モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

YAMABOKUワイルドスノーパークのゲレンデからの絶景。北信五岳と日本海(妻女山里山通信)

2021-12-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 29日は朝からこれ以上ないほど晴れ上がった長野市です。息子達は、高山村のYAMABOKUワイルドスノーパークでスキー。その次男がツイッターにあげた写真があまりに素晴らしいので、彼の了解を得て掲載します。

 YAMABOKUワイルドスノーパークのゲレンデからの絶景。撮影地の標高は1600m少しだと思います。北信五岳がきれいに見えています。そして右手の信越トレイルの向こうには日本海。なんだ海無し県というけれど長野県にも海があるじゃんと思ってしまいます。まあ、多くの信州人は上越や糸魚川の海は信州のものと思っていますけどね。北信五岳は「まみくとい」と覚えます。斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱です。真上の空は、プルシャンブルー。もう宇宙の色です。

(左)温泉の帰りに妻女山展望台へ。403号から高速のトンネルをくぐって右へ登ると。(右)すぐに上杉謙信槍尻の泉のカーブですが、ここが曲者なのです。見た目以上に急で、一度溶けて凍結するとスタッドレスでは登れません。毎年、何台もの車がスタックしています。特に3月の春先が最も危険です。ここに限らず信州の山道には、地元の人だけが知っている危険箇所があります。

 北東を見ると、拙書にも載せている高社山。地元ではたかやしろと言います。あの山の向こう側は木島平村で、豪雪地帯です。ホワイトリングが光っています。その右奥にはエムウェーブも見えています。右の黄緑色の橋は、松代と長野を結ぶ松代大橋。

 東を見ると松代の城下町。左に奇妙山。右奥に白い根子岳と右に四阿山(あずまやさん)。正面の山の麓の傾斜地は東条で春は満開のあんずの花で楽しませてくれます。明日と明後日大晦日でこの風景も白銀の世界になるでしょう。

 北を見ると千曲川の向こうに川中島。冬期長野オリンピックの開閉会式の会場となったスタジアムやサッカー場があります。右の大きな山塊は飯縄山。左は雪雲に煙る戸隠富士の高妻山。手前左の里山は、富士ノ塔山。山頂は山城跡があります。山頂直下まで車で行けます。麓には裾花凝灰岩の白い崖が見えます。この麓に沿って活断層があり、善光寺地震の時はそれが動きました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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数年に一度というクリスマス寒波の長野盆地。妻女山展望台からの雪景色とぜんざいと納豆作り。蔵書(妻女山里山通信)

2021-12-27 | 男の料理・グルメ
 数年に一度というクリスマス寒波で日本海沿岸地方は各地で大変なことになっています。さぞや長野県もと思われるかも知れませんが。なお滋賀県は実は豪雪地帯ですし、その南の名古屋も遮る高い山脈がないので、こういう大寒波には雪が降ります。白馬村も山岳地帯意外はそれほど積雪はありません。しかし、年末年始の大寒波や来年になるともの凄い積雪になるでしょう。長野市南部や千曲市、坂城町、上田市などは、2月の上雪での豪雪が心配です。2014年の大豪雪がまさにそれでした。
 最後に年末買い求めた本を紹介しました。なかなかレアな本です。歴史ファンはぜひお読みください。

 27日の午前中、友人のところへ幻のイガチクという小麦粉を取りに行った帰りに妻女山展望台に寄りました。東の松代方面の眺め。あれ?雪がない!と思われるでしょう。そうなんです。大寒波の時は、豪雪地帯の飯山や信濃町は大雪ですが、長野市の平坦部は雪は舞うものの積雪は少ないのです。ただ寒い。最低気温がマイナス6度、最高気温も日が差してもマイナス1度です。

 千曲川を挟んで北の長野市中心街方面。晴れていれば見える戸隠や飯縄山は全く見えません。うっすら見える里山も雪は降っていますが豪雪ではありません。手前の畑は地温が高いのでほとんど積雪はありません。

 西の茶臼山方面。飯山方面からの雪雲が直接当たるため妻女山よりは積雪があります。茶臼山右奥にうっすらと見える虫倉山は真っ白です。

 展望台から南の眺め。右に斎場山。長坂峠を挟んで左に我々が貝母(編笠百合)の保護活動をしている陣場平。実際はもう少し奥です。手前左は、松代藩が建てた善光寺地震の供養塔です。奥に戊辰戦争以降の戦没者を祀る妻女山松代招魂社があります。ここまで一応轍はありますが、一度溶けて積雪したらスタッドレスでは登れません。猪刈りの猟師はスタッドレスにチェーンを巻いて登ります。特に春先の3月が一番危険。毎年JAFのお世話になる車がいます。

 厳寒の夜は暖かい鍋焼きうどんがいいですね。うどんはイガチクではなく地粉です。私が採った天然のクリタケ、ヒラタケ、ムキタケが入っています。他には地物の白菜、里芋、長芋など。外は零下なのにフリースを脱いでファンヒーターを止めるほど体が温まります。

(左)長男が作ったぜんざいをツイッターにアップしていて食べたくなって作りました。小豆は亡き父と作った幻の少納言小豆です。普通の小豆とは風味がまったく違います。ただ、個人で作っている人はいるかも知れませんが、市販はされていません。大納言とも違います。この旨さはお金では買えないものです。(右)仲間と作った黒大豆がたくさんあるので納豆を作ることにしました。

(左)茹でた黒大豆をタッパーに入れ発泡スチロールのケースへ。タッパーの下には2つのホッカイロ。納豆菌は、信州で納豆といえばこれ!の川中島納豆。在京時代も帰省すると土産に買って帰ったことがありました。(右)これをよく混ぜてタッパーに戻し、ファンヒーターで温めてフタをして発行させます。中の温度が38〜43度ぐらいかを度々計測して、低ければファンヒーターで温めます。結果は非常に上手くできました。見た目は右上の写真と同じです。味は市販の納豆では味わえないコクと旨味があふれています。ご飯が進みすぎるのが問題です。

