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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

大御食神社例大祭と日本最古の家系小町谷氏。立川音四郎種清の木彫。光前寺と熱田神社(妻女山里山通信)

2015-09-29 | 歴史・地理・雑学
 駒ヶ根市赤穂の旧赤須村にある美女ヶ森大御食神社(おおみけじんじゃ)を訪れました。実は私の叔母が、神社の社家である小町谷家の出身で、その話を聞いてからずっと訪ねてみたいと思っていたのです。信州は、善光寺のある長野と、松本城のある松本が中心で、伊那谷などはなにもない田舎と思ったら大間違いなのです。元善光寺もありますし。古い歴史と伝統を持った里なのです。

 日本武尊が当地に立ち寄った際に饗応した里長が「御食彦(みけつひこ)」の名を賜り、後に日本武尊を祀った当社を創建したものという。118年(景行天皇48年)の創建と伝わる。(美しの杜社伝記)という非常に由緒ある古社で、その社家の小町谷家は、なんと日本最古の家系といわれているのです。神社には、神代文字(阿比留草文字)で書かれた社伝記が伝えられています。社伝記読み下し文

 訪れた日はちょうど例大祭の日で、神社では厳かに儀式がとり行われていました。こういう機会もめったにないことなので、見学させていただきました。祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)・五郎姫神(いついらつひめのみこと)・誉田別尊(ほんだわけのみこと)。

 儀式を執り行う人達は平安時代の装束で、頭には烏帽子ではなく冠を被っていました。笙と笛の演奏をバックに三宝に載せられた供物の奉納などが拝殿から本殿へと行われます。祝詞が挙げられ、後に供物を取り下げ、太鼓を打ち鳴らして儀式は終了しました。氏子の皆さんが、判で押したようにダブルの黒の礼服に、黒白グレーのレジメンタルタイをしていたのが、ちょっと面白かったです。皆同じ店で買ったのでしょうか。見学する人が少なかったのですが、集落の人は祭りの準備で忙しいのでしょう。余韻の残る非常にいい儀式でした。

 文久3年の棟札に「大工キソ(木曽)斎藤常吉、彫工下スワ(諏訪)立木音四郎」とあり、大工棟梁が天才と呼ばれた立川和四郎冨昌の一番弟子の斎藤常吉、彫工が同じく立川弟子の立川音四郎種清(本名立木音四郎)ということで、見事な木彫が見られます。

 獅子の顔や象や龍なども、冨昌のものとは違い、よりダイナミックで動きが派手です。下諏訪町誌によると、種清は率直な磊落(らいらく)な人で、よく人の世話をした。「声の大きい人で、種清さの内緒話はむこう山でひびく」と人が笑ったという。と書かれています。そんな人となり(為人)を表すような木彫です。明治41年没。
 なぜこの地にこれだけのものが残り得たのか。時代の変遷、幾度もの戦乱、特に戦国時代。数々の自然災害もありました。それらを熟考すべきです。

 境内には、天狗やひょっとこ、おかめや狐の格好をした村人がお練りをする画が掲げられています。このお練りは、現在も行われていて老若男女がお練りをする動画が、Youtubeにもアップされています。

 次に訪れたのは、霊犬早太郎説話でも知られる宝積山(ほうしゃくさん)光前寺(こうぜんじ)。天台宗の別格本山の寺院で、天台宗信濃五山(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつ。仁王門から三門までの両側は石垣ですが(左)、その内部にヒカリゴケが自生しています(中)。ヒカリゴケは自発光しているのではなく、原糸体にレンズ状細胞が暗所に入ってくる僅かな光を反射することによる。またレンズ状細胞には葉緑体が多量にあるため反射光は金緑色(エメラルド色)になる。(出典:Wikipedia)浅間山の鬼押し出しの溶岩の間にも見られます。三門の木漏れ日(右)。

 杉の大木に囲まれた本堂(左)。南信州唯一の三重塔で、寺院のサイトには、木彫は立川和四郎作と書かれていますが、父の富棟が64歳、息子の冨昌が26歳。どちらが手掛けたのでしょう(中)。境内の杉林には遊歩道があります。杉林の中の賽の河原。親地蔵を中心に三十数体の小地蔵が立っています(右)。

 ゼロ磁場のパワースポットで有名な分杭峠(左)。そこから秋葉街道(152号)を北上して中沢峠の先で林道へ(中)。森林組合に勤める息子の仕事現場に立ち寄りました(中)。どえらい急斜面でした。途中停車して森の中へ。サクラシメジとホウキタケを採りました。夜は、私が採った天然の舞茸で天ぷらを堪能しました。持って行ったウラベニホテイシメジにホウキタケや豆腐を入れて煮物に。これも絶品でした。

 152号に戻り、三峰川(みぶがわ)沿いに長谷の谷を北上。国重要文化財の熱田神社に寄りました(左)。本殿は、拝殿の背後の覆屋の中ですが、非常に華麗な作りです。彫刻部は上州(群馬県)勢多郡の関口文治郎、彩色は武州(埼玉県)熊谷在の森田清吉と案内板にあります。伊那市指定有形文化財の舞宮(中)。美和ダムの美和湖畔にある道の駅下の公園に咲いていた秋明菊(右)。菊とつきますがアネモネの仲間で茶花にも用いられます。古い時代の中国からの帰化植物ですが、「秋牡丹」「しめ菊」「紫衣菊」「加賀菊」「越前菊」「貴船菊」「唐菊」「高麗菊」「秋芍薬」など、非常に多くの別名があります。花弁に見えるのは萼片です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応は不可能です。

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高鳥谷神社で立川和四郎富昌の木彫を愛で、高鳥谷山に登る。信大農学部落葉松祭で宮崎吾朗監督の対談へも(妻女山里山通信)

2015-09-26 | 歴史・地理・雑学
 伊那市と駒ヶ根市の境にある高鳥谷山へ。たかずやさんと読むのですが、信州には四阿山(あずまやさん)や子檀嶺岳(こまゆみだけ)のようにルビが振ってないと読めない山が結構あります。ちなみにルビは英語で、宝石のルビーのことです。英国では活字のポイント数に合わせて、ダイヤモンドとかルビーとか呼んでいたのです。
 伊那街道を南下し、火山峠を越え、火山の集落を登って山際を進むと板取の集落が見えてきます。山際の分岐に高鳥谷神社の標識があるので登って行くと右手に鳥居が見えてきます。その横から林道に入り、杉林の中を登って行くと神社に着きます。

 高鳥谷神社の参道入口(左)。この左手に10台ほど停められる駐車場があります。杉と赤松の巨樹の間を登って行くと高鳥谷神社が見えてきます(中)。本殿は覆屋の中に収められています。ここで既に標高は945mぐらいあります。
 ―往古の山岳宗教よりきたもので、古くは「高鳥谷(たかずや)天狗」と言われました。中沢郷をはじめ伊那谷全域に渡り、古くから信仰の中心的存在とされています。---
高鳥谷神社本殿 【市有形文化財 建造物】
高鳥谷神社は火山(ひやま)など五ヶ村の産土神(うぶすながみ)で、文明年間に創立され、正徳2年(1712)の造営を経て、現社殿は文政12年(1829)に造営されました。棟札には「大工京都中井主水門人諏訪高島住人立川内匠富昌」と記してあり、2代立川和四郎の作であることが明らかです。社殿は覆屋(おおいや)の中に建ち、杮葺き(こけらぶき)、一間社隅木入春日造軒唐破風付で、各所に大きな彫刻が施されています。特に向拝正面虹梁(こうりょう)の位置にある竜、左右袖障子の中国の人物像が力作です。彩色は無く、すべてケヤキ材の白木造です。
(駒ヶ根市のサイトより)
 烏天狗というと、長野市の飯縄山と同じですね。古代ユダヤの11部族のひとつが渡来したという説を思い出します。

 残念なのは、覆屋がガラスで覆われているので、背後の風景が反射しているのとガラスがかなり汚れていて、中がはっきり見えないのです。そんな訳で、写真も満足に撮れませんでした。画像検索でやっと見られましたが、肉眼ではっきりと見られなかったのが残念です。しかし、建築当初から覆屋の中にあったのでしょう。白木の木彫は、200年近くも経っているとは思えないほど綺麗です。

 登山道は、神社の右手から始まります。約10分ほど杉林を登ると林道へ出ます(左)。横切って赤松の混合林の森をほぼ直登します。両側には松茸の留山のテープ。無粋ですが仕方がありません。ちょうど地元の方がひとり急斜面で松茸狩りをしていました。林道から20分ほど登ると大岩に祀られた覺須霊山という石碑。ここで駐車場から約半分です。

 登山道に大きなニンギョウタケがあちこちに生えていました(左)。食菌で伊那のグリーンファームでも売られていましたが、味にくせがあるため人気はもうひとつのようです。急登が終わり緩やかな明るい尾根に乗ると山頂はすぐ(中)。この先に分岐が現れます。どちらを登っても山頂に出ますが、右のほうが緩やかで、途中南が開けた四阿に出ます。山頂はかなり広く、高鳥谷神社の奥宮や石碑、避難小屋などがあります(右)。

 樹木があるため360度の展望は得られませんが、特に西面は刈り払われていて、伊那や駒ヶ根、飯田方面がよく見えます。奥宮の石祠(中)。詰めれば20人ほどが寝られそうな避難小屋(右)。藤代ゆきという演歌歌手と武井咲のポスターが貼ってありました。

 山頂から西の展望。中央アルプスの稜線は雲の中。左手に千畳敷へ続く谷が見えます。

 北北西の伊那市の方角の展望。経ヶ岳の山頂が見えます。中央の森は信大農学部。標高が773mあります。その右の大きな森は、信州大芝高原。宿泊施設やレストラン、日帰り温泉などがあります。手前は伊那市街。ローメンとソースカツ丼が有名です。旧市街には、昭和レトロな食堂や飲み屋街がありなかなかいい雰囲気です。

 四阿の先から南の展望。松川村、飯田市方面が望めます。

 花はあまり見られませんでした。ヤマトリカブト(左)やシラネセンキュウ(中)、麓では蒟蒻畑が目につきました(右)。

 下山して板取の集落から上げる高鳥谷山。右は帰り道で見つけたレトロなネコバスとがまガエルというバス。夕食に作るカチュッコのために伊那市新山にある息子お勧めの Punkiest(パンキエスト)でカンパーニュを買って帰りました。

 午後は、信州大学農学部の70週年記念イベントへ。宮崎駿さんのご子息の宮崎吾朗監督と学生の対談を聴きに行きました。信大農学部へ行こうと思った動機や汚かった中原寮の話、山奥の古民家に4人ほどで住んでいた話、人形劇のサークルに入っていた話など、大変面白かったですね。実はよく利用する雨宮郵便局の局長が宮崎監督と同じサークルだったそうで、その頃の面白い話を聞いたことがあります。監督は対談後にはサイン攻めに遭っていました。山が好きで信大に決めたと言われたので、ちょうど持っていた拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』をプレゼントしました。帰り際で特にお話もできなかったのですが、興味深そうにめくっておられました。気に入っていただけるといいのですが。「三鷹の森ジブリ美術館」には、できてしばらく経って息子達と行った思い出があります。私は「ラ・ピュタ」が好きなので、飛行船の解説図やスケッチが面白かったですね。
 その後、落葉松祭のテントへOBの息子と行き、山歩会の後輩がいたので拙書のパンフレットを渡しました。地震に見舞われた北信濃の小谷村の福幸そばのカップ麺が、安売りしていたので二箱買いました。
 夕食のカチュッコのために大きなエビとムール貝のガーリックバター炒めと固形のフュメ・ド・ポワソンを持って行ったのですが、トマト缶と魚がほしいとイシモチを買いました。このカッチュッコは馬鹿旨でした。ドイツで修行したというパンキエストのカンパーニュもお勧めです。畑で採れた大玉ニンニクを持って行ったので、息子にルイユを作ってもらいつけていただきました。


 9月20日の信濃毎日新聞の書評欄「ふるさと長野の本」に続き『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林が新潮社の『SINRA』11月号で紹介されました。こちらの紹介文も、私の意図をよく汲んでくれています。「具体的で情緒豊かな文章」というのと「里山への熱い思いと愛情あふれる一冊」というのが嬉しいですね。「見やすい登山地図」というのも。これは私がたまたまカシミールやフォトショップ、イラストレーターを使えることを最大限に活かしたもので、この本の大きな特長となっています。コピーして自分なりの情報を書き込めるようにスペースもとってあります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
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シルバーウィークは南信へ。まず松本の弘法山古墳と牛伏寺へ(妻女山里山通信)

2015-09-24 | 歴史・地理・雑学
 シルバーウィークは、南信へ4日間の小旅行。古社や古刹巡りと山登り、信大農学部の落葉松祭へ行くのが目的です。天候には恵まれました。高速へ乗るのでは途中が楽しめないので、あちこち寄りながら全て下道で行くことにしました。

 準備が送れて出発したのが9時半頃。国道403号を登ってJR篠ノ井線姨捨駅の上にある千曲川展望公園(左)へ。棚田の稲が黄色く染まっています。稲刈りも始まりました。聖湖では、既に多くの釣人がへらぶな釣りを始めていました(中)。向かいの三峯山は雲の中。麻績村を抜けて筑北村を抜けて、国道403号から県道303号へ。風越峠のトンネルの手前にある小さな展望所で小休止(右)。雲が多くて北アルプスのスカイラインは見えませんでした。ここからトンネルを抜けて松茸で有名な旧四賀村(松本市)へ。実は嫌いではないのですが、私はそんなに松茸が好きではないのです。「匂い松茸味占地」といわれますが、いったいどれほどの人がホンシメジを食べたことがあるでしょうか。諺の通り、ホンシメジは松茸の2倍以上の旨味成分があります。一度食べたら松茸が泣いて逃げるほどの旨さです。ウラベニホテイシメジも、上手く苦味を抜いて(完全に抜いては駄目)調理すれば松茸以上の美味しさが味わえるのです。旧四賀村から松本盆地に入り、浅間温泉入り口からやまびこ道路を南下し、まず弘法山古墳に寄りました。

 弘法山古墳の後方部から北に広がる松本中心市街を見たところ。古墳は前方後方墳で、3世紀中頃のものといわれ東日本最古級といわれます。同じタイプのものは長野市の川柳将軍塚古墳の上にある姫塚古墳があります。科野国初代國造の墓といわれる森将軍塚古墳の前方後円墳が出現する少し前のものです。濃尾平野に展開していたという説のある邪馬台国と戦ったという狗奴国(くなこく)との関連をいう説もあります。これに関しては、3世紀に滅亡した中国の呉など中国の古代史との関連も調べる必要があるように思われます。呉に関しては、紀元前の春秋時代にあった呉も、夫差王の子孫が列島に渡来したという伝説があるので、日本史との照らし合わせが必要と思います。世界史と日本史を分けてはいけないのです。

 後方部の縁から前方部を見たところ。古墳を取り囲む森は、ソメイヨシノや八重桜で、約2000本が植えられており、春には山全体が桜色の花霞で覆われます。

 古墳の上には秋桜が風に揺れていました。古墳の上を歩くと、あちこちからバッタが飛び出します。古墳の上で、信大の留学生の女性でしょうか、手紙を書いていました。気温は高めでしたが、風が気持ちよく、雲の形が次々と変わっていきました。右は、前方部から見上げた後方部。松本といえばドラマ『白線流し』を思い出す人も多いでしょう。本来は岐阜県高山市の高校の話なのですが、ドラマのロケは松本市で行われました。放映当時は仕事に追われていてほとんど見る機会はなかったのですが、七倉園子役の酒井美紀さんが美しかったですね。次は、牛伏寺へ。

 牛伏寺断層で有名な?牛伏寺ですが、その前に少し奥にあるフランス式階段流路の見学へ。明治後期に学び、大正初期に作られた砂防施設なんですが、それほど牛伏川は水害に悩まされたという歴史があるのです。非常に美しい階段上の流れが見られます。川沿いには、ヤマゼリが咲き乱れ、ヒョウモンチョウの仲間が盛んに吸蜜していました。

 戻って信州随一の厄除観音といわれる牛伏寺(ごふくじ)へ。牛伏寺は、聖徳太子が42歳の時に自ら刻んだ観音像を本尊として鉢伏山に安置したのが始まりといわれており、756年(天平勝宝7年)、唐からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭の牛が倒れたことからの命名といわれています。
 山門への石段(左)。海を渡って南下する途中のアサギマダラが一頭舞っていました。山門をくぐって茅葺きの如意輪堂へ(中)。趣があります。進むと朱塗りの仁王門(右)。下には伝説の2頭の牛が。

 仁王門をくぐると左手に観音堂(本堂)。入母屋造銅板葺で江戸時代前期の数少ない建造物だそうです(左)。如意輪観音菩薩坐像(中)は、平安時代末期の作。右は、観音堂の木彫ですが、ウィキペディアでは、1796年(寛政8年)大火で堂宇が焼失とあるので、やはりその後に再建された時のものなのでしょうか。諏訪立川流を思わせる貘(ばく)と唐獅子の彫り物が見事でした。

 聖徳太子殿。これは新しい物のようです。伝説の牛二頭(中)。触るとご利益があるようで、善男善女に触られて光っています。牛伏寺砂防ダム越しに見る松本市郊外(右)。牛伏川は、うしぶせと読みます。ダム上には下りる階段があるのですが、施錠されていて入れませんでした。下からは見られます。この少し下からは、鉢伏山への駐車場と登山口があります。ただ、舗装された長い林道歩きがあるので、個人的にはあまりお勧めはしません。ここからは国道153号を南下。美味しい山賊焼きの店、小松食堂を右手に見て善知鳥峠(うとうとうげ「読めないですよね。ちなみにウトウとは海鳥ですがなぜここの地名になったかが不思議です」)を越え、伊那を目指しました。
 テレビでも度々紹介されて有名なグリーンファームに寄り(ここは本当に面白い。当日も満員でした)、信大農学部の落葉松祭へ。宮駿さんのご子息の宮崎吾朗監督の対談などは次回に。

 9月20日の信濃毎日新聞の書評欄「ふるさと長野の本」で、拙書が紹介されました。大変大きく扱っていただきました。また、書評が私がこの本を書く際に意図したことを的確に書いてくださっていて、感激しました。地方紙ですので全国の方は見られないと思いますので、紹介します。信州の山は、首都圏や中京圏、関西圏からも登りに来る方が非常に多いのですが、トレッキングだけでなく、歴史探索やトレラン、マウンテンバイク、撮影、研究など色々な目的の人に読んでいただきたい本です。山に登らなくても見て読んで面白い本だと思います。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
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埴科の名峰・鏡台山で蝶と戯れ、花を愛で、キノコを採る(妻女山里山通信)

2015-09-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 旧埴科郡の中心で、観月の山として有名な姨捨山から見る鏡台山の月は、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』にも描かれています。この場合の姨捨山は冠着山のことではなく、姥岩と棚田のある長楽寺付近から描かれたものです。近くにはJR篠ノ井線の姨捨駅と長野自動車道の姨捨SAがあります。「雪降りしきる冬の姨捨駅と長楽寺」。鏡台山と冠着山(姨捨山)も拙書では紹介しています。

 今回はピークハントはせずに、蝶や花やキノコを求めて山のあちこちを歩きまわりました。林道芝平樽滝線の三滝沢上部からの北アルプスパノラマ。左から仁科三山の鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、不帰ノ嶮、天狗ノ頭、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳の白馬三山。右手前の黒いシルエットは、神城断層地震で山頂が4割崩落してしまった虫倉山。
 手前の里山の尾根には、ゴルフ場があります。年間約2トンの農薬を撒くそうで、某大学の研究者の話では、下流域の地下水は汚染されているので飲用は不可だそうです。もし、ネオニコチノイド系農薬であれば、生態系や住民の健康に甚大な被害が出る恐れがあるのです。眼下は、千曲市の更埴ジャンクションの辺りです。

 鏡台山のこの山域は、松枯れ病のネオニコチノイド系農毒、エコワン3フロアブルを空中散布していないので、蝶の天国でした。まずはヤマトシジミ。この季節の最も代表的なゼフィルスで、山はもちろん、庭や畑にもたくさん舞っています。除草剤や殺虫剤を使わなければですが。中もヤマトシジミ。右はモンシロチョウ。なかなか活性が高くて撮影させてくれませんでしたが、ノコンギクで吸蜜中を撮影。畑ではキャベツなどアブラナ科の野菜を食べる害虫ですが・・。

 オスとメスでは別種のように模様が異なるメスグロヒョウモン。これはメスで、オスは奥に写っているようなヒョウモンチョウの模様。メスは、翅に青い線が流れたような非常に美しい文様をしています。タイアザミにたくさんいました。

 左は、そのメスグロヒョウモンのメスの翅の裏側。なかなかお洒落な色合いです。中は、メスグロヒョウモンのオスかなと思ったのですが、ミドリヒョウモンのようです。右は、どうやらクモガタヒョウモンのようです。ヒョウモンチョウの仲間は、似たものが多く同定に四苦八苦します。

 タイアザミで吸蜜するスジボソヤマキチョウ。幼虫の食草は、クロウメモドキなど。中は、イチモンジセセリ。後翅の模様がちゃんと撮れなかったのですが、一枚白斑が真っ直ぐらしいカットがあったので間違いないでしょう。右は、2000キロも海を渡ることで有名なアサギマダラ。フワフワと優雅に舞ってなかなか留まってくれなかったのですが、30分ほど待ってノコンギクで吸蜜中を撮影できました。

 タイアザミにキイロスズメバチが飛来。このあと近づきすぎて威嚇されました。別の場所で、アレチウリに吸蜜中の小さな蜂を、オオスズメバチが背後から捕まえて飛び去る瞬間を目撃しました。中は、ヤマハギで吸蜜中のモンキチョウ。この夏、最大の成果は、県の天然記念物のミヤマモンキチョウの撮影に成功したことと、大松山にミヤマモンキチョウがいることを発見したことです。右は、ヤハズソウ(矢筈草)で吸蜜中のヤマトシジミ。

 タマゴタケを見つけました。中はその幼菌。可愛らしいキノコです。非常に美味しいキノコで、セイヨウタマゴタケは、帝王のキノコと呼ばれます。和風よりバターや乳製品と合うのでクリームパスタがお勧めです。「タマゴタケのクリームパスタ」。ただ、テングタケ科のキノコは、猛毒のものが多いので要注意。右は、天然の舞茸。味は栽培種と同じですが、濃厚です。これは360グラムと小さめですが、市場では3000円ぐらいします。実はこの後ろに幼菌があるのです。後日採りに行きます。

 崖の上に咲いていたシナノナデシコ。ほぼ垂直な崖を3mぐらい登って撮影。大変でした。中はキツリフネ。ツリフネソウもありましたが、ほぼ咲き終わっていました。右はキンポウゲ科のセンニンソウ。天然のブライダルブーケで、野草の中ではトップクラスのいい香りです。セリ科のトウキの白い花も見られましたが、リンクの写真の様な大きな群生地はなくなりました。

 最後に拙書の扉の写真にも使われている倉科の三滝へ。これは三の滝。雨が続いたので水量が豊富でした。ヒグラシやミンミンゼミが、まだ鳴いていますが、風と日差しが秋の香りがします。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
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四阿山から根子岳縦走。多くの方とお話ができました(妻女山里山通信)

2015-09-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 つかの間の晴れ間の土曜日。菅平牧場へ着いたのが、朝8時前だったのですが、駐車場はほぼ満車状態。しかもほとんどが県外ナンバー。さすが人気の百名山です。今回は牧場を起点に、四阿山から根子岳へ縦走し戻るという王道コースを歩いてみました。このコースは私の『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林にも載っていますが、なんと同じコースを歩いたのは12年ぶりでした。

 ほぼ満車の駐車場。まずここへ来る途中で管理事務所に200円の入山料を払います。雲海の上には、北アルプスのスカイラインが見えていました。朝食を食べて、登山者カードを書いて出発したのが8時20分。観ているとほとんどの人がカードを書いていませんね。少し目立たない所にあるというのも原因でしょうか。四阿山へは右へ曲がって南へ舗装路を歩きます。四阿山を目指す人のほうが多かった様です。

 大明神沢を渡る手前では、大木が倒れて登山道を塞いでいました。なんとか通り抜けて橋を渡ろうとすると壊れていました。岩を伝って対岸へ。林道から前日の雨で濡れた笹の道へ登ります。やがて白樺と松虫草が咲く小道へ。薊にヒョウモンチョウが吸蜜。やはり、薊にオオチャバネセセリが飛来。他にはアカタテハやクジャクチョウも。

 これは薊ではなくアキノタムラソウ。葉には棘がなく特徴的なので区別がつきます。登山道のあちこちで咲いていました。中は、四阿山でも根子岳でも多く見られるヤマハハコ。あちこちに群生が見られます。撮影しながら約1時間で小四阿に到着。何人かの登山者が休憩中。本のパンフレットを渡しました。小四阿からは、山頂はまだ2.8キロもあります。

 松虫草で、これは小さなハナアブでしょうか、吸蜜中。松虫草の季節もそろそろ終わりです。中は、ケルンから見る中四阿の小ピーク二つ。左から二番目が中四阿ですが、登山道は右手を巻いています。今回は登ることにしました。小四阿から中四阿までは約40分かかりました。右は、中四阿からの四阿山。ここから一旦鞍部に下って登り返します。ここから山頂までは、約1時間です。

 鞍部から少し登り返して振り返った中四阿。左の長い尾根を登ってきました。左奥にはスキー場のある大松山が見えます。本ではこの山も紹介しています。初夏は、ゲレンデに色々な花が咲き乱れて意外に面白い山なんです。

 タカネニガナかと思ったのですが、花弁が11枚なのでクモマニガナでしょうか。根子岳への分岐を過ぎて、また鞍部へ下り最後の登りにかかります。山頂はもうすぐです。タカネナナカマドの赤い実が鈴生りになっていました。

 山頂へは植生保護の木道を登ります。ヤマハハコとイブキジャコウソウが少し咲いていたくらい。なかなか復旧は難しいようです。中は、今年新しく再建された真田長(おさ)の山家神社の上州宮。この写真は、本では山家神社から提供していただきました。銅葺きの屋根がいい感じになっていました。右は信州宮との中間にある小石祠で、信仰の原点といわれている所です。

 そして信州宮のあるこちらが最高地点です。宮の後方には登山者がたくさん休憩して昼食をとっていました。狭いので上州宮へ戻りました。今回はパンフレットだけでなく見本誌も持っていったので、お見せしたのですが、女性は写真が綺麗と言ってくださった方が多かったですね。男性は、山の歴史についての記述にも注目。地図が分かりやすいという感想もいただきました。
 本では山名の由来や歴史も書いています。子檀嶺岳の由来を簡単に話すと、ここの四阿(あずまや)も読めないですよねと、ある女性に言われました。長くなるので説明しきれませんでしたが、元は中国の四阿頂という言葉に由来します。柱が4本の壁のない小屋で、壁のある真屋に対向するものです。東屋とも書きますが、これは都人が東国の粗末な家を言った蔑称で、四阿とは意味が異なります。
 中は、本にも載せているのですが、実際は下っているのにピークに見える不思議な現象。浦倉山へ向かう尾根の肩です。右は上州宮へ戻って休憩。ガスが巻いて何にも見えなくなりました。

 根子岳へ出発。山頂から根子岳への分岐まで20分。ここから急下降して登り返して根子岳までは1時間20分ぐらい。
 写真の様なシラビソやコメツガの深い森の中を急下降します。道が雨で泥濘状態で滑りやすく、本当に疲れました。途中で大すき間から登ってきた人達に会う度にパンフを渡しましたが、厳しい急登にはみなさん音を上げていました。確かに段差も大きく大変ですが、距離は短いのでゆっくり確実に登ればいいと思います。前回は登ったのですが、今回の下りのほうが脚に来ました。根子岳が上に見えると、もうすぐ大すき間の笹原です。

 最初の溶岩ダイクに登って小休止。軽い昼食にしました。そこからカルデラの中を俯瞰。左に三角の明るい緑が見えますが、お花畑という地名の米子硫黄鉱山の住宅や工場があった台地です。その上には分教場があった台地と四阿が見えます。V字に切れ込んだところは、権現滝の落ち口。中央やや右手の丸い山頂が浦倉山。あそこから米子大瀑布への登山道が通じています。本では、米子大瀑布から滝上へ登り、小根子岳から根子岳、四阿山経由で浦倉山、大瀑布へのカルデラ周回コースも紹介しています。約23キロ10時間のハードなコースです(そのフォトドキュメントスライドショー)。今回、数ヶ月前に周りましたという男性がいました。体力のある方は、ぜひ挑戦してみてください。私はもう結構です(笑)。米子大瀑布から根子岳往復なら、紅葉の季節にやってみたいと思いますが。

 上に乗れる溶岩ダイクの上から四阿山。私を追い越していった青年が休憩していました。本もですが、その体力ならカルデラ一周をぜひと勧めておきました。山は始めたばかりでまだ仲間もいないと言っていましたが、すぐできるでしょう。できれば素敵な山ガールと一緒にどうぞ。中は、そのダイクから根子岳を見たところ。ここからは10分弱です。ダイクの西側は絶壁なので転落には注意してください。ダイクの近くにあったオオカメノキの真っ赤な実。

 根子岳に到着。禰固嶽が旧字で、本ではその由来も説明しています。猫嶽と書かれたこともあるそうで、明治時代には猫神の石像があったという言い伝えもあるそうです。それは復活して欲しいです。一頭のアサギマダラが飛翔していましたが、気づく人はいなかった様です。しばらくして姿を消しました。
 根子岳を代表するウメバチソウですが、もう残花。夏の花の季節は終りを迎えていました。オヤマリンドウの鮮やかな青。小根子岳の方に行くと花が上下にたくさん着いたエゾリンドウらしきものも見られるのですが、交雑種もあるようで、同定はなかなか困難です。ウスユキソウとミネウスユキソウの区別も非常に難しい。

 眼下に出発点の駐車場を見ながら下ります。久しぶりのハードなコースで、最後は脚が勘弁してくれと叫び始めました。そこで牧場から20分ほど登った所にある四阿でしばし休憩。ここでは青木村の女性から、いい山情報をいただきました。下山後は、保科温泉で入浴してケアー。好日が暮れて行きました。今回は、パンフだけでなく本も持っていったので、色んな方とお話することができました。こういうきっかけでもないと、なかなか他の登山者と話す機会もないので、本当に有意義な山行になりました。お相手をしていただいた皆さんには感謝申し上げます。登山中に会ったよという方は、遠慮なくコメントやメールを下さいね。

10月25日(日)に、茶臼山-中尾山ハイキング(一本松コース)のインストラクター(インタープリター)をします。爽やかな信州の秋空の下、錦秋の里山を歩きませんか。参加費は300円(中学生以下無料)。持ち物は、昼食(きのこ汁・リンゴ・牛乳が出ます)・飲み物・マイ箸・シート・雨具・ストック(なくてもいいです)。受付は、8時から8時半。場所は、黒木学園カレッジオブキャリア共和校グラウンド。小雨決行。お申込み・お問い合わせは、川中島地区住民自治協議会:050-3583-0890 (締め切りは10月16日)毎年初参加が多いイベントです。ふるって応募ください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
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