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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

膝近くまでの雪をラッセルしながら妻女山展望台へ(妻女山里山通信)

2014-02-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 豪雪の里山への影響が心配だったので、妻女山展望台まで登ってみました。高速のトンネルをくぐると、案の定轍も足跡も一切ありません。踏み込むと高さ36センチの長靴の一番上近くまで雪に埋まりました。これでも随分溶けたのでしょう。道路を行くよりと左の杉林を直登。日当りのいい場所は、雪が溶けて道路が見えている箇所もありましたが、ほとんどは20~30センチぐらい。10日経ったのですが、思ったほど溶けていませんでした。狩猟期間も終わったので、狩猟の四駆も入りません。

 眼下の長芋畑は、まだ30センチぐらい積雪がありますが、早々と融雪剤を撒いたところは既に雪がなく、春の長芋掘りが始まっていました。幼馴染みが、一生懸命融雪剤を撒いていました。本来なら3月になれば農作業が始まるわけで、かなり遅れてしまうのでしょう。色々と影響が出ています。もっとも昨年は4月21日の長野マラソンの日に大雪が降ってびっくりしましたが。例年なら倉科の節分草が3月中旬には咲くのですが、春雨も降らないし、この残雪では今年はかなり遅れそうです。

 展望台の階段は雪で埋まっていたため、長靴で除雪しながら登りました。集落を見ると、南側の屋根の雪はほとんど溶けていましたが、北側や東側はまだかなり残っています。国道403号線は、通行量が多いのでほぼ溶けましたが、除雪されていない畑道は依然通れません。春雨が降らないとだめでしょうね。轍が一台分しかなかった堤防の道は、なんとかすれ違いができる様にはなりました。あまりに雪が多かったせいか、アニマル・トラッキングを楽しみにしていたのですが、見られたのは野うさぎの足跡ぐらい。野生動物たちも困っているのでしょう。みな無事に冬を越せたか心配です。鳥も少ない気がします。わずかカワラヒワでしょうか。小さな群れがいました。雪の重みで折れた枝がなく安心しました。

 展望台から見る茶臼山は、やはり相当な積雪があったようで、山頂付近から右下に向かって斜めに見える自然植物園や動物園は、真っ白です。茶臼山の南峯の左の山上に信里小学校の建物が見えますが、幹線道路は除雪されているでしょうが、茶臼山への登山道は恐らくたいへんな積雪でしょう。鹿の群れがいるのですが、この大雪どう過ごしているのでしょう。越冬できなかった個体も少なからずいそうです。日陰まで溶けるには、やはり春雨を待つ以外にないようです。今年は春の訪れが遅くなりそうですが、その代わり、梅、杏、桜、林檎と次々と一気に咲く慌ただしいものになるかもしれません。

 帰りにキノコの培地を撹拌しに。やはり発酵しているので発熱して、そこだけ雪が溶けています。最初は白かった菌糸も灰色になり、やがて黒ずんで来ます。発酵が終了すると、非常に細かな堆肥となります。アンズや桜が咲く頃には出来上がるでしょう。

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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も

★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
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空前の大雪。陸の孤島になったままの山梨県等に一刻も早く救済を!(妻女山里山通信)

2014-02-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 2月8日(土)の大雪は、今回の予行演習だったのでしょうか。写真は11日の所用の帰りに撮った千曲川と左に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。大雪もこれが最後かななんて暢気に思っていました。14日(土)から降り始めた雪は、15日(日)まで降り続き、長野市南部や千曲市では積雪量が60センチを超えました。いわゆる上雪だったため、上田は80センチ、松本は90センチと、中南部の方が積雪量が多く、特に甲府盆地は100センチ超えと非常事態になっています。高速も国道も鉄道もストップ。物流も完全に止まっています。ところが政府は、土日だからと全く動かず。死者も出ているというのに。こんな政府は不要です。NHKを始めテレビはオリンピックばかりで、山梨県や長野県の災害状況をほとんど報道しませんね。その県にはテロップで情報は流れていますが、他県には流れません。車中で凍死したり、完全に陸の孤島になっている集落があちこちにあるというのに。16日の13時にやっと対策本部立ち上げ。遅すぎる。大地震や原発事故など、こういう大災害が起きると、日本の政府はとことん非情で無能だと分かります。防災よりオリンピックに夢中の小4の漢字が書けない阿呆が総理の亡国日本。

 14日は早朝から吹雪まじりの中、何度も雪かきをしましたが、次々と降り続く雪に追いつけません。周囲は老人の一人暮らしや、男手のいない家も多く、またいても仕事で不在だったり。手の回らない小路は、あっという間に40センチを超えました。とりあえず、全部はできないので、幹線路だけを重点的に。その一本が女性だけの家なので助っ人に行きました。困った時はお互い様。遠くの親戚より近くの他人です。14日の雪は粉雪でしたが、8日に比べると少し重い感じ。途中から可愛いお嬢さんも出て来て、郷土史の話とかをおしゃべりしながら雪かきをしました。雪かきは単調な力仕事なので、楽しんでしないとしんどいです。

 結局雪は一日中降り続き、積算で60センチを超えました。翌朝、地区の人達が皆出て、各家の車が出せる様に本格的な雪かきをしたのですが、湿雪になっていて非常に重く難儀しました。それでも、前日にここは無理だねと言っていた小路も奇麗に雪かきをし、軽トラックなら出られる幅を確保できました。道が狭く、雪を捨てる場所の確保に苦労しました。でも、これで買い物や仕事に出られるし、新聞や郵便、宅配便も配達できます。大雪のお陰で、Uターンした私もご近所とのコミュニケーションもとれました。ちなみに、これぐらいの積雪では、屋根の雪下ろしはしません。危険なのと、除雪作業がより大変になるからです。母屋は大丈夫ですが、プレハブや古い物置、ハウスは被害が出ることがあります。今回もハウスが二つほどつぶれました。

 作業が終わる頃に、日も射し始めました。気温が上がって溶け始めるのはいいのですが、これが夜半に凍結するのが怖いのです。アイスバーンになったところへ、粉雪が積もると非常に危険です。一番溶けるのは、春雨が降ることなんですが・・。作業終了後に撮影をしていたら、雪かき後に通りすがりのご近所さんが、70年生きて来たけどこんなの初めてだよと。信州人は、まだ雪に慣れているからいいのですが、山梨県民はノウハウもないため、本当に危機的状況にあるようです。病院では、入院患者の食事の用意が満足にできないとか、ホテルや列車内に缶詰の人も大勢いるようです。山梨県から流れるツイッターを見ると、一刻を争う状態に置かれた人達が大勢いることが分かります。決してテレビでは分かりません。秩父や群馬山間部なども危機的状況にある所がいくつもあるようです。

 午後、カメラを提げて散歩。近所のおばさんが雪かきしていました。除雪された畑道を通って行くと、秋に仲間と昇った奇妙山の30mの崖が見えました。一人であの崖を下りたのは雪のある1月でしたが、この積雪ではあの崖を登るのは危険すぎます。手がかりがない。見える中腹の集落は、除雪ができているのでしょうか。孤立していないといいのですが。夕べスカイプで話した東京の次男が、歩道の雪を道路に投げる馬鹿な爺がいて困ると言っていましたが、これはすぐ溶ける東京では極普通のことです。しかし、今回の様な大雪では絶対にやってはいけないことです。これを信州でやったら袋だたきに遭います。

 国道403号線に出ようとすると、修理工場の車が雪に埋まっていました。10台ぐらいはあるでしょうか。403号線は、二級国道とはいえ、一応千曲川右岸のこの辺りの幹線道路なんですが、全く除雪されていません。道路は轍がこぶ状になって非常に危険な状態です。昔は大雪になるとすぐに除雪した記憶があるのですが。その頃より国力が明らかに落ちたのでしょう。通行車両は、時速20~30キロぐらいで、こぶの上では横滑りしながらのろのろと走っています。妻女山の下にある上信越自動車道は、通行止めのままです。鉄道もほとんど動いていません。明朝の最低気温は-5度。凍結します。溶けた雪が凍ってブラック・アイスバーンになるのです。一見黒い路面ですが、実はスケートリンク。一度コントロールを失ったら、止まりません。スピンします。

 茶臼山を見ると、真っ白ではないですね。比較的気温が高かったので着雪しなかったのでしょう。大雪には慣れている西山の人達ですが、備えはしているでしょうけど、今回の大雪には往生したのではないでしょうか。老人の一人暮らしも多い地域です。山間部は近くにスーパーもないですし。長野県でも停電しているところがあり、軽井沢町は県へ自衛隊の災害派遣を要請しました。オール電化になんぞしたら死にますね。エネルギーは分散化しておくのが、正しい危機管理というものでしょう。いざという時のために、七輪と竃と炭や薪も用意してあります。
 19日(水)から20日(木)にかけて、また南岸低気圧が来ます。また降雪がありそうなので、準備を。今度は平日なので、より混乱しそうです。←その後南岸低気圧は、本州を離れて通過の予報で大雪の心配はなくなったようです。しかし、まだ陸の孤島になっているところがたくさんあります。一刻も早い復旧を。


JARTIC 交通規制情報:都道府県別・道路別 :山梨県・長野県の一部では陸の孤島状態が続いています。

道路情報掲示板【road110.com】:長野県内専用 :18号線、20号線の最新情報。

長野国道事務所:カメラ画像:軽井沢の長倉、鳥井原は、17日正午現在も大量のバスやトラックが立ち往生のまま。→17時現在、国道18号 碓氷バイパス、上り線のみ通行止め解除。

道路情報広場NAGANO/長野県:山梨県や群馬県のリンクもあり。

鉄道運行状況

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雪かきに追われた大雪の後に晴れの妻女山に登りノスタルジーに浸った午後(妻女山里山通信)

2014-02-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 2月8日は、関東甲信越は大雪になりましたね。北信は南岸低気圧で所謂上雪(かみゆき)なのにパウダースノーで、しかも吹雪でした。ほぼ一日中降り続いたので、何度も雪かきをするはめになりました。しかもご近所は、老人の一人暮らしだったり、男手がなかったり、あっても仕事で出ていたりと雪かきができない家もたくさんあります。そんな時はお互い様なのでできる私がフル回転。ほぼ一日中雪かきをしていました(笑)。斜め裏の丸いUお婆さんも頑張っていました。向こう隣の野草好きのTおばさまも、頑張っていたようです。でも言ってくだされば、お手伝いしますのに。彼女の娘さん(美人で笑顔の可愛い女性)は、暮れに鬼籍に入った父に取材して卒論をしたためたのですが、彼女の論文は日本民族学会に概論が掲載されるほど素晴らしいもので、この集落の宝です。その情報を提供した亡き父も凄いと思うのです。いずれ詳しい話を聞かせてもらおうと思っています。最もローカルなものが、実は最もインターナショナルであるという言葉があります。上っ面な国際化は、世界を支配したいグローバリストの陰謀でしかないという言質は厳に心に留めておくべきです。

 翌日は晴れましたが、夜半にまた降ったようで、しっかり10センチほど積もっていました。しかも吹雪いたので均一ではないのです。特にうちの裏は酷いものでした。裏の家は男手がないので私が朝食後に雪かきをしました。隣はお婆さんの一人暮らしで裏まで手が回らないので、そこも。昨日と違って湿雪なので往生しました。写真の様に、車が通れる幅を確保しないといけないので大変です。昔は真ん中に人が歩けるだけ50センチ幅に雪かきをすればよかったのですが・・。うちの前のNさんは、近所でも有名な雪かき名人で、それは奇麗に雪かきをするのです。彼を師匠に私も完璧な雪かきを目指しています。ハイ。

 雪かきを終えて、畑へハウスの屋根が大丈夫か見に行きました。吹雪のためほとんどが飛んでいて一安心。内輪のおばさんがガレージの雪かきをしていました。年寄りや女ばかりだから、そういう風に助けてもらえるといいねと。まあ困った時はお互い様ですし、遠くの親戚より近くの他人ていいますからねと。これがご近所付き合い。隣家というものです。小さい頃は、本当に皆に可愛がってもらいましたから。ご近所のお爺ちゃんお婆ちゃん達には、感謝しています。もう亡くなられた方が多いですけど・・。最近、私は縁というものを考えます。この出会いは誰が導いてくれたのだろうと。そう考えると、この広い地球での人との出会いを大切にせずにはいられないと思わずにはいられないのです。但し、ここには運命論やオカルティックな意味合いは微塵もありません。水の流れにどう身を委ねるか、はたまた泳いで小石を投じるほどのゆらぎを見せるか程度のことなのですが。そこに思いやりと感謝の気持ちがあれば、間違うことはないと思う様な些細なことです。
 写真左の枯れたのは、春掘りの長芋です。越冬長芋は、甘みが増して濃厚で美味しいのです。遠くの山は、金井山ですが、その向こうは志賀高原の山々。雪雲が覆っています。道路の轍を見ると、腹をこすっていますね。積雪が40センチぐらいになると、バンパーがブルドーザーになって雪を押し集めるので、やがてスタックして動けなくなります。4WDでも同じです。今回は、シャーベット・スノーには、MTBでも無力ということは分かりました。ファットバイクが欲しい。

 愛車チェレステ・アズールのビアンキで妻女山へ。高速トンネンルのフェンスに施錠して徒歩で登ります。大きな四駆の轍がありました。イノシシ狩りでしょう。でも年を越したイノシシは味が落ちるんです。途中アニマルトラッキングをしながら妻女山松代招魂社へ。夏はオオムラサキが昼寝に集まる瓦屋根も雪帽子。雪に山桜の枝のシルエットが落ちていました。ダイナミックでも珍しくもないけれど、この季節にしか見られない何気ない美しい景色です。私は近眼でも老眼でもないのですが、酷い乱視で複数の眼鏡がないとまともに物を認識できないのです。今回もポリカーボネートの保護眼鏡をして、乱視用眼鏡を忘れたために、撮影には往生しました。どんな美人とすれ違っても分からないのです。やれやれ。

 その後長坂峠まで登ろうかと思ったのですが、冷えで膝が痛みだしたので諦めて展望台へ。展望台の階段は足跡がないので長靴で雪かきしながら登りました。手前の桜の枝に雪がないのは、パウダースノーでしかも吹雪だったから。無風で湿雪なら、夜に結氷して樹氷になります。手前に見える集落も、その向こうも、昭和30年代は藁葺き屋根ばかりでした。屋敷の中にもたくさん梅や杏の木があって、春になるとそれは奇麗でした。梅雨明けの季節には杏が鈴成りになり、採りこぼれた杏が道に落ちて、集落の中は熟れた杏の匂いで満たされました。道には落ちてつぶれた杏があちこちにあって、濃厚な匂いを発散していました。そう、巨大な鍋の中のアプリコット・ジャムに頭からダイブした様な感じと思ってもらえればいいかと思います。その在来種の杏の木も、多くが切られてしまいました・・。一枚目の写真の中央にある小屋の向こうには、集落で一番真っ先に咲く白梅があります。冬の長い信州では、この花が蕾をつけるのがなによりの心待ちでした。幼い頃、祖母に手を引かれてこの白梅を見に行ったものです。今は亡きこの家のお婆さんとお爺さん(もちろん当時は若かった)には、本当に可愛がってもらいました。

 アニマル・トラッキングを試みたのですが、ニホンカモシカもタヌキもキツネもホンドテンの足跡もありませんでした。そればかりか、さえずっているのはシジュウカラばかり。アトリなど渡りの鳥が全く見られないのです。なんということでしょう。放射能じゃないよねと思いながら山を下って行くと、ソメイヨシノの枝にカマキリの卵を発見。地面から1.5mぐらい。カマキリが高い所に卵を産む冬は雪が多いといいます。当たってるじゃん、と思いました。コナラや、それにからみつく山藤の向こうに集落が見えます。今日は外出しない人も多いでしょう。でも、こんな降雪後の晴天の日は、里山観察の吉日なんです。残念ながら今日はたいした収穫はありませんでしたが。膝通がなければ奥山まで行ったのですけどね。膝のサポーターをしてくるべきでした。それと長靴の中のホッカイロ。

 写真は、妻女山入り口の風景です。国道403号線から上信越自動車道のトンネルをくぐって妻女山へ登ります。スタッドレスかチェーン装備で、最低地上高が高ければ登れますが、一度溶けてアイスバーンになったらもうスケートリンクですから、スタッドレスでも無理です。毎年JAFなどの世話になる車が10台以上いるので気をつけてください。トンネルの手前に駐車して、歩いて登るのが賢明です。15分で展望台、妻女山松代招魂社に着きます。尚、現在はここが国土地理院の地形図でも妻女山と明記されていますが、本来は赤坂山といい、本当の妻女山はこの上の513mであり、本名を斎場山といいます。聞いてないよ、初めて知ったという方は、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。第四次川中島合戦については、ほとんどの歴史研究家、歴史小説家、マスコミが、根本から間違っています。

 帰ろうと403号線に出ると、長電のバスが泥雪を盛大に跳ね飛ばしながらやってきました。ガードレールの左の空き地は、長野電鉄が通っていた跡です。これに乗って中学校に通いました。一時間に一本しかなくて、サッカー部の練習の後に乗り遅れると悲惨でした。空腹に堪え兼ねて、教師の目を盗んで駅前の母の同級生がやっていたラーメン屋に転げ込んだものです。この線路跡地は、サイクリングロードとなることが決定しています。楽しみです。
 70年代の作家、村上春樹さんのジャズ喫茶・国分寺ピーター・キャットを中心とした「国分寺・国立70sグラフィティ」の記事を11日に久々に」アップする予定です。当時の東京は、原発がなかったせいでしょうか、よく雪が降りました。そんな日の昼は、村上春樹さんはよくペーパーバックを読んでいました。他。本当に本当に春が待ち遠しい信州です。原発が一基も動いていないとこんなに寒いのですね。70年代がそうでした。
 食べて応援企業の食品や太平洋や東京湾の魚介類、汚染地のキノコやベリー類をなんの疑問も持たずに食べていると、必ずある日地獄を見ることになるでしょう。
 原発に賛成していたら、愛する人は守れませんよ。核=原発は人類にとって最も反動的なもの、最大の敵です。

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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も
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