モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山・陣場平の貝母(編笠百合)が満開。山菜の季節到来!(妻女山里山通信)

2017-04-22 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣場平の貝母が予想通り満開になりました。10日に満開と異常に早かった昨年と比べるとほぼ平年並みといえます。今日は曇りがちで北風が強く、最高気温も12度でした。貝母は丸まった葉先で互いを結び合いながら強風に揺れていました。見頃は今月いっぱいですが、天候が良ければゴールデン・ウィークの中頃まで見られるかもしれません。現在は自然写真家ですが、若い頃はアイドル雑誌のデザインをしたり撮影のディレクションもしていました。貝母と美女の撮影もしてみたいですね。あんずの花には童女が似合いますが、貝母には三十代以上の女性が似合うと思います。そんな慎ましやかな美しい趣のある花です。

 貝母の和名は編笠百合ですが、下から花の中を除くとその理由が分かります。4月の茶花で慎ましやかな美しい花ですが、呼吸器や中枢神経に麻痺を起こすかなり強い毒草です。決して持ち帰らないでください。
 満開と書きましたが、実際は天頂部がまだつぼみのものもあります。ゴールデン・ウィーク突入の29日、30日は完全に開いて見頃でしょう。

「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
 これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
 意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

 貝母の群生地のある陣場平。第四次川中島の戦いの際に、上杉謙信が陣城を建てたと伝わる場所です。行き方は拙書に地図を載せています。群生地は、陣場平の南半分にあるのですが、手前にヨシとノイバラの群生地ができ貝母を侵食し始めたため、昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーを中心に何度も通って根の除去作業をしました。そして、その後に貝母の種や球根を蒔いたり植えたりしたのですが、それらが芽を出しました。上手く行けば数年後には群生地が二倍ぐらいに拡大するかもしれません。

(左)オオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)も開花。(中)ズミも満開です。(右)林道沿いにはキブシ。

(左)ウスバシロチョウの食草であるシロバナケマン。(中)エゾスミレに続いてタチツボスミレも咲き始めました。(右)さらに20分ほど登ってカタクリの群生地へ。盛りは過ぎていましたが、これから咲くものもありました。タチツボスミレもそうですが、アリが種に付いているエライオソーム(脂肪酸や高級炭水化物などが大量に含まれる)を求めて巣に運び食べた後に種を外に蒔くことで増えるアリ散布植物です。日本には200種以上あります。アリさんは偉い。

「もののふの 八十(やそ)乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」大伴家持(万葉集)
 当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。そう思うと写真のカタクリが、美しい乙女に見えてくるから不思議です。

 キブシの玉暖簾。木々の芽吹きも一斉に始まりました。

 妻女山松代招魂社のソメイヨシノは散り始めています。山桜が咲きだすのはこれからです。

 妻女山展望台から松代方面。松代城のソメイヨシノも散り始めているでしょう。強風で花吹雪が見られたかもしれません。

 展望台からの下り。ヒノキの芽吹きで春紅葉が見られます。道路上は散った桜の花びらの絨毯。

(左)山上はまだ蕾でしたが、麓の山吹は満開でした。(中)妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々とやっている椎茸の原木栽培。このところの雨で大きく成長していました。大きな袋いっぱい採って干し椎茸にします。(右)山菜の季節が到来。左から時計回りにコゴミ、タラの芽、椎茸、コシアブラ、ハリギリ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻女山・陣場平の貝母(編笠百合)が開花。あんずの里は満開!(妻女山里山通信)

2017-04-16 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣場平の貝母が開花し始めました。異常に早かった昨年とは異なり平年並みです。満開は20日頃からゴールデン・ウィーク前半まででしょう。昨年は信濃毎日新聞の斜面でも紹介していただいたので、訪れる人が激増しました。すでに県外から開花情報の問い合わせもありました。
 左奥は昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーや協力者によってヨシとノイバラの根を除去し、貝母の種や球根を植えたところなのですが、たくさん発芽しています。

 貝母の和名は編笠百合ですが、このカットを見ると納得がいくと思います。茶道を嗜む人はご存知でしょう。4月の茶花です。喉の薬になる薬草ですが、同時にかなり強い毒草です。持ち帰って庭に植えたいという方もいますが、危険なのでお断りしています。野草や山菜での事故が毎年ありまから。

 森のあんずが満開というので長男と出かけました。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも載せている私が好きな撮影ポイントです。まだ9時なので花見客もまばらです。早朝に農薬散布をしているので、農薬の臭いがします。

 ツクシ(土筆)の群生。保育園の頃、祖母がこれの卵焼きを作ってくれてお弁当に入れて行きました。血糖値を下げたり、むくみ解消の効能があるそうですが、今ツクシを食べる人はほとんどいないでしょうね。アルカロイドを含むので大量摂取はいけません。ビタミンEは野菜ではトップクラスだとか。ビタミンCやカロテンも豊富。

 満開のあんずの木の向こうに白馬三山。葛飾北斎の様な外連味のある構図を意識して撮ってみました。あんずの枝の踊り具合がいいですね。

 樹齢が250年以上というあんずの巨樹。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされるのですが、それ以前にも少しはあった可能性はあります。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。

 その巨樹の花のアップ。花びらが白く、雄しべの黄色が目立つため、遠くから見るとやや黄色みを帯びたコーラルピンクに見えます。私が高校生の頃に教室の窓から見えたあんずの里は桃色ではなくこの色でした。

 花見客やカメラマンがまず訪れない山際のあんず畑には巨岩がゴロゴロしています。樹下にはホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、タネツケバナ、ミヤマハコベ、カキドウシなどが咲いています。

 毎年ついつい撮影してしまうあんず畑のスバルサンバートラックの廃車。今回は長男にいつ頃のどういうモデルかを詳しく教えてもらいました。普通のカメラマンはあんずを撮影に来ているので、こんなカットは撮りませんが、私はこういうところにも感性の琴線が震えるのです。

 長男が八十二銀行のカレンダーにありそうなベタなシチュエーションだねと言ったカット。レンギョウの向こうに菜の花。その向こうにあんず。アートディレクター時代の私なら、なにか特別な意図がない限り絶対に使わないだろうカットですが、今回はあえてアップしてみました。

 禅透院の鐘楼の周りに咲くサンシュユ(山茱萸)と在来種のあんずの花。

(左)どれでも四つ1000円の売店は人気でした。干しあんず、あんずの焼酎漬け、シロップ漬け、セロリの粕漬けなど。(中・右)昼食はおもてなし食堂で郷土料理の「おしぼりうどん」。美味でした。その隣にあったスバルサンバーの消防車。これはミニカーでも販売されているそうです。

 母方の祖母が眠る興正寺へ。山門の脇に咲く枝垂れ桜。

 興正寺山門の「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。一見の価値があります。和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
 彼の木彫は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。左右にある波の彫刻は、葛飾北斎の影響を受けたものともいわれていますが見事です。

 帰りに妻女山展望台へ立ち寄り、松代城へ行きました。『真田丸』効果が冷めやらぬか観光客が大勢訪れていました。(左)太鼓門への橋から尼厳山と奇妙山。いずれも拙書で詳しく紹介しています。(中)武者姿の人が二人いて観光客と記念撮影に応じていました。(右)松代城の櫓台越しに見る上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山)。私の本やブログを見て訪れる人も増えました。現在の妻女山は往古は赤坂山といい、謙信の本陣と伝わる場所ではありません。そのことも拙書では詳しく記しています。

YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻女山・陣場平の貝母(編笠百合)の群生地へ。千曲市あんずの里の開花状況(妻女山里山通信)

2017-04-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 4月に入って一気に春めいてきた北信濃です。3月はまだ冬でした。5月になると一気に初夏へ。信州の春はたったひと月しかないのです。3月に残雪の中から芽吹いた貝母の群生地の様子を見に行きました。

 耕作放棄地に咲くホトケノザ。その向こうにナズナの群生地。その向こうには菜の花。更に奥には妻女山が見えます。紅梅が満開です。

 拙書で満開のカットを載せている陣場平の貝母の群生地。咲いているものは一輪もありませんが、たくさんの蕾が風に揺れています。

(左)蕾の感じでは次の週末からぽつぽつ咲き始めると思います。満開になるのは20日頃でしょう。ゴールデン・ウィークの前半頃まで楽しめると思います。(右)貝母の群生地には蕗もたくさん自生しています。山の蕗は一味違います。今回は長男のアドバイスで鶏のひき肉入りの蕗味噌にしてみました。馬鹿旨です。

 左前方は、昨年に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと、何度も通ってヨシとノイバラの根を除去した場所。種や球根を植えたのですが、そこからも発芽していました。ひょっとしたら数年後には貝母の群生地が2倍ぐらいになるかもしれません。しかし、広がるのは昔畑だったところのみで、土質が異なるところへは増えては行きません。
 まだ小さなものも多く、これからもっと壮観な光景になります。4月の茶花でもあるので茶道を嗜む女性にはおなじみの野草です。元々は中国原産の薬草ですが、誤って食べると呼吸麻痺や中枢神経麻痺などを起こすかなり強い毒草です。美しいからといって決して持ち帰らないでください。山野草の誤食による事故が毎年起きています。

(左)シロバナケマン。氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウの食草ですが、これも毒草です。(中)春一番真っ先に咲くスミレ。アオイスミレですが、葉先が尖っているのでエゾアオイスミレでしょうか。小さく可憐なスミレです。(右)今は亡き山仲間のKさんのログハウスに咲く紅梅。

 陣場平から403号を千曲市のあんずの里へと向かいました。咲いているのは北風が当たらず、日当たりのよいところの杏。多くの杏はまだつぼみか三分咲き、五分咲き程度でした。予報では13日の木曜日が満開とか。15日(土)と16日(日)は多くの花見客で賑わうでしょう。

 五分咲きぐらいですね。観光客もまばらです。火曜日は雨ですが、水曜日から天候が回復するので花見客やカメラマンが訪れるでしょう。いいアングルを見つけるには、とにかく歩くことです。在来種は集落の中にも残っているのでおすすめです。一般の人があまり行かない山際の高いところや、少し離れた岡地集落や倉科もおすすめ。

 この辺りは北風が吹き付けるからでしょうか三分咲き。菜の花も咲き始めです。ホトケノザやカキドウシ、水仙も咲いていました。

 あんずの花三種。在来種にも何種類もあり、栽培種も色々あります。スケッチパークでそれらが見られるので訪れることをおすすめします。

 在来種の大木も咲き始めです。この大木の満開のカットは拙書に載せています。私が高校生の頃に校舎の窓から見えた杏の里は在来種が多く、手前にあるような濃いピンクの花ではなく、やや黄色みを帯びたコーラルピンクに染まっていました。あんずの里の風景も時代とともに随分と変わりました。
YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

村上春樹さんのジャズ喫茶 - 『国分寺・国立70sグラフィティ』目次 [CONTENTS]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔へ(妻女山里山通信)

2017-04-02 | 歴史・地理・雑学
 昨年の5月に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと子檀嶺岳に登った帰りに参拝した天台宗一乗山大法寺の国宝三重塔を訪ねました。ちょうど三重塔の裏手の梅園が咲いているのではと思ったからです。塩田平は平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かだったようです。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。今回訪れた「国宝大法寺三重塔」は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔です。そのあまりの美しさに、誰もが思わず振り返ることから「見返りの塔」と呼ばれています。

 その前にまず妻女山奥の拙書でも満開の写真を紹介している上杉謙信の陣城跡と伝わる陣馬平へ。女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと保護活動を行っている貝母(編笠百合)の生育状況を見に行きました。2週間も早かった昨年とは違い、今年は平年並み。蕾もたくさん見られます。ヨシやノイバラの根を除去した場所に、種や球根を植えたのですが、それも芽生えていました。昔畑だったところは周囲と土質が異なるので、そのエリアにだけ増えていくのです。数年後には今の倍ぐらいに群生地が広がると思われます。満開は20日頃からゴールデン・ウィークの前半まででしょう。4月の茶花であり慎ましやかな美しい花ですが、かなり強い毒草です。決して持ち帰らないようにお願いします。

 「信州の鎌倉」といわれる塩田平は、平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。子檀嶺岳の山麓にある国保大法寺三重塔は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔であり、地元の宝です。
 塔は、大正9年の解体修理の際に発見された墨書により、鎌倉幕府滅亡の年である1333年(正慶二年)に建立されたことが分かっています。塔のある大法寺は、大宝年間(701~704)藤原鎌足の子上恵が開基し大宝寺と称したといわれ、平安初期の大同年間(801~810)に坂上田村麻呂の祈願で僧義真(初代天台座主)により再興されたと伝わっています。
 ここにこのような壮麗な塔が建ったのは、北条氏の庇護とともに、この麓を東山道が通り、浦野駅(うらのうまや)(古代に30里毎に置かれた人馬の施設)があったからなのです。大法寺はその駅寺(うまやでら)でした。
 三重塔の構造は、天王寺から来た工匠により造営が行われたということで、当時の都の洗練された美しさを今に伝えています。三層の屋根は桧皮葺で、高さは18.56m。相輪を備え、天頂部には美しい水煙があります。初重の組物は二手先とし、裳階【もこし】(ひさしようなもの。あると四重の塔のように見える)がありません。裳階をつけずに初重内部を広くとるためだそうですが、そのため初層が大きく非常に安定感があり荘重、重厚な感じがあります。また、裳階がないためシルエットがシンプルで軽快感もあります。この造りは、他に奈良の興福寺三重塔(鎌倉時代初期)と石川県の那谷寺(なたでら)三重塔(江戸時代)だけといいます。内部には、金剛界大日如来坐像を安置しています。また、文化庁の調査の結果、国宝大法寺三重塔の一層内壁に壁画が描かれていたことが判明したそうです。これは興福寺の三重塔と同じです。

(左)大法寺の駐車場から望む夫神岳。初夏の妻女山SDPのトレッキングで登る予定です。(中)三重塔の初層にある「庭照」の額。「庭を照らす」という意。「我々は仏の子であり、皆仏の庭で遊んでいる。その庭を照らしているのが仏の慈悲である」というようなことなのでしょうか。この額は後世にかけられたものの様です。
(右)大正9年の解体修理の際には、これらの複雑な木組みを全て解体して元に戻したのでしょう。今現在その様なことができる宮大工はどれほどいるのでしょうか。

 三重塔後背の梅園は咲き始めでした。4月の中旬過ぎからは桜も咲くでしょう。

 美しいシルエットの屋根の向こうにそびえる夫神岳。遠い鎌倉時代の北条氏の栄華が想い起こされます。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)です。檜の樹皮を何層にも竹釘で止めていく非常に重厚で耐久性のある屋根です。檜皮を採取する技術者を『原皮師(もとかわし)』といい、樹齢50~60年の檜の樹皮を剥いで使います。その樹木を枯らさないように剥ぐのが高度な技術です。剥がれた樹皮は、8~10年で再生します。

(左)軒を支える肘木(ひじき)には 丹塗(にぬり)の赤い顔料が残っています。いずれも創建当時のものです(右上に見える)。つまり往時は、朱色の壮麗豪華な三重塔だったわけです。(中)塔の九輪とその上にある水煙。合わせて相輪といいます。釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚であるストゥーパの上に重ねられた傘が起源とされます。(右)軒下には地塗りに用いられた白い胡粉(ごふん)の顔料が見られます。

 独特の鋭い曲線を描く屋根のライン。この反りについて、『日本美の特質』(鹿島出版会)の書の中で吉村卓司氏は、日本刀の反りと共通する日本人の独特な美意識について非常に深い洞察を述べておられる。

(左)大正9年の解体修理の大正9年の解体修理の石碑。(中)満開の白梅。(右)路傍の水仙。

 参道にある羅漢石像。(左)酒を酌み交わす二人。(中)赤子をあやす母。(右)誰かな口の中にお賽銭入れたのは。他にもたくさん並んでいます。

(左・中)根元から株立ちした大きな榧(カヤ)の巨樹。古名はカエで、転訛してカヤとなったとか。榧の実は灰汁抜きして炒って食べられます。寺社に植えられているのも飢饉の備えという意味があったのかもしれません。また、碁盤や将棋盤といえば、榧材といわれるほど珍重されます。(右)桜が満開の頃や紅葉の秋にも訪れたいと思います。

 「道の駅あおき」へ。拙書の表紙は、ここから撮影したものです。子檀嶺岳という山名は、ルビがふってなければ読めないでしょう。その山名の由来も拙書では紹介しています。山頂は真田関連の山城で、空堀なども見られます。
大法寺ホームページ
青木村の国宝大法寺三重塔のページ
大法寺ウィキペディア

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする