。中腹から上は雪雲の中です。横に広がる黒い筋は千曲川。

(左)妻女山展望台。積雪は10センチぐらい。ブーツで階段の除雪をしました。(中)その南にある戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社。(右)そのすぐ南にある駐車場。普段なら休憩する会社員の車が何台かあるのですが、流石に誰もいません。

(左)ここから右の林道を登って行きます。(中)湿雪なので、途中落葉松や山桜の落枝が度々あり、それらを片付けながらゆっくりと。(右)長坂峠から見る斎場山(旧妻女山)。山頂は謙信本陣跡と地元で伝わる古代科野国の円墳です。

 長坂峠から北の善光寺平を俯瞰。中央にAC長野パルセイロのホームスタジアムが見えます。冬の信州に来たら、ぜひ「おしぼりうどん」を食べてください。信州でも更科と埴科だけで食べられる郷土料理です。坂城のねずみ大根や信州地大根などの「あまもっくら」といわれる甘みのある激辛の地大根の絞り汁に味噌を溶いて地粉で打った熱々の手打ちうどんを食べる料理。箸休めは野沢菜の本漬けで。こたつに入って熱燗で一杯。

(左)さらに300mほど車を進めて、謙信陣城跡と伝わる陣馬平へ。貝母の群生地です。ヨシの根とノイバラの根を除去して、種を蒔いたり球根を埋めたので、来春どれだけ増えるか楽しみです。(中)鮮やかな緑は、山桑。(右)森の珊瑚と私が呼んでいるクマノミズキ。

 陣馬平全景。手前は旧建設省の菱形基線測点。4つでワンセットで、全国に16箇所あります。雪は昼頃には止み、午後3時過ぎには山の木々の樹上の雪もほとんど消えました。木にも体温があるからです。広葉樹の方が早く消え、赤松などはまだ残っています。明朝の最低気温は、−6.4度。晴れて放射冷却で相当冷え込みます。雪がなくても路面の凍結には充分注意してください。ブラックアイスバーンは、スピードを出していたらスタッドレスも効きません。もうひとつ怖いのは積もった落ち葉。これもスタッドレスは無力です。下が凍結していたり泥濘状態だと止まりません。安全運転を。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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一反の広い畑の大豆の収穫は重労働。勤労感謝の日、信州に冬が訪れました。長野えびす講煙火大会(妻女山里山通信)

2016-11-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
 6月上旬「カッコウの鳴く日曜日、一反の畑に大豆を蒔く。私はだだちゃ豆も」(妻女山里山通信)7月上旬「炎天下の農作業。久しぶりの陣馬平や妻女山、斎場山。オオムラサキがいない」(妻女山里山通信)についで、大豆の収穫となりました。朝は霧雨でした。

(左)一反の広い畑の大豆の収穫です。まずスコップで根から掘り起こしました。前日の雨で土が湿っていて重労働。効率がすさまじく悪いです。(中)一輪車に載せてハゼ掛けの場所へ運搬。もの凄く効率が悪いです。(右)ハゼを立てて稲わらでくくってハゼ掛けしますが、効率がすさまじく悪いです(笑)。

(左)それで、急遽根本から大きな剪定バサミで切る方式に変更。作業スピードは倍以上になりましたとさ。スバル・サンバーの四駆でぬかるんだ畑も楽々。切った小豆を収集しました。時折、北陸新幹線が轟音を立てて通り過ぎます。しなの鉄道やJR東日本の列車も。深い霧で周囲の里山も見えませんが気温は高めです。(中)どんどん集めて大豆が山になっていきます。(右)午前中で集める作業は終了しましたが、これを全部ハゼ掛けしないといけません。なんとかなるでしょう。

(左)ということで昼食。結構重労働なので腹が減っては戦はできません。K氏のおにぎりに、S氏の豚汁に、私の煮てきた前回のブログで紹介した8種類のキノコの煮物を加えて、野手豊かな豪華な熱々豚汁。(中)働いた後のおにぎりと豚汁は最高でした。食後は農業談義や林業や里山保全の話、、まあ色々。柿酢の出来具合や自家製どぶろくの話、味噌作りの話など。いかに大企業の既製品に頼らず自活自立していくかの話など。(右)たっぷり作った豚汁もアッという間になくなりました。最後の遠慮の塊も完食。