 年末に買い求めた本です。だいたい絶版か古書でしか手に入らないものなので、すべてネットで探しました。
 左から、『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎著。これが今年最も読みたかった本です。春秋戦国時代に国の滅亡ゆえに渡来した弥生人を中国正史から紐解いています。とても全てを紹介はできませんが、魏志倭人伝にいわく、日本からの朝貢の者が、「我々は大伯の後(すえ)なり」と言っていることです。大伯とは古代中国春秋戦国時代の呉の開祖といわれる人物です。
 次は、『古代史の謎は「鉄」で解ける』竹村公太郎著。内容はまさに帯にある通りです。未読。次は、『「馬」が動かした日本史』蓮池明宏著。魏志倭人伝には、日本には馬がいないと書かれています。馬が入ったのは5世紀ごろ。古墳から突然馬具が出土します。伝えたのはツングース系の高句麗の人々。信州では篠ノ井の地名の元になった帰化した豪族が朝廷から篠井性を賜り、それが篠ノ井の地名の元になっています。高句麗の人々は、関東に多く移住しました。東京の狛江市の狛は、高句麗のことです。当地では、大室の積石塚古墳群や妻女山山系の積石塚古墳群がそれです。馬産の地名として、南牧村や牧島などの地名が残っています。3つ前に載せた森将軍塚古墳の出土品にも馬具が見られます。
 『「日本』とは何か「日本人」とは何か』田中英道監修。少し突飛すぎる説もあるのですが、古代史に風穴を開ける本だとは思います。
 『西郷隆盛と西南戦争を歩く』正亀賢司著。なんと妻女山で邂逅した方の著書です。色々お話をして、この著書を紹介していただきました。戊辰戦争は当地の大問題なので色々調べましたが、西南戦争に関してはわけのわからない無益な内戦ぐらいの感想しかありませんでした。非常に緻密に取材されています。面白いです。しかし、結局なぜ挙兵したのかは、結局分からずじまいでした。思ったのは、明治維新は、英仏米の金融機関がバックに付いた作られた軍事クーデターと思っているのですが、それと西南戦争のバックにいたはずの彼らが全く見えてこないのが不思議でした。長崎のグラバーやロックフェラー、ロスチャイルドがどう暗躍したのかを解明するのが歴史家の責務だと思います。
 『消費社会の神話と構造』ジャン・ボードリヤール著。1970年代の美大生時代に彼の著書を読みました。それ以来です。資本主義やら商業主義やらに警鐘を鳴らした彼の本を、超巨大多国籍企業によって世界が破壊されそうな現代にもう一度読むべきと思い購入しました。現在はイデオロギーの時代ではありません。右だ左だと言っている人は時代遅れ。米中の軋轢も両国の経済依存度を知れば単なる茶番劇だと分かります。むしろ超巨大多国籍企業と世界市民の世界戦争が始まっていることを認識することが大事なのです。新型コロナしかり、ワクチン騒動しかり。超巨大多国籍企業の売上が、たとえば日本の国家予算と匹敵するかその業界では上回っていることを知っているでしょうか。利益を最優先する企業が、世界の政府やマスコミにロイビストを派遣し世界を支配しているのが今の世界なのです。覚醒しましょう。これは陰謀論でもなんでもありません。調べれば分かる事実です。良いお年を。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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毎年恒例の?クリスマスソングの特集です。あくまで個人的な好みなので偏っていますが、ロックからアイドル、クラシックまでとなんでというくらい幅広いです(妻女山里山通信)

2021-12-25 | BABYMETAL・LOVEBITES・ジャズ・宮本佳林・クラシック
 数年に一度という大寒波の襲来だそうですが、クリスマスイブは拍子抜けの暖かさ。25日も朝は雨でした。しかし、この後が怖いです。本当の大寒波はこれから。イブは知り合いのタイのお姉さまの誘いで『ペルセポネーの泪』の舞台になった温泉街の彼女のスナックへ。人通りはほとんどありませんでした。不景気とかそういうレベルではありません。国民が覚醒しなければ日本は本当に終わるかも知れません。
 で、スパークリングワインとか飲みながらカラオケを歌ったりしました。普段はしませんが、前日モニタリングを観たせいでしょうか高得点を狙ってみました。あいみょんの「裸の心」で98点、スピッツの「ロビンソン」で96点まで出したのですが、100点て出ませんね。

Queen - Thank God It's Christmas

学生の頃、イースターの休みにロンドンに5週間ほど住んでいました。その時流行っていたのが「ボヘミアン・ラプソディ」。メアリー・オースチンともBIBAで出会った記憶。映画は7回観ました。Queenよ永遠に。

John Lennon ~ So this is Christmas.

彼が願った世界平和とは程遠い今の世の中。天国の彼も悲しんでいるでしょう。国家予算を上回るような売上の巨大多国籍企業(ワクチンメーカーもそうです)が世界の人々を支配しようとしていることに気がついていますか。

Mariah Carey - All I Want for Christmas Is You (Live at Tokyo Dome)

東京ライブの貴重な映像。

Last Christmas/ワム!(歌詞付)

これもクリスマスに流れる定番の曲。少し物悲しくでも未来を見据えた曲。

JR東海 Xmas Express CM 1988年~1992年 & 2000年

クリスマスの定番ソング。私もそうですが、色々な思い出が蘇る曲です。

恋人がサンタクロース

高中正義も参加してるんですね。

℃-ute 『会いたいロンリークリスマス』

ハロプロで最初に好きになったグループでした。歴史あるモーニング娘はもちろん、この実力と伝統がjuice=juiceやそれ以降のグループにも継承されているのです。

Andrea Bocelli - White Christmas - Live From The Kodak Theatre, USA / 2009

オペラ界の重鎮、アンドレア・ボチェッリ。

Andrea Bocelli, Sarah Brightman - Time To Say Goodbye (HD)

最後はクリスマスソングではないのですが、来年への希望を込めて「君と飛び立とう」。アンドレア・ボチェッリとサラ・ブライトマンの素晴らしいデュエットです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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妻女山初雪で初積雪。上杉謙信と貝母の陣場平へ。妻女山展望台からの雪景色(妻女山里山通信)

2021-12-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 17日金曜日の雨は夜更け過ぎから雪に変わりました。長野県の北部には警報級の豪雪警報が出ました。こんなことはひと冬に数回ですからそれなりの警戒と準備は必要です。ただ、大寒波の時は、長野市南部以南は大雪にはなりません。なるのは上雪(かみゆき)といって千曲川上流部で大雪になる時です。2014年の大豪雪がそれです。幸い今回は、上信越自動車道も国道18号も通行止めにはならなかった様です。豪雪にスタッドレスだけでは不安です。必ずチェーンも携行を。雪かき・スキージ・融雪剤・ワイパー洗浄液・懐中電灯・手袋・防寒具・非常食・スマホ。情報収集を。車の屋根に雪を積んでの走行は長野県条例違反です。後ろに落ちて後続車の事故を誘発する恐れ、ブレーキでフロントグラスに落ちて視界がなくなる恐れ。必ず落としてください。

 開けて18日の土曜日。午前中に妻女山へ行ってみました。積雪は3センチほど。吹き溜まりでも6センチぐらいです。妻女山の駐車場に車を止めて徒歩で陣場平まで登ってみました。気温はマイナス3度。長野市の中心街は19センチの積雪だったそうです。南部の松代は3センチ程度。たった十数キロの差でこれだけの積雪量の違いがあります。犀川を越え、千曲川を越える度に積雪量が変わります。

 落葉した山桜やダンコウバイ、ハリギリやネムノキに積雪。一服の絵画のようなモノクロームの美しい世界。

 雪上がりにはアニマルトラッキングができます。歩いた後に少し雪が降ったので少し分かりにくいのですが、左はおそらく狐(きつね)。タヌキだとあちこちに寄って曲がるのですが、キツネの足跡は直線的でタヌキより縦長です。右は少し大きなニホンカモシカの足跡。イノシシは副蹄(ふくてい)という小さな跡がつくので区別できます。

 陣場平と堂平大塚古墳、天城山(てしろやま)や鞍骨山(鞍骨城跡)への分岐。右下に下りると300m位で堂平大塚古墳。左へ登ると天城山を経て鞍骨城跡へ。さらに象山へ下ったり、南へ尾根を登ると鏡台山へ。

 振り返って陣場平入り口。ルリビタキ、シジュウカラ、ヒヨドリの鳴き声が。上空にはノスリが旋回しています。

 川中島の戦いで上杉謙信が陣城を築いたという陣場平。現在は我々妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで貝母(編笠百合)の保護活動をしている場所です。貝母は雪の下ですが、3月には雪を押しのけて芽吹いてきます。見頃は年により変わりますが、4月の10日から20日頃です。全国の里山でこれだけの群生地はここだけです。初めて来た方は必ず歓声をあげます。満開の写真は、毎年4月に記事にしていますので、バックナンバーからご覧ください。

 菱形基線測点越しに見る陣場平。山桑、クマノミズキ、桐、オオヤマザクラ、カスミザクラ、クサギ、コムラサキ、ヤマツツジ、ガマズミ、コバノガマズミ、ミヤマウグイスカグラ、クロモジ、ネムノキ、山椒、クヌギ、ウワミズザクラなどが自生しています。

 戻って昔は松代藩の大名行列も越えたことがある東風超(こちごえ)から見る上杉謙信の本陣と伝わる斎場山。山頂は古代科野のクニの古墳(円墳)です。先のカーブは長坂峠。

 そのすぐ下からの北方の眺め。善光寺平(川中島)が一望できます。粉雪は止んで青空が見え始めました。戌の満水の大洪水の後、松代藩によって大規模な瀬直しがされた千曲川が緩いカーブを描いています。その前は、グニャングニャンに曲がっていました。だから千曲川なのです。

 林道を下ります。この大きく傾いた山桜は、数十年前の在京時代からいつ倒れるかなと思っていましたが、太い根が林道の下まで伸びていて頑強なのです。

 槐(えんじゅ)の枝。下る道すがら、デューク・ジョーダンの「フライト・トゥ・デンマーク」が脳内を流れました。

 檜に積もった雪。春先の湿雪ではないので、そう重くはないのですがそれでも垂れ下がっています。湿雪では枝が折れたりもします。

 落葉松林。この森は所有者によりまったく管理されていないので倒木が頻発し、我々の悩みの種です。

 妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀る松代藩がつくった神社です。妻女山といいますが、本来の地名は赤坂山です。桜の名所で、桜の季節には近隣の小学生が遠足で訪れます。

 妻女山展望台から西の眺め。茶臼山が雪雲に隠れています。

 北方の眺め。眼下の赤坂橋の向こうに広がる森は、武田信玄が本陣としたと伝わる八幡原(はちまんぱら)。左奥の喉仏の様な里山は拙書でも紹介している上杉謙信の山城が残る髻山(もとどりやま)。

 東を見ると松代の城下。左に真田幸隆によって攻略された東条氏の尼厳城跡のある尼厳山(あまかざりやま)。右の大きな山塊はこれも清滝城跡(東山城跡)のある奇妙山。拙書ではその由来や歴史を記しています。手前は上信越自動車道と梢に隠れて松代パーキングエリア。こんな寒い日でも山登りをすると体は暖かいのですが、顔と手袋をしていても指先は冷たい。帰ってバンホーテンのココアを温めてウィスキーを少し入れて暖を取りました。夕方はマックス・フィールド・パリッシュの絵のような美しい夕焼けだったので明日は晴れるでしょう。
 と思ったら、一日中曇りで午前中と夕方は雪が降りました。なんと一日中零下の寒い日となりました。温泉で温まり、酒粕を入れた豚汁を作りました。信州豚に野菜は地物のゴボウ、地大根、白菜、人参、里芋、天然ヒラタケ、仲間と作った椎茸、長ネギ、味噌も仲間と大豆栽培から作った信州糀味噌です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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古代科野のクニの大王の前方後円墳・森将軍塚古墳。そして見どころ満載の古墳館へ(妻女山里山通信)

2021-12-15 | 歴史・地理・雑学
 雲ひとつ無い快晴の朝。こんな撮影に絶好の日はそうそうありません。前日から行こうと決めていたのが古代科野のクニの前方後円墳、森将軍塚古墳でした。2011年に書いた『古代科野国の初代大王の墓といわれる森将軍塚古墳の歴史検証』の記事を参考にリライトしました。随時、加筆修正も行っていきます。

 森将軍塚古墳全景。千曲市大穴山にあるこの古墳は、今からおよそ1,600年ほど昔(4世紀)に造られた県内最大規模の前方後円墳です。曲がった尾根上に造られたためシンメトリーではないのが特徴。後円部は変形の楕円状です。信濃国の前身の科野(しなの)のクニの首長の墳墓といわれています。ここを中心に周辺には、国指定史跡の埴科古墳群が点在します。この地域はまさに古代科野国の王家の谷なのです。古墳へは、古墳館からシャトルバスが出ていますが、科野の村の西の端から遊歩道があり15〜20分で登れます。標高差は120m位なので、こちらがオススメです。近所の人で毎日登る方も少なくない様です。古墳は膨大な数が全国にありますが、当時の姿に復元したものはほとんどありません。非常に貴重です。古墳館と共にぜひ訪れてください。
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 古墳の様式は前方後円墳で、長さ:100m。後円部径:43~ 50m、高さ:11m、後円部頂部径:15~29m。前方部幅:30m、長さ:41m、高さ:4m。くびれ部幅:15m。方位:N120E。後円部頂に竪穴式石室(長さ:7.6m、幅:2m、高さ:2.3m、推定割竹形木棺・組合式木棺)。前方部に竪穴式石室2基。墳裾に小型埋葬施設多数(組合式箱形石棺64・埴輪棺12・土壙墓2)。葺石の材質:大穴山産石英斑岩。総数:約8万個。前方後円部頂部敷石:千曲川川原石。石室:板石積み・ベンガラ朱彩。
 出土品:埴輪(壷形・朝顔形・円筒形・合子形・家形)・鏡片(長野県唯一の三角縁神獣:鏡径22.6cm)・土師器・玉類(翡翠製勾玉1・碧玉管玉5)・鉄剣3・鉄刀2・鉄槍2・鉄鏃・鎌1
【国指定史跡】築造:推定4世紀中~末。標高490mの大穴山山頂、位置:東経138度8分25秒、北緯36度31分42秒。後円部2段築成。後円部三方裾下に貼石帯がある。


 前方部の角から見上げる古墳。荘厳な雰囲気が漂います。
 崇神天皇の代に、ヤマト王権より科野国の国造(こくぞう・くにのみやつこ)に任命された、神武天皇の皇子・神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の後裔の建五百建命(タケイオタツノミコト)が埋葬されているといわれています。また、妻女山の麓にある会津比売神社の祭神・会津比売命(アイヅヒメノミコト)は、建五百建命の后であると伝わっています〔埴科郡誌・會津比賣神社御由緒・里俗伝など。さらに、他の記述では、会津比売命は皆神山にある皆神神社(熊野出速雄神社)の祭神で、諏訪の健御名方命(タケミナカタノミコト)の子・出速雄命(イズハヤオノミコト・伊豆早雄)の御子であり、両神はこの地の産土神(うぶすながみ)といわれています。(松代町史)〕さらに、出速雄命の出(いず)、会津比売命の会津(あいづ)は、松代の古名・海津(かいづ)に繋がるものとも記されています。
 延喜元年(901年)に成立した『日本三代実録』には、貞観二年(860年)に出速雄神に従五位下、貞観八年(866年)に會津比賣神に従四位下を授くとなっています。その後、出速雄神は、貞観十四年(872年)に従五位上に、元慶二年(878年)に正五位下を授くとなっています。当時の埴科郡の大領は、諏訪系統の流れを汲む金刺舎人正長*であったため、産土神としての両神社の叙位を申請したものと思われるということです。[松代町史]
 *貞観4年(862)、埴科郡大領外従7位金刺舎人正長。[信濃史料]
 建五百建命と会津比売命が伝承通り夫婦とすると天皇家の家系に属する建五百建命と結婚した会津比売が、父の出速雄命よりも官位が高いというのも頷けます。つまり、大和系の建五百建命と、それ以前に渡来した出雲系の会津比売命が夫婦になり、古代科野国を造ったということなのです。

 前方部の縁に並ぶ復元された埴輪。古墳の表面を埋め尽くす葺石(ふきいし)は、なんと約8万個使われています。重機もダンプカーもない古代にこれだけの石を運び積むのにどれだけの労力と時間がかかったのだろうと考えると言葉を失います。建設費用を現代の金額に換算すると12億円ぐらいになるそうです。

 埴輪の彼方には北アルプスの白馬三山。

 古墳時代の人々もこの絶景を見ていたはずです。

 後円部の上から本当に気持ちのいい北方の眺め。眼下左には自然堤防上に科野の国が広がっていたはずです。右は後背湿地で水田が広がっていたはずです。遠くには戸隠連峰と飯縄山。飯縄神社の祭神は白狐に乗った烏天狗(大日如来の化身の不動明王の化身)。戦勝の神で、上杉謙信の兜の前立てのひとつです。武田信玄は神官・千日太夫に安堵状を与えていました。

 北東を見ると、鏡台山から続く戸神山脈の先端のひとつ土口将軍塚古墳のある薬師山、笹崎が見えます。山脈上には古墳や城跡が点在します。

 その右に目をやると鞍骨城から鏡台山までの山並み。川中島の戦いで、武田別働隊が越えたとされる山脈です。現在は、ハイカーはもちろんトレランの人達がよく走っています。古墳館に駐車し、将軍塚古墳-有明山-五里ヶ峯-沢山峠-鏡台山-御姫山-鞍骨山-天城山-斎場山-薬師山-将軍塚古墳と周るとちょうど20キロ。拙書でも鞍骨山、五里ヶ峯、鏡台山の地図を合わせると、そのコースが分かる様に紹介しています。

 後円部から見上げると有明山将軍塚古墳。高圧鉄塔あたりに前方後円墳があります。左へ登ると有明山。五里ヶ峯まで五一山脈が続きます。厳冬期以外は熊鈴が必須です。拙書では五里ヶ峯北にある山本勘助の軍道といわれる勘助道も載せています。

 麓の古墳館へ。石室が忠実に再現されています。椅子に座って眺めながら古代科野のクニに思いを馳せるのもいいと思います。見どころ満載の博物館です。

 一階に下りると石室の内部が見られます。ベンガラの赤が美しい。石室は、板石積みでベンガラ朱彩ですが、手前には千曲川の河原から拾ってきたと思われる玉石や玉砂利が。大量に用いられた板石(石英閃緑岩)は倉科地区から、古墳に積まれた石(石英斑岩)は、この大穴山周辺から集めたものとか。大穴山自体は、別所層という第三紀中新世の黒色泥岩でできていて、登る途中にその露頭を見ることもできます。

 展示品。非常に多いのでその一部を紹介します。三角縁神獣鏡片は、大和王権から全国各地の王に、政治的な関係を結んだ証として与えられたと考えられ、長野県下では唯一のものになります。このことから、埋葬されているのは科野のクニの最初の王と推測されるのです。レプリカは、他の古墳で完全な形で残っていたものを参考に復元したものです。銅鏡はこれまでに弥生時代中期後半の遺跡から古墳時代の墳墓に至るまでおよそ4000面以上が発掘され、このうち三角縁神獣鏡に分類される銅鏡は330面です。文様の系譜から中国製の説がありますが、その中国に出土例がないのです。卑弥呼の鏡説もあります。卑弥呼が魏に使節を派遣した『景初三年』(魏の年号・239年)を記した銘文があるものがあり、魏の鏡と共通する特徴があるともいわれています。日本から魏への使者が、「我々は大伯の後(すえ)という」と言ったとあります。大伯とは、春秋戦国時代の呉の始祖とされる人物です。呉は越に滅ぼされ、多くの民が弥生時代に渡来し定着しました。その後、越も滅ぼされ渡来します。弥生人のルーツといっていいでしょう。呉服、呉織、呉布、生呉、呉汁などの言葉が残り、呉(くれ)や越(えつ)という地名も残っています。(参考文献:『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎)
 倭人というのは、黄河周辺の漢族が、長江周辺の民族を倭人と呼んだ蔑称です。倭人は、ことごとく黥面文身といい顔を含め全身に入れ墨をしていたと記されています。倭人・倭国に関しては、いずれ更に調査検証して記事にしたいと考えています。

 石室内の副葬品は古い時代に盗掘されたために、そのほとんどが持ち去られていました。どこかの神社とかに売り払ったのでしょうか。武水別神社とか善光寺とかにないでしょうか。探してほしいです。写真は、矢、剣、刀などの武器ですが、鎌や鍬などの農具やノミなどの道具も見つかっています。管玉と勾玉(まがたま)の出土も特徴的です。勾玉は、魔除けや厄除けの呪術的な意味を持つ装身具といわれています。語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記があります。それは胎児の形であるとかいう説も。諏訪大社のお守りには翡翠の勾玉がありますが、大国主命の妻の奴奈川姫の象徴です。翡翠は彼女の故郷の糸魚川で多くが産出されました。

 矢じりや刀子(とうす)、鎌(かま)、ガラスの小玉。ガラスはすでに弥生時代の遺跡から出土しており、大陸(紀元前0〜200年の前漢)から加工法がもたらされ流通もしていた様です。鉄製品も多く見られます。昔は、古墳時代に渡来人がもたらすまでは日本では鉄は作られていなかったといわれていました。その後、褐鉄鋼を利用すると弥生式土器を焼くのと同じ位の低い温度でも鉄を作ることができるという事がわかったのです。日本の神話を象徴する葦原こそが鉄の故郷。鉄バクテリアが長い年月をかけて褐鉄鉱を作り出し、古代の鉄の産地となったというわけです。また、信濃、埴科、更級のシナも鉄を意味するそうで、とすればシナノとは、鉄出(いずる)野という意味になります。「みすずかる信濃」という枕詞は、砂鉄から作る「たたら製鉄」がもたらされて、みすずを刈る必要がなくなってもなお、信濃の枕詞としてのみ残ったというわけです。信州の方言で「ずく」というのがありますが、これは古代の製鉄からきているというのが私の説で、拙書に『みすずかる信濃(科野)の国(クニ)の鉄バクテリアがずくを出す』というエッセイを載せています。昔からずく(銑)を出すのは大変なことだったのです。また、信州では「うんこをまる」と言いますが、これも古語。古事記に「糞まる」とあります。古語が方言として現代に生きている証だと思います。
「古墳時代ガラス玉の製作技法とその痕跡」福島雅儀

 管玉(くだたま)は筒状の装身具で、碧玉(へきぎょく)や瑪瑙(めのう)、緑色凝灰岩、泥岩など。実際に見ると非常に穴が細く、非常に高度な技が使われているので専門の工人集団がいたといわれます。右の紡錘(ぼうすい)は、古語では「つむ」という最も古い糸紡ぎの道具で、回転させて、繊維を引出しながら撚りをかけ、出来上がった糸を紡錘に巻き取る道具です。糸の原料は、絹や大麻、苧麻(からむし)など。

 古墳時代の5世紀頃からは馬具が出土します。『魏志倭人伝』には日本には馬なしとあります。『日本書紀』に百済から馬と馬飼の渡来があったことが記されています。縄文時代は東日本が栄え、弥生時代になると西日本が栄える様になったのは、馬産の流入が大きかったと考えられます。馬の伝来により、日本は稲作国家、軍事国家へと変貌していったのです。(参考文献:『「馬」が動かした日本史』蒲池 明弘)また、馬産を伝えたのは高句麗の人々ともいわれています。
 高句麗は、紀元前100年ぐらいから唐・新羅の襲撃によって668年に滅びるまで続いた国です。現在の韓国北部と北朝鮮から満州ぐらいにあったツングース系の騎馬民族で、日本に馬産を伝えました。石の文化を持ち、現在の半島の人とは異なります。積石塚古墳は、日本全体では1%ですが、信州ではなんと25%にもなります。つまり、それだけ多くの人が高句麗から帰化したのです。埼玉の狛川や東京の狛江市もその系統です。茶臼山の麓の篠ノ井は、高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されています。それが現在の篠ノ井(旧篠ノ井市)の名称の元です。縄文人や春秋戦国時代の越に滅ぼされた呉や、その後に滅びて帰化した越の人々などの倭人や、秦の始皇帝を欺いて帰化した失われた古代ユダヤの一部族ともいわれる徐福一族(葛飾北斎が描いた徐福の絵が北斎館に所蔵)などと共に、信州人の祖先といえるでしょう。

 卜骨(ぼっこつ)。または甲骨(こうこつ)。鹿の肩甲骨製。骨に穴をあけ、焼いてできる亀裂によって吉凶を占いました。亀の甲羅に傷を付けて火で焼き、亀裂の入り方で吉凶を判断する占術もあります。古くはヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、中国などでも行われており、新石器時代末期頃から行われていました。

 森将軍塚古墳保存の歩み。1992年一般公開とありますが、私は帰郷した際に古墳復元に関わった伯父に勧められて、1992年の11月に家族で見学したことがあり、その映像が残っています。これだけ大規模な古墳の築造にはかなりの労働力と建設費がかかったはずです。膨大な労働力を動員可能な首長の権力の大きさが想像できますが、それ以上にカリスマ性や人望もあり、なんらかの報酬もあったのだろうと思います。
「現代技術と古代技術による仁徳天皇陵の建設」復元:大林組プロジェクトチーム

 古墳の麓にある科野の村。高床式の穀倉や囲炉裏のある住居が再現されています。古墳館横には広い芝生の公園もあり、市民の憩いの場となっています。
 信州の古代史につながることから、科野のクニや出雲族、呉越、高句麗、魏志倭人伝と邪馬台国と調べ始めたら、面白すぎてドツボにはまりました。しかし、人生は短すぎます。

古代科野国の大王の森将軍塚古墳


古代科野国の前方後円墳、森将軍塚古墳からのパノラマビュー


 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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冬枯れの陣場平へ。謙信の陣城跡で貴重な貝母の群生地。栽培椎茸で中華の角煮炊き込みご飯。妻女山展望台。金属探知機(妻女山里山通信)

2021-12-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 日曜日は温泉へ行く前に妻女山へ。新しく記事を起こすほどでもないので、前回の記事の上に載せます。

 妻女山展望台から北の飯縄山と戸隠連峰の眺め。積雪が少ないですね。飯縄山のスキー場には雪がまったくありません。菅平のスキー場もやっと一部が滑れる様になったそうです。なぜか年末なのに上雪(かみゆき:千曲川の上流部で降る雪)で湯の丸スキー場は賑わっているそうです。

 西の北アルプス。仁科三山は、爺ヶ岳は見えますが、右の鹿島槍ヶ岳は雪雲の中。さらに右の白馬三山は完全に雪雲の中です。完全に冬山ですが積雪量は少ないと思います。この善光寺平でも、早い年だと11月上旬には雪が舞い、下旬には一面真っ白になるぐらいの積雪があります。あの2014年の大豪雪の冬と似ていて、嫌な予感しかありません。

 今回妻女山に寄ったのは、金属探知機で戊辰戦争当時の鉄砲の弾を探すためでした。これは友人のフランス人が持っているフランス軍も使っている高価で超高性能のものに比べるとおもちゃですが、わりとちゃんと探せるのです。残念ながら今回は、埋まったワイヤーぐらいしか発見できませんでしたが、またやります。右上は、亡き父が掘り起こした銃弾です。松代藩が射撃練習に使ったもので、よく見ると複数の種類の銃が使われているのが分かります。アメリカの南北戦争の銃なども使われたのです。弾は発見できませんでしたが、バカでかい椎茸を見つけました。生乾して冷凍保存します。
********************************************
 晴れたので妻女山へ。今回は山仕事の道具や重い望遠レンズや三脚も持たないので、久しぶりに徒歩で登りました。折り畳みノコギリを持って落枝や邪魔な枝を切りながら登りました。誰にも遭わないだろうなと思ったら、数年前に急逝した友人で山仲間の偲ぶ会に同席した年配の方が車で下りてきました。ログハウスでしみじみしながら休憩した様です。時は容赦なく過ぎて行きます。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトで保護活動をしている貝母(編笠百合)の群生地がある陣場平の入り口。陣場平の名称は、川中島の戦いの際に、ここが上杉謙信の陣城だったと伝わっているからです。

 菱形基線測点(りょうけいきせんそくてん)越しに見る陣場平。落葉して広く見えます。わずかに見える緑は、ロゼットで冬越しする植物です。シナノガキは甘い干し柿になっていて、落ちてくるのをタヌキが待っています。冬に来るアトリの群れはまだ観られません。ヒヨドリの甲高い鳴き声やシジュウカラなどの鳴き声が聞こえます。
 今年はメンバーと貝母の球根の移植をたくさんしたので、来春の開花が楽しみです。奈良時代に入ったと伝わる咳止めの薬草(毒草)ですが、里山でこれだけの群生地は、日本でここだけだと思います。貴重です。
◉「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
 これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
 意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の川中島合戦絵図。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。かなり大雑把な絵ですが、それでも大体の地名は当てはめることができます。上杉軍は赤で、武田軍は白で描かれています。上杉謙信は、短い布陣でも必ず陣城を構築したといわれています。築城前には、「乱取り」といって麓の寺社や家屋を壊して建築材料や食料を得ていました。合戦後50年位に描かれた絵ですから、正確な描写は無理としても、大雑把な内容はかなり信憑性が高いかも知れません。小幡景憲の祖父虎盛と叔父光盛は、海津城で春日虎綱の副将を務めました。そういう経緯から景憲は『甲陽軍鑑』原本を入手しやすい立場にいたということでもあり、実際に合戦当時の話を聞いていたのではないかと思われます。この絵図は、東北大学狩野文庫に所蔵されているもので、以前に掲載の許可を得ているものです。

 以前仲間が伐採した太い山桜に生える苔と地衣類(ウメノキゴケ)。この中でも生存競争が起きているのです。近くには、木材腐朽菌のキノコも生えています。それが栄養を吸い付くすと、やがてこの朽木は土へと還って行きます。

 長坂峠(東風越)からの斎場山(旧妻女山)も落葉で全貌が見えるようになりました。山頂は川中島の戦いの際に上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる場所ですが、古代科野国の古墳(円墳)です。

 その長坂峠から南方の眺め。中央は陣場平手前の檜林。右奥に霞むのは天城山(てしろやま)。そこから左へたどると清野氏の鞍骨城跡がある鞍骨山。少し前に記事にしています。ここから1時間ほどです。

 長坂峠の少し下から北の眺め。左に戸隠富士の異名をもつ高妻山。右に長野市民の山、飯縄山。眼下に善光寺平と千曲川。クリスマス寒波が来ると真っ白になるでしょう。

 緑鮮やかなリョウメンシダ。冬のニホンカモシカの大事な食料のひとつです。他にヤブソテツやミツバアケビなどの緑の葉も食べます。

 もう少し下って樹間から見えるのは陣場平山。市街地は篠ノ井。信州でも旧埴科郡と更級郡でした食べられない古代食、ねずみ大根などの辛味大根の絞り汁に信州味噌を溶いていただく「おしぼりうどん」が名物です。辛いだけでなく「あまもっくら」と言われる甘みが病みつきになる食べ方です。坂城や戸倉上山田温泉や篠ノ井、松代には、その名店があります。うどん通を名乗るならば、香川のうどんより遥かに古い絶対に食べなければいけない郷土料理です。

 妻女山デザイン・プロジェクトで原木栽培している椎茸。12月なのに何本か出ていました。冷凍して保存します。先日、新しいホダ木を伐採して記事にしました。来春に駒打ちします。手前に紫の実が。

 コムラサキ(小紫)の実です。鳥でしょうか、ついばんだ跡が見られます。でも美味しくないと止めたのでしょうか。人が食べても美味しくないです。

 その椎茸と、以前作った干し椎茸で出汁をとって豚の角煮の中華風炊き込みご飯を作りました。中華出汁に五香粉(ウーシャンフェン)と牡蠣ソースが決め手。馬鹿旨です。

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氷雨の日に、黒大豆で作った島豆腐で、湯豆腐と純米酒で温まる。マメ科の植物は有毒が多い(妻女山里山通信)

2021-12-09 | 男の料理・グルメ
 妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで作った黒大豆が何十キロもあります。煮豆はもちろん、きな粉を作ったり、大豆ハンバーグも作りましたが、2日も氷雨が続くというので手作り豆腐に挑戦しました。
材料
黒大豆:300g
にがり液:大さじ3(固まり具合を見て適宜)
水:浸透用 850ml
水:粉砕用 1200ml

(左)材料の黒大豆。普通の大豆より大粒です。斑模様のものがあるのは、おそらく普通の大豆と交配してしまったためでしょう。(右)浸透用の水に浸して24時間置きます。割ってみて仲間で水が浸透していればOK。

(左)粉砕用の水を足してミキサーで2分間粉砕します。これを2回。生呉(なまご)のできあがり。豆腐は今から2200年前に中国で発明されました。 生呉という呼び方は、弥生人(倭人)の先祖という春秋戦国時代の呉に由来するものなのでしょう。呉汁、呉服、呉織、呉布などの言葉が令和の今も残っています。縄文人とともに日本人のルーツです。(右)鍋に入れて沸騰したら弱火にし、10分ほど煮ます。この間、焦げ付かない様に絶えずかき混ぜます。

(左)呉を巾着に入れて絞り、豆乳とおからに分けます。これはおから。夜にきんぴらゴボウと煮物にしましたが、濃厚で馬鹿旨でした。(右)豆乳を80度ぐらいに温めます。熱すぎると湯葉ができます。私は赤外線のデジタル温度計を持っているので、それでちょくちょく計測しました。温まったらにがりを回し入れます。ヘラでゆっくりとかき回してフタをして10分ぐらい蒸らします。写真の様に分離したらできあがり。豆は生では有毒です。熱を加えても極微量の毒成分は残りますが、納豆などの発酵食品にすると無毒になります。マメ科、ナス科、キンポウゲ科、ユリ科など、自然界の植物は自己を守るために有毒であることが多いのです。

(左)仲間が作ってくれた豆腐箱にさらしを敷いて、メッシュのお玉で入れます。(右)重しをして水分を抜きます。普通は15〜30分ぐらいでいいのですが、今回は島豆腐ぐらいに固くしたかったので、数時間置きました。通常は水にさらしてアクを抜きますが、今回は湯豆腐なのでそのまま。次回は固めずに汲み豆腐(おぼろ豆腐)であんかけにしてみましょうか。牡蠣のスリ流しなども美味しそう。

 翌日の夜に「湯豆腐」にしました、土鍋の底に昆布を敷き、仲間と栽培した干し椎茸で出汁をとります。茹でて柚子ポン酢でいただきました。コクがあって黒豆の味が深い。こんな豆腐はなかなか売っていない。これは病みつきになりそうです。純米酒のぬる燗がよく合います。納豆も作りたいですね。
 これも私が作ったものと仲間と作ったブラジルの黒いんげん豆「フェジョン・プレット」もたくさんあって、ブラジル料理を作るのですが、この黒大豆もテクスメクス料理のチリコンカルネとかミネストローネとか、中近東のファラフェルという豆コロッケ、インドネシアの発酵食品のテンペとかインドのダルカレー風もできないかななどとアイデアは膨らみます。
 大豆、トウモロコシ、小麦はほとんどがアメリカなどからの輸入品です。遺伝子組換え作物も。これらが使われた加工食品や菓子などもできるだけ買いたくはないですね。信州では、JAのスーパーや、普通のスーパーや道の駅の地産地消売り場などで手に入ります。

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椎茸栽培のホダ木のためにクヌギを伐採したある冬の日と牡蠣の土手鍋(妻女山里山通信)

2021-12-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 久しぶりの妻女山里山デザイン・プロジェクトは、椎茸栽培のホダ木のためにクヌギを伐採しました。前もって選択しておいたクヌギを伐採したのですが、掛かり木になってしまい、そこそこ苦労しました。種駒の打ち込みは来春行います。

 気温は4度。天気はまずまずです。何より寒風がないのが嬉しい。強風の日の伐倒は非常に危険です。

 まず、邪魔になりそうな細い木を伐倒します。当然ですが、事前の細かな打ち合わせが非常に大事です。掛かり木になることを予想して念入りに打ち合わせをしました。安全第一です。

 山桜などを4本ほど伐倒しました。作業の邪魔になる棘のするどいヤマガシュウも剪定ばさみで切りました。

 いよいよクヌギの伐倒です。まず倒す方向に受け口を作ります。

 こんな感じで受け口ができました。

 iPhoneのアプリで水平を測ると、おおピッタリ水平です。

 「追いづる切り」という手法で伐採します。手前につるを残して、中央部を切ります。

 こんな状態です。左のつるを切ると倒れます。偏心の程度が著しい立木、または裂けやすい木の伐倒で安全のために用いる手法です。針葉樹はたいてい円錐形で重心が分かりやすいのですが、赤松や広葉樹は偏心の程度が激しく、重心が分からないものも多いのです。大型のグラップルがあれば掴んでおいて伐倒できるのですが、それを所持して動かせる山仲間のKさんは故人です。安全に切るためには、高度な伐採技術が必要です。

 はい、予想通り掛かり木になってしまいました。これをどう倒すかが腕の見せ所です。

 根本近くにロープをかけて引っ張りましたがビクともしません。そこでロープをかける位置を1.5m上に変更。樹を揺らすと見事に倒れました。やれやれです。

 1mごとに印をつけます。

 切り株はこんなです。これで枯れてしまうわけではありません。広葉樹なので、早ければ来春に蘖(ひこばえ)が出てきます。そして数十年後には同じ様な木になります。

 細めの枝もホダ木に使えます。なるべく無駄にしないように玉切りしていきます。

 1mごとに玉切りします。生木なので非常に重いのです。

 軽トラに積んで下山。栽培地に仮置しました。来春、駒打ちします。予定では1000駒。約2年で椎茸が出始めます。ちなみに私が着ている黄土色のフィールドジャケットはLLビーンのものなのですが、独身時代に買ったもので30数年前のものなんです。でも充分に着られます。本当に気に入っています。

 お待ちかねの昼餉は、牡蠣の土手鍋。味噌は仲間と作った自家製信州味噌。ネギと白菜も自家栽培もの。天然ムキタケからいい出汁が出ます。海の幸、牡蠣の旨味と森の天然キノコのマリアージュ。絶品です。出汁は普通は昆布出汁の様ですが、ムキタケが強いので炒り子出汁とカツオ出汁のブレンドに、私の手作りの塩麹を入れてコクと旨味を出しています。

 ノンアルコールビールでゆるゆると。いなり寿司やカクテキキムチも。リンゴと柿、木曽のカブも分けました。私は木曽カブを千枚漬けにします。残りはカブのクリームシチューに。

 土手鍋に太いうどんと、天然ヒラタケ、野沢菜の葉を入れて味噌煮込みうどんにしました。非常に野趣豊かな滋味あふれる煮込みうどんができました。体が温まります。信州人しかやらないみたいですが、春先の野沢菜漬けを天ぷらにするとおかずや酒のつまみに最高です。古漬けを油炒めして包んだおやきと福建風あんかけチャーハンも絶品です。野沢菜は、必ず「本漬け・食品添加物無添加」と書いてあるものを買ってください。

 午後になって曇り始めました。そろそろお開きです。温泉へ。

クヌギの伐採 その1


クヌギの伐採 その2


クヌギの伐採 その3



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信州の千曲市が舞台の映画『ペルセポネーの泪』を観に行きました(妻女山里山通信)

2021-12-02 | シネマ・テレビ
 地元の千曲市が舞台の話題の映画『ペルセポネーの泪』を観に行きました。ネタバレになるのでパンフレットや予告動画で紹介されている以上のことは記しません。主に個人的な感想を。

 ペルセポネーって初めて目にする人が多いのではないでしょうか。ギリシア神話に登場する生と死との間を廻る大地の女神で冥界の女王です。象徴は自らが食したザクロ、水仙、蝙蝠の3つ。
『ペルセポネーの略奪』:「ペルセポネーが冥界でどんな食べ物も口にしていなかったならば、その願いをかなえよう」
 正直に観た感想を言うと、消化不良の様な満たされない気持ちが残る作品でした。決して駄作ではありませんが、傑作ではないかな。ギリシャ神話を題材の原点にするのはいいのですが、それが効果的に作品に反映されているとは思えませんでした。ファンタジーをうたうには演出や映像にケレン味がなさすぎる。鈴木清順ぐらいは目指してほしかった。いい役者さんが揃っているだけに残念。展開が想像できるか?とありますが、展開が全く予想できなくてとニュース映像でおばさんが言っていましたが、映画を観た回数や小説を読んだ回数が少ないのでしょう。フラッシュバックやデジャヴュは、よく用いられる手法で珍しくはありません。だいたい予想できました。特にラストシーンは予想通りで終わりましたが、あまりにも表現が簡単すぎます。最後に冥界もののふの地団駄が見たかった? あれっ!?という終わり方でしたね。

 ロケ地はほとんどが千曲市が使われています。唯一長野市の旧屋代線の川田駅が登場。ロケ地のほぼ全てが馴染みのあるところで、すぐに分かりました。拙書『信州の里山トレッキング』でも千曲市の里山をたくさん紹介していますし、当ブログでも数え切れないほど紹介しています。正直言うと、もっと美しいシーンや場所があるのになと思いました。これは美しいと思ったのは、大池での空撮シーン。個人的に一番印象に残ったシーンです。そこは大河ドラマ『風林火山』でも使われた場所で、拙書では三峯山のページで紹介しています。車で行けますし、バンガローやキャンプ場もあり、長野市や千曲市からも近くオススメのスポットです。

 映画のメインの舞台となった姨捨の棚田。左手上に主人公たちが住んでいた家(ゲストハウス)があります。拙書では、冠着山(姨捨山)のページで、その歴史や自然の魅力をコースや写真、文章で紹介しています。姨捨の長楽寺には姨捨伝説の姥岩があり、棚田の眺めもよくオススメです。剛力彩芽さんが、この棚田の道を自転車で二人乗りの後ろで走り下りるのが一番怖かったと言ってましたが、あれは拷問に近いですね。監督は鬼ですね(笑)。ブレーキが壊れたら棚田にダイブするしかないですものね。あのシーンは、私もお尻がムズムズしました。

 荒砥城跡下の善光寺大本願別院からの戸倉上山田温泉。ここは、高校時代の同級生の旅館(国楽館 戸倉ホテル)があるので、昔から新年会で利用していました。知り合いのタイの女性がやっているスナックもあるので度々行っていました。そこで行われたクリスマスパーティーとかの写真や動画もあるのですが、さすがにアップできません。この映画にも、そんな元気なタイやフィリピンの女性も登場して欲しかった。そんなわけで、まあ隅から隅まで知っています。正面の里山は、拙書でも紹介している五里ヶ峯。何度も登っていますが、本当にいい山です。

 国道403号の姨捨サービスエリアの上にある千曲川展望公園からの暮れなずむ善光寺平。ここからの夜景は超オススメです。ここから少し下ると姨捨駅。ここもオススメ。遠く志賀高原や信越トレイルの山々が見えます。この夜景を映画で取り上げて欲しかった。まあ、大きなスポンサーもついていないし、予算が少ないのは分かりますが。しかし、傑作ではないかもしれませんが、多くの人に見て欲しい映画です。見方や感想は人それぞれですから。私は学生時代から何百本、いや千本以上の映画を観てきました。時に現実はフィクションを超えてしまうこともありますが、この映画で人生が変わる人だっているかも知れません。長野県の後は全国でも観られると思います。ぜひ観てください。
『ペルセポネーの泪』公式サイト
 私の好きな日本の映画監督は、小津安二郎、鈴木清順、藤田敏八、小栗康平など。海外では、フェデリコ・フェリーニ、タルコフスキー、スタンリー・キューブリック、イングマル・ベルイマン、ウッディー・アレン、ヴェルナー・ヘルツォーク、グラウベル・ローシャなどです。

 QUEENの『ボヘミアン・ラプソディ』は、七回観に行きました。DVDも買って何度も観ています。学生時代、イースターの休みにロンドンに5週間ほど住んでいた時に流行っていた曲です。QUEENは、私の青春そのもの。当ブログや村上春樹さんのことを記したはてなブログでも記事にしています。印象に残ったのは、柳楽優弥主演の『北斎』。これも傑作でした。信州の小布施が深く関係します。小布施の北斎館はぜひ訪れてください。

70年代は、ニューシネマ。そして私はシネマフリークになった:『国分寺・国立70sグラフィティ』村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック。世界中からアクセスが有る私の人気のブログです。QUEENの記事も。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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