モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

川中島合戦 武田信玄陣所 錦秋の茶臼山(妻女山里山通信)

2009-10-31 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 江戸時代の軍記物語に書かれた茶臼山へ。きのこ狩りを兼ねたハイキングに出かけました。暖かい日が続いているため紅葉の色付きはもうひとつですが、所々に鮮やかなモミジがあって目を楽しませてくれます。今回は、登山道は横切るくらいでほとんど歩かず、山の中を縦横無尽に歩き回りました。

 いつも登っている妻女山山系は、尾根がはっきりしていて斜面は急です。ところが、西山と呼ばれる茶臼山山系は、なだらかな山塊が褶曲しているような地形で、尾根が細かく分かれたり、尾根の中に小さな窪地があったりと変化に富んでいます。茶臼山から中尾山(山頂はない)にかけての尾根は高低差があまりなく、登山道を辿れば散歩気分で歩けます。しかし、それではきのこ狩りになりません。登山道から見えるようなところには、きのこはありません。そこで森の中に入っていくわけですが、複雑な地形のため方向を見失いやすいのです。

 茶臼山でのきのこ狩りは初めてなので、やみくもに歩いても見つかるわけがありません。こういう時は、目当てのきのこの生態を考え、ピンポイントでアタリをつけて探します。きのこによって好む環境が異なるからです。その辺が腕の見せ所です。

 途中、小さな男の子と女の子を連れた家族が4人できのこ狩りをしていました。私が通りかかったところで、きのこありましたかと声を掛けると、女の子が「きのこいっぱい見つけたところ」とばらしてしまいました。あららシロがばれてしまいました。お父さんが採ったばかりの両手いっぱいの紫占地を見せてくれました。「たくさん採ってね」といって私はその場を後にしました。

 息子達が小さな頃、紫占地の菌輪を見つけて大喜びで採り始めたのはいいけれど、小さな足で大事なきのこをいくつも踏みつけてしまったのを思い出しました。小さな頃からこういう里山に馴染んでいるのはとてもいいことです。藪もものともせずに歩けるようになるし、自然は実にたくさんのことを親以上に教えてくれますから。ただ最低限の注意事項は必ず言い聞かせておくことですね。また、藪山の場合は、ゴーグルかメガネをつけさせること。枝で目を突くのを防止するためです。

 茶臼山は、カエデなどの小低木が藪を作り歩きにくく、モミジイチゴがたくさんあってうかつに歩くと痛い目に遭うのが難点です。そのため、きのこ狩りでも藪の中に入るのをためらう人が多いのでしょう。複雑な地形で迷いやすいのも難点ですし、そのためポイントが分散してしまっているのも初心者には難しいかもしれません。熊はいないと思いますが、家族連れはつけていましたし、地元の青池から来たというおじさんは、熊が出たことがあるよと言ってましたから、まったくいないというわけでもないようです。

 北アルプス展望所でお昼を食べました。雲はなかったのですが北アルプスは霞んでいました。暖かくてハエが何十匹ととりついて参りました。4時間ほどで紫占地、剥茸、平茸、栗茸がそこそこ採れました。土質のせいかきのこが少ない山だなという印象でした。そこでいつものことですが、老菌は生えて欲しい生えるだろう場所に移植してきました。こういう小さな積み重ねでシロは増えていくんです。

★きのこ料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。色々あります。

★茶臼山のハイキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップします。春の茶臼山トレッキングルポもこちらです。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。トレッキング・フォトルポにない写真もたくさんアップしました。
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武田別働隊の経路に紫占地と日本羚羊(妻女山里山通信)

2009-10-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 再び黄昏のきのこ狩り。豊作の年なら林道脇でもどこにでも出ますが、今年のように不作だとかなりの山奥でないとありません。特急で前回採り残した時候坊の幼菌が育っているはずの場所へ。いつもは鋏で石突きを切るのですが、忘れてしまったので時候坊は石突きの上で折って採取しました。石突きまで持ってきた場合は、切り落として生やしたい場所にばらまきます。こうしてシロを増やしていくのです。地道な作業ですが、結構効果があります。紫が出るシロもひとつずつ丹念に探って行きます。ポツポツと袋が埋まっていきます。

 写真の美しい紫占地は、濡れ落ち葉の下に隠れていたものです。ですからこんなに鮮やかな紫色をしているのです。普通このように全体が出ていることは希で、ほとんどの場合枯葉に埋もれて一部が見えるだけ。ですからきのこ狩り初心者には、全く見えなかったりします。いわゆる「きのこ目」が要るのです。濡れて鮮やかな紫ならまだしも、成菌になって淡い灰紫になると、ますます枯葉との区別が難しくなります。

 紫占地は菌輪を作り、発生場所は一年で1mずつ移動するそうですが、このシロは幅が2m、長さが15mぐらいあるので、全体が動くというより、この中で小さなシロが少しずつ動いているという感じがします。薄く紫色の膜が張ったシロは、それだけでも大変美しいもので、森の中の神秘のヴェールという感じです。

 土壌のせいなのか、気候のせいなのか、樹種のせいなのか分かりませんが、当地の紫は土臭さがほとんどありません。希にそういうものがある程度です(老菌は特に)。ですから極上の出汁が出る紫占地の調理法は、豆腐と吸い物にすることです。枯葉を栄養分とするため、ほのかに枯葉の香りがしますが、それこそが森を食べているという醍醐味なのです。それが分からない人は、このきのこを食べる資格はありません。

 里山を知らない人は、山道というのは一本だけと思っているかもしれませんが、実際は一本の尾根の片側の斜面だけでも何本もの山道が平行に走っていて、所々にそれらをつなぐ斜めの道が交差しているのです。その山を熟知しているとショートカットの道とか、この道はこのポイントで曲がればあそこへ出るとか分かるわけです。例えば、史実かどうかは別にして、第四次川中島合戦の武田別働隊にしても、清野氏など地元の武士や足軽がいたわけですから複数の経路は当然頭に入っていたはずです。後年、上杉景勝や直江兼続も辿ったかもしれないのです。

 倉科の大村越(清野では倉科坂)には、兵馬と呼ばれる場所があります。里俗伝で武田別働隊の軍勢が、斎場山(妻女山)一帯の上杉軍を奇襲するために、分かれて戸神山脈を越えてきた各隊を集めて隠れたところといわれています。ここから斎場山へは天城山を巻いて月夜平経由、芝山から堂平経由など幾筋ものルートがあります。この辺りの山を知らない歴史家やマニアには想像もつかないほどいくつもの山道があるのです。そのいくつかは、えぐれた沢道や細い獣道となり残っています。戦国時代には、鏡台山を中心として、上田、坂城、松代を結ぶ軍道が何本もあったと思われます。そのひとつが、五里ケ峯の勘助道(勘助横手)ではないでしょうか。

 夕日に輝く錦秋の森を帰路に就くため、そんな昔の細い山道のひとつを歩いていると、目の前に丸く黒い動物の陰。一瞬熊かと思って緊張します。藪で目を突かないようにとゴーグルのみで、メガネをしていないので何か確認できません。それでも20mほど先の樹間の動物を見ると、どうやらニホンカモシカのようです。ホッとしました。

 帰る方向がそちらなので進むと、ジッとしています。距離が6mぐらいになるとシュッと威嚇音を発します。そして逃げるのですが、オーイと声をかけると立ち止まって振り返ります。進んで6mぐらいになると、またシュッと威嚇音。その繰り返しが4度ほど続きました。林道に出るため斜面を上がるとニホンカモシカは下の森へと消えていきました。いつも出会っていたマダムの子供が独り立ちしたようです。6月に見かけて以来だったので、変わらぬ元気な姿を見ることができてホッとしました。

 日本羚羊は、万葉の時代にもいたのでしょうが、深山にいて馴染みはなかったのでしょうか。鹿を歌ったものならあります。鹿(しか・しし)を詠んだ歌は68首あるのですが、その中からひとつ。

「射ゆ鹿を つなぐ川辺の 和(にこ)草の 身の若かへに さ寝し子らはも」 作者不祥(巻16 3874)
矢で射止めた鹿を追っていった川辺の若草。その若草のように若かった頃、抱いた乙女たちよ。今はどうしているだろう。(しっかりその辺のおばさんになってます…)

 ブラジルでは、「veado」は鹿、「viado」はオカマ。発音が似ているので鹿野郎といえば…。また、Jogo do Bichoというロトでは、動物に番号がついていて鹿は24番。ヴィンチ イ クアトロ(24)といえば、これもオカマという意味になって、Jリーグへ来てこの番号をつけろと言われたら、ブラジル人選手は絶対に断ると思います。

中国には、「鹿を逐う(追う)者は山を見ず」ということわざもあります。
「逐獣者、目不見太山、嗜欲在外、則明所蔽也」『准南子』
秋の夜長、身につまされる話です…。

★きのこ料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。色々あります。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。トレッキング・フォトルポにない写真もたくさんアップしました。

●妻女山駐車場の奥、斎場山・天城山・鞍骨城跡・倉科へのあんずの里ハイキングコースの林道入口に「杖」を置きました。返却不要です。ハイキングにお使いください。
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黄昏のきのこ狩り(妻女山里山通信)

2009-10-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 山の日暮れは早く、特に秋も深まってくると釣瓶落としになります。夕暮れになると熊や猪なども活動を始めるので気を付けなければなりません。今回は1時間半位で狙ったポイントのみを回りました。台風20号で30ミリほど雨が降ったために山はかなり湿っています。落ち葉もかなり積もってきたのできのこ探しも大変。いわゆる「きのこ目」がないと見えてきません。慣れないと枯葉がみなきのこに見えるのです。

 熊鈴は持ってこなかったので、声と杖代わりの太い枝で木をたたいて大きな音を出します。倍速で尾根道を登り、ニホンカモシカの大きな糞場のある鞍部へ。思った通り時候坊(花猪口)がたくさん出ていました。雨露に濡れて夕日に光っています。藪を突き進むと蝶にしかみえない蛾、イカリモンガが舞い立ちました。

 結局30本ほど採ったでしょうか。暮れ始めた薄暗い森を抜けて、夕日の当たる林道へ出ると、ナツヅタが燃えていました。蔦(ツタ)には、紅葉するナツヅタ(ブドウ科)と、紅葉しない常緑のフユヅタ(ウコギ科)があります。そして触るとかぶれるツタウルシ(ウルシ科)。これも紅葉します。ナツヅタは紅葉するため、モミジヅタともいいます。甘いシロップがとれるためアマヅラともいいます。『枕草子』「あてなるもの(上品な良いもの)」の段に、「削り氷(ひ)にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」とあり、清少納言のお気に入りだったようです。

 「紅葉蔦 燃ゆる越路の 清野坂」  林風

 「あまづらの けづりひにほふ 生絹(すずし)かな」  季節外

 帰路にわが家の山に寄って栽培している栗茸を採取しました。モエギタケ科のきのこは、軸が固くて消化が悪いため、栗茸も軸は1センチほどで切り落とし傘のみを食べます。細胞が球形のためか壊れにくくそのままでは、あまり出汁も出ないのですが、冷凍すると壊れるのか旨味がでて美味しくなります。栗茸というのは栗の木によく出るからなのですが、栗の木は心材がほとんどで辺材が少ないため他のきのこは生えにくいのです。そのため栗の木からは、主に栗茸が出ます。

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紫占地と信濃柿(妻女山里山通信)

2009-10-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 雨が降っていないので、期待もせずにきのこ狩りへ。季節は時候坊から紫占地、栗茸、剥茸などに移りつつあるのですが、雨が降らないばかりか最低気温が高いので川中島名物の深い霧もほとんど発生しません。雨が降らなくても霧がまけば露に濡れてきのこは出ます。それもないとなるときのこの発生は望み薄。それでもと、前回小さな紫が出ていたとっておきの場所へ。山道からはずれて藪こぎをします。

 当日はきのこ狩りの人が幾人も入っていたため、熊鈴はつけません。その代わり周囲の状況にはいつもより注意をはらいます。前回出始めていたところは、きのこが消えていました。乾燥で成長できずに朽ちてしまったようです。こういう時は頭を使います。紫の好みそうな場所をピンポイントで探します。シロが見つかればこっちのものです。紫占地のシロは、淡い紫色でそれはそれは美しいものです。

 見つけたシロは、雨がないにもかかわらず大きく成長していました。そしてその周りには紫の菌輪ができています。数十本近くはありそうです。しかし、小さい。大きなものも乾燥で軸が割れています。天気予報ではこの後も雨が望めそうにないので、小さなものも採ることにしました。ある場所で採っていると、下から笛と声が聞こえてきました。シロが見つかってはまずいので、そそくさとその場を離れます。午前中いっぱい山中を駆け回り、なんだかんだで結局114本の紫が採れました。不作の年にしてはまずまずの収穫です。

 紫占地は、本当に美しい藤色をしています。焦茶色ばかりの濡れ落ち葉の中にたたずむ乙女というところでしょうか。ただこの乙女は生で食べると中毒します。おまけに乙女は成菌になると必ずお腹にウジ虫を飼っています。ショウジョウバエや小さな甲虫の幼虫などですが、紫占地には頭の尖ったオレンジ色の幼虫がいます。食べても害はないのですが、縦に割って取り除きます。野生のキノコの場合、虫はつきものなので、絶対にいやだという人は食べないほかありません。またこの乙女は華奢で壊れやすいので優しく扱わなければなりません。実に面倒な乙女です。

 東京や神奈川、山梨の山でも紫占地を採りましたが、どうも栄養にしている落ち葉の種類で味が変わるようです。土臭いからいやだという人もいるのですが、当地の紫は関東のものに比べて土臭さがあまりないように思います。食べ方は、豆腐と澄まし汁に。紫の美味しい出汁の味が一番堪能できる料理です。他には炊き込みご飯、きのこうどん、オムレツ、ピクルス、グラタンなどなど。色々なきのこを入れてきのこ鍋にも。欧州では栽培もされているきのこです。

 ほかに剥茸、時候坊なども採れて帰り始めると、峠で信濃柿がたわわになっているのを見つけました。豆柿とか小柿、葡萄柿といわれるもので、実の直径が2センチぐらいしかありません。よく色づいたものを食べると甘い味がしました。やや渋みがあります。霜が降りて黒くなると干し柿のような濃厚な味になります。昔は柿渋を採取するために栽培されたようです。錦秋に近づいた山道を下ると、台風が近づいてきたせいでしょうか、黄色く色づいた壇香梅の葉がさやさやと音を立てて揺れ始めました。

「紫の薄絹纏ふ 乙女らの 秘して虫飼う 誰ぞ知るらむ」   風林

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キノコ不作の山中で思いがけない出合い(妻女山里山通信)

2009-10-23 | 歴史・地理・雑学
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 エルニーニョによる異常気象でしょうか、信州北部では夏に雨が多く夏キノコは全盛でしたが、9月に雨がほとんど降らず秋のキノコは大不作が続いています。松茸園でも閉園するところが出ているほどです。晩夏に妻女山も幾度かの豪雨と、台風18号で80ミリという前例のないほどの雨に見舞われたため、落葉松の枯葉などの堆積物が流され表土が露出し、キノコが出なくなってしまった森もあります。豪雨と突風で倒木や掛かり木も増えました。非常に危険な状態になっているところもあります。

 それでもたまに訪れる人や観光客は、何事もない普通の秋の里山に見えることでしょう。つぶさな観察と自然に対するリテラシー(読解力)がなければ、山の異常は全く見えてこないのです。そういうのを、作家のC.W.ニコルさんは、「自然音痴」といっていました。異常が見えてこない。異常に気がつかない。これは怖いことです。

 そんな某日、某山へないとは思いつつ熊鈴を鳴らしながらキノコ狩りに出かけました。確かに不作でしたが、今まで出たことのない斜面に大量の時候坊が出ているなど、例年とは違うパターンが見られました。そんなキノコ狩りの最中に連れと待ち合わせをしていると、携帯が鳴って近くにいることが判明。山中でこれは便利です。そして、合図にホーッと声を挙げて位置を知らせました。すると全く別な方向からホーッと返事が返ってきました。

 驚いてその方向を見ると、男性がひとり登ってきました。山菜採り用のフックを杖代わりにしていかにもプロという感じのいでたちです。その辺りの山に詳しそうなので、ひとしきり山談議に花を咲かせました。すると、この辺りの標識を作って立てている人だというではないですか。私のブログ記事「五量眼塚古墳は間違い!斎場山古墳です!」の標識を作った方です。これにはお互いにビックリ。なんという奇遇でしょう。

 Mさんといいますが、史跡保存会や自然を守る会に入っていて、標識は個人的に作っては設置しているとのこと。その労力は大変なもので、敬意を表したいところですと申し上げました。であればこそ、斎場山の標識の件は残念なのですと。Mさんも検索で私の記事を読み、これはお詫びをしなければいけないかな、どうしたものかなと思われていたそうです。

 斎場山古墳の命名については、くだんの記事「五量眼塚古墳は間違い!斎場山古墳です!」を読んでいただくとして、Mさんは斎場山古墳の標識も作りますというお言葉をいただきました。五量眼塚古墳はそのままに。これは、同じ場所を示す、龍眼塚、竜眼塚、両眼塚、床几塚、謙信台などと同様に里俗伝というものなので、正式名称にはなり得ないものですが、これはこれで文化財的価値のある自然地名なのです。

 森の中の立ち話でしたが、思いがけない出合いで、気にかかっていた事が解決し、その辺りの山情報や歴史情報などもたくさん得ることができました。MさんとMさんに出会わせてくれた山の神に感謝です。

★妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をぜひご覧ください。武田別働隊の経路図、きつつき戦法の検証、上杉謙信斎場山布陣図などもご覧いただけます。

★五里ケ峯・鏡台山のトレッキングを、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。山本勘助の軍道、通称「勘助道(勘助横手)」は必見です。どうぞご覧ください。
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『沈まぬ太陽』のモデル小倉寛太郎さんの思い出『サバンナの風』(妻女山里山通信)

2009-10-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 映画『沈まぬ太陽』(原作:山崎豊子)が10月24日に公開されます。そのモデルが小倉寛太郎さんであることは有名です。作品は、「モデル小説」という事実を元にしたフィクションですが、巷やマスコミの関心は、各登場人物が実在の人物ではだれか、事実はどうだったのかというような点に集約され、報道も過熱しました。
 基本的に私は、『沈まぬ太陽』は、あくまでもフィクションだと思っています。真実に近づきたいならば、あらゆる立場の人に取材した緻密で公平なノンフィクションの本を作るべきでしょう。
 ここでは、氏の経歴とかではなく、私が二冊の本を通じて関わり、体験したことを綴ってみようと思います。

 私が小倉さんと出会ったのは、確か1991年の後半か92年の初めだったと思います。氏が主催していた「サバンナクラブ」の本を作りたいとこことで、仕事をすることになりました。私はアートディレクター、デザイナーとして参加しました。

 なんといってもナイロビ左遷の憂き目にあった小倉さんですが、「捨てる神あれば拾う神あり」。アフリカの水は氏にピッタリと合ったようです。もし、アフリカに出会わなければ氏の人生は、労働運動活動家としてだけの、実に味気ないものになっていたに相違ありません。「アフリカの水を飲んだものは必ずアフリカに帰る」という言葉があるように、氏もまたその幸せなひとりだったのです。

 本の名前は、『サバンナの風』。クラブの会員には、いわゆる有名人も多く掲載順や写真の選定、トリミングなどには非常に神経を使いました。既に高名なプロの写真家もいらして、そういう方の写真はギリギリまで寄って余計なものが全く写っていないので、基本的にノートリミングで使うしかないのですが、本の版形と写真の版形は違うため、版面いっぱいに断ち切りで使おうとすると、周り3ミリのどぶ(製本の際に断ち切られてしまう部分)でさえとるのが難しいという状況さえ出てきます。絶対に切れない一方に白場を設けてキャプションを入れることにしました。

 ある日小倉さんから、「岩合さんの所へ行って写真借りてきてください。」と言われました。「岩合さんといえばライオンですね。ぜひ、これといういい写真を借りてきてくださいね。」
 いい写真ねえ。ライオンなんて動物園でしか見たことがないし、どういう写真があるかも分からないし。ええいままよと岩合光昭さんの事務所に出かけたのでした。

 岩合さんの事務所では、ご自身が膨大なライオンのまだマウントもしていない撮りたてのリバーサルフィルムをゴソッと出してくれました。私はルーペを片手にライトボックスに次々にフィルムを乗せて膨大な量のカットを見ていきました。さすがです、『ナショナル・ジオグラフィック』にライオンの写真が特集された方ですから。どのカットもライオンの姿形の迫力が手に取るように伝わってきます。しかし、もうひとつピンッとくるものに出会えない…。共通の知人の話や、アフリカと私が行ったアマゾンの違いなどを話ながら、選定を進めましたが、どうにも出会えません。思わずひとりで唸ってしまいました。

 そんな時、赤ちゃんライオンのカットを見ていて、「赤ん坊のライオンて、親とは毛質がぜんぜん違うんですね。」と岩合さんに話しかけました。「ああ、そうなんだよ。分かる?」といって、奥から別のフィルムを持ってきてくれました。それは、4頭のライオンがやっと倒して仰向けになったバッファローに食いついているというものでした。しかも、天を向いたバッファローのアゴ先には、子供のライオンが必死の形相でかみついています。これだ!と思いました。連写の中から一番のカットを選び出し、「これお借りします。」と言って意気揚々と帰路に就きました。
 「よくこの写真借りられましたね。いい写真ですよ。」小倉さんの笑顔を見て、私は一気に苦労が吹き飛びました。

 困ったのは、会長をされていた作家の戸川幸夫さんに『サバンナの風』の題字を書いてもらってきてと言われた時でした。動物を主人公とした「動物文学」を確立させた方で、イリオモテヤマネコの学術的発見の手がかりを得た方でもあります。子供の頃に『少年サンデー』や『少年マガジン』の原作や学校の図書館にあった小説で、私にも非常に馴染みの深い方でした。それだけに、毛筆で題字を書いてもらうなんて、気むずかしい人だったらどうしようと思いながら出かけたのでした。

 ところが、氏は非常に物静かな方で、こちらの無理なお願いにも心易く書いてくださいました。ところが、ところが、なかなか題字にできそうな字があがってこないのです。特に風という字がしっくりこないんです。何度も何度もお願いして書いていただき、最後は風という文字だけたくさん書いてもらいました。書道ではないので、結局たくさん書いていただいた文字から「サバンナ」「の」「風」の文字のいいものを選び出して組み合わせることにしました。この件に関しては小倉さんも苦笑していたのを覚えています。

 小倉さんは、非常に緻密な方で、「写真もまず標本写真として通用すること」が基本です。まあ面白くもない写真にもなりがちですが、いわゆるイメージカット風はダメなんですね。また、私が全編写真ばかりなので奥付にはイラストを使いたいと思い、昔の欧州の画家が描いたアフリカの動物の木版画やエッチングを持参し、小倉さんに見せたのですが、全てボツになりました。理由は生物学的に間違っているからということでした。そして、ひとつひとつのイラストを指し示し、その生物学的な間違い箇所を説明してくれました。納得せざるを得ませんでしたが、私は困ってしまいました。すると見かねたのか、「私の絵を使ってください。」とのこと。「えっ! 絵も描かれるんですか?」と伺うと、「つたない絵ですけど。」といって後日何点かペン画を持ってきてくださいました。そして、その中から私が気に入った一点を使わせていただきました。

 仕事が一段落すると、小倉さんとはよく雑談をしました。アフリカや私が放浪したアマゾンの話、自然保護の話、ハンティングを銃からカメラに持ち替えた話、アフリカの動物はほとんど食べたという話、アフリカを撮る写真家は多いのに、なぜアマゾンを撮る写真家は少ないのかという話、アフリカンに嫁いだ日本女性の話、アフリカを訪れた日本人観光客の面白い話など話題は尽きませんでした。前者の女性は、東京でアフリカ人の男性に出会って恋に落ち結婚したのですが、アフリカの彼の家に行ってみると奥さんがすでに10人ぐらいいたとかいう話です。一夫多妻を知らなかったのですね。後者は、ある朝サバンナに行くと向こうから明らかに日本人旅行者と思われる男性が物凄い形相で駆けてきたそうです。車を降りるとパニックの形相で、昨日ツアーで来たが置いていかれた。岩陰に隠れたが、獣の唸り声が聞こえて一睡もできなかったと英語でまくし立てたそうです。私は日本人です大丈夫ですよと言ったが、彼はそんなことは頭に入らず英語でわめき続けたそうです。今でも人なつっこい小倉さんの笑顔と、アフリカを語るときの情熱的な眼差しは忘れることができません。

 70年代のアフリカの話ですが、「田舎の娘がナイロビのクラブにほとんど裸で出勤してくるんですよ。そして服を着て舞台に出る。踊りながら裸になって踊る。家に帰る時は、また裸になって帰るんです。」急速な近代化を迎えたアフリカのちょっと哀しい笑い話もしてくれました。
 ナイロビに住んでいても野生動物を見たことがない人もいるんです。実際、来日して上野動物園で始めて実物のライオンを見たというアフリカンもいるんですよ。」と。

 『サバンナの風』の氏の文章の一節に、好きな言葉として、こういう一文があります。
「ここ東アフリカの大地に立つと、夜空を仰いでは天文学者になればよかったなあと思い、大地の亀裂、大地溝帯の不思議さを見て、ああ地理学者でもよかったなあと思う。原野を走る動物を見て、そうだ、動物学者という手もあった。目を落として足元の花を見て、植物学者でもよかった…と。」
 こんな風に思わせるのが、東アフリカの自然なのです、と。

 アフリカを通じて、「自然の中の人類の位置を見直す。」ということを訴え続けた方でした。

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山の恵み時候坊(妻女山里山通信)

2009-10-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 今年は、夏に雨が多く夏キノコは豊作でしたが、9月に雨が少なかったため秋のキノコはどこも不作です。松茸山でも休業状態のところが出ています。わが家の山も例年ならば時候坊が雨後の竹の子のようにたくさん出るのですが、9月下旬から10月上旬はさっぱりでした。

 それが、雨が降ったので、ひょっとしたらと思い立ってわが家の山(留山で関係者以外は立入禁止です)へ寄ってみると、時候坊が5本出ていました。これはもっと出ているだろうと探すと、何度かの豪雨で菌が落葉松の松葉と一緒に流されてしまい、いつも出る上部にはありません。

 もしやと思い下っていくと、だんだん多くなります。そして、猪が盛大に掘り起こした段差に来ると、ありました。輪菌になった時候坊。ざっと20本はありました。私が早春から除伐した落葉松林に大量に出たわけです。除伐のおかげで風が通り陽も適度に差すようになったためです。昨秋に時候坊の菌もあちこちに蒔いておきました。あっちにもこっちにもと採取すると、結局81本採れました。不作の年にしてはまずまずの収穫です。去年は一度に405本採ったこともありましたから。

 時候坊は、さっと湯がいてゴミを取り除きます。その日食べる分以外は、小分けして冷凍します。昔は塩漬けにしていましたが、冷凍の方が塩出ししなくてすむので風味が損なわれません。食べ方は、おろし和え、豆腐ときのこ汁、きのこうどん・蕎麦、鍋物に、時候坊和風パスタも美味です。代表的な信州の秋の味覚で、これを食べないと秋が来たという気がしないという信州人は少なくありません。

 といっても時候坊はもう終わり、季節は栗田家ではなく栗茸、剥茸、紫占地に移りつつあります。今年は、某山の奥の奥で幻の本占地のシロも見つけました。温暖化と異常気象で、昔とはきのこの出方が変わってしまいましたが、錦秋の秋に向かって日に日に色づいていく信濃の山々です。

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手作りイチジクジャム:新信州郷土料理(妻女山里山通信)

2009-10-16 | 男の料理・グルメ
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 イチジクは、クワ科イチジク属の落葉高木で、無花果と書きますが、実は花は咲きます。ただ外からは見えないのです。花軸が肥大化した花嚢の内部に小さな花(隠頭花序)を咲かせています。アラビア半島の南部といわれ、1630年に日本に不老長寿の果物として入ってきました。

 イチジクは、なかなか樹上完熟のものは売られていません。それは一度に熟れるのではなく、一日一個ずつ熟すということから一熟(いちじゅく)が転訛してイチジクになったといわれるように、同時に熟さないこともあります。また、傷みやすく長距離の輸送にも適していないということで、樹上完熟のものはなかなか市販されないのでしょう。食用にする部分は果肉ではなくて花托(かたく)です。

 イチジクがたくさん熟し始めたので自家製のジャムを作ることにしました。材料は、もちろん樹上完熟のもの。甘さ旨さが違います。作り方はいたって簡単。ルビー色の美味しい安全なジャムが手軽にできます。

■イチジクジャム
●材料
イチジク(洗って先の固い部分を切り落としたもの):1キログラム
グラニュー糖(砂糖):350グラム
水:1カップ(200cc)
レモン汁:1個分(好みで調整)
ブランデーまたは、コアントロー(なくてもよい・白ワインでも)
ビンは煮沸消毒する。
●作り方
1.イチジクを縦半分に切り、1センチぐらいにスライスして鍋に入れ強火にする。アクがでるならとる。
2.沸騰したら中火にして砂糖を加え、焦がさないように絶えずかき混ぜながら煮る。
3.小さな泡が大きくなり、透明になってとろみが少し出てきたら火を止める。
4.10分ほどそのままで、なじませる。
5.鍋を沸騰させ、かき混ぜながらレモン汁とブランデーを加え、3分ほど煮る。
6.火を止めて冷めて固まる前にビンに入れる。
7.荒熱がとれたら、保存料や添加物がないので冷蔵庫で保存。

 トーストやアイスクリーム、ヨーグルトと、お菓子の材料にと応用範囲も広く使えます。ラム酒やウィスキーを加えると大人のジャムに。今回はひとビンを息子の元服のお祝いにすることにしました。妻女山展望台から見る長芋畑もずいぶんと色づいてきました。つる壊し作業が始まります。

★新信州郷土料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。山菜・キノコ料理、内臓料理、ブラジル料理、エスニック、中華の込み入った料理などの「男の料理レシピ集」です。特に本格的なアンチョビーの作り方を載せているのは、当サイトだけだと思います。手作りオイルサーディン、手作りソーセージもお薦めです。山菜料理も豊富です。豆料理もたくさんあります!
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村上義清攻略の軍道「勘助道」再び!:五里ケ峯-鏡台山(妻女山里山通信)

2009-10-13 | 歴史・地理・雑学
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 村上義清の葛尾城跡の北にそびえる五里ケ峯(五里が峰)と、安藤(歌川)広重「六十余州名所図会」の『信濃更科田毎月鏡台山』で有名な鏡台山へ、両山の間にある笹平(沢山峠)からピストンで登りました。
 五里ケ峯は、善光寺からの距離が五里ということでの命名ですが、昔は森村においては寥亮山(りょうりょうさん)といい、俗称は澤山といいました。
 鏡台山(鏡臺山)は、小県においては張合、坂城町では大洞山(おおほらやま)、倉科では曲出(まがりだし)などと呼ばれました。

 まずスタート地点の坂城町と千曲市森をつなぐ林道更埴坂城線の笹平登山口(沢山峠)へ。この笹平ですが、明治の『埴科郡誌』には、「鏡臺山の坂城の地積に属するものを大洞(オオホラ)と云う 大洞より山脈西に分かれ禿平、笹平を経て五里ケ峰となる」と書かれています。すると、現在笹平と呼んでいる所は、禿平(はげだいら)で、笹平はもっと西ということになります。確かに高圧線が越えているあたりは笹原があり、そこが本来の笹平なのかもしれません。

 五里ケ峯へは、朝露に湿る林道を辿ります。途中バラに悩まされながらも55分で山頂に到着。時間も早いので「勘助道(勘助横手)」へ往復することにしました。「勘助道」は、山本勘助が村上義清の葛尾城を背後から攻略するために作らせたという軍用道路。その一部が五里ケ峯の北尾根に残っているのです。詳しいルポは、勘助道探索ルポ「葛尾城跡・五里ケ峯・鏡台山」トレッキングをご覧ください。

 山頂から北へロープをつたって30mほど下り、さらにロープを頼りに数十m下りて尾根を進み、分岐を右に下ると「勘助道」です。新しい標識も立っていました。先日、鏡台山の山頂で出会った千曲市の職員の方に「勘助道」のことを話すと、なんでも「山と渓谷社」から問い合わせがあったそうです。五里ケ峯の勘助道に関しては、私のサイトと千曲市のサイトに載っているだけなので、私のルポを見たのかもしれません。私も千曲市在住の伯父から聞き、興味を持って探索に出て始めて発見したもので、市でもサイトに載せてはいるものの詳細を知る人がおらず、問い合わせにも困ったと言っていました。
 真偽のほどは定かではありませんが、山中に突然現れるその道は、確かに不可思議です。

「勘助道(勘助横手)」については、MORI MORI KIDS(のトレッキングルポで、その消えてしまった経路を推理してみたいと思います。

 往復50分ほどで五里ケ峯に戻ってゆっくり昼食、さて出ようかと思ったら、6、7歳ぐらいの男の子とお母さんとおぼしき女性が登ってきました。なんでも朝9時から3時間以上かかって山頂に着いたそうです。笹平からのお手軽登山の私は、ちょっと恥ずかしくなりました。だからというわけでもないのですが、鏡台山へも登ることにしました。

 笹平に戻ると、熊避けグッズ完全装備の人がいました。花火、爆竹、癇癪玉鉄砲、ホイッスル、鈴たくさん、ラジオとそれは見事です。お願いして写真を撮らせてもらいました。私が鏡台山へ登ると言うと、鏡台山は熊がうじゃうじゃいるからと、自作の花火打上用発射管なるものを使って花火と爆竹で派手に熊を追い払ってくれました。それが功を奏したのかどうか、目の前を熊かも知れないものが横切り斜面を駆け下りていくのに後で遭遇することになるのですが…。

 鏡台山へは、そんなハプニングもあってか35分で到着。登った山を別の山から見るのもいいものです。富士山は、相変わらず霞の中。冬を待たなければならないようです。

 帰りに登ってくる男性とすれ違いましたが、熊らしきものとの遭遇を話すと、道端にマムシが寝ていたと話していました。熊もマムシも冬眠前で、なにかと忙しいようです。と呑気なことばかりも言っていられません。この日の午前中、近くの真田町の登山道で登山者が親子連れの熊と遭遇し、襲われて軽傷を負うという事件がありました。熊避けグッズ完全装備はともかく、鈴や笛は必須です。

 色んな人や生物に出会った静かで賑やかな山行でしたが、埴科の低山も日毎錦秋に近づいてきました。

★五里ケ峯・鏡台山のトレッキングを、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。どうぞご覧ください。今回は、パノラマ写真が豊富です。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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酔いどれかぐや姫は蛾の娘?(北信濃里山通信)

2009-10-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 日本は「かぐや」ですが、中国の月面探査衛星の名前は「嫦蛾」といいます。古代中国の神話に「嫦蛾月に走る」というのがあります。中国では月にはうさぎではなく、蛾や蟾蜍(ヒキガエル)がいるのです。

 「嫦蛾」は「ゲイ」(羽の下に廾)という神様の妻でした。ゲイは弓の名手で、10個あった太陽のうち9個を撃ち落したといいます。それを太陽の母、義和が怒り神様に訴えたのでゲイは下界に落とされたのです。

 ゲイは天界に帰るべく西王母(西方の崑崙山に住むという不老不死の力を与える神女)に仙薬もらいます。この薬は、二人で分けて飲めば不老不死になるだけ。一人で飲めば天界に戻って神になれるというもの。妻の嫦蛾が夫を裏切り、一人で飲んでしまいます。嫦蛾は天界には躊躇して行かなかったけれども、仙人となって月に走り、やがて夫を裏切った罪で月に閉じこめられてヒキガエルとなったといいいます。

 その後ゲイは、功名心を持った家僕の逢蒙という弟子に裏切られ、弓で射殺されました。これでは余りにも悲惨だということで……。満月の夜に団子を供えて、嫦蛾の名を三度呼ぶと、嫦蛾が月から戻ってきて再び夫婦として暮らしたという余話が付く場合もあるそうですが、いずれにしても悲劇の英雄です。月見の風習はここから始まって日本に伝わったとか。竹取物語もこの話が下敷きのひとつかもしれません。だとするとかぐや姫は、蛾の娘、いやヒキガエルの娘ということになりますか。

 かぐや姫の歌に『酔いどれかぐや姫』という名曲?がありますが、長男が保育園の頃にこの曲がお気に入りで、「シャ~ララ~、シャ~ララ~」という部分を繰り返し繰り返し歌っていました。アルバムには、他に「町のうわさのかぐや姫」「妻という名のかぐや姫」「ひとり寝のかぐや姫」「たそがれのかぐや姫」「天国のかぐや姫」が収録されていました。

 中国の美人の形容に「蛾眉」というのがあります。 蛾の触角(細く櫛形)のような美しい弧を描いた眉をしている人が美人の条件でした。
 中華の薬膳料理に使われる冬草夏虫というとても高価なキノコがあります。蝙蝠(コウモリ)蛾の幼虫に菌が寄生してできる摩訶不思議なキノコで、薬効が非常に高く不老不死の食材とされています。

 オオミズアオ(大水青蛾)という妖艶な蛾がいます。わりと町中にも多く、都内でも街灯に飛んできて留まっているのが見られます。欧州では「月の女神」と呼ばれる蛾です。昼間電柱に留まっているオオミズアオを見つけて、女子高生が「キャーッ!なにこれ!?」と叫んでいたことがあります。
 ホシシャクは、夜街灯に集まる蛾の一種ですが、日中も見られます。まるで空中を彷徨うように舞う姿は儚げで幻想的ですらあります。白いはねに小さな水玉模様とスモーキーブルーの目が印象的な蛾ですが、昼間見ると弱々しく飛ぶモンシロチョウという感じです。

 日本において蛾は昔、「ひむし・ひひる・ひひるは」ともいました。火虫ですね。「飛んで火にいる夏の虫」です。「ひひるは」は「蛾葉」のこと。紗(薄衣・薄絹)を表す言葉としても使われました。

「宵の間も はかなく見ゆる 夏虫に 惑ひまされる 恋(こひ)もするかな 」 紀友則 『古今和歌集』

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。トレッキング・フォトルポにない写真もたくさんアップしました。
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イカリモンガってナニモンダ!?(妻女山里山通信)

2009-10-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 蝶と蛾の定義というのは、実はなかなか難しいのです。日本には鱗翅目は約5000種類います。そのうち蝶は約250種。約9割が蛾です。さらに毎年30種ほどが追加されているそうですが、それらは蛾ばかりです。俗に蝶は美しく、蛾は嫌われ者という概念がありますが、美しい蛾もいれば、ちょっとねという蝶もいます。

 俗に「蝶は昼間に活動し、蛾は夜に活動する。蝶は翅を立てて留まるが、蛾は翅を広げて留まる。蝶の幼虫は青虫だが、蛾の幼虫は毛虫である。」などといいますが、これらも例外があり、全てには当てはまりません。そこで、このイカリモンガです。ビックリしたようなまん丸い目が印象的です。

 舞っている姿は、遠目にはまるでベニシジミ。留まっている姿は、テングチョウのようです。ところがイカリモンガという蛾なのです。碇紋蛾、または錨紋蛾と書き、前翅に錨形のオレンジの紋様があることから、そう命名されました。留まる時は翅を立てます。触角は細く一般的な蛾のように羽毛状ではありません。また、昼行性で昼間に活動します。ですからイカリモンチョウと命名されても全く違和感はなかったと思います。敢えていえばセセリチョウの仲間の方が、もっと蛾らしいともいえます。

 もっとも、当のイカリモンガにしてみれば、そんなことどうでもいい話で、自分たちがそんな名前だとも知らずにナギナタコウジュやマルバフジバカマで盛んに吸蜜していたわけですが…。

 蝶をチョウというのは中国の漢字の音読みで、現在は、蝴蝶(フーディエ)といいますが、昔の発音(チェッ)からきているといわれています。転訛してチョウになったというわけです。蝶のことを古歌で「からてふ」ともいいますが、これは唐蝶で、つまり唐唐土(とうもろこし)や唐黍(とうきび)と同じ発想からきた名称かと思われます。蝶の古語には、他にカハヒラコ、テンガラ、テゴナ、ヒヒル等があり、みな葉っぱのように薄くひらひら飛ぶものというような意味です。

 実は、万葉集には蝶を詠った句がひとつもありません。蝶は、死者の霊を運ぶものとして、霊的な存在と思われていたということがあります。幼虫から蛹、蝶へと全く異なるものに変わることから、呪術的な神秘性を感じていたとしても不思議はありません。但し、中国では、蝶は多産や美の象徴で縁起のよいものでした。それが古代の日本に伝播したことで、お洒落な唐物として子孫繁栄の意味も持つことから、平家の家紋などに用いられたのかもしれません。また、蚕も蛾になるわけですから、益虫として崇められました。蝶や蛾は、吉凶両面のアンビヴァレンツ(二律背反)な側面を持つ存在だったのかもしれません。

『源氏物語』の胡蝶の巻には…。
「花園の 胡蝶をさへや 下草に 秋待つ虫は うとく見るらむ」という歌があります。
「下草に隠れて秋を待つ虫は、この花園の蝶をみても、まだ春が嫌いというのでしょうか。」というどうでもいいようなことを詠ったものですが、ここでは蝶は「花園の蝶」ということで、美や愛情の隠喩として使われています。なんだか秋の虫が、ものすごく根暗なヤツのように感じますが…。

 荘子の斉物論にある「胡蝶の夢」という寓話が有名ですが…。
 荘子が夢の中で蝶になり、空を舞って楽しんでいると目が覚めてしまいます。すると、自分が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て自分になっているのか、どちらか分からないという話です。夢と現(うつつ)の区別がつかないことの例えや、人生の儚さの例えです。蝶の予測できない不安定で気まぐれな飛び方から、思いついたものでしょうか。

 イカリモンガに戻りますが、蝶では珍しく幼虫の食草が、イノデなどのシダ類です。人類がこの世に歩き始めた頃には、現在有る蝶と蛾のほとんどが既に舞っていたといわれています。花の蜜を吸う蝶は、花が出現してからのものですから、恐竜のいた中生代に現在の蝶はいなかったわけです。中生代のジュラ紀から白亜紀にかけて、裸子植物が栄え、蛾が出現したといわれていますから、蝶の出現はきれいな花を咲かせる被子植物の出現した頃ということになります。蝶は、昆虫の中でも後発なんです。

 ですから、年代的には別にシダ類など食べなくても他に食草はいくらでもあったと思うのですが…。どちらかというと薄暗い林下を棲みかとするイカリモンガには、他にライバルもいなくて、たくさんあるイノデは恰好の食糧だったのかもしれません。

 ポルノグラフィティの「アゲハ蝶」はとてもいい歌だと思いますが、蝶の名前が確定したのは江戸後期から明治時代で、昔は大きな蝶はみな揚羽だったようです。区別する必要もなかったのでしょう。国蝶のオオムラサキでさえ、江戸時代後期にヨロイチョウ、その後ムラサキチョウという記述があり、明治時代にやっとオオムラサキとなったぐらいですから。揚羽とは、蝶を揚げて食べたからではなく、翅を揚げて留まることから。

 もうひとつ、「蝶よ花よ」といいますが、転訛して「ちやほや(する)」になりました。
「みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける」藤原定子

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お姫様を略奪して逃亡する蜘蛛(妻女山里山通信)

2009-10-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 日曜日に時候坊探しと山栗拾いに近くの山へ登りました。雨は降ったのですが、まだ地温が高く秋のキノコは不作です。山桜と山漆、白膠木(ぬるで)、萩は色付き始めましたが、まだまだ草深い山道を進むと、ナギナタコウジュの花穂(かすい)の上を獲物を加えながら悠然と歩くマロンブラウンの小さな蜘蛛を見つけました。

 口にはなにかをくわえています。スーパーマクロで撮影しようと、ギリギリまで寄るとこちらを睨みつけるような仕草。くわえられているのは、小さなお尻しか見えませんが、その模様から北姫扁虻(キタヒメヒラタアブ)でしょうか。細扁虻(ホソヒラタアブ)かもしれませんが。

 まさしく小さなお姫様を略奪して逃亡する山賊のようで、「あ~れ~っ!」というお姫様の悲鳴が聞こえてきそうです。美しい薄紫の花の上で、厳しい自然の営みが行われていました。

 この蜘蛛は、帰って調べてみると、キシダグモ科のイオウイロハシリグモ(硫黄色走蜘蛛)と分かりました。ハシリグモというように、足が非常に速く捕まえるのは困難です。水場に棲む種と草地や雑木林に棲む種がいます。水場棲むものは、魚やおたまじゃくしも食べ、草地の蜘蛛は主に昆虫を捕らえて食べます。また、雄が捕らえた獲物を雌に贈る「求愛給餌」をすることでも知られています。

 イオウイロハシリグモは、網を張らずに徘徊して餌を捕獲する蜘蛛です。個体によって色彩変異が大きく、黄褐色から黒褐色まで、太い筋の入ったものもいます。雌は卵のうをくわえて歩き、子が生まれるようになると粘らない網を張って幼稚園ともいえる「まどい」を作ります。外敵の侵入があると蜘蛛の子は一斉に逃げます。いわゆる「蜘蛛の子を散らす」というあれです。

 水田のあぜ道から、雑木林の周辺、草むらまで、わりとどこにでもいる蜘蛛ですので、散歩のついでに探してみると面白いかもしれません。
 ところで台風第18号 (メーロー)が上陸しそうです。こんな時、森の動物や昆虫たちは安全な場所に避難してひたすら静まるのを待つのでしょう。先日の強風でさえ、山では20m以上ある杉の大木が倒れていました。大きな被害が出ないといいのですが。千曲川の増水も心配です。

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異常気象でキノコがない!(妻女山里山通信)

2009-10-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 今年の夏は雨が多く、やや冷夏で夏キノコは大盛況でしたが、逆に9月の気温が高く雨がほとんど降りませんでした。そのため秋のキノコは大不作と聞いています。確かに妻女山近辺でも毒キノコさえ見られません。それでももう少し高いところへ行けばと出かけてみました。

 朝8時過ぎ、標高800m辺りに車を止め山道を登り始めると、上から鈴の音が聞こえてきました。もう取り終えたのかな、それにしても戻りが早いなと思っていると、丸々とした芝犬を連れたおじさんが大きな籠を背負って下りてきました。採れましたかと尋ねると、ダメダメ毒キノコ1本さえない、との応え。やはりここもだめかと、落胆しつつ上の方は行きましたか?と尋ねると、いや行っていないとのこと。一縷の望みを持って登り始めました。

 着いた所は熊も棲息する標高1000m以上の山中。山道を外れて急斜面に突入です。しかし、全く見あたりません。探しているのは主に時候坊。滑りの非常に強い、甘い香りのキノコです。ここ一週間雨は適度に降ったのですが、気温が高すぎます。森の中を歩いていても汗ばむほど。同様に地温も高いのでキノコが出ないのです。そこで、こんな時でも出そうなポイントだけを狙って探索。ポツポツと採れ出しましたが、100m四方に2、3本の割合。大発生すれば、道の上から森の中まで何人入っても採りきれないほど出るのですが…。出ない時というのはこんなものです。

 森も紅葉が遅れていてなんだか秋の森に来た気がしません。それでも日当たりの良い林道に出ると、ヤマザクラ、ヌルデ、ヤマウルシ、ハギなどの紅葉は始まっています。今年は、今のところ秋キノコは不作ですが、山栗は大豊作でした。ドングリも豊作で、山の動物たちは大喜びでしょう。この間も鏡台山で木の実をたくさん食べた月の輪熊の大きな糞を見たばかりです。

 まだ緑の多い山ですが、ツルリンドウの赤紫の実が地を染め、コムラサキの紫の粒が林間にたくさん浮いています。珍しいナンキンナナカマドの赤い実も見つけました。オオシワカラカサタケの群生を見つけました。可食?とありますが、粉っぽい匂いを嗅ぐととても食べる気にはなりません。

 そして、帰り際に日当たりの良い斜面で見つけたピンク色の花。キク科かなと思うのですが、花後の菱形が碁盤の目に並んだ形が特徴的で、記憶の隅にあるんですが思い出せません。なにかの花に似ていると思っていたのですが…。そうです高原の花、マツムシソウです。やはり、これもマツムシソウ科のナベナ(鍋菜)という花でした。目立たない地味な花なので、アサマヒゴダイと同様に、見ようとしなければ見えてこない花かもしれません。

★鏡台山のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。アサギマダラの特集も。どうぞご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、粘菌、秋の花、昆虫、樹木、蝶などを更新しました。トレッキング・フォトルポにない写真も掲載してあります。
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少納言小豆を限定販売しています!:新信州郷土料理(妻女山里山通信)

2009-10-02 | 男の料理・グルメ
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 ご好評をいただいた希少価値の高い少納言小豆を、今年も限定販売いたします。ご存じのように、今や小豆は中国産が殆ど。加工されて入ってくるので、豊かな風味はありません。安全性の問題もあるかもしれません。国産の小豆でも丹波や北海道産も殆どが大粒の大納言です。糖度が高く実割れしないので加工や調理が楽です。大納言も美味しいのですが、やや大味。それに比べて少納言は味が緻密で小豆(しょうず)と呼ばれ、特有の豊かな風味や味があります。

 農薬は、発芽して成長初期に一回のみ。これをしないと虫がついて成長できないからですが、それ以降は開花、結実、収穫までいっさい農薬を使用しません。また、化学肥料も使用していません。写真のキノコですが、小豆の下に生えるもので、農薬の影響がないからこそ菌が繁殖できるのです。ちなみにこのキノコは食べられます。といっても美味しくないので誰も食べませんが。

 小豆は、母乳で育てたい妊娠中の女性にもお勧めします。また、小豆がゆなどは、年輩の方にも好まれると思います。水で戻してご飯と一緒に炊きあげて日常食としても栄養があります。五穀米と合わせると栄養満点で、子供の成長にも最適な食品です。小豆は、良質のタンパク質とビタミンB群や亜鉛、ミネラルを含む栄養食品です。

 少納言小豆は、大納言に比べると、味が緻密でコクがあります。これで作るあんこは、絶品です。ご自分でお萩や団子、銅鑼焼きなどを作ってみてはいかがでしょうか。あんこは冷凍できるので、たくさん作って小分けして冷凍しておくと便利です。小豆がゆ、赤飯など甘くしない食べ方もオススメです。ベーコン、ひき肉とニンニクで炒め煮してご飯のおかずに、ブラジルのフェジョン風の食べ方も美味です。小豆は、洋風料理にも使えるんです。

 写真下は、現在も現役で登場するわが家の唐箕です。よく民族博物館などに展示されています。これで風を送って小豆以外のゴミを飛ばすという原始的かつ合理的な人力駆動のよくできた選別機械です。
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■無選別少納言小豆
1キロ:1500円 (ゆうパック送料別。ご注文量に応じて白ゴマ黒ゴマなどをおまけにつけます。)
無選別のため、虫食い、欠けたものも入るため1割ほど増量してお送りいたします。だれでもできる簡単な選別方をお教えいたします。
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 また、ゴマを収穫しました。今や、ゴマは99.9パーセントが輸入品。安全で香り高く美味しい国産は極わずかです。ゴマ団子やゴマ和えなどに栄養たっぷりの
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■香り高いゴマを限定販売します。
洗い黒ゴマ/100g:500円
洗い白ゴマ/100g:600円
手洗い手選別のためシイナ(ゴマになれなかったゴマ)などが入っていますが全く無害です。
100g単位でお願いいたします。(送料別、ゆうパックか少量の場合は、500円のエクスパックやメール便もOKです。ご相談ください)
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●ご注文やお問い合わせは、コンタクトのページからメールで、ご注文商品と数量、お名前、お届け先、電話番号を明記の上お知らせください。お振り込み先などをお知らせいたします。その後、入金していただき、確認次第梱包発送いたします。(個人情報は、他に流用することはありません。)
◆申し訳ありませんが、現在は販売をしておりません。
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★新信州郷土料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。山菜・キノコ料理、内臓料理、ブラジル料理、エスニック、中華の込み入った料理などの「男の料理レシピ集」です。特に本格的なアンチョビーの作り方を載せているのは、当サイトだけだと思います。手作りオイルサーディン、手作りソーセージもお薦めです。山菜料理も豊富です。豆料理もたくさんあります!
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