 今後これを脱粒して乾燥させなければなりません。そして味噌の仕込み。きな粉も作りますかね。昔の人は普通にこれをしていたわけですよ。農薬も化学肥料もなく。中国産の農産物が農薬まみれといいますが、日本は中国、韓国についで世界第三位の農薬使用国です。しかも、価格が高いために中国ではあまり使用されない猛毒のネオニコチノイド系農薬やグリホサート剤が大量に使われています。農家も売る野菜には美しく規格品に揃えるために農薬を大量に使いますが、自家製は無農薬、無化学肥料で育てている人が増えています。結局は消費者が気付き声を挙げなければ何も変わらないのです。加えて放射能汚染、環境ホルモン、食品添加物。

(左)収穫した大豆を藁や麻ひもで結束してハゼに掛けて行きます。これも結構大変な作業。前日に降雨があったので結構重いのです。(中)それでも人海戦術で作業は進みます。(右)3時には終了しました。こぼれた大豆を拾って乾煎りしてみましたが、これが相当美味。後引きの旨さです。

(左)そして勤労感謝の日、突然の冬型気圧配置で寒風の中を妻女山奥へ。堂平大塚古墳へ下る林道。この数日で一気に落葉。(中)倒木にムキタケと隣合わせでヒラタケ。(右)別の倒木にはクリタケかと思ったら傘にヌメリがあったのでナラタケ。ナラタケは色々種類があり、細かな同定が難しいのです。

(左)狂い咲きのヤマツツジ。10月と11月が思いの外暖かく多雨だったので、タンポポも咲きました。(中)堂平大塚古墳の今は亡き友人が植えたイロハモミジも色付きました。(右)古墳から見上げる天城山(てしろやま)。北風が吹く度に落葉松の葉の雨がチリチリと降ってきます。陣馬平に戻ると男性がひとり、鞍骨城跡へ向かって行きました。初めてというので拙書を出して地図で色々説明しました。この時期はまだ月輪熊の心配はありません。出てくるのはクリスマス頃です。

 堂平大塚古墳から西の展望。北アルプスが望めない代わりに手前の里山が見えました。長者山辺りでしょうか。千曲川は例年ならば渇水期ですが、今年は多雨で多めです。

 長坂峠から善光寺平。長野オリンピックの開会式閉会式のスタジアムが見えます。北風が相当強いので木々の葉が激しく揺れています。

 妻女山展望台から。今夜は「長野えびす講煙火大会」です。展望台には撮影に来た県外ナンバーの車が2台いました。私は家の2階から遠花火を観ます。
遠花火 長野えびす講煙火大会(妻女山里山通信)
長野えびす講煙火大会 遠花火(妻女山里山通信)
「しずかさや 外山の花火 水をとぶ」小林一茶
「大名の花火そしるや江戸の口」小林一茶
「音もなし 松の梢の 遠花火」正岡子規
「死にし人 別れし人や 遠花火」鈴木真砂女
「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司

「遠花火 歓声もなく 温(ぬく)もなく」
「遠花火 記憶の底に 散る夜かな」
「君の名を 呟いてみる 遠花火」 林風
 色々な想いが交錯する遠花火です。

 今年の花火は帰郷して以来、最も地味な大会でした。目立った新作花火もなくスターマインも大花火も地味。心底不景気だと分かります。

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燃える秋その二。キノコ狩りと撮影に妻女山山系へ。粘菌のマンジュウホコリを発見(妻女山里山通信)

2016-11-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今日は冷たい雨の信州ですが、明日の最高気温はなんと18度。仲間と農作業をしないといけないのですが、これは汗をかきそう。昼は仲間の手作りのおにぎりと、別の仲間の作る豚汁に私が作っておいた天然キノコの煮物を加えます。

(左)森の貴婦人ムラサキシメジは、初めは写真の様に鮮やかで濃い紫なのですが、時間が経つと色が抜けて薄くなってきます。傘にベッタリと濡れた枯れ葉が付いていないものは土臭くありません。(中・右)シロシメジと思ったのですが、薄茶褐色が斑状ではなく中心部にあるため、臭いシロノハイイロシメジかも知れないと匂いを嗅いでみました。シロノハイイロシメジは、加熱するともの凄く臭いのですが、実は生の状態でもよく嗅ぐと刺激臭があるのです。これはシロシメジでした。

(左)前回まだ小さいので残してきた天然ナメコ。ちょうど食べごろの大きさになっていました。4m位の長さに群生しています。(中)今年は雨が多いせいかムキタケも長く採れます。薄いオリーブ色のものや黄色味が強いもの、黒に近いものなど色々な傘の色があります。(右)ムキタケと同じ倒木にあったムキタケそっくりなキノコ。サーモンがかったオレンジ色で、傘の裏もムキタケと同じく筋状。しかしムキタケの様に皮は剥けずムキタケではありません。調べましたが同定できていません。なんというキノコでしょう。

 立ち枯れのコナラの根本近くに粘菌(変形菌)のマンジュウホコリ(ドロホコリ科 ドロホコリ属)を発見。初め中は白っぽいクリーム状ですが、やがて胞子ができると写真の様なココア色になります。良く観ると、中に小さななにかの幼虫がいます。双翅類の昆虫が産卵し、変形体や胞子を食べ、やがて飛び立つのだそうです。その時に翅や体に胞子を付けていくのが胞子散布の役目をしているとか。他には、風、水、甲虫、ダニ、鳥などにより散布されるそうです。

 堂平大塚古墳下の落葉松の黄葉。風が吹くと、チリチリと音を立てて落葉松の葉の雨が降ります。そして林道がオレンジ色に染まって行きます。非常に美しいのですが、カラカラに乾いた枯葉は雪よりも滑るのです。スタッドレスも効きません。晩秋の高原などを走る時、路面に落ち葉が積もっていたらスピードを落とさないと危険です。

(左)落ち葉に隠れたシロシメジ。ネットや図鑑で調べると苦味があると書いてあるのですが、妻女山山系で採れるものには苦味がありません。白菜や豚バラ肉と鍋にすると極上の出汁がでて美味です。(中)落ち葉に隠れたシロノハイイロシメジ。写真では見分けがつきません。同定が難しいためか、シロシメジ狙いで山に入る人はほとんどいません。(右)鮮やかな紫のミツバアケビ(三葉木通)の実。既に実は割れていて種も落ちています。苦味があるためか、動物もほとんど食べない様です。

 昔の峠、東風越(こちごえ)から、右に現在の長坂峠と左奥に斎場山(旧妻女山)。やや遅れ気味だったコナラの黄葉も一気に進みました。エノキの根元では、オオムラサキの幼虫が枯葉の布団の下で眠っているはずです。

(左)上杉謙信の本陣跡と伝わる斎場山。山頂は古代科野国の円墳です。夏は葉が生い茂り見通しが効きませんが、落葉期になると川中島が見えます。ここから川中島の戦いの想像を巡らすのもいいでしょう。(中)斎場山から南にそびえる天城山(てしろやま)の眺め。武田別働隊は、あの山を巻いて斎場山各所にいると思われる上杉軍に攻め込んだといわれています。実際はもぬけの殻でしたが。(右)そこから西へ100mほど行った御陵願平にある大きなイノシシのヌタ場(泥浴び場)。15日から狩猟が解禁になったので、おちおち泥浴びもできないかも知れません。狩猟は猟犬で谷の下から追い上げて、上から撃つという方法で行われます。2月15日までの狩猟期間中は、目立つ格好で、熊鈴以外に存在を知らせるホイッスルを携帯してください。冬でもたくさんハイカーやバードウォッチング、MTBやファットバイクなどの人が登りに来ます。今回はここから更に西へ、土口将軍塚古墳まで行きました。

(左)斎場山から西へ約500mほど尾根を下ったところにある土口将軍塚古墳。古墳時代中期に作られた全長67.7mの前方後円墳です。写真は後円部。(右)長野県史跡の看板と説明がありますが、現在は埴科古墳群として、森将軍塚古墳などと共に国指定史跡になっています。(右)後円部上から前方部を見たところ。奥に御陵願平と斎場山が見えます。

 妻女山(旧赤坂山)展望台から、この時期の松代の名物、長芋のつる焼きの煙。この日は少ない方で、戸隠連峰も飯縄山もよく見えますが、最盛期にはスモッグの様になり、北東の強風が吹くと、上信越自動車道の薬師山トンネルの中が煙で充満するほどです。この日は絶好のハイキング日和だったので、鞍骨城跡へも一組のご夫婦と一人の男性が登っていきました。最近は全国から歴史マニアや歴女、山城マニアが訪れます。拙書で詳しく紹介していますが、妻女山駐車場から約100分です。標識も完備しているので、迷うこともないのですが、天城山の尾根が十字に出ているので、ちゃんと確認せずに迷う人がたまにいます。

(左)やはり展望台から東の松代方面。『真田丸』の真田信之人気で、松代城や真田宝物館は大賑わいです。その流れで妻女山を訪れる人も増えています。私のブログ記事『「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」』へのアクセスも増えています。(中)妻女山松代招魂社のソメイヨシノの葉は全て落ちました。枯葉の絨毯が広がっています。(右)久しぶりに手打ちうどんを作りました。友人が作った幻の小麦、イガチクオレゴン(伊賀筑後オレゴン:通称イガチク)に地粉とオレゴンをブレンドしました。前日に打って足で踏み込んでねかせます。小野式製麺機でのしましたが、太麺にしたかったので切るのは包丁で。天然キノコは8種類。ジコボウ(ハナイグチ)、ムキタケ、ナメコ、クリタケ、ヒラタケ、クリタケ、ムラサキシメジ、シロシメジ。汁は濃そうに見えますが、キノコの色が出ているため。味は関東風と関西風の中間ぐらいです。亡き父の形見である彼が生前に作った七味唐辛子をかけて。8種類のキノコの旨味が合わさって極上の味に仕上がりました。寒い夜は熱々のうどんが最高に温まります。




『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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燃える秋。シロシメジ・シロノハイイロシメジ・ナメコ・ムラサキシメジの宴(妻女山里山通信)

2016-11-14 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ここのところ最高気温はやや高めですが、朝晩は霜が降りる様になって遅れていた里山の紅葉も進みました。晩秋のキノコを求めて撮影がてら妻女山山系を巡ってみました。

(左)食菌のシロシメジ。白い傘に薄茶の斑模様があります。妻女山山系では割りと希少なキノコですが美味です。よくいわれる様な苦味は、ありません。傘は最初内巻きに巻いていますが、時間が経つと写真の様に縁が開きます。旨味成分は、松茸の2倍以上といわれるホンシメジ(大黒占地)とほぼ同じ。得も言われぬ旨さです。(中)シロシメジと間違いやすいシロノハイイロシメジ。白い傘の中心に灰褐色の色があります。シロシメジと非常に似ていますが、熱を加えると臭くてとても食べられません。アメリカではスカンクの臭いといわれているとか。間違えて1本でも鍋に入れたら全部捨てることになります。(右)苔むしたコナラの倒木に天然のナメコが一面に出ていました。栽培のものよりヌメリが強く味も濃厚です。湯がいてこれのおろし蕎麦は超絶美味。ほとんどがまだ幼菌だったので残してきました。誰も入らない深い谷なので先を越される心配もありません。

(左)晩秋の森の貴婦人、ムラサキシメジ。本当に美しい高貴な紫色ですが、この貴婦人はたいていお腹に蛆虫を飼っています。キノコを食べている小さな蛆虫で、食べても問題ありませんが、塩水に浸けて追い出します。たいてい軸の中に潜んでいます。豆腐と清し汁にすると本当に上品で美味ですが、フランスではピエ・ブルーという高級キノコで、クリームやバターとも合います。今回は100本以上採れました。(中)山桜の倒木に大量のムキタケ。やはり強いヌメリがあるハナイグチと一緒に煮込みうどんにすると絶品です。(右)コナラの倒木にアラゲキクラゲ。出たばかりで小さいものですがたくさん採れました。

(左)第四次川中島合戦の上杉謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。全国から歴史マニアや歴女が訪れます。(中)斎場山山頂。斎場山古墳で古代科野国の円墳です。拙書では写真と共に詳しく紹介しています。(右)松代夢空間の春の「妻女山 花と歴史のハイキング」で皆さんを案内した御陵願平にある大きなイノシシのヌタ場(泥浴び場)。雨が多いので水が満タンですが、足跡を見るとそう大きな個体はもういない様です。

 燃える秋。斎場山への長坂峠から、謙信の陣城跡で我々妻女山里山デザイン・プロジェクトが保全活動をしている貝母の群生地がある陣馬平への途中の紅葉。赤いのは山桜で黄色はダンコウバイやコナラですが、コナラの黄葉は少し遅れています。

(左)天城山(てしろやま)の西に連なる芝山。この芝とはたぶんこの山に多いカンスゲかと思われます。今は亡き大事な山仲間だったKさんのログハウスの落葉松も黄葉しています。Kさんの弟さんと会社の方が二人いらして、美味しいキノコうどんをご馳走になりました。もちろん天然キノコです。(右)ログハウスから見上げる天城山。ヒヨドリの甲高い鳴き声が谷に響き渡ります。

(左・中)林道の脇にあった黄色いキノコ。調査中ですが、まだ同定できていません。ムラサキシメジの群生の中に見つけたマムシグサの真っ赤な実。誤って食べると口内が酷くただれます。虫も鳥も食べない冬に残っている実は、ほぼ全て毒と思って間違いありません。ヒヨドリジョウゴやアオツヅラフジも有毒です。

 戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社。本来ここは赤坂山なのですが、国土地理院が地形図を改定した際に妻女山としたために、現在はカーナビでも妻女山と打つとここが出ます。しかし、ここは謙信の本陣と伝わる場所ではありません。本陣は斎場山(旧妻女山)です。
 戊辰戦争の会津戦争は、信州人同士の戦だったという歴史の悲劇です。上杉景勝の会津転封で、善光寺平の土豪達は家族家来が全て会津に移りました。加えて徳川家光の時代に、伊那高遠藩の保科正之が家光の腹違いの弟と判明し会津に転封。また信州人が行きました。この時、我が一族のものが同行し、後に豪商となって会津藩を支えました。会津は信州人が造った町ともいえるのです。また、妻女山麓にある会津比売(あいづひめ)神社の祭神である会津比売命と、福島の会津は古代において深い関係があるのです。ガイドでは、そんなこともお話しています。そして会津戦争で会津若松城をメリケン砲で攻撃し白虎隊殲滅に加わったのが松代藩でした。戦はいつの世も悲劇しか生みません。

 妻女山展望台から松代方面のパノラマ。3枚の望遠カットをフォトショップで合成してあります。左に奇妙山、右に保基谷岳。真ん中の奥に根子岳と四阿山(あずまやさん)。四阿山は真田の修験者が篭って修行した名山です。山頂には、麓の真田氏が尊崇した山家神社の奥宮が二つあり、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が里宮に現存しています。宮司さんとは縁があり、拙書でもその歴史を詳しく紹介しています。右手前のプリン型の山が皆神山。その手前の長い尾根が佐久間象山の名前の由来となった象山。象山の山名は、江戸時代初期の禅僧隠元禅師に由来します。京都宇治市には、隠元禅師開山の萬福寺があります。日本にいんげん豆やスイカをもたらした禅僧です。

 西北西を見ると白馬三山。右奥に神城断層地震で山頂が4割崩壊した虫倉山。その手前左が茶臼山。中腹は自然植物園や動物園、恐竜公園があります。手前の畑では、松代名産の長芋の収穫が進んでいます。とろろはインフルエンザの予防効果や膵臓癌の予防効果があるそうです。長芋100%のお好み焼きは美味です。展望台には、『真田丸』の効果で全国から歴史マニアや歴女が訪れます。週末も埼玉や神奈川、山梨からたくさんの観光客や歴史マニア、歴女が大勢訪れました。ボランティアでガイドをし、拙書も紹介しています。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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松代夢空間主催「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」寒風の中、古代科野国の史跡を巡るロマン。キノコ狩りも(妻女山里山通信)

2016-11-07 | 歴史・地理・雑学
 6日の日曜日、松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」のインタープリターをしました。総勢20名と春の貝母鑑賞の参加者50人に比べると少なめでしたが、信毎に告知記事が出たのが3日で、その日が締め切りというのも影響したのかも。ただ、今回のコースは獣道や藪山を辿るものであったため、超初心者にはきついコースで、この人数ぐらいがよかったかも知れません。来春はまた満開の貝母を鑑賞するコースを計画しています。今年は平日だったため、参加できませんでしたという声を大勢の人(特に女性)から聞きました。できるだけご希望に添えればと思います。こちらは、また林道歩きや広い登山道がメインとなるため、50〜60人ぐらいでも大丈夫でしょう。中尾山-茶臼山ハイキングがそれぐらいか、それ以上です。その場合は、3班に分け各班にガイドが付き、先頭がインタープリターの私で、最後尾にひとりガイドを付けるといいでしょう。来春は貝母はもちろんですが、土口将軍塚古墳にお連れしたいと思います。

(左)9時15分までに集合で受付をしてもらいました。皆さん時間厳守で早めに集合して頂いたので、挨拶と注意事項のあと軽く動的ストレッチをして、予定より早く出発しました。(中)長坂峠までの林道歩きでオヤマボクチの説明。飯山の富倉蕎麦のつなぎに葉の繊維が使われます。(右)そのオヤマボクチの残花というか、恐らくもう結実していますね。

 まず15分で長坂峠。ここで本当の妻女山、本名斎場山の説明をしました。古代科野国の円墳で、上杉謙信の本陣と伝わる山頂です。そこから15分で土口側に下りて堂平大塚古墳。当日は寒風が強く曇り空で見えませんでしたが、晴れていれば上の写真の様に、北アルプスの仁科三山や白馬三山が綺麗に見えます。眼下には千曲川の清流。ここは友人の私有地で普段は立入禁止なのですが、事前に許可を得ています。

(左)堂平大塚古墳。古墳時代後期のもの。横穴式で複数の埋葬ができます。学者によっては百済の様式といいう見解もあります。(中)春のハイキングはここで引き返しましたが、今回はこの裏山に登ります。ここからは獣道です。ジコボウがいくつかあり、古墳の持ち主に許可を得ていたので、欲しい人には採取してもらいました。裏が黄色いものは食べられますが、茶褐色のものは食べられません。(右)急斜面の獣道を辿ります。この獣道はニホンカモシカが作ったもので、それを人間が利用しているのです。

(左)獣道すらなくなった急斜面を登って積石塚古墳群へ(事前に草刈りをして道っぽくしておきました)。有名な大室古墳群と同じ様に、積石塚があるのですが、ここに来る道がないため、地元の人でも知る人はほとんどいません。積石塚古墳はツングース系の騎馬民族の様式らしく、全国には20万基の古墳があるのですが、積石塚古墳はたった1%。しかし、信州では25%もの積石塚古墳があるのです。ここではそんな古代科野国の話や高句麗、百済、新羅、伽耶の話をしました。
(中)そこからまた獣道を歩いて、私が残しておいたムキタケのシロに案内しました。皆さん夢中で採っていました。このシロは出始めて4、5年経つのでそろそろ出なくなると思います。多孔菌科のキノコが出だしたら終わりでしょう。ムキタケは、ハナイグチなどと鍋や煮込みうどんに入れると絶品です。(右)たくさんキノコを採って最終目的地の天城山(てしろやま)へ向かいます。

(左・中)今回の最高地点、694.6mの天城山山頂。坂山古墳がありますが、戦国時代の天城城跡でもあります。石室は破壊されています。これも南面に石がないので堂平大塚古墳と同様に横穴式だったのかも知れません。(右)ダンコウバイの黄葉の登山道を下ります。この前に尾根上にある清野古墳の説明もしました。タヌキの溜糞もありました。

 時間に余裕があったので私が主宰する妻女山里山デザイン・プロジェクトで貝母の保全活動をしている陣場平に立ち寄りました。ここは、『甲陽軍鑑』の編者の小幡景憲が『河中島合戰圖』(東北大学狩野文庫)で、この陣場平に上杉謙信の七棟の陣小屋を描いていますが、地元の伝説とも符合します。手前の八角形のコンクリートは、旧建設省が測量のために設置した菱形基線測点です。中央やや左の木の上の桃色のものはクマノミズキの実が落ちた後の小枝です。

 この後は妻女山駐車場に下り、中堂島の郷土料理の店「はなや」さんであんず御膳をいただきました。その時には、冬の狩猟期のハイキングの仕方や、装備などもお話しました。当日は曇りで見えませんでしたが、晴れた日には妻女山展望台に登るとこの様な美しい北アルプスの勇姿が見られます。左から仁科三山の爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳。右に白馬三山の白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。北には戸隠連峰と高妻山。飯縄山に斑尾山。志賀高原の笠ヶ岳に横手山。東に根子岳と真田にまつわる四阿山。善光寺平広しといえども、これらの山々を一望できるのはこの妻女山展望台だけです。ここはまた夕焼けが綺麗です。

 今年の陣馬平の貝母(編笠百合)の満開風景です。今年は10日以上春が早く、4月20日には満開になってしまいました。妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々で、ヨシとノイバラの地下茎を除去し、種や球根を植えたので来年が楽しみです。昔薬草畑だったところですが、非常に強い毒草でもあるので、決して持ち帰らないでください。奥に咲く桃色の花はオオヤマザクラ。

(左・中)ハイキングの前々日に突風が吹いたので、もしやと思ってコースのチェックに行くと天城山から林道に出る手前に大きな倒木。完全に登山道を塞いでいました。チェーンソーは持っていませんでしたが、こんなこともあろうかと手鋸を持参。30分ほどかけてやっと通れるようにしました。いずれ完全に除去しましょう。里山保全は本当に大変なんです。(右)早く出発できたお陰で予定時刻に妻女山駐車場に戻ることができました。ここから「はなや」さんに向かい、昼食を頂きながら色々お話をしたり、拙書をお買上げの方にサインをしたりしました。強風で心配しましたが、キノコも採れたし、自然の共生関係の話や歴史の話もあり、皆さん満足して頂いた様で良かったと思います。里山は春夏秋冬、それぞれの魅力があるので、あちこち訪れて欲しいと思います。私は主に妻女山山系と茶臼山山系で撮影や自然観察をしていますので、出会ったらお気軽に声をかけてください。最近は『真田丸』の効果で全国から歴史マニアや歴女が訪れます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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『真田丸』トレッキング。砥石城跡、望富山陽泰寺、真田氏歴史館、真田本城、山家神社巡り(妻女山里山通信)

2016-11-01 | 歴史・地理・雑学
 妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々と、『真田丸』関連の城跡や博物館、古刹神社巡りをしてきました。どこも大変な賑わいでしたが、非常に実りある山行でした。下山後は善光寺参りの精進落しの湯、戸倉上山田温泉の新装なった万葉温泉で温まり、慰労会は屋代の焼き鳥「智家」で。チェーン店にはないいい、加減な温かい対応と安心な料理を堪能しました。

 上田から真田郷に入る入り口の伊勢山の集落の上にある砥石城跡の駐車場(左)。バイオトイレ、リンゴの売店、非常に詳しい説明看板があります。駐車場から登って行くと城門(中)。上に登れます。そこから10分足らずで米山城跡と砥石城跡の鞍部へ(右)。

 まずは左の米山城跡へ(左)10分ほどの急登。振り返ると砥石城跡が見えます。(中)米山城跡。(右)村上義清の大きな石碑があります。

 砥石城跡、米山城跡の歴史。望月氏、滋野氏、海野氏、祢津氏、真田氏、布施氏。

 江戸時代の文政三年に描かれた砥石・米山城跡の古城図のレプリカ。※後日松代の真田宝物館でこの原画を観てきました。もっと精緻で明瞭でした。

 有毒のヒヨドリジョウゴ(左)。冬まで残っている実は有毒と思って間違いありません。ヤクシソウ(中)。薬師草と書くように、薬草として用いられました。樹上にもあったシダ植物(右)。葉の白っぽい丸い点の裏には胞子がありました。

 鞍部から砥石城跡への登りは階段(左)。急登ですが距離は短いので山歩きをしている人ならまったく問題ありません。砥石城跡(中)。西の上田市街地や塩田平方面の眺望が抜群です。山で旨いはオケラにトトキのオケラ(右)。

 砥石城跡の説明看板。

 砥石城跡からの西方の眺め。中央に独鈷山。眼下に上田市街。右奥に別所温泉のある塩田平。その右には子檀嶺岳も。いずれも拙書で紹介しています。槍ヶ岳も見えました。このカットは、二枚の望遠カットをフォトショップで繋いで合成したものです。

 砥石城跡の北側は高い切岸(左)。緩やかに赤松の尾根を進むと本城の段郭が見えてきました(中)。手前は大手口。本城の上はかなり広い平地。周囲には幾重にも広い段郭があり、いくつもの館があったことが偲ばれます。

 最終目的地の桝形城跡(左)。ここで昼餉の宴。メインディッシュはK氏が打ってきたイガチクオレゴンと夢力ブレンドの手打ちうどんに、私が採ってきた7種類の天然キノコ(ハナイグチ、ムキタケ、ハタケシメジ、ヒラタケ、クリタケ、ムラサキシメジ、ナラタケ)の絶品煮込みうどん(中・右)。そしてN氏の黒海老、ヤリイカ、鶏、ワカサギなどのアヒージョ。バゲットに味の滲み出たオリーブ油を浸けて食べると最高。更にK氏のボイルウィンナーやカマンベールチーズ、長男が作ってきたモツ煮に買ってきた鯉の内臓の甘辛煮(これも美味)。S氏のお手製ピクルス等など。最高の宴でした。途中、家族や歴女やハイカーが幾組も登って来ましたが、皆さんその豪華さに?唖然としていました。

 満腹でヨレヨレと下山。象山街道、または松代街道と呼ばれる古道(左)。歩いてみたいものです。下山後は砥石城跡真下の望富山陽泰寺へ(中)。天武天皇の白鳳十一年(683)高僧泰澄が庵を結び、聖武天皇の天平九年(737)に行基僧正により仏殿を創建という古刹です。ちょうど奥様が帰宅されたところで、どうぞ中へということで、お言葉に甘えて全館を案内して頂きました。素晴らしい屏風絵や仏具、調度品を拝見しました。滋野氏、海野氏、真田氏に深い関連のある曹洞宗のお寺で、真田一族の本家筋である海野氏の菩提寺。本堂の屋根には海野氏の家紋である「州浜」が見られます。室町時代の鳳凰屏風(右)。

 本尊の裏にある仏像(左)。いずれも素晴らしいものですが、私が注目したのは前列右の小さなもの。これは、謙信や信玄などが携帯して拝んだものと同じです。いったい誰のものだったのでしょう。非常に気になります。ご本尊の釈迦牟尼坐像(中)。武田信玄寄進の銅製雲板や勝海舟、山岡鉄斎の書も見事でした。兵火や火事に遭うという歴史がなかったそうなので、非常に古いものの様に思われます。在京の友人の菩提寺ということもあり、丹念に拝見させて頂きました。奥様には感謝申し上げます。
 松代街道を下って駐車場に戻ります(右)。伊勢山は非常に古い歴史と雰囲気のある山村でした。

 次に向かったのは、真田氏歴史館。『真田丸』人気で訪問者が大勢いました(左)。『真田丸』のポスターも(中)。真田紐を使った製品も売られています。ちなみに、小学校の時に使った下駄スケートを足に固定するために真田紐を使いました。今も残っています。真田関連の解説(右)。手作り感たっぷりの分かりやすいいいガイドです。内部は撮影禁止なので紹介できませんが、訪れることをお勧めします。

 次は近くの真田本城跡へ。そこからは、真田氏の修験者がこもった霊峰、四阿山と左に根子岳。根子岳の爆裂火口がはっきりと見えます。いつも見ている妻女山展望台からの山容と違うので、新鮮でした。

 真田本城のお地蔵さんなんですが、お賽銭を六文銭の形に並べてあるのが微笑ましく思いました(左)。ちなみに私の母校でモーニング娘。16の羽賀朱音ちゃん、世界的アコーディオニストのコバさんの母校である松代中学の校章は、結び雁金なのです。
 真田本城の本郭から二の郭方面(左)。真田郷や砥石城跡、上田方面が望めます。真田本城の地図(右)。

 最後に真田氏の山家神社へ(左)。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林の四阿山の記事でお世話になった押森宮司と初めてご挨拶させて頂きました。白山権現を祀ります。境内にある真田神社(中)。野焼きの煙がたなびく晩秋の真田の郷(右)。兵どもが夢の跡か…。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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