モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

斎場山から天城山へ、古代科野国から戦国への小さな旅(妻女山里山通信)

2008-11-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 落ち葉の降り積もったカラカラに乾いた林道は、雪道より滑りやすく危険です。落ち葉の下に隠れてどんな障害物があるかもしれません。と、充分に気を付けて行ったつもりでしたが、側面の笹の切り株にタイヤをヒット。見事にパンクしてしまいました。

 それはさておき、信州の里山も晩秋の香りを帯びてきました。枯葉が舞い落ちて林道を埋め尽くします。唐松林の林道は、まるで黄土色の絨毯を敷いたよう。森に入ると、ひときわ鮮やかな黄色のダンコウバイの黄葉が目に飛び込んできます。ムクロジの葉が日に透けて揺れています。コムラサキの紫の実、ガマズミの濃赤色の実は、晩秋の森の宝石の様。こんな日は、熊鈴を外して静かな森の息吹を感じるのが一番です。

 調度月の輪熊が冬眠前の食事を取ろうと徘徊する季節ですが、神経を集中してこちらが先に気付けばいいわけです。倒木の上を駆け抜けたのはリス。大きな乾いた音をたてて落ちてきたのはハリギリの葉。何かの視線を感じて振り返ると、30mほど向こうの木の陰にニホンカモシカ。葉が落ちた樹間から紫色の人間界を見下ろす彼らは何を思うのでしょう。嘘つきと偽善者が大嫌いな私ですが、生と死がいつも入り交じる緊張感に満ちた森の中では、誰もが裸にされてしまいます。人は、たまには今いるシステムから抜けてみることも大切だと思うのです。村上春樹がいうよう地下室のドアを開けてみることも、深い森に入ってみることも時には必要だと思うのです。

 今回撮影した堂平は、斎場山(妻女山の本名)から天城山(てしろやま)へのやや高い位置にある中腹の平地と緩斜面ですが、葉が生い茂る季節は全くその全貌は見えません。地元でも知る人の少ない場所です。子供の頃には、一軒家があり戦争の帰還兵がひとり小さな畑を耕して暮らしていたと記憶しています。森は戦の傷跡を癒してくれたのでしょうか。私はそこを横切り、蟹沢(がんざわ)へ沢ガニを捕まえに行ったものです。薄暗い谷の石をどけると、背中がてらてらと赤い沢ガニがたくさんうごめいていました。

 堂平の下部には古代科野国、あるいは信濃国のものと思われる横穴式古墳群があり、貯蔵庫としても使われていました。また第四次川中島合戦の折には、武田別働隊が天城山を巻いて堂平から蛻(もぬけ)の殻の陣場平、斎場山(妻女山)へ攻め込んだと言い伝えられている処です。猪のぬた場を飛び越え、枯葉で滑る急斜面をよじ登り林道に出ると、自分の長い影が伸びていました。蛻の殻とは、蝉や蛾が抜け出た蛹(さなぎ)のことです。今回も網目模様の蛾の繭殻が転がっていました。信州は、もうすぐ本格的な冬です。

 ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。

 妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
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激安秋刀魚之擂身鍋:新信州郷土料理(妻女山里山通信)

2008-11-20 | 男の料理・グルメ
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 今年は秋刀魚が豊漁なのでしょうか、円高で中国やロシアへの輸出が減って秋刀魚がだぶついているという話もあります。というわけで一匹39円の秋刀魚を大量にゲット。塩焼きはもちろん、幽庵焼き、蒲焼き、唐揚げときて、秋刀魚之擂身鍋です。

 秋刀魚は三枚におろし、身と内臓と小骨もフードプロセッサーに全卵、酒と共に念入りにかけます。秋刀魚の擂り身と同量の信州松代産の千曲川河川敷のバカ旨長芋を摺りおろし、牛蒡、人参は繊維を断ち切るように立ててつき、長葱はみじん切り、生姜は摺りおろし、炒りゴマ、生ヒジキ、味噌、味醂、片栗粉を入れてよく混ぜます。

 これを油で焼くか揚げると私のレシピ集MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)ひこいわしの薩摩揚げになるんですけれど、これを鍋に落とすとフワフワの秋刀魚のつみれになるんです。

 長芋が多いので、つみれといっても固い団子ではなく、本当にフワフワなのです。そして極上の出汁が出ます。野菜は冬霜にあたった信州の冬野菜。白菜、人参、牛蒡、菠薐草、長葱、地大根など。やはり冬野菜は北国のものでないと甘さが出ません。霜が降りて初めて冬野菜は美味しくなるのです。出汁は、カツオとアジ粉に昆布と椎茸。体が芯から温まります。コーレーグースーやかんずり、韓国辛味噌や豆板醤をそえても美味です。ちなみにわが家は、爺さん手作りの七味唐辛子をかけていただきます。

 鍋をいただいた後は、ご飯を入れて卵で閉じてややさらさら目のおじやで締めましょう。

 新信州郷土料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。山菜・キノコ料理、内臓料理、ブラジル料理、エスニック、中華の込み入った料理などの「男の料理レシピ集」です。特に本格的なアンチョビーの作り方を載せているのは、当サイトだけだと思います。手作りオイルサーディン、手作りベーコンもお薦めです。
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錦秋の妻女山

2008-11-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 午後思い立って妻女山へ。今年は冷え込みが足りないので鮮やかさはもうひとつかもしれませんが、それでも自然の創り出す芸術は見応えがあります。ヌルデ、ヤマウルシの紅葉が終わって、ダンコウバイ、コナラ、クヌギ、キハダ、ハリギリ、カラマツの黄葉が見事です。妻女山展望台には、各地から何組もの観光客が訪れていました。

 この季節、いつも聴くのはステファン・グラッペリとメニューインのコラボによる名曲『枯葉』です。学生時代にアルバイトをしていた国分寺にあった作家・村上春樹のジャズ喫茶「ピーター・キャット」では、秋になると彼がよくこのアルバムをかけていました。それで私もこのアルバムを好きになったわけです。

 『枯葉』は、色々なジャズプレイヤーが演奏し、ジャズシンガーが歌っています。スタン・ゲッツを初め、キャノンボール・アダレイのブルーノート盤『サムシン・エルス』、キース・ジャレット・トリオの『枯葉』がお気に入りかな。: ウィントン・ケリーとポール・チェンバースのもいいですね。エロールガーナも捨てがたい。コルトレーンのは、聞き応えがあります。サラ・ヴォーンのスキャットは秀逸、メル・トーメのもいいですね。ナット・キング・コールも忘れてはいけません。

 ジョー・スタフォード、クリス・コナー、ヘレン・メリル、リー・ワイリー、カーメン・マックレー、アン・バートン、挙げるときりがないですね。節操がなくなります。

 例年になく雨の少ない山はカラカラで、キノコのキの字もありません。それでも秘密の場所に行くと紫占地のシロがありました。一番下の写真がそれです。キノコの写真は数多けれど、菌糸の膜を写した写真というのは珍しいかもしれません、一雨あれば数十本の紫占地が出そうな場所です。残念ながら5本しか採れませんでした。早速夕食の肉豆腐に入れました。晩秋の味覚も、今年はこれが最後なのでしょうか。来週には雪マークが出ました。温暖化の影響でしょうか、いささか寂しい秋の終わりです。

 ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。

 妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
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太郎山-虚空蔵山縦走路トレッキング(妻女山里山通信)

2008-11-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 昨日は、上田市の歴史の山、太郎山-虚空蔵山縦走路トレッキングをしました。村上義清など戦国の面影が城趾に残る素晴らしい山脈です。低山ですが非常に険しく、なかなか侮れない山でもあります。錦秋のトレッキングルポの詳細は、またあとで記します。

 このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】に掲載しました。ご高覧ください。
 ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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これが川中島の霧だ!(妻女山里山通信)

2008-11-05 | 歴史・地理・雑学
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 1561(永禄4)年9月10日早朝、現行歴にすると10月28日とか。上杉謙信と武田信玄による第四次川中島合戦がその火ぶたを切ったとされます。以下は、主に江戸時代に記された史料を元にした川中島合戦の経過です。

 8月16日、上杉政虎が信濃海津城西にある斎場山(妻女山、現在の妻女山は当時は赤坂山)513m一帯を占領し布陣しました。
 8月18日、謙信出陣の報を聞いた信玄が、18000の軍を率いて信濃川中島に出陣します。
 8月24日、信玄が川中島に到着。雨宮の渡から東へ斎場山を囲むように千曲川対岸に布陣し謙信の退路を断ちました。しかし、謙信は動かず夜毎斎場山の山頂の本陣で笛や鼓を奏でていました。
 8月29日、武田軍全軍が廣瀬の渡より順次海津城に入城します。
 9月09日、信玄は軍議を開き山本勘助献策の呉の将軍・孫武による兵法書『孫子』より半進半退の術(啄木鳥戦法は江戸時代の創作)を取り入れ、高坂昌信を主将とする別働隊を西条の入より戸神山脈に向かわせ、斎場山の背後を攻撃させようと目論みます。信玄は8000の兵と八幡原へ。
 9月10日、上杉政虎は、海津城の炊飯の煙の多さで夜襲を察知、主力を率いて深夜に斎場山を下山。濃霧の中を雨宮の渡を渡り、川中島に出ました。そこで、武田軍と遭遇。きびすを返し武田軍に襲いかかりました。
 以下は、ご存じの通りです。第一級史料がないので史実としては語れない川中島合戦ですが、ここ斎場山の麓の村には、陣場平、千人窪、謙信槍尻之泉など数々の地名や伝説が残っています。

 川中島の霧は、秋も深まった頃千曲川から生じ、平地にあふれ出し、やがて山も覆い一面をホワイトアウトさせてしまいます。写真の霧は、まだ浅い方で深い霧のときは5m先も見えない状態が昼頃まで続きます。そして、晴れるときは平地から消え始め、最後に霧は山に残りますが、それもやがて消えていきます。最近は、温暖化の影響か、それほど深い霧はなかなか出なくなりました。なお霧が出る前の夜は手が届きそうなほど星がきれいに見えます。前夜も斎場山の上にオリオンが輝いていました。
 
 斎場山(本当の妻女山)や赤坂山(現在の妻女山)の麓は、現在長芋を掘る作業が始まっています。この妻女山麓の長芋は、火山灰土のものに比べて味が濃いのでファンが多いのです。特に冬越しの長芋の旨さは特筆ものです。とろろはもちろんですが、薩摩揚げや長芋100パーセントのお好み焼きにすると最高です。卵にチーズやベーコンを入れたパンケーキも美味。長芋料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。

 川中島合戦と古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山については、私の研究ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をぜひご覧ください。
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森、生と死の息吹(妻女山里山通信)

2008-11-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 昨日は、早お昼を食べて妻女山(赤坂山)にあるわが家の山の手入れをしました。落葉松に太いクズのとバラがからみついたのを切るためです。バラの固い枝があるために、なかなか切りたい幹に近づけず難儀しました。桑用の特殊な刃の厚い鎌と鋸を使ってなんとか切断。その後、下草のつるを排除すると下からは、空き缶やペットボトルなどの不法投棄のゴミがたくさん出てきました。

 観光客ではなく、ここへ頻繁に休憩にくる地元の企業の人達の仕業でしょう。中には引越や転勤の際にコタツや椅子、パンツまで捨てていく馬鹿者がいます。川縁の畑付近への不法投棄も後を絶ちません。社員教育はどうなっているんでしょうね。そういう会社は潰れてしまいなさい。心底そう思っています。

 さて、やっと山仕事を終えたのできのこ狩り。3組ほど入っているようですが、みな陣場平より奥へは行きません。熊や猪との遭遇の確率がグンッと高くなるからです。実際素人は危ない山です。私は熊鈴をつけてその山奥へひとり向かいました。

 紫占地のシロがあるのですが、たった4本採れただけ。布袋占地がたくさんありましたが、これは白之白粉占地と同じく酒との相性が悪いので採りません。この時期、昔なら山はとっくに紅葉で錦秋に彩られていなければならないはず。ところが今年はまだ青々しています。何かが変です。

 そこで、前回時候坊をたくさん採った唐松林に行ってみることにしました。前回の場所よりさらに50mほど下ると、そこは時候坊の楽園でした。例年なら終わっているはずの時候坊が、列を成していました。アッという間に大きな袋半分以上になりました。これは、煮付けて瓶詰めにします。きのこを採り疲れて広葉樹の森に出てひと休み。熊鈴も鳴らないので静かです。

 時折風が吹いて団栗を落とします。熊や猪がいつ現れるともしれない緊張感はありますが、静寂の森にひとりいるのは、自分も野生動物になったようで、妙に心が落ち着きます。森の一員になったような気がするのです。古代科野の国や川中島合戦など歴史有る山ですから、想いを巡らせば、古代人の息吹や武将の雄叫びが聞こえてくるような気もします。

 森というのは人の営む街とは違って、街では巧妙に隠蔽されている生と死がそのままの状態で有ります。動物や昆虫の死骸、腐朽菌に冒されて朽ちていく樹木、腐敗した植物。その一方で絶えず生まれつつある生命。大木が倒れギャップが出来ると、アッという間に小さな実生がはびこり、雨後には粘菌が動き出し、きのこがアッという間に成長して胞子を飛ばします。森の中に佇んでいると、そんな息吹を感じることができるのです。

 帰りはいつもの山道を避けて急斜面を直登し林道に出ました。伸びやかに青空にそびえる木楢の高木は黄葉に輝いていました。赤茶色に色づいた葉の間でガマズミの赤い実が森の宝石のように光っていました。森を下りもう一仕事山の下草を刈ってから帰路に就きました。

 翌朝は深い霧が出ました。有名な川中島の霧です。しかし、川中島合戦のような5m先も見えないような深い霧はなかなか出なくなったようです。そして、斎場山の麓では長芋掘りが始まりました。バックホーで掘った深い穴に沿って土を崩しながら長芋を掘り出していきます。秋堀りの長芋は、水分が多いので一週間ほど陰干しすると旨さが増します。冬を越した春堀りの越冬長芋は、充分に甘さと旨さがのっています。とろろはもちろんですが、しんじょや薩摩揚げ、お好み焼きにすると馬鹿旨です。

 長芋を使った料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。
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コマメホコリの憂鬱(妻女山里山通信)

2008-11-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 やっぱり山は乾いています。毒キノコさえ見あたりません。それでも探し出すのがキノコ狩りのベテラン。普通の人が入らないような藪を越え、急斜面をよじ登り駆け下り、頻繁に熊が出る場所もものとせず。いばらに遮られても突き破り、目指すキノコを探し出すのです。それでもいつどこで熊と遭遇するかもしれないという緊張感は、また格別のものがあります。「メメント・モリ」。「森を思え」ではなく、「死を思え」。森はいつでも生死の緊張と荘厳さに包まれています。森に入れば人もまた例外ではないのです。

 本来なら、もう錦秋の季節なんですが、山はまだ緑が残っています。世界経済と同じように季節も狂っているようです。なぜアメリカの失敗のつけを世界が払わなければならないのか。世界恐慌は本当に来るのか。偶然ではなく、誰かが世界経済の構造を一気に変えるべくシナリオを書いているのではないか。などという妄想もキノコ狩りの山の中では枯葉の匂いと共に消えていきます。なんだかんだ、キノコは背負い籠いっぱい採れました。

 昔は、川中島合戦の時のような深い霧が、半日以上も川中島を覆ったものですが、今は温暖化の影響か、それもほとんどなくなりました。雨も少ないためキノコや粘菌にはつらい時代です。僅かな雨に変形体から子実体になろうとするコマメホコリも今晩中に子実体となって胞子を飛ばそうと必死なのでしょうか。
 
 ムラサキシメジは秋の香りいっぱいのクリームスパゲッティに、翌日は炊き込みご飯になりました。地産地消の最たるものですね。有機栽培無農薬無化学肥料の上を行く天然自然食です。食糧危機になったら、粘菌料理なんてのもできるかもしれませんね。

 今日の午後は、わが家の山の下草を刈りました。懸かり木になっていた落葉松を下に落とす危険な作業も無事に終え、森はアファンの森ほどではないですが、かなりきれいになりました。栗を植えるつもりです。栗だけを生産し滅びた三内丸山遺跡のようにはならないでしょうが、大好物なものですから。世界恐慌になったら栗と芋を売って、いや食って暮らします。グルメだの高級ブランドだの大食いだの小洒落たカフェだのは雲散霧消するでしょう。それでも生き残る文化がきっと本物なんでしょうね。

 今回の山行は、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】で、アップしました。

 そして、粘菌(変形菌)のコマメホコリの子実体。直径5ミリ以内で、未熟の時は本当にきれいなピンク色をしています。それらは、小さな虫たちのエサにもなり、てんとう虫の幼虫が食べているのを撮影したことがあります。ぜひ、ネイチャーフォトの【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】変形菌をご覧ください。きのこ料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。
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