モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

信州『松代里めぐり 清野』発刊と戌の満水など千曲川洪水の歴史(妻女山里山通信)

2015-05-27 | 歴史・地理・雑学
岩野村の伊勢講と仏恩講(ぶっとんこう)。戌の満水と廃仏毀釈。明治政府の愚挙」で、私の集落の伊勢講の古い歴史に触れましたが、今回はそれに関連する5冊の本を紹介します。できれば先の記事をお読みいただいてから、こちらを読んで頂くと全容が見えてくると思います。

 左から『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』藤谷 俊雄著。この本は1968年に出たものですが、1993年にハードカバーで発刊されたものです。近所の図書館の廃棄本として出ていたものを入手しました。非常に面白い本です。特に伊勢参りの60年に一度行われる「おかげまいり」の熱狂ぶりは感嘆に値します。それに対する著者の分析に対しては、う~ん、そうかなと思うところもあるのですが、当時の大衆の熱狂ぶりと、幕府や大名、豪商と庶民の関係は非常に興味深いものがあります。抜け参りとか、江戸時代の庶民のパワーが感じられます。
 中は、新刊の『松代里めぐり 清野』NPO法人 夢空間松代のまちと心を育てる会発行。長野市松代町の夢空間の事務所で買えます。500円。私の写真がたくさん使われています。また私のサイトやブログが情報源となっています。こんな小さな集落の歴史が本になることも稀なので貴重です。
「夢空間松代のまちと心を育てる会」長野市松代町伊勢町548-1 TEL:026-278-1277 yumekuukan-mattushiro@topaz.ocn.ne.jp 松代を観光する際は必ず立ち寄ってください。いい情報が得られます。川中島の戦いで有名な妻女山や、日本初の近代劇女優の松井須磨子の記事などが載っています。歴史マニア必見!
 右は、旧清野村字岩野にある清水庵地蔵堂の、明治政府の廃仏毀釈に負けずお堂を維持した村人たちの想いが記された本です。これは、長野市立博物館で買えます。郷土史研究の参考資料に。名もない里人が理不尽な明治新政府と戦った歴史でもあります(田布施システムで検索を)。これはユダヤ金融や強大な多国籍企業に翻弄される現代の我々にも通じる話です。たった1%の人間に、おめおめ殺されるのをあなたは受認しますかという話です。先人の知恵や戦いの歴史を謙虚に学ばない者は、抹殺されます。

『松代里めぐり 清野』の一部を紹介します。左は、妻女山について。コラムでは赤坂山(現妻女山)と斎場山(旧妻女山)についても触れています。
「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」
「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について』妻女山は往古赤坂山であった! 本当の妻女山は斎場山である
 右は、清野氏の鞍骨城跡について。最近、ハイカーだけでなく、歴史マニアも登りに来る様になりました。
鞍骨山トレッキング・フォト・レポート(妻女山→斎場山→堂平大塚古墳→天城山→鞍骨山→象山→象山神社)2012年4月29日 このコースは、今度出版される私の里山歩きの本でも紹介しています。

 左は、『村人の祈りと集いの場』長野市立博物館刊。「お堂を支えた人々」の記事で、岩野の清水庵地蔵堂と仏恩講について詳しく記されています。天皇を神格化するために行った明治新政府の廃仏毀釈や廃道令、後の合祀令などがいかに暴挙で、伝統文化の破壊であったかが分かります。長野市では廃堂になったものが400で、残ったものはわずか16。現在は復活したものを含め49のお堂がある様です。
岩野村の伊勢講と仏恩講(ぶっとんこう)。戌の満水と廃仏毀釈。明治政府の愚挙
 右は、『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』藤谷 俊雄著。イラストは、「文政のお蔭参りの後で、近畿地方で盛んに行われたお陰踊り」。お陰踊りに乗じて年貢の減免を要求し、勝ち取ったなどということが書かれています。

 どちらも千曲川の洪水の歴史について書かれた本で、特に寛保2年(1742)に起き、未曾有の大被害をもたらした「戌の満水」について詳しく書かれています。千曲川流域の人々が、いかに洪水に悩まされ、翻弄され、戦ってきたかが分かります。

『「戌の満水」を歩く』から。左は、薬師山から斎場山、妻女山と千曲川の航空写真。今も千曲川は、笹崎にぶつかるように流れています。右は、白く幅の広い線が、現在の堤防と千曲川の流れ。細く山際を激しく蛇行しながら流れているのが、寛保2年当時の推定河道。満足な堤防もなく、犀川の流れに押されて、山際に押し付けられるように流れていたことが分かります。ですから昔は、尾根の先端はほとんど全て難所だったわけです。
地名から読む戦国時代の千曲川河道(第四次川中島合戦当時の千曲川)
上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから

『千曲川 石にきざまれた願い』から。「交通の難所 笹崎の水神」と「川を横切り河道を変える」のページ。特に、妻女山麓の篠ノ井の小森地籍の洪水被害を防ぐため、川の中に斜めに石積みをして流れを南下させようとした大工事が、嘉永3年(1850)頃行われたということが書かれています。地元では滝と呼んでおり、現存します。このすぐ下流のチャラ瀬は、昔は子供たちの流し釣りのメッカでした。鮎やジンケン(人絹・皇魚・カワヒガイ)、オイカワなどが釣れました。ナマズやドジョウ、鯉もいました。岩野橋の近くで、父がスッポンを捕まえてきたこともありました。父が洪水の後に、よく投網を打ちに行くのについて行ったものです。鮒などの小魚の佃煮を大量に作りました。それが重要なタンパク源でした。鯉こくとナマズの煮物は大好物です。高度経済成長期に、川は下水の流入により汚染され、魚も食べられなくなりました。現在はだいぶ浄化されましたが、不届き者が放した外来魚が増えて問題になっています。昔はあんなにいたメダカは全く見られません。

 岩野橋のやや上流から千曲川を見たところ。亡くなった本家のおじいさんによると、明治の中頃は、現在より50mほど向こうを流れていたということです。その後の幾度かの洪水により岩野側が削られ、現在の流れになったそうです。

戌の満水
 1742年(寛保2年)8月 死者約2800人
善光寺地震
 1847年5月8日(弘化4年3月24日) 死者約8600人

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウスバシロチョウの乱舞と食欲旺盛なオオムラサキの終齢幼虫とノスリが白蛇を捕獲(妻女山里山通信)

2015-05-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
 あちこちでハルジオンが満開になったので、そこら中でウスバシロチョウが吸蜜しています。ただこれが見られるのは、午前中だけ。午後になるとたいてい強い東風(こち)が吹くので、ウスバシロチョウは、樹上の葉の裏に隠れてしまいます。気温が上昇して、朝露が蒸発した頃から昼ごろまでが撮影のチャンス。

 ハルジオンの蜜はひとつの蜜腺が小さいので、ウスバシロチョウは、激しく頭を前後させて吸いながら口吻を差し替えて吸蜜して行きます。ひとつの花が終わると別の花へどんどん移っていくのです。
 この様に翅を閉じて吸蜜している時は、手で簡単に捕獲できます。めったにしませんが、ウスバシロチョウのメスは、交尾するとオスに、他のオスと交尾できない様に交尾板(受胎嚢)を付けられます。それを確認する時に手で捕まえます。

 別名を太陽蝶というように、太陽が昇り気温が上昇すると活発に吸蜜し始めます。朝露で湿っている時は、高い樹冠にいて、気温が上昇すると滑空してきて吸蜜を始めるのです。氷河期の生き残りという呼び名が示す通り、かなり毛深いです。

 ハルジオンの花と比べても分かるように、小さな小さなハナアブ。体長は10ミリあるかないか。ミナミヒメヒラタアブのオスの様です。これの撮影は本当に難しいです。まず小さすぎて存在に気づかない。小さいのですぐ吸蜜を止めて他の花に移ってしまう。移ったらどこに行ったか分からなくなってしまう。とカメラマン泣かせの被写体なのです。以前に比べるとハナアブは激減しました。松枯れ病の空中散布や除草剤などの農薬が原因です。蜂群崩壊症候群は、世界中で問題になっています。
JA推奨!日本でバンバン使われているモンサントの除草剤ラウンドアップは諸外国で使用禁止の猛毒』:安全という嘘に騙されて安易に使う農家や庭の除草に使う人が多いのは大問題です。必ず健康被害が出ます。この記事は必読です。

 オオムラサキの6齢(終齢)幼虫の食欲は旺盛です。観察していると、食べては眠り(休み)を繰り返しています。前日に3頭確認していたんのですが、1頭になってしまっていました。鳥に捕食されたのか、蛹になるために他の枝に移ったのか。そうだといいのですが。

 なんだかガオーッと吠えているようですが、これは体を反転させて上に頭を向ける直前のカットです。
 オオムラサキが食べるエノキには、小さなブツブツがたくさんできていました。これは虫コブ(虫えい・ゴール・GALL)といってエノキハイボフシといいます。フシダニ(ダニ目フシダニ科)の一種によって作られる不規則な形の袋状の虫えいです。体調は0.2ミリ以下のウジ虫状。また、エノキには先の尖ったエノキハトガリタマフシもできることがあります。
 虫コブは、物理的刺激や植物の生長を促進する物質(植物ホルモンやアミノ酸など)により形成されます。虫コブは古くから利用されてきました。マタタビはマタタビミミタマバエの作る虫コブができて初めて価値あるマタタビ酒になります。また、ヌルデ(白膠木)の若芽や若葉などにヌルデシロアブラムシが寄生してできる虫こぶ(ヌルデミミフシ)は、お歯黒、染め物、薬、インク、占いなどに使われてきました。特に染料は、空五倍子色という伝統色で、古代より(正倉院にあり)珍重されてきました。
 エノキの葉を食草とするのは、他にテングチョウやゴマダラチョウなど。テングチョウの幼虫(小さな青虫)もいました。右の写真は、ほとんど食べつくされたエノキの葉。今年は、オオムラサキがたくさん羽化しそうな予感がします。

 ハルジオンで吸蜜するセスジハリバエ。他にはハナムグリの仲間が何種類か訪れていました。中は開花したヒレアザミ。陣場平にはこれの群生地があり、満開になるとウスバシロチョウなどが盛んに吸蜜に来るようになります。
 夕方から雨になるというので、椎茸のホダ木の地伏せのブルーシートを外しに行きました。すると松代方面で火災が発生したようで、登る前に道路から真っ黒な煙が立ち上っているのが見えました。後で展望台へ行くと、消火が始まったようで白煙に変わっていました。消防車のサイレンの音に救急車も。結局男性一人が運ばれ、4棟が全焼したそうです。タイミング悪く雨の前で強い南風が吹いていました。最近は一人暮らしや老人だけの家も多いので、火事が多くなった様な気がします。気をつけないといけないですね。
                
 雨上がりの昨日は、ノスリ(前の記事に写真)が5羽旋回していたのですが、結局下りては来ませんでした。その代わり、カッコウが向こう隣のお宅の畑に来て初鳴きしてくれました。まるで高原にいるようでした。
 そして今朝は、凄いものを見てしまいました。早朝5時半頃、ピーエー!というノスリの甲高い鳴き声で目が覚め、慌てて窓のカーテンを開けると、なんと西から50センチ位の蛇を掴んだノスリが、カラスに追われて逃げて来ました。向こう隣の畑の上で、ピーエー!ガアガア!と大バトル。最初、鳴き声は向こう隣の方で聞こえたので、蛇はその畑で捕まえたのかもしれません。近所には普通にシマヘビが生息しています。結局、蛇を掴んだままノスリが山へ逃げ切ったところで事件は終了しました。最高のシャッターチャンスでしたが、こういう時に限って手元にカメラがない。ノスリは羽を開くと140センチもあり、カラス(ハシボソガラス)よりかなり大きいのですが、カラスが気が強いのに驚かされました。
 そして、もうひとつ驚いたのがその蛇。なんと真っ白な蛇だったのです。いわゆるアルビノ種で突然変異で生まれたシマヘビだと思うのです。白蛇は、弁財天の生まれ変わりで富をもたらすとか、水神とかいわれて非常に縁起のいいものです。何かいいことがあるといいのですが。しかし、この個体は、可哀想にそれが仇になり目立ってしまい捕獲されたのでしょう。いやあ、朝から興奮しました。
 午後からは、台風7号の影響で、善光寺平南部は風速7m位の北東の突風が吹き荒れ、猛烈な砂嵐になりました。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷河期の生き残りのウスバシロチョウと可愛いオオムラサキの6齢幼虫(妻女山里山通信)

2015-05-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
 椎茸のホダ木の点検ついでにウスバシロチョウの撮影に陣場平へ。シロチョウ科ではなくアゲハ科なので、ウスバアゲハの方が誤解がないかもしれません。アールヌーボーのステンドグラスのランプシェードの様な翅は僅かに透けています。北欧から中近東の山岳地帯、ヒマラヤ、中央アジア高原などに棲息する北方系の蝶で、氷河期の生き残りです。そのため古典的な蝶といえるわけです。どちらかと言うと飛び方はあまり上手とはいえず、樹冠からスーッと滑空してきてパタパタ舞う感じです。

 タンポポで吸蜜中を撮影。透けた翅からタンポポの黄色が見えます。幼虫の食草は、ムラサキケマン、ヤマエンゴサクなど。近年ウスバシロチョウが増えているのですが、ムラサキケマン(毒草)が増えていることと関連があるのかもしれません。

 その陣馬平。10頭ぐらい舞っていました。ここへ来なくても、妻女山の駐車場や長坂峠などでもたくさん舞っています。中は咲き始めたハルジオンで吸蜜するウスバシロチョウ。右は、獣糞を吸うコジャノメ。この時期は樹液も出ず、桑の実などもないため、獣糞を吸うのが見られます。

 エノキの葉を食べるオオムラサキの6齢幼虫。盛んに食べては休んでいました。この時期は、食欲も旺盛で、一日に1ミリずつ大きくなります。可愛らしい顔ですが、鳥に食べられてしまうことも少なくないのです。その恨みを晴らすためではないでしょうが、羽化したオオムラサキは、よく鳥を追いかける追尾行動をします。ツバメなども猛スピードで追いかけます。

 薄暗い林下に、絶滅危惧種のギンランが4株咲いていました。林道からも登山道からも離れているので、人知れず咲き消えて行きます。白い花は蕾ではなく、これでもせいいっぱい咲いている状態です。ギンランは、「菌根菌」という菌類と共生する特殊な生育形態をもっています。その中でもギンランは特に菌に対する依存度が強く、「外生菌根菌」は特殊な土壌にのみ生息するため、この花を採取して移植しても家で育てる事はほとんど不可能なのです。
 中はホタルカズラ。中央の白い星形を螢の光にみたてたとか、螢のように夜になると光るからとかいわれますが、真偽のほどはわかりません。
 右は咲き始めたヒレアザミ。古い時代の帰化植物で、高さは1m以上になります。これにもウスバシロチョウが吸蜜に訪れます。

 ハルジオン(春紫苑)。うつむき加減の蕾が、開花するときには上を向きます。すっかり馴染みの花ですが、帰化植物で、要注意外来生物に指定されています。また、日本生態学会では本種を日本の侵略的外来種ワースト100に入れています。別名を貧乏草なんていう地方もあるようです。どこにでも生えますからね。ただ昆虫たちには人気で、ハナムグリやハナアブや色々な虫達が吸蜜に訪れる花です。
 中はアマドコロの花。若芽は山菜。根茎は甘く、天ぷらにすると美味。根茎は玉竹という生薬で、滋養強壮の効果があり、私は淫羊淫羊霍(いんようかく)というイカリソウの根や、マタタビ、コフキサルノコシカケやマンネンタケ、カワラタケなどを入れて焼酎漬けにして、薬酒として愛飲しています。
 右はニガナ。妻女山松代招魂社の境内にたくさん咲いています。茎や葉をかじると、名前の通りかなり苦味があります。

 タンポポの綿毛。シナノタンポポかと思ったら、これは交雑種でした。中はスミレ。タチツボとかエイザンとか何もつかないスミレです。右は、ミツバツチグリ。今頃咲くバラ科の黄色い花は似たものが多く、きちんと同定しないとわけが分からなくなります。キジムシロ、ツルキンバイ、ヘビイチゴ、オヘビイチゴ、ヤブヘビイチゴ等など。

 展望台に戻ると、四阿で絵を描いている人がいました。展望台に登ると栃木からわざわざ来たという男性が。斎場山まで登ってきたそうです。川中島合戦の名所についてお話しました。直射日光が真夏の様に暑い日でした。
 帰りに畑に寄るとアマポーラ(ひなげし・ポピー・コクリコ・虞美人草)が満開です。スナップエンドウが、今年は殆ど凍みなかったため、大量になり始めました。色々種を蒔いたのですが雨が降らない。お湿りが欲しいところです。アマポーラの向こうに咲いている白い花は、カモミールです。昔は苦手だったのですが、数年前に突然好きになり、植えました。煮だして冷蔵庫で冷やして暑い日に飲むと最高です。これの焼酎割りもいけます。
 アマポーラというと私はアグネス・チャンの歌ではなく、ナナ・ムスクーリのこの美しい歌を思い出します。


 金曜から土曜にかけての雨は、本当に恵みの雨でした。スナップエンドウがバケツいっぱい採れました。月火も降る様なので、これで蒔いた野菜の種も発芽するでしょう。やれやれです。台風一過や雨上がり、強風の後に来ることが多いので、今回も二階にカメラをセットして、ノスリが、お隣と向こう隣の畑に来ないかなと、一階で仕事をしながらたまに窓から空を見上げているのですが、なかなか現れません。山で獲物が充分に捕れる時には、里には降りてこないのでしょう。
 下の写真は、以前、妻女山で偶然に出会って撮影したものです。サクラがバックは面白いのですが、慌ててしまってもうひとついいカットが撮れませんでした。その上、私とカメラに気づくとすぐに飛び立ってしまいました。
 ノスリは、トビ(トンビ)よりずんぐりしていて、胸の模様が独特で美しい鳥です。尾羽根の先がトビは真っ直ぐで、ノスリは丸いのも特徴です。鳴き声は「ピーエー」ですが、繁殖期以外はあまり鳴かないようです。翼開長は120~140cmで、トビよりは小さめですが、それでも鷹の仲間なので迫力があります。どちらかというと秋冬に里に下りてくる様ですが、開けた畑地ならともかく、こんな住宅地に来るのは珍しいのではないでしょうか。換金作物を作る畑地は、農薬や除草剤を使うので、獲物が少ないのでしょう。家庭菜園ではあまり使わないですからね。なかなか珍しい生態ですから撮影したいのですが・・。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州の里山は萌黄色から初夏の濃い緑へ。山椒味噌と伽羅蕗を作りました(妻女山里山通信)

2015-05-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
 夏日の声を聞くと山桜もズミも咲き終わり、貝母とカタクリも消え始めました。忙しいので、早朝に朝食もそこそこで妻女山奥へ向かいました。山椒の若葉とフキを採るためです。採集は1時間少しで終了。慌ただしく帰って料理をしました。午後の善光寺平は、8mを越える北東または東風(こち)で、畑にはまだほとんど作物がないため、猛烈な砂嵐が吹き荒れました。こういう日は、倒木や落枝が多く、里山を歩くのは危険です。午前中は見えた北アルプスも、午後は雲に隠れてしまいました。

 妻女山展望台からの北アルプス。左から蓮華岳、針ノ木岳が少し見えて、右へ爺ヶ岳、その右が鹿島槍ヶ岳。猫耳の様な双耳峰がそれです。右へ武田菱の雪形が現れる五竜岳。写真には写っていませんが、更に右へ目をやると白馬三山が見えます。
 千曲川河川敷の柳やハリエンジュも色濃くなってきました。芽吹きの頃は、樹種により若葉の色が異なるので、遠目でもだいたいの樹種が分かるのですが、濃くなると判別が難しくなります。北陸新幹線の白い高架橋が目立ちます。

 妻女山への道沿いには、シナノタンポポが咲いています。背丈が高く、私が見つけたものでは80センチというものがありました。花も大きめで総苞が太く、セイヨウタンポポや交雑種の様に反り返っていないのが特徴です。しかし、この辺りでも交雑種が増えました。その右はクサノオウ。上杉謙信槍尻ノ泉の上に群生地があります。結構花期が長いので、楽しめるのですが、毒草です。一番右は、一輪だけ咲いていたイカリソウ。他は全て咲き終わっていました。イカリソウの根は、淫羊霍根(いんようかくこん)といい、強壮、強精の薬効があります。

 マルバアオダモの花が満開です。先日登った高社山でも中腹に咲いていました。妻女山には大木はないのですが、向かいの茶臼山にはかなり大きな木があり、大きな花穂が咲き誇っています。
 真ん中はガマズミの花。万歳をしている様な雄しべが可愛い花です。ガマズミは樹高が2.5m位で葉が大きめですが、林下のコバノガマズミは、樹高も1m以下で葉も花も小さめです。秋になる酸味の強い赤い実は、果実酒になり、抗酸化作用があります。
 ヤマフジもいつの間にか咲き終わっていました。これはほとんど日の当たらない日陰に咲いていたものです。ヤマフジは山菜で、新芽や若葉、花は天ぷらで食べられます。また、実は炒って食べられます。やや青臭いものの甘い甘い珍味です。また、今頃は一日で8センチも伸びるのです。太くなると50センチにもなり、大木を絞め殺してしまいます。

 陣場平の奥では、林下のあちこちでヤマツツジが満開です。子供の頃は、花を摘んでおしりの蜜を吸ったものです。一番右はレンゲツツジ。これは自生のものではなく、今は亡きKさんのログハウスに植えられたもの。この花は毒性が強いので、蜜は吸えません。誤って子供が吸ったりすると危険なので、庭木には向いていません。ログハウスには、琉球白ツツジも植えられているのですが、万葉集に確かそんな歌があったなと思い、帰って調べました。
「風早の 美保の浦廻の 白つつじ 見れどもさぶし なき人思へば」河辺宮人
(風が強い美保の浦には、白つつじが美しく咲いているが、亡き人のことを想えば、寂しく思うだけだ)

 氷河期の生き残りのウスバシロチョウも舞い始めましたが、この時期は、まだ吸蜜するハルジオンなどが咲いておらず止まらないため、撮影できませんでした。

 左は山椒の若葉です。これを摘みます。枝にトゲがあるのでゴム手袋が必須。これをたくさん集めるのは結構大変です。一本の木から採らずに、群生している何十本もの木から少しずつ採っていきます。これで山椒味噌を作り、ご飯のおかずや酒の肴、焼きおにぎりにしたり、焼き魚に塗ります。特に鮎の塩焼きには合います。山のものなので猪や鹿の焼き肉にも合います。レシピはこちらです
 ヤマフキは、はさみで根の近くから切り、何本かまとめて葉を切り落とします。フキの向こうは咲き終わった貝母(アミガサユリ)。種ができています。右は作った伽羅蕗。まず塩水で柔らかくなるまで煮て茹でこぼします。ニガリか重曹を少し入れてもいいでしょう。アクも抜けますが、もしわずかでも放射能汚染されていたら、除染になります。新鮮なヤマフキは柔らかく、里フキの様に皮をむく必要がありません。その後、出汁、干し椎茸、昆布、黒糖、酒、味醂を入れて煮含めます。添加物は入っていませんし、市販のものより薄味です。毒性の強い砂糖は使いません。日本料理は砂糖を使うようになって堕落しました。フキは畑に植えている人もいますが、味はヤマフキの方が格段に上です。

 Kさんのログハウスからの北アルプスと千曲川。周りではウグイスやシジュウカラが盛んに鳴いています。もうじきサンコウチョウの鳴き声も聞けるかも知れません。農薬の空中散布のせいで、シジミチョウが全く見られなくなりました。ハナアブも見ません。一見、昔と変わらない様に見える、この長閑で美しい風景も、農薬や放射能で確実に汚染されているのです。小さな命が消えていけば、いずれ人間にもその影響は必ず出ます。
詳しくは、下の記事をお読みください。
松枯れ病の原因は、本当にマツノマダラカミキリのセンチュウだけなのか!?
千曲市森の杏が最盛期、朝採り杏で焼酎漬。松枯れ病が深刻。ネオニコは農薬でなく農毒!
松枯れの原因は松くい虫じゃなかった。大気汚染で土壌が強酸性化したことによる

 台風6号は、あっという間に過ぎ去りました。大きな被害がなくて良かったと思います。うちのお隣さんと、そのまた向こうのお隣さんは、いずれも家の前に畑があるのですが、農薬や除草剤は使っていないのでしょう。なんとノスリが野ねずみや蛙、蛇の子供などを捕まえに来るのです。特に嵐の後などに来るような気がします。ただ、鷹の仲間なので非常に目がよく、レンズを向けると逃げてしまいます。
 以前、庭に出たら留まっていたので慌ててカメラを取りに行き、隣のブロック塀の陰から撮影しようとしたのですが、裏のおばさんに「なにやってんの?」と話しかけられ、逃げられたこともありました。まあ、どう見ても怪しいですもんね。ノスリと言ったら、え!スリ?なんて言われるし。
 そこで二階の窓にカメラをセットして、カーテンでカモフラージュ。一階の仕事場のカーテンを開けてたまに空を見ます。ノスリが旋回し始めると二階に上がって待つのですが、別の場所に下りてしまうことが多いのです。ニホンカモシカの様に、だいたい毎日同じ所を歩く様な習性はないのです。目がいいですから、上空からでも小さな野ねずみが見えるのでしょう。しかし、鳥の撮影は難しい。まあ、鳥を撮る様な良いレンズを持っていないというのもありますが、何よりシャッターチャンスが来ないのではどうにもなりません。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善光寺平の北端に屏風のようにそびえる信州中野の霊峰「たかやしろ」(妻女山里山通信)

2015-05-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 一般的には高社山は「こうしゃさん」と呼ばれるのですが、地元の人は親しみと尊崇の意を込めて「たかやしろ」と呼びます。別名を高井富士ともいう美しいコニーデ型の火山です。信州中野と木島平の間にそびえる高社山は、善光寺平のほとんどの場所から見える霊峰です。ほぼ東西に延びるこの山脈のために、善光寺平は豪雪から逃れているのです。この山脈を境に気候が全く異なります。今回は、妻女山里山デザイン・プロジェクトの精鋭メンバー?と最も長い高杜(たかもり)神社からのコースを登りました。今回も出版のための取材登山です。里山なのですが、頂上まで休憩や撮影を入れて約3時間の長いコースです。高杜神社裏に草地の広い駐車場があり、神社の道を挟んだ横に公衆トイレがあります。谷厳寺は駐車不可。

 主稜線に乗って天狗岩からの眺望。手前の岩の向こうは断崖絶壁です。転落に注意。真ん中やや左から右上へグーンと上がっている尾根を登ってきました。前半は緩やかですが、後半にかけて次第に急登になります。尾根は色とりどりの緑のタペストリー。所々の濃い緑は、杉の植林地。斜めに走る線は、北陸新幹線。尾根を登っている最中に、何度か新幹線の通る轟音が聞こえてきました。山頂までは、三度ほど急登があります。山中にポツポツと見られるピンク色の樹木は、白っぽく見えるヤマザクラではなく、たぶんオオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)でしょうね。新緑なのにオレンジ色に見える樹木がありますが、いわゆる春紅葉というもので、若葉にアントシアニンが含まれ、このような色になるのです。

 登り始めてまず目についたのは、白い花穂が美しいマルバアオダモの花穂(かすい)。林下にはイチリンソウ、クルマバソウ、チゴユリなどの白花が見られました。
 中腹までは、山吹色の花が鮮やかなヤマブキの群生地が続きます。ウグイスが盛んに鳴いていました。アオバズクの恋歌も。古くは修験の山なので、道中には不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩と石仏が並んでいます。普賢菩薩は天狗の飛び石という苔むした大岩に乗っています。この辺りから徐々に勾配がきつくなっていきます。地味にきつい登りです。修験の山の詳細については、出版される本に書く予定です。

 稜線近くになると、オオカメノキ(ムシカリ)やタムシバが見られます。香りがいいので高級な爪楊枝に使われるクロモジの黄色い小さな小花も見られました。花の下に小葉があるのがコブシ。ないのがタムシバ。似ています。タムシバの若芽を食べるとキシリトールのレモンのような爽やかな味がします。コブシの葉は幅広く、タムシバは細く葉の裏が白っぽい。コブシは緑。よく見ないと区別がつきません。1000m以上になると、シラカバやブナの大木も目にするようになります。登山道の灌木にはリョウブの幼木がたくさん見られます。6月にはムラサキヤシオツツジも咲くようです。妻女山では、もう咲いています。と書いたのですが、後日よく見たら妻女山のはオオムラサキツツジでした。

 主稜線近くでは、下の方からイワカガミが咲き始めていました。真ん中はショウジョウバカマ。右へイワナシの小花。カタクリも散見されました。イワカガミは、5月中旬過ぎからに満開になるのではないでしょうか。主稜線には、かなり大きな群生地があります。満開になったら見事でしょうね。

 標高が低いのに、あちこちに残雪が見られました。また、登山道には湿雪で折れた倒木が何本もあり、登山道を塞いでいる箇所もありましたが、なんとか通れました。登山道にはタヌキの溜め糞やニホンカモシカの糞もありました。ツキノワグマの生息地でもあるのですが、今回は遭遇しませんでした。山頂手前で少雨に遭ったのですが、登頂したら止みました。展望もそこそこ得られたので、前日の真夏のような日より良かったかもしれません。

 山頂から善光寺平方面の展望。左手前に小布施の雁田山が見えます。若穂の太郎山、奇妙山、鏡台山から妻女山への戸神山脈、奥には大林山から冠着山(姨捨山)、更に奥には戸谷峰から美ヶ原にかけての山々。千曲川の流れが銀色に光っていました。飯山方面では菜の花公園の菜の花が満開で一面黄色の絨毯でした。快晴ならば、飯山のずっと向こうに日本海も見えるはずです。

 最後に4月12日に登った小布施の雁田山からの高社山。この頃はまだ残雪がかなりありました。山麓には果樹園が広がっているのが分かると思います。夜間瀬川の河岸段丘の崖も見えますが、チョウゲンボウの営巣地があります。
 今回の高杜(たかもり)神社コースは、山頂まで休憩を含めて登りが約3時間、下りが2時間と里山としては非常に長いもので、標高差も北アルプス登山のそれに匹敵するものですが、それだけの達成感は得られる山行でした。高杜神社に戻ると、翌日は里宮の祭だそうで、氏子の方が準備に追われていました。昨年の10月の閉山祭以来登っていないというので、登山道の倒木の様子と奥社の屋根が壊れて宙吊りになっていることなどを伝えておきました。今度は、錦秋の頃に登りたいですね。
 今回、高社山の山頂で放射線量を測りました。幸い地上でも0.04μSv/hと低いものでしたが、高社山がブロックしてくれたともいえるのです。千曲川の流れる谷を抜けて放射性プルームは、千曲川ではなく犀川を遡りました。それで犀川以北の山菜やキノコに高濃度の汚染が発見されたのです。詳細は長野県のホームページに載っています。中野市のコシアブラからは基準値以上の放射性物質が検出されたことが県のホームページに載っています。
 長野県のサイトの情報より。「長野市、中野市、軽井沢町及び野沢温泉村産のコシアブラ、及び軽井沢町産のタラノメ及びゼンマイについては、昨年度までに食品衛生法の基準値を超える放射性セシウムが検出されたことから、採取、出荷及び摂取の自粛をお願いしています。
 放射性物質による内部被曝には閾値がありません。不注意で食べたり吸引すれば、全て蓄積されていずれ必ず病理として出ます。軽ければ下痢や口内炎など、細胞を傷つけるので長期的には老化現象の促進。女性にとっては大敵です。最悪は癌や突然死。いいことはひとつもありません。来年今まで経験したことがない異常事態が首都圏や東北で起きます。再来年はパニックになるでしょう。チェルノブイリが証明しています。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする