モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

小諸城址懐古園・浅間縄文ミュージアム・布引観音。別所温泉の上松やへ(妻女山里山通信)

2020-11-28 | 歴史・地理・雑学
 今年最後の三連休に、息子二人とGoToトラベルで別所温泉の上松やに泊まりました。予約は東京で構造計算をしているアーキテクチャーの次男に依頼。私が出した条件は、料理が美味しい宿。それだけです。長男は林業関係の職員で安曇野在住。私は長野市とバラバラなので、色々候補があったのですが、別所温泉に決定。宿は次男が予約してくれました。いつもはツイッターのDMやスカイプなどで交流ですが、忙しい三人が集まれるのは希少なのですが、充実した旅になりました。
 ただ、GoToトラベルやGoToイートで補填されるのは税金です。平等ではない。本来ならば、全国民に平等に10万円とか配るべきものです。さらに逆進性で、金持ちには薄く、貧困者には厚く配るべきと思います。米を中心に7年間で世界に血税を400兆円もばらまいた売国奴安倍自公政権を継承した菅自公政権も異常です。必要な融資もあったでしょうが、半分の200兆円もあれば、大学まで教育費は全て無料に、介護保険も無料、年金も今の三倍だってもらえます。それでもお釣りが来る。現政権のコロナウィルスの対策も後手後手で利権まみれ。極めて異常です。

 小諸城址懐古園。紅葉は盛りを少し過ぎていましたが、まだまだ美しい。亡き妻と小さかった息子達と訪れたのは、実家に帰省する途中でした。今よりずっと鄙びていました。父が愛飲していた浅間嶽の蔵元を見学したこともありました。
 
(左)懐古園入り口の三の門。(右)城址内の樹木に不思議な物体。ヤドリギ(宿り木 ・ 宿木 ・ 寄生木)です。他の樹木に寄生し、栄養をもらって育つ植物で、黄色い実をつけます。宿主樹木はエノキ・クリ・アカシデ・ヤナギ類・ブナ・ミズナラ・クワ・サクラなど。キレンジャク・ヒレンジャクなどが食べて、その糞が樹上に落ちて発芽する寄生植物です。古くからヨーロッパでは宗教的に神聖な木とされ幸運を呼ぶ木とされており、クリスマスには宿り木を飾ったり、宿り木の下でキスをすることが許されるといわれています。

(左)燃える紅葉。イロハモミジでしょうか。オオモミジ、ヤマモミジとの区別が難しい。日本に楓は80種類以上あります。(右)鹿嶋神社。信州には鹿島槍ヶ岳がある様に、鹿嶋神社が各所にあります。菅原道真を祀る天満宮も城址にはあります。七五三参りの家族が訪れていました。

 天守台から西方の眺め。眼下に千曲川。島崎藤村の『千曲川旅情の歌』の小諸なる古城のほとりが浮かびます。
「千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁(にご)り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」の歌詞が心に突き刺さります。

(左)動物園へ。フラミンゴのつがいが向き合うとハート型に。(右)飼育員のおねえさんが面倒を見るミニブタは子供達に人気です。美味しそうと思った私は罰当たりかな。

(左)川上犬のさくら。なんだかたそがれています。やはり野原を駆け回りたいのかな。(右)眼下に遊園地。息子達が幼児の頃、くるくる回る飛行機とか、バッテリーカーに乗りました。大きな遊園地のない信州では、子供達の貴重な遊び場です。小諸義塾記念館へも訪れました。次いで大手門へも。

(左)小諸脇本陣の粂屋(くめや)。北国街道は参勤交代や善光寺参りで使われました。越後からは塩や米、佐渡からは金が江戸に運ばれた重要な道でした。(右)宿泊施設でもあります。こんな宿に宿泊もいいですね。夕食は外食となりますが、こだわりの朝食が美味しそう。国の重要有形文化財です。

(左)昼は小諸市民の定番風車が目印の洋食ダイニング、レストラン車留夢へ。昭和感たっぷり。(右)私は大浅間爆裂ハンバーグを。パンとサラダを添えて。満足。

(左)昼食後は、私のリクエストで御代田町にある浅間縄文ミュージアムへ。石棒展。(右)縄文の土偶は女性です。縄文ブームなのでしょうか。新潟県十日町市の十日町博物館の縄文展示も素晴らしいものでした。

(左)これが石棒。いわゆるチンコ。男根です。しかし、女性が妊婦を表した全身だったりするのに、男はチンコだけですか!? 縄文時代の男の存在理由ってチンコだけだったのでしょうか。参ったなあ。(右)縄文のお母さんがおあがりと差し出す料理。縄文時代は、木の実が多く、雑穀やジビエはその副菜でした。穀物アレルギーがあっても木の実アレルギーを聞かないのは、人類と馴染んだ時間の長さが全く違うからです。ちなみに縄文人は、入れ墨をしていました。その伝統がアイヌや沖縄の古老に残っています。新説では、アイヌの人々は12世紀に難を逃れて大陸から渡ってきたというので、縄文人とは直接関係がないかも知れませんが。

(左)縄文式土器。十日町周囲の遺跡で発掘された火焔型土器が有名ですが、各地で違った様式の土器が発掘されています。最古の縄文土器は、16,500年前です。世界的にみても、縄文時代が1万年以上も続いたのは奇蹟といえるほどのことなのです。この文様は何を表しているのでしょうか。水流の渦巻でしょうか。縄文人の豊かな感性と生命力を感じます。(右)江戸時代の浅間山の大噴火。何度も大噴火し多大な犠牲を出しています。

縄文人の生活再現

これが完全リアル再現とは思いません。なにせ1万年近くも続いたのですから、初期と晩期ではかなり違ったはずです。穀類を栽培したのは後期でしょう。タイムマシンがあったら行ってみたい。


(左)次いで「牛にひかれて善光寺参り」の伝説の舞台となった寺布引観音へ。行基創建という天台宗の名刹、布引山釈尊寺。信濃三十三観音霊場の第29番札所です。駐車場から見上げる圧倒される岩山。観音へは、この左の谷を登ります。(右)幽玄の谷を20分ほど登ると布引観音が。

(左)釈尊寺本堂。(右)手彫りの洞門の先に観音堂。棟札により鎌倉時代の正嘉2年(1258年)の造立と判明しました。部分的には後世に修復がなされています。

(左)観音堂の木鼻の木彫。唐獅子と象。誰の作でしょう。諏訪立川流の感じもしますが。(右)観音堂の内部。自然の岩盤が天井です。本尊は聖観世音菩薩。江戸時代後期に小諸藩主牧野康明によって、現存する堂宇の大半が整備されたものです。

 見上げる観音堂。神聖さと不思議なパワーを感じます。古刹巡りが好きな知り合いの歴女に教えてあげたい。たぶん訪れたことはないと思うので。

(左)釈尊寺のガラスに映る浅間山。たぞがれ(黄昏・だれぞ彼は)の風情。(右)戻って駐車場から少し下って 布引電気鉄道の橋梁の遺構。1920年からわずか8年で廃線になった線路の遺構。駐車場にはホームの石垣も残っているのですが、目を向ける人はほぼ皆無です。

(左)5時過ぎに別所温泉の上松屋へ。ぬるぬると清少納言が七栗の湯といったともいわれる名湯に入り、楽しみの夕食。目で楽しみ味で喜ぶ品揃え。ひとつひとつが丁寧に作られています。信州産黒毛和牛など地元の食材が楽しめます。数がもの凄いのですが、各量が少ないので少食の私でも充分に満足できました。これに塩田産のコシヒカリや野沢菜漬けなどが付きます。(右)デザートです。シャインマスカットはもちろんですが、リンゴプリンが美味でした。詳細は上松やのサイトで。

(左)翌朝の食事。右上の粕漬けの信州サーモンはヤバい美味しさと次男が。銀鱈や鮭の味噌粕漬は、私も自家製味噌で作りますが、ご飯が進みすぎる君で困りものなんです。息子達も幼い頃から馴染んだ味です。市販のもののように砂糖は使いません。酒粕、信州麹味噌と本味醂のみ。(右)上松や外観。私達が泊まったのは、この背後の別館の8階です。アメニティ、おもてなしいずれも満足できる宿でした。さて、翌日は上田城址に向かいました。お目当ては勝手知ったる城址ではなく、博物館です。それは次の記事で。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田十万石の城下町、松代の旧樋口家住宅で、「松代の歴史と自然」について講演をしました。松代城址と妻女山陣馬平と川中島の眺め(妻女山里山通信)

2020-11-14 | 歴史・地理・雑学
 真田十万石の城下町、松代の旧樋口家住宅で、ひまわりの会の方達の依頼で、「松代の歴史と自然」について講演をしました。樋口家は江戸時代、松代藩10万石を治めた真田家の家臣として、藩の目付役などを務めた家柄。松代城や真田邸、真田宝物館にも近く、この日も休日とあって県内県外ナンバーの車がたくさん訪れていました。

(左)旧樋口家住宅の門。向かいには新御殿(真田邸)と公園。入場無料です。講演中も何人もの観光客が訪れました。(右)松代の歴史ですが、戦国時代以降は皆さんご存知ですので、今回は古代史を中心にお話しました。松代の古名は海津ですが、その由来となる一説を解説し、倭国大乱から春秋戦国時代の古代中国史へと話は遡りました。信州に関係の深い出雲族、安曇族など古代科野国へ。縄文時代と石器時代へも言及。そして、行くべき歴史館や美術館なども紹介しました。諏訪大社と守矢氏、世界的な建築家、藤森照信氏についても。松代の長国寺にもある幕末から明治にかけて活躍した宮彫り氏の北村喜代松の話も。基本小難しい話なので、途中では笑いもとりながら。楽しんでいただけた様で幸いです。関連記事は、右上の検索窓に知りたい単語を入力し、プルダウンメニューでこのブログ内でを選ぶと当該記事がご覧いただけます。こんな形での地域参加や貢献は、色々な形でしていければと思っています。

(左)講演後は散策。向かいの真田邸の長い土塀。観光客がたくさん訪れていました。左手に進むと、リニューアルされた松代文武学校が。プロジェクションマッピングなど、楽しい展示があるそうです。いずれ行きたいと思います。(右)真田邸前の公園。穏やかな日でした。

 そこにある真田節の石碑。松代町民でこの歌を知らない人はいないでしょう。松代中学の運動会で踊りました。象山佐久間と欧米の様にひっくり返っているのは、メロディに当てはめるためでしょうけど、世界に目を向けた彼には合っているかも知れません。近くに象山神社と象山記念館があります。ぜひ訪れてください。
 象山の正室は門弟勝海舟の妹順子ですが子がなく、嫡子は側室お菊の生んだ恪二郎です。象山の敵を討つべく新撰組に入りましたが、生来のわがままで役立たず、後に司法省に入りましたが、食中毒で29歳で亡くなっています。象山はケツがでかい女がいいと言っていたそうですが、勝海舟の娘はたぶんそうだったのでしょうね。でも子ができませんでした。多産とお尻の大きさは無関係です。
 母校の清野小学校の裁縫室には、彼の大きな肖像画がありました。豪放磊落で世界を見る先見の明があった彼ですが、常人離れしすぎていて、なかなか受け入れられませんでした。彼が暗殺されず存命していたら、明治時代はもっと違ったものになったかも知れません。明治維新は、欧米の金融機関によって薩長の田舎侍を利用して起こされた軍事クーデターでした。興味のある方は、「田布施システム」で検索を。学校では決して教えられない現代史が分かります。歴史は時の権力者によって都合のいい様に変えられるものなのです。それは記紀(古事記・日本書紀)でも同じです。真実を見極める洞察力を鍛えましょう。

真田節復刻盤フルコーラス



 松代城址へ。休日で観光シーズンなので大勢の人が散策していました。

 お堀には鴨が泳いでいます。左に見えるのは第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が布陣した斎場山(旧妻女山)です。標高は512.8mで、山頂は頂上が平らな円墳です。もちろん拙書でも詳しく紹介しています。

 櫓台(ろだい)。天守閣はありませんでした。北西の角にあります。千曲川を挟んで善光寺平、川中島が一望できます。上に江戸時代の善光寺平を描いた絵図が展示されています。小さな子供達も訪れて景色を楽しんでいました。

 櫓台からの南方の眺め。左に狼煙山。武田信玄が狼煙を上げさせた山です。拙書でも紹介しています。右に象山。その後ろは、鞍骨城から鏡台山へと続く戸神山脈。川中島の戦いで武田別働隊が超えた山脈であり、現在はハイカーやトレランの人が愛好する山脈です。

 鮮やかな紅葉に映える古城の石垣。結構荒い石積みで、野面積みというのでしょうか。松代中学の時代、夏に遅くなった帰りに文武学校から象山駅への途中に、脇の用水から青い人魂が浮かび上がりフワフワと浮いて行きました。リンの成分の仕業と知っていたので驚きませんでしたが、その美しさは今もはっきりと覚えています。真冬に電車を待っていて、前の小川で氷渡りをしていたら、割れてドボン。下半身ずぶ濡れのママ電車に乗って帰ったこともありました。

 翌日は、妻女山奥の陣馬平へ。第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が陣城とした場所ですが、現在は私が仲間と貝母(編笠百合)を保全している場所として有名になりました。3月に芽生え、4月中旬に満開となります。現在はセリバオウレンも移植して育てています。来春にぜひ訪れてください。必ず感激すると思います。全国でこれだけの群生地はここだけです。4月の茶花なので、茶道をしている方にはお馴染みの慎ましやかな美しい花です。薬草で毒草です。毎年の4月のアーカイブでは、満開の様子がご覧いただけます。
 そして下りて来ると、四阿でスケッチをしている少女。実は登り始めにスケッチをしに来たの?と聞いた女の子。話すと松代中学の後輩でした。松中の先輩で屋代高校からムサビに行きアートディレクターなどをしていたことを話しました。すごく素直ないい子で、待ってて家に帰ってURLカード持ってくるからねと。そして拙書もあげました。絵に技術的な上手下手はありますが、それといい絵は無関係です。人の心を打つ絵は、必ずしも巧い絵ではないのです。自分の想いや感じたことを素直に表現することが大事なのです。何をしていいか分からない、何が好きか分からないという子は、親の過干渉が原因です。何をしたいか、何をどうすればいいかは、子供に任せるべきです。自分で考えることが大事。親は最小限のアドバイスでいい。見守ることです。私は息子を叩いたことも無ければ怒鳴りつけたこともありません。その代わりどう思う?どうしたい?と問いかけ考えさせました。勉強しろと言ったことも一度もありません。困っている時も、アドバイスは最小限に。自分で解決する様に仕向けました。しばらく彼女と歓談して山を下りました。いい子に出会えました。


 妻女山(旧赤坂山)の展望台から松代の眺め。左に拙書でも紹介の大きな山塊の奇妙山。里山は紅葉の盛りです。

 北方の眺め。善光寺平、川中島が一望できます。手前は長芋畑。長芋の成分は膵臓癌の予防になるといわれています。すりおろした長芋に卵や納豆、牡蠣などに醤油、出汁を加えて焼くパンケーキは美味です。具をチーズやベーコン、ハムにしてオリーブ油で焼くと洋風に、中華風もできます。強火で焼いて外をカリッと、中をフワフワにするのがコツです。

 左は長野冬季オリンピックの開閉会式の開場になったスタジアム。右はAC長野パルセイロのホームスタジアム。コンパクトでとてもいいスタジアムです。試合のある日は、ここまでチャントの声が聞こえます。サッカー小僧だったので、それを聞くとワクワクします。
 当ブログはgooブログですが、300万以上あるブログの中でアクセスランキングは常に1000番代を維持しています。皆様のお陰です。最高位はグーグルボットの巡回もあった3位です。実は検索で来られる方が8割なのです。自然、歴史、旅(放浪癖あり)、アイドル(若い頃はアイドル雑誌のデザインや撮影のディレクションを。今はハロプロのJuice=JuiceとBABYMETALのファン)、ジャズ(ハードバップとフリー・ジャズ)、ロック(QUEENのボヘミアン・ラプソディは7回観ました)、クラシック(アリス紗良オットが大好き)アニメ(天気の子)、グルメ(MORIMORI RECIPEというオリジナルレシピのサイト)、山菜キノコ、70・80年代(村上春樹さんのジャズ喫茶でバイトしたはてなブログは左のブックマークから)、映画(シネマ小僧でした。村上春樹さんのブログに記事あり)、サッカー(松代中学のサッカー部創設者のひとりです)、約40年暮らした東京、イベントなどとバラエティにとんでいます。それぞれ、興味のある記事をブログ内検索して楽しんでいただければと思います。リンクのYouTubeもふたつアカウントがあります(saijouzan/capinojp)。お問い合わせや情報提供なども、メッセージからお気軽にどうぞ。在京時代の本業は、エディトリアル・アートディレクターやデザインプロデューサーですが、現在は自然写真家、郷土史研究家、里山案内人、里山保全活動家、講師、放浪の旅人です。人生は楽しむためにあるがもっとうです。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野尻湖から希望湖へ。飯山で古刹めぐり、飯山城址。高橋まゆみ人形館、富倉そばを堪能して小布施の岩松院。空っぽの菅平ダム(妻女山里山通信)

2020-11-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ノープランの旅最終日の四日目は、飯山へ行くことを決めていました。幕末から明治にかけての宮彫りの名工、北村喜代松の木彫を求めて、富山、糸魚川、上越、野沢温泉と巡ってきましたが、その続編です。名物の富倉そばも楽しみです。

 早朝の道の駅しなのを出て、野尻湖へ。朝日が昇ってきました。気温は3度ですが、寒くはありません。犬を連れて散歩する人やランニングをする人。車中泊のいいところは、宿泊代がかからないということですが、実は最大のメリットは、夜更けに着いたり夜明け前に出発したりと、自由な時間に移動できるということなのです。

 斑尾山。紅葉は終わっています。スキー場が開くのもまもなくでしょう。1982年に始まった、ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾 (Newport Jazz Festival in Madarao) には、友人達と度々訪れました。B.B.キング、ジャッキー・マクリーン・アンド・マル・ウォルドロン・カルテット、ウェイン・ショーター・カルテットとか、学生時代にアルバイトをしていた村上春樹さんの国分寺ピーター・キャットで聴いていたジャズメンの演奏を、夏の高原で生で鑑賞できるのですから、それはもう最高でした。演奏とバドワイザーで酔いしれました。(そのブログは、左のブックマークの国分寺・国立70Sグラフィティ 村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルで)

 そこから標高850mにある希望湖【のぞみこ】へ。鏡面の様な穏やかな水面に紅葉が映ります。ここで東御市から来られたSさんご夫婦と邂逅しました。東御市で開業医をされているそうですが、お二人共写真が大好きで、展覧会も開催され、本も出されているようです。山の話や、湿原の話やその情報など、大変有意義なお話ができました。

 バスのルアーフィッシングで有名で、この朝もアングラーが首都圏からも訪れていましたこういう閉じられた湖ならいいのですが、千曲川にいるブラックバスやブルーギルなどは、生態系を破壊し在来種を滅亡に追い込むので、非常に問題です。昔はいたメダカやドジョウ、人絹と呼ばれたオイカワ、ナマズなどは、今もいるのでしょうか。飯山へ下ります。

(左)飯山の本学寺。北村正信(喜代松)の作です。(右)大きくはありませんが、迫力のある見事な獅子が両方の木鼻にあります。

 なかなか複雑な歴史を持つ古刹です。

(左)次いで大聖寺へ。(右)飯山でも古い歴史を持つ曹洞宗の寺院です。

 本堂正面向拝の龍の木彫。両脇に小龍が二頭。左右に長く伸びる髭の木彫。これを一本の欅から彫り出しているのですから見事というしかありません。

 その中央のアップ。木目を見るとその限界まで彫っていることが分かります。欅の特性を限界まで知り尽くし造形していることに驚嘆します。

 木鼻の獅子と貘(ばく)。貘は想像上の動物です。中国の想像上の動物で、人の悪夢を食うという伝説があります。 象と似ていますが、象は大きな耳が垂れ笑っています。貘は悪夢を食べるためか、荒ぶって表現されています。

 獅子のアップ。鬣(たてがみ)の造形が凄い。残念ながら現在、これだけの技術を持った宮彫り氏はいないかも知れません。ただ、いなみ木彫りの里 太田彫刻や井波で修行をされた信州の中牧一展氏などは、非常に高レベルの木彫を手掛けています。この伝統が継承されていくといいいのですが。

 飯山城址へ。古い絵図を元に再現されたものです。穏やかな日だったので、小さな子を連れた家族が何組も遊びに来ていました。

(左)飯山城見取り図。これを元に復元された様です。(右)城址の脇はすぐに千曲川。「明治元年(1868年)の戊辰戦争では、藩主の本多助成は新政府への態度が曖昧であるとして叱責を受けている。越後高田藩方面から旧幕府軍の衝鋒隊が飯山藩領に侵入し、飯山を拠点化しようとした。この動きに対しても藩は当初は日和見的な態度を取っていたが、突然衝鋒隊に対して発砲し、城下は戦火の被害を受けている。その後北越戦争、会津戦争に参戦した。翌年、第9代藩主・本多助寵は版籍奉還により飯山藩知事となる。そして明治4年(1871年)の廃藩置県により、飯山藩は廃藩となって飯山県となり、同年末には長野県に編入された。 」(Wikipedia)

(左)本丸。(右)飯山線の列車が通過しました。

(左)すぐ近くの「高橋まゆみ人形館」へ。(右)郷愁と親しみを感じる人形がたくさんあります。展示品は度々交換される様です。孫を自転車の後ろに乗せたお祖父さんの絵葉書を買いました。

 昼は「奥信濃 まぼろしのそば処 富倉そば」へ。休日で混むことが分かっていたので開店時間に到着。頼んだのは盛り蕎麦と海老の天ぷらと舞茸の天ぷら。天ぷらは抹茶塩で。オヤマボクチの繊維を練り込んだ蕎麦は、細くても歯ごたえがもの凄い。何もつけずにいただくと、霧下蕎麦のおがわの様な新蕎麦の甘みとか香りはありません。しかし、強めの汁をつけていただくと口中に蕎麦の甘みと旨味が充満します。汁は何か普通のかえしとは違います。なんだろうと思いましたが、もしかして煮干しを入れているのかなと。帰りにお店の女性に聞くと、ええ使っていますと。なるほど、この強い汁は富倉そばに非常に合うと思いました。そして秋山郷でも思いましたが、舞茸の味が濃い。天然ではないけれど、栽培方法が大メーカーのものとは違うことが分かります。大満足でした。

(左)403号を南下。そのままだと小布施の混雑に巻き込まれるので山際の道へ。拙書でも紹介の雁田山の小城へ昇りました。北信五岳が見えるかなと思ったのですが、霞んだ四つしか見えませんでした。(右)麓の北斎の鳳凰の天井絵で有名な岩松院。拙書でも写真をお借りして載せています。

 そこから須坂の街に入ったのですが、左に菅平の看板を見つけて、そうだ菅平に行こうと決めました。さすがに紅葉は終わっていましたが、大松山の麓から見る根子岳と四阿山。両山とも拙書にその歴史とともに載せています。別荘地で、最近引っ越してきたという旦那さんが外国人のご夫婦と邂逅。冬は地獄ですけど夏は天国ですと笑いながら言っていました。まもなくこの畑もゲレンデになります。湿原も見るものはなかったので、上田に下ります。

 途中の菅平ダム。なんと水が抜かれてありません。管理事務所にダムカードをもらうのと話を聞くために向かいました。ダムは50年経っているので補修が必要なので抜いて作業をしているとのこと。管理を委託されている方と、色々なダムの話をしました。前回訪れたJR東日本の信濃川ダムの話は非常に興味深そうに聞かれました。

 ダムとダムの下流部の景色。標高が下がっていくほど紅葉の鮮やかさが増していきます。これからが、拙書にたくさん載せている信州の里山の紅葉の盛りになります。戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉に入って帰宅しました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙高の杉ノ原ゴンドラで天空の赤倉山南麓湿原へ。シナノキの巨樹二本と出会い、富士山も見える大パノラマを堪能(妻女山里山通信)

2020-11-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 さて三日目はどこへ行こうかと思案中にマリンドリーム能生で妙高の杉ノ原スキー場のゴンドラのパンフレットを見つけました。ここにしようと決めましたが、週末で混雑必至なので、始まる9時に着こうと早朝6時に出発しました。

(左)上越市の中心街に入る手前で朝日が昇りました。まだ波は荒い。(右)道の駅あらいに寄って9時少し前に杉ノ原に到着。数台の車が既にいました。9時からと書いてあったのですが、ゴンドラには既に人が乗っています。

 正面には赤倉山が荒々しい岩肌を見せています。ゴンドラの料金は2000円ですが、各種クーポンが使えます。全長3070m。所要時間は約15分で、標高1500mの天空の湿原に着きます。

(左)ゴンドラを降りると目の前に湿原の入口が。昨夜の薄雪が見られます。(右)ロングコースで2キロ、約30分。高低差もほとんどなく優しい遊歩道です。ただ泥濘状態のところもあるので、トレッキングシューズで。

 妙高山の外輪山の赤倉山。荒々しく美しい山です。

 見事なブナの原生林。ブナの実は熊の大好物です。熊棚を探しましたが、見られませんでした。

 シナノキ(科の木、級の木、榀の木)の巨樹。長野県の古名である信濃は、古くは科野と記したのですが、シナノキを多く産出したからという説があります。「シナ」は、アイヌ語の結ぶ・縛るの意。アイヌは、この木を「ニペシニ」と呼んだといいます。縛るものという意味があるそうです。樹皮の繊維を縄として使ったのでしょう。蜜源植物で、香りのよい花から蜂蜜が採れます。シナノキの皮は、古くから野良着などの布として日用品に利用されたそうで、縄文人も利用していたと思われます。

 その根本。樹齢はどれくらいなのでしょう。

(左)ユモトマユミ。種はほとんど落下しています。樹高は3m程ですが、栄村には、6mを超える珍しい巨樹があるそうです。(右)コケの胞子嚢。

 ユキの重さに耐えて生き続けるダケカンバの巨樹。

 入り口に戻って展望台へ。途中の落葉松の黄葉。この日はほぼ無風の穏やかな日でしたが、風が吹くと針状の落葉松の葉が、チリチリと音を立てて舞い降ります。

 展望台からの大パノラマ。ススキの向こうに左に野尻湖。向こうの雲は、千曲川が生んだ川霧です。一番右に富士山のシルエットが見えるのが分かるでしょうか。

 ゲレンデのシナノキを見に下る途中の長め。野尻湖と左に斑尾山。中腹に古海の集落が見えます。午後は、あそこを通って裏側の沼の原湿原へと向かいます。

 ゲレンデにあるシナノキの巨樹。樹形が非常に美しい。

 帰りはスキー場のメンテナンス道路を登ります。次々とやってくる観光客。介護者がいれば車椅子の方でも来ることができます。時々ゴンドラが止まりますが、車椅子の人や足が不自由な人を乗せるためです。戻ると駐車場はほぼ満車。観光バスも来ていました。

 下って野尻湖へ。弁天島の紅葉と遊覧船。観光客も大勢いました。

 野尻湖畔から望む妙高山。左に赤倉山。その左下の窪みが湿原です。

 昼食を食べて沼の原湿原へ。地元の方が遊歩道の整備をしていました。私も妻女山の整備を仲間としていますが、大変な作業です。遊歩道と紅葉。

 閑寂(かんじゃく)の湿原。寂寥感(せきりょうかん)が漂います。ブラジル人はこれをサウダージといいます。英語だと近いのは、I miss youでしょうか。ここに亡き妻がいたらなと。見せてあげたい。

(左)昼は初めておがわへ。苗名の滝と道の駅しなのの途中にあります。新蕎麦とイワナの塩焼きをいただきました。やや緑がかった新蕎麦はなにもつけずに食べると噛むほどに新蕎麦の甘さと香り、旨味が口中に広がります。イワナは炭火で非常によく焼かれていて、頭から中骨まで食べられます。左下の大根の漬物も市販品でなく非常に美味でした。女将と話しましたが、黒姫の霧下蕎麦には外れはないですねと言うと、でも汁が違うと。甘い汁もあると。確かに以前の信州の蕎麦屋では甘すぎる汁もありました。現在はかなり改善されていると思います。女将は東京出身で、語り口から下町の出かなと。汁は私好みの江戸前の仕立て。大満足です。シャインマスカットがなんと500円。息子さんが東御町で生産しているとかで破格の値段で提供とか。(右)道の駅しなのでの夜は、道の駅あらいで買い求めた1500円の握り寿司。18貫でこのキトキト寿司はリーズナブル。少食な私は、晩酌しながら食べきるのに2時間かかりました。しかし、コストパフォーマンスは最高です。さて、明日はどうしようかと熟考。飯山へ向かうことにしました。そして小布施から菅平へ。菅平ダムでびっくり。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨曇り晴れの天気の中、親不知、生地、宇奈月、糸魚川の能への旅。幻の幻魚(妻女山里山通信)

2020-11-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 秋山郷の紅葉に酔いしれた翌日は、雨とあられと青空が交じるドラスティックな天気の日でした。まず、道の駅あらいから高田インターで高速に乗り能へ。そこから国道8号を西へ親不知に向かいました。

 親不知ピアパークから親不知方面の眺め。高速道路が下がっているカーブにはインターチェンジがあります。この先の高速道路は海の上を走っています。ここに来たのは、2年前に食べて衝撃を受けた幻魚丼を食べたいからでした。開店したてのレストピアに行くとあるはずの幻魚丼のメニューがありません。厨房にいた女性に聞くと、本当ならもう出せるんだけど、権利の問題とかで入荷しないのよ。とか。魚業権でしょうか。泣きそうです。仕方なく高速に乗って富山県の朝日町へ、

(左)宇奈月温泉へ行くつもりが間違えて富山方面へ。そうだ生地(いくじ)魚の駅でお昼にしようと。魚の駅「生地」。(右)開店にはまだ時間があるので、黒部漁港を散策します。潮の香りが気持ちいい。

(左)開店した鮮魚売り場。ベニズワイガニ。(右)キトキトの魚介類が並んでいます。

(左)富山ではげんげと呼ばれる幻魚。地元の方から幻魚には白幻魚と黒幻魚があって、黒幻魚の方が大きくて肉厚で美味いと聞きました。これがどちらかは分かりません。げんぎょは元は下魚という説がありますが、とんでもない。馬鹿旨です。(右)この日はやっていませんでしたが、週末や休日は食べられるでしょう。300円は激安です。

(左)向かいの航海灯が開店したので入店。なんと幻魚の天ぷら定食がありました。2年ぶりです。親不知のレストピアと違い三枚おおろしでなく丸揚げで小骨がありますが、美味。右下のつみれ汁も馬鹿旨です。(右)満足して漁港を散策。鮮魚は持ち帰れないので、幻魚の干物、タラの塩漬け、ホタルイカの干物、秋刀魚の糠漬けなどを買いました。

 宇奈月温泉。発電所。

 小雨がそぼ降る黒部川。トロッコ列車が通ります。天気のせいもあるのでしょうが、昨年に比べると紅葉の鮮やかさがないように思われます。

(左)トロッコ列車が来ました。雨にも関わらず乗客がたくさん乗っています。(右)有磯きときと庵で夕食にと買い求めた白エビ天丼弁当。二重の白エビの下に野菜がたっぷり。これは美味でした。銀座六丁目にもお店があります。

 しばらくすると雨は止んで青空が。やはり生地に先に行ったのは正解でした。

 宇奈月から朝日町のヒスイ海岸へ。太平洋では珍しくないのですが、日本海で初めての大波。水平線も平らではありません。翡翠を拾っている場合ではありません。

 この後、10m以上全速力で逃げました(笑)。

 親不知。白い高波は10m以上あります。私はほとんど演歌は聞かないのですが。石川さゆりの「能登半島」を口ずさみながら糸魚川に戻りました。

(左)糸魚川の天津神社の奴奈川神社に参拝。猛烈なアラレが降りました。(右)車中泊のマリンドリーム能生へ戻ります。その前に長者温泉へ。地元の方と歓談しました。

 マリンドリーム能生の夕焼け。風と波がもの凄く、海岸から離れた場所に駐車しました。さて明日はどこへ行こうかと。ここで杉ノ原のゴンドラのパンフレットを見つけました。ここへ行こうと決めました。風と打ち付ける波の音が凄まじく、1時間ごとに目が覚めました。ヤレヤレの夜でした。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦秋の奥志賀から秋山郷で紅葉に酔い滝三昧、そして蕎麦三昧の始まり(妻女山里山通信)

2020-11-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
 5連休の休暇に三泊四日の旅を計画しましたが、プランができません。とりあえず、前回台風14号で諦めた、秋山郷と志賀高原の旅を初日にすることを決めました。しかし、その後のプランは未定です。ノープランの旅になりました。勘違いや混雑、天候による予定変更もありましたが、いい旅でした。素敵な出会いもありました。

 澗満滝(かんまんだき)。千曲川の支流の角間川にかかる幅20m、落差107mの志賀高原最大の滝です。駐車場からわずか190m。駐車場からすぐ上に展望台の四阿が見えます。

 一沼。志賀高原の入り口にある沼です。紅葉は終わりに近い状態。高齢のカメラマンが何人もいましたが、皆スイレンが除去されてつまらなくなったと。後日、別の方からスイレンに似ているヒツジグサが除去されてしまったと。ヒツジグサが日本在来の種類なのに対して、各地の池や沼には後から持ち込まれた園芸用の温帯性スイレンが、結構あちこちで幅をきかせていることがあるそうです。妙高のいもり池もかつてはヒツジグサが繁茂していたそうですが、現在はスイレンがはびこり、除去作業をしています。おそらくここもヒツジグサをスイレンが寡占してきたのではないでしょうか。わずかに残されていたのがヒツジグサだと思われます。

 湖面に映る白樺。

(左)奥志賀の一ノ瀬スキー場(高校の頃美術班で油絵を描きに来た)を経て秋山郷へ。大滝(おおぜん)へ。谷に桂の木があり甘い芳香を振りまいていました。(右)大滝へは約20分です。

(左)落ちたら助からない崖の上の細い道。子供や高齢者、高所恐怖症の人は行くべきではありません。トレッキングの装備が必要です。(右)近くで見られないので確実ではありませんが、ややピンクがかった紅葉は、メグスリノキでしょう。煎じて飲むと目にいい民間薬です。

 雑魚川(ざこがわ)の落差25m、幅10mの大滝(おおぜん)。結東層の堅い変質した安山岩の凝灰角礫岩が作る滝。大滝をおおだるというのはありますが、おおぜんというのは初めて知りました。だるは、垂水からきているのですが、ぜんはなにから来ているのでしょう。

■奥志賀の大滝(おおぜん)



(左)名もない滝があちこちに散見されます。(右)枯れ木の上で口をモグモグさせながら、何かを見ている猿。泰然自若。たいしたやつだ。この前にも猿の群れに遭遇しました。

 赤と黄色と緑と枯れ葉の茶色、散ってしまった枝の取り合わせがなんとも美しい。

 黄葉と青みがかった灰色の崖。補色のコントラストが絶妙。

 真紅なのはハウチワカエデでしょうか。楓は日本に80種類以上あります。紅くなるのは樹種のためだけではなく、夜間に晴れて放射冷却によって気温が下がり、樹木が保身のためにポリフェノールの一種のアントシアニンが形成されるためです。そのため今年のように曇りや雨が多いと最低気温が高く、紅葉にならず黄葉になってしまうのです。

 紅葉黄葉の入り乱れる景色。

 今回最も美しかった景色。特に場所の名前はないようですが。居合わせたご夫婦はこれは凄いと感嘆していました。奇蹟の光で、手前の紅葉に太陽の光が当たり、奥の崖が陰という信じられない瞬間。この状況に酔ってしばらく動けなくなりました。シャッターを切るのも忘れて、思わず見入ってしまったほどです。プロカメラマンとしては落第ですね。涙腺が緩むほどの紅葉というのは初めて観ました。叶うものならば、最愛の亡き妻とこの景色を共有したかったですね。きっと天国で見ていたでしょう。

 凄みのある紅葉。断崖絶壁にへばりつく植物も紅葉しています。平日ですが、けっこう対向車もありました。ミラーのないカーブではクラクションを。

 秋山郷の有名な布岩の紅葉。幅1.5mほどの柱状節理に松の緑と紅葉のコントラスト。

 秋山郷の中心部を俯瞰したところ。右に布岩。美しい風景ですが、冬は考えられないほど厳しいのだろうなと思わされます。昔、「新日本紀行」で観た秋山郷のモノクロの映像をはっきりと覚えています。

 伝説の蛇淵の滝(じゃぶちのたき)。秋山郷の熊取名人が熊を追って、渓流の丸太を渡り終え、ふと後ろを振り向いたところ、それは丸太ではなく大蛇であった。恐ろしさのあまり一目散に山道を逃げ去ったという伝説がある。落差は30m、幅は4m。ここで京都から来たsさんと邂逅。色々楽しい話ができました。

(左)滝の入り口にある山源の天ぷら蕎麦。蕎麦は普通だが地元の野菜と山菜の天ぷらは秀逸。(右)山源は木工工房でもあります。これはブナの巨木でしょうか。凄い。

 中津川左岸を覆う柱状節理の発達した岩屏風。約30万年前に噴出した苗場山の溶岩で、中津川に浸食されて現在の峡谷になりました。雪どけの頃、雪崩とともに岩が音を立てて落ちるため石落しと呼ばれます。

 東京電力の中津川第一発電所。

 上越市の道の駅あらいで車中泊。愁雨でたそがれています。新しいこちらは閑散としていますが、向こう側は混雑しています。放浪の旅、さて明日はどこへ行こうか考えていました。なんと富山へ。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする