モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

黒姫山登山口の古池と種池。戸隠森林植物園。鏡池。妙高高原杉の原いもり池(妻女山里山通信)

2019-06-30 | アウトドア・ネイチャーフォト

 翌日は6時頃起床。妙高山が綺麗です。爽やかなんですが、高原だというのに朝から微妙に気温が高いのです。夜になると駐車している地元の農産物直売所「いっさっさ」の下の小さな池でカエルが鳴き出すのですが、昨夜は少なかったのも気温が高かったから? 今日は戸隠方面へ向かいます。

(左)県道36号を西へ。黒姫山の古池登山口。2001年の夏に家族でここから黒姫に登りました。次男はまだ7歳で山頂まで4時間20分かかりました。下界の最高気温が35度の猛暑日で、山頂も暑かったのを覚えています。下から黒雲が湧いてきたので、大急ぎで下山しました。往復8時間の山行でした。息子達はかなり体力があったのだなと思います。まあ歩けるようになってからすぐに高尾山や近隣の里山に登っていましたし、保育園へも毎日1キロ往復していましたから。(右)ここは頑張っても5,6台が限度ですが、すぐ先の大橋は10数台止められます。

 道すがら撮影した華奢で美しいアオイトトンボ。後で行った種池にもたくさんいました。

 古池から仰ぎ見る黒姫山。北信地方には、数々の黒姫伝説があります。登山道は、池を右回りに半周して写真の正面あたりから上に続きます。
黒姫伝説(Wikipedia):岩倉池に住む竜蛇が高梨氏の姫君に思いを寄せるが実らず、仕返しとして水害をもたらしたというのが物語の大筋。黒姫の名の由来は、大国主命の妻であった奴奈川姫の母の黒姫命に由来するという伝説もあります。

(左)遊歩道は、池を周回しています。(右)湿原の重要性は、近年更に評価されています。

 ノビネチドリ(延根千鳥)ラン科ノビネチドリ属の多年草。ハクサンチドリ、テガタチドリと並ぶ、赤いラン科の花の代表。

(左)池の北側には湿原があります。咲いていたのはアヤメ(菖蒲)ぐらいですが、初夏にはミツガシワ、夏にはコオニユリ、オオバギボウシなどが咲きます。(右)ヤマキマダラヒカゲらしき蝶が舞っていたのですが、撮影させてくれませんでした。レンゲツツジは残花。

 三分の二ほど回ったところにギンリョウソウ(銀竜草)ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草の群生地がありました。葉緑体を持たない腐生植物です。ベニタケ類の菌糸から栄養を得るため、光を必要としないので、薄暗い林下で見られます。別名は、ユウレイタケ(幽霊茸)。

 帰りに種池に寄りました。この池は、水の流入口と流出口がなく枯れることはないそうです。干魃の年に年に、この水を汲んで戸隠神社に雨乞いを祈願すると、必ず雨が降るといわれています。

(左)モリアオガエルの卵塊がたくさん見られました。(右)初めて見るトンボです。トンボの同定はなかなか厄介です。ヨツボシトンボの様です。池や湿原で見られるトンボ。

(左)ハルジオンで吸蜜するコチャバネセセリ。(右)キマダラヒカゲとは分かったのですが、ヤマキマダラヒカゲかサトキマダラヒカゲか。眼状紋などから、ヤマキマダラヒカゲと同定しました。地面に染み込んだ水を吸っています。

 戸隠森林植物園へ。中央広場から見上げる戸隠連峰。蟻の戸渡りが有名です。高所恐怖症の人には向かない山です。

 みどりが池の近くにクリンソウ(九輪草)の群生地がありました。サクラソウ科サクラソウ属の多年草です。あまりに鮮やかで園芸種みたいですが、れっきとした野草です。

(左)ヤマオダマキ(山苧環)。キンポウゲ科オダマキ属の多年草です。苧環は、糸を巻いて玉状または環状にしたもので、それに形状が似ている花。(右)幼稚園児が先生の提案で人差し指をかざしてトンボを誘っています。止まったかな。子供達もこんにちわと挨拶してくれて可愛かったけれど、先生も可愛かった(笑)。

 途中で知り合った長男と同じ大学卒の男性と色々話しながら「八十二 森のまなびや(戸隠森林館)」へ。なかなか充実した展示です。戸隠の森林を再現したジオラマも楽しい。プラスチックの環境への悪影響がいわれていますが、木材を原料としたセルロースナノファイバーが非常に注目されています。今後、森林の活用は進むでしょう。林業の未来は明るいと思います。

 次に鏡池へ。車で行けますが、道幅が狭いのでカーブではクラクションを。曇の日はライトを点灯。鏡池越しに見上げる戸隠連峰西岳。左回りで周回コースを歩きましたが、道がなくなっていました。右回りでは、みどりが池や奥社方面へ行かれます。

 山容を見ても分かる様に、高度な技術と体力が必要な山です。

(左)道の駅しなのへ戻る途中で遅いお昼と「そば処 たかさわ」へ。地震橋近くに咲いていたヤマボウシ。(右)今回は十割蕎麦と竹の子汁を。筍はこの時期旬の根曲がり竹。鯖の水煮缶詰とジャガイモ、タマネギが入っていました。満足。

(左)道の駅に戻るには早かったので杉の原へ。いもり池では、地元の人達が睡蓮を除去していました。年に二回ほど行うそうですが、大変そうでした。ブラックバスなどの有害外来魚もいるそうなので、一度池の水を全部抜くのもありかもですね。(右)隣の妙高高原ビジターセンターへ。展示は全く洗練されていませんが、展示内容は生物学、地学、民俗学と豊富で楽しいものです。私が興味を持ったのは、昔の鳥瞰図。鳥瞰図では、吉田初三郎が有名ですが、これらは誰の作でしょうか。素晴らしい。

 「道の駅しなの」から見る夕焼け。左に黒姫山、右に妙高山。手前の中央に咲くのはマーガレット。お土産には、先週買って気に入った「信乃大地」という黒姫高原ヨーグルトのお酒と、この辺りの蕎麦屋で必ず出てくる「善光寺延命茶」。またまた、大好きなユキ・ラインハートのA・O・Rを聴きながら、ビールに赤ワインを。
A・O・R|ユキ・ラインハート|JFN PARK:長野ではFM長野で聴けます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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菅平へ蝶の撮影が山菜採りに変更。急遽信濃町へ。笹ヶ峰ダムへ。三度も猿の群れに遭遇(妻女山里山通信)

2019-06-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 25日と26日が梅雨の晴れ間というので、撮影にでかけました。最初は一泊のつもりでしたが、二日目の長野盆地の最高気温が31度と聞いて予定を変更。もう一泊することにしました。宿泊は信濃町の道の駅しなの。

 初日は菅平へ。峰の原高原へ行く前に、まず大松山へ。ところが風が思いの外強くて蝶が止まりません。数も少ない。撮影になりません。仕方なくワラビ採りに変更。他にも4台ぐらい来ていましたが、皆違う場所で採っています。私が取りに行くところもあまり人が来ない場所です。結局大鍋いっぱいぐらい採れました。なにしに来たんだか。カッコウとホトトギスの鳴き声。

(左)昼近くに風が止んで、蝶が吸蜜し始めました。妻女山山系ではすでに消えたウスバシロチョウが蒲公英で吸蜜。(右)モンキチョウ。白っぽいのでメスですね。メスには黄色のものと白っぽいものがいます。山頂近くには、縁がピンク色の県の天然記念物のミヤマモンキチョウもいるのですが、アカツメクサが山頂近くまで繁茂しているので、モンキチョウと交雑している可能性も否定できません。

 ウラギンヒョウモンもアカツメクサで吸蜜。春の花と夏の花の端境期で吸蜜できる花は少なめ。

(左)ヤグルマソウの群生地。あちこちにあります。花は黄色みがかって残花に近いですね。(右)花のアップ。

(左)少し葉が小さめですが、オオバギボウシかな。山菜で、後で道の駅しなので出会ったおばさんは、茎を油揚げと一緒に炒めると言っていました。(右)雨後なのでヤマウドも新芽が出ていました。

 ミヤマモンキチョウの撮影にはまだ早すぎた様です。アザミも咲いていませんし。予定を変更して信濃町から笹ヶ峰高原へ北上。乙見湖のある笹ヶ峰ダムへ向かいました。牧場やキャンプ場に火打山への登山口も。ドイツトウヒの森もいいですね。情報や地図は、道の駅のパンフレットで得ます。案内所で聞くのも有効。ビジターセンターで聞くのもいいですね。道の駅は無料で車中泊できるので、利用する人が多いのです。探せば無料のキャンプ場も各地にあります。

 笹ヶ峰ダムからの新潟焼山。雪型が綺麗でした。乙見湖は、遊漁料を払えばルーアフィッシングなどで、ニジマスやイワナ、ヤマメが釣れます。

(左)ダムの遊歩道。(右)真ん中だけ放水中でした。

(左)ロックフィルダムで、新潟の農地を潤す用水の水源地です。(右)ダムの事務所でダムカードとバッジをいただきました。

(左)あちこちに咲いていたオオカメノキ(ムシカリ)。(右)タニウツギもあちこちで咲いていました。

(左)キンポウゲ科のウマノアシガタもあちこちに群生。毒草です。(右)帰りに猿の群れに遭遇。子連れが多かったのでむやみに近づかない様にしました。この後で、二回も猿の群れに遭遇しました。

 苗名の湯に入って、道の駅しなのへ。黒姫山に黒い雲がかかってきて雨になるかなと思いましたが、降りませんでした。またまたユキ・ラインハートのA.O.Rを聴きながら生ハムをつまみに赤ワインを。早めに眠りにつきました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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新潟/上越・糸魚川・妙高、富山/魚津、長野/信濃町への三泊四日の車中泊ぶらり旅 その4。苗名滝・小林一茶記念館・ナウマンゾウ博物館(妻女山里山通信)

2019-06-28 | 歴史・地理・雑学
 最終日はまず大瀑布、苗名滝へ。そして、小林一茶記念館と野尻湖畔にあるナウマンゾウ博物館へ。

(左)道の駅しなのから20分ほどです。駐車場から吊橋を渡って対岸へ。堰堤の横の階段を登ります(右)あちこちにタニウツギ(谷空木:スイカズラ科タニウツギ属)が咲いていました。「田植え花」、「ずくなし」、「火事花」とか、地方によって様々な呼び名がある樹木です。

(左)轟音と共に滝が見えてきました。(右)関川にかかる苗名滝(なえなたき)。「地震=なゐ」が名の元とか。落差55m。駐車場からは、10〜15分です。

 間近で見ると轟音がもの凄い。両側の柱状節理も見事です。地震滝という様に、地響きも感じます。撮影場所は、滝上へ登って二の滝方面へ向かう途中です。

(左)ミヤマイラクサ。山菜のアイコです。トゲがもの凄いので、ゴム手袋がないと採れません。(右)遊歩道沿いにはユキツバキ(雪椿)の群生地が。他にはツルアジサイ、ヤグルマソウ、ラショウモンカズラなどが見られました。

 小林一茶記念館へ向かう途中で、息子達が小さい頃に訪れた「黒姫童話館」へ寄ってみました。正面に黒姫山。右奥に妙高山。

(左)一茶記念館の猫館長。毎朝出勤してきて自分で自動ドアを開けて入り、夕方帰っていくそうです。けっこう高齢で病気もしたそうで、少しヨボヨボです。かなり前の記事でも紹介しましたが、一茶は猫の句を300以上詠んでいます。(右)春紅葉の向こうに俳諧寺(一茶佛堂)。
一茶記念館

(左)小林一茶の墓。園内には一茶の句碑や、この地を訪れた山頭火の句があります。(右)少し離れたところにある一茶が最晩年をすごした焼け残りの土蔵。「国史跡小林一茶旧宅」です。綺麗すぎないと思いましたが、解体保存修理が行われています。「これがまあ 終の住処か 雪五尺」という句を思い出します。

(左)野尻湖ナウマンゾウ博物館へ。(右)ゾウの系統樹。必ずしも全部鼻が長かったわけではないのですね。
野尻湖ナウマンゾウ博物館

(左)フォッサマグナの中にある国立公園。野尻湖は、黒姫山の大崩壊でできた湖。デコボコなハート型をしています。(右)オオツノジカ。ヒグマもいたそうです。

 ナウマンゾウの復元像。ボタンを押すと復元された鳴き声が響きます。奥に発掘された歯の化石が並んでいます。発掘の際の写真もたくさん展示されています。

(左)歯の化石。(右)ハインリッヒ・エドムント・ナウマン博士。明治政府の招きで弱冠20才で来日した地質学者。フォッサマグナの発見者でもあります。前の記事の糸魚川市のフォッサマグナ・ミュージアムでも紹介されています。

(左)ナウマンゾウを狩りをしていた原始人たちの石器。あれだけ大きなナウマンゾウを狩ったら、相当食べがいがあったでしょうね。(右)呪術か信仰の対象だったと思われる月を表したのではというナウマンゾウの牙と、星を表したのではというオオツノジカの角。美しい。

(左)昼は苗名滝近くの「そば処 たかさわ」(右)天ぷらそばを。ニハの霧下蕎麦は美味です。蕎麦団子もついてすごいボリュームがあり満腹になりました。三泊四日の車中泊の博物館・水族館、歴史巡礼の旅も終わりです。

 買い求めたお土産。左から根曲がり竹。鯖の水煮缶詰と味噌汁にするのが定番です。焼いて自家製味噌も絶品。上へ。かんずりの酒盗。酒の肴に熱々ご飯に。道の駅しなので作っているヨーグルトドリンクに日本酒をブレンドしたもの。いやこれが美味でした。妙高高原ビール。酵母の旨さが生きています。「猫と一茶」。一茶の猫好きの観察力は驚嘆に値します。一茶手ぬぐい。ナウマンゾウ博物館で買った幸福を呼ぶ石、ホワイト・オニックス。微かに翡翠色を帯びています。同じくオニックスのスタビライザー。親指をこすりつけているとストレス解消になるそうです。確かに心が落ち着きます。アンモナイトの化石と黄鉄鉱の結晶。
 実はこの旅の前の米子不動尊のと今回の旅での三つの御神籤の内容がほとんど同じだったのには驚きました。ナチュラリストでゴリゴリのリアリストなのですが、正直これには驚きました。叶うといいのですが。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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新潟/上越・糸魚川・妙高、富山/魚津、長野/信濃町への三泊四日の車中泊ぶらり旅 その3。フォッサマグナ・ミュージアムと奴奈川姫、高田城址(妻女山里山通信)

2019-06-27 | 歴史・地理・雑学
 3日目は糸魚川へ。まず、マリンドリーム能生の近くにある弁天島へ。恋人の聖地だそうです。そして、昨年の夏に息子達と訪れたフォッサマグナ・ミュージアムと天津神社奴奈川神社へ。マリンドリームに戻って昼食後、高田城址へ向かいました。夜は信州に戻って信濃町の道の駅で車中泊。

(左)能生港の灯台がある弁天島。恋愛成就の恋人の聖地だそうです。なら行かねば。中腹には厳島神社があるのですが、蜂が営巣していて近寄れません。てっぺんには海の神様「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が奉られている能生白山神社の末社があります。(右)次に8号を糸魚川へ。糸魚川駅への角にある小さな公園に、奴奈川姫と幼少の建御名方命の像。衣服は呉服ですね。出雲系の人々が呉から渡来したことを偲ばせるもの。着物を売る店を呉服店といいますが、それも名残だと思われます。奴奈川姫は、糸魚川の土豪の妻で翡翠を象徴とする巫女だったらしいのですが、大国主命に見初められ夫を殺され略奪婚をしたと伝えられています。建御名方命は、信州一宮の諏訪大社の祭神です。その孫が妻女山麓にある上杉謙信も尊崇した会津比売神社の会津比売命です。出雲系。夫は崇神天皇に初代信濃國造に任命された武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]と伝わっています。武五百建命は大和系。出雲系の後に入ってきた越のエリート達。つまり三国志で滅亡に追い込まれた国の高度な技術を持ったエリート達が来訪したと考えられます。弥生時代にはすでに製鉄技術があったのです。拙書ではそれを「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」というエッセイで紹介しています。
 歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は約10万人~約26万人、弥生時代は約60万人。(古墳時代は400万人)奈良時代は約450万人。この急激な人口増は、生物学的には証明できません。大量の移民があったと考えるべきです。それが、呉越、徐福伝説、高句麗からの移民を意味するのではと考えます。日本史を世界史と分けて学んではいけないのです。日本の弥生時代にあたる古代中国の春秋戦国時代にそのヒントは隠されています。
ヒスイと世界ジオパーク~奴奈川姫伝説と地球の営み~:非常に興味深い考察です。ただ、高志の国(越の国)と春秋戦国時代の呉と越に触れられていないのが残念です。魏志倭人伝にある、卑弥呼が平定する前に倭国大乱があった記述は、先に来訪した呉と後から来た越の戦いではなかったかと私は考えています。奴奈川姫は越の後裔、大国主命は呉の後裔とすると、大国主命が越の後裔である奴奈川姫を夫を殺害して妻としたことも、姫が子を生んだ後に入水自殺したということもさもありなんと思えてきます。翡翠だけがそれを知っているのでしょうか。

(左)フォッサマグナ・ミュージアムへ。昨年も息子達と来ましたが素晴らしいのでもう一度。開館時間に着きました。奴奈川姫の象徴ともいえる翡翠。(右)私が大好きな黄鉄鉱の結晶。立方体はまるで人工物の様です。後日、野尻湖畔のナウマンゾウ博物館で買いました。

(左)アメジストやら色々な鉱物が見られます。(右)宝石や鉱物好きにはたまらない博物館です。今回は、開館時に入ったので入館者も少なくゆっくりと観られました。

(左)凄いですね。この色彩は。(右)水晶の色々。今はデジタル全盛期ですが、昔はクウォーツ時計というものがありましたね。

(左)天津神社拝殿。茅葺きの拝殿は寛文二年建立。(右)拝殿内部。越後国一ノ宮です。

(左)拝殿後背の左に奴奈川神社。(右)右に天津神社。
「万葉集」に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられます。沼河比売はこの地の土豪の妻で、ヒスイを支配する祭祀女王であったと思われます。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となるといわれます。大国主命は、その評判を聞き東征の折に彼女の夫を殺し略奪婚をしたとも。諏訪大社の祭神・建御名方命はその子ですが、元の夫を殺害された奴奈川はふさぎ込んだ不遇の一生を終えたともいわれています。真相は遥か古代の闇の中です。

(左・右)マリンドリーム能生に戻りカニラーメンを食べたのですが、これが残念。蟹は入っていてもスープに蟹風味が全く無い。これは駄目です。蟹欠乏症になり、今夜は信州信濃町の駅の道に宿泊と決めていたので、夕食用にまたまた紅ズワイガニを購入。昨年からご贔屓の海富丸さんへ。一昨日来たのでおばさんが覚えていてくれました。また2000円でとお願いすると、3000円の蟹にもう一杯おまけを。保冷剤と発泡スチロール箱でプラス300円。スタンプも増えました。サービス感謝です。

(左)マリンドリーム能生でしばらく休憩の後で出発。6:00am〜9:00pmまでやっているコンビニもあるので、非常に人気があります。写真の後ろ5mはもう海です。(右)上越市から南下して高田城址へ。

(左)唯一現存する高田城三重櫓。(中)高田城址再現図。(右)紫陽花が美しく咲いていました。色変わりするので「移り気・七変化」ということで武士には好まれなかった様ですが、それはそれとして城跡に合いますね。

 三重櫓の中には、色々な展示品があります。最上階からの眺めも特筆です。

(左)明治時代に描かれた春日山城絵図は必見。(中)ツツジも満開。お堀の美しい城址でした。信州に向かいます。(右)下道を辿って着いたのは野尻湖。信州に入ると快晴でした。

(左)野尻湖は周遊道路がありますが狭いです。ここは左回りが鉄則です。サイクリストやランナー向けの距離標識もそうなっています。ところが右回りの老人が。ネットで調べればすぐ分かるのですが、これはそういう標識を立てるべきでしょうね。ただ右回りですぐ近くのペンションやレストランに行く人や斑尾方面に向かう人は例外です。(中)まず苗名滝近くの苗名の湯へ。いい湯でした。水曜休館です。(右)信濃町の道の駅しなの。ここで車中泊します。

(左)夕飯は、道の駅マリンドリーム能生で買い求めた紅ズワイガニ。いや目立ちすぎるので駐車場の一番端っこの野菜売り場「いっさっさ」のテーブルで。またまた蟹でお腹いっぱいになりました。(中)車中泊の車内。ENKEEOの厚さ10センチのエアマットは2000円。必需品です。寝袋はジッパーでフルオープンできるのがスグレモノ。枕は必須ですが100円ショップのもの。全部で5000円ぐらいです。道の駅は宿泊所でもなくキャンプ場でもありません。基本的には24時間開いている休憩所。テントの設営やバーベキューは厳禁です。宿泊を歓迎しているところもあれば黙認しているところも。禁止しているところもあるので事前にネットなどで調査を。(右)暮れてきました。この夜は十数台が泊まったようです。売店は閉まりますが、自動販売機とトイレは24時間使えます。夕食後には、大好きなユキ・ラインハートのFMラジオを聴きながら、ビールやバーボンのハイボールで晩酌。ふと外に出て空を見ると、北の低い空に北斗七星とカシオペア座が見えました。絶品黒姫霧下蕎麦も堪能。続きはその4で。道の駅での車中泊は宿泊費がいらないので、その分食費や見学費にまわせます。今回は、歴史巡礼と博物館・水族館巡りの旅でした。
 翌日は、小林一茶記念館やナウマンゾウ博物館へ。野尻湖の湖畔を堪能して無事に帰還しました。小林一茶記念館は、昔、小さかった息子達と訪れたときと違って改築され素晴らしいものになっていました。ナウマンゾウ博物館は、地味ですが素晴らしいものでした。鉱物や化石などを買いました。また行きたいですね。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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新潟/上越・糸魚川・妙高、富山/魚津、長野/信濃町への三泊四日の車中泊ぶらり旅 その2。埋没林と水族館(妻女山里山通信)

2019-06-24 | 歴史・地理・雑学
 2日目は富山県の魚津まで足を伸ばしました。林業学部を出て信州で林業関係の仕事をしている長男から勧められた埋没林博物館へ。そして博物館で勧められた魚津水族館へも行きました。そして、親不知に立ち寄り、入浴してから再びマリンドリームへ戻りました。素晴らしい夕焼けに遭遇。秋田から鹿児島まで20日間の放浪の旅をしてきた男性と邂逅。こういう出会が楽しいのです。

 前夜の地震のため遅く出発。新潟県のマリンドリーム能生から富山県の魚津市の「埋没林博物館」までは、約70キロ。遠いです。国道8号を行けばいいのは分かっていますが、それは帰路に使うことにして、朝日町からあいの風とやま鉄道と寄り添うように走る県道60号へ。そのまま2号に入れば着けるはずでしたが、途中で例祭のため通行止め。しかたなく8号へ出て適当なところで2号からしんきろうロードへ。正午少し前にやっと到着しました。
 魚津市は、後背に北アルプスの膨大な水源地を抱えた扇状地です。それがよく分かる看板です。

(左)「埋没林博物館」入り口。カフェが併設されています。通称「ねっこランド」。約2,000年前から地中に眠っていた国の特別天然記念物指定魚津埋没林の展示と、富山湾に現われる蜃気楼の紹介を行っています。根っこなんか見て楽しい?と思われるかもしれませんが、楽しいです。(中)テーマ館の展望台から。あいにくの天気で北アルプスは見えませんでした。(右)晴れていれば見える風景。白馬岳や剱岳が望めます。あの向こうは長野県です。

 水中展示館の水に沈む巨大な古代杉の根っこ。特別天然記念物に指定されています。

 乾燥展示館の巨大な根っこ。触ることもできます。魚津埋没林は、約2,000年前、片貝川の氾濫によって流れ出た土砂がスギの原生林を埋め、その後海面が上昇して現在の海面より下になったと考えられています。

(左)巨大です。(中)テーマ館。屋上に展望台があります。2階で埋没林と蜃気楼のハイビジョンムービーが見られます。(右)乾燥展示館と水中展示館。
魚津埋没林博物館

(左)「埋没林博物館」で、水族館との共通券を勧められました。面白いものいますかと聞いたら。魚津の魚やクラゲにアマゾンの魚もと。何!アマゾン!ということで「魚津水族館」へ。(中)黒部川の清流に棲むヤマメやイワナ。見ていたら昔やっていたフライフィッシングをまたしたくなりました。(右)高級魚のクエが悠々と泳いでいます。美味しそうだなと、つい食べ物として見てしまう性分なのは困りものです。

(左)リュウグウノツカイ。大きいです。下にはホルマリン漬けも。名前は竜宮城からの使いという意味ですが、その生態は謎に包まれています。(右)ミズクラゲ。最もありふれたクラゲですが、美しく見ていると癒やされます。しかし、刺されると痛いです。塩蔵すれば食べられるそうです。やはり、冷やし中華にクラゲは必須ですね。

(左)お待ちかねのアマゾンの生物。これはリクガメですね。昔、泊まっていたペンションで昼寝をしていると、庭でリクガメが交尾していましたが、甲羅がぶつかる音がゴーン、ゴーンと響いていました。(右)ピラニア・ナッテリー。パイゴセントラス・ナッテリーと共に、アマゾンではポピュラーなピラニア。アマゾンでは、赤いピラニアをピラーニャ・ベルメーリャと呼んでいたような。ピラーニャ釣りにも行きました。牛筋で釣ります。ピラニアは骨が多いのでパクチーを入れてスープで食します。

 巨大古代魚ピラルクー。アロワナ目アロワナ科ヘテロティス亜科に属する魚類。現存するアラパイマ属唯一の種です。えら呼吸に加えて、原始的な肺により空気呼吸も行う珍しい魚。体長は3m、体重は200kgにもなる世界最大級の淡水魚です。貴重な魚ですが、アマゾンのメルカード(市場)では、普通に鮮魚や塩漬けが売られています。身はサーモンの様なピンクですが、味は分厚く濃厚なヒラメのエンガワという感じ。私が最も好きだったのは、細かなパン粉でフライにしたピラルク・フリット・ミラネーゼという料理で、何度も食べました。
 ちょうど若いスタッフの方が来たので年齢とか聞いたのですが分からないそうです。水槽には3尾の大きな個体が悠々と泳いでいました。彼とは、私が三度訪れて放浪したアマゾンの魚の話をしました。ピンク色のアマゾンカワイルカを見たいそうです。アマゾン川やボリビアの支流で見ました。ピラニアより怖いカンジルがいたのには驚きました。

(左)珊瑚。海の環境の良さを図るバロメーターになる重要な生物です。辺野古埋め立ては、Queenのギタリスト、天文学者でもあるブライアン・メイも反対を表明しています。(右)透明な標本。作り方が紹介されています。

(左)大きなウミガメ。里山でも動物が誤ってビニールなどを食べてしまうのですが、ウミガメがビニール袋をクラゲと間違えて食べて死亡したりします。廃プラスチックの問題が極まっています。
魚津水族館
(中)いい水族館でした。8号を戻ります。お昼を食べていないことに気が付きました。立ち寄ったのは朝日町の料理旅館ドライブインきんかい。もう午後3時近くでした。(右)一番人気のたら汁定食を。馬鹿旨です。トラックドライバー御用達の店なので、ボリュームも凄いです。

 親不知。実はこの夜は親不知ピアパークで車中泊するつもりでした。しかし、すぐ上を高速が通っていて煩くてここは無理と判断。マリンドリーム能生に戻ることにしました。
 親不知のウエストン展望台からの眺め。もの凄いところを国道8号が通っています。高速道路は海の上です。

(左)昨年はもの凄い雷雨に見舞われて行けなかった旧北陸線のトンネルを見に行きました。(中・右)260段ぐらいの階段を下ってトンネルへ。この親不知レンガトンネルは、土木学会選奨土木遺産です。入り口に懐中電灯があり向こう側へ抜けられますが、ひとりで歩きたくはないので戻りました。歩いてきたご夫婦が、お化けは出なかったけどコウモリがいたと。

(左)キオン(黄苑)キク科。(中)アカショウマ(赤升麻)ユキノシタ科チダケサシ属かな。生薬です。(右)ウツギ(空木)アジサイ科ウツギ属。「夏は来ぬ」も卯の花です。いずれもトンネルへ行く道すがらに咲いていました。他に見られた植物は、ヤマウド、アカソ、シシウド、マタタビなど。

(左)少し糸魚川方面に戻って展望台からの親不知。とんでもないところです。(中)出会った長野から来たご夫婦にいい温泉知りませんかと聞いたら教えてくれた親不知ピアパークの信号を山に少し登ったところにある「親不知交流センターまるたん坊」へ。非常に眺めのいい温泉でした。(右)親不知ピアパークで休憩。昨年、息子達とこのレストピアで、鱈汁付きの幻魚丼を食べましたが、超絶美味でした。

 夕方少し前にマリンドリーム能生に戻りました。しばらくして隣に一台の車が。車中泊ですかと聞かれました。秋田の方で、なんでも20日かけて鹿児島まで車中泊の旅をしてきたとか。印象派の巨匠、クロード・モネの絵画の様な極上の夕焼けを鑑賞しながら彼と色々な話をしながらささやかな酒宴をしました。防波堤にたくさんいたウミネコが次々と沖へ飛び去って行きました。初日に、防波堤の向こうに島影の様なものが見えたのは、佐渡ヶ島と判明しました。地元の釣り師の若者二人と話したり、2歳の可愛い女の子と話したり、楽しい一日でした。
 3日目は、糸魚川のフォッサマグナ・ミュージアムと奴奈川神社へ。マリンドリーム能生で昼食してまたまた蟹を買い、高田城跡へ。夜は信州の信濃町の道の駅へ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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新潟/上越・糸魚川・妙高、富山/魚津、長野/信濃町への三泊四日の車中泊ぶらり旅 その1。春日山城跡へ。地震にも遭遇(妻女山里山通信)

2019-06-23 | 歴史・地理・雑学
 梅雨の中休みらしいということで、三泊四日の車中泊ぶらり旅にでかけました。道の駅での車中泊なので宿泊費がかかりません。その分食費を少し豪華にできます。いつものように歴史と自然探索がメインです。今回は、城跡巡りと古刹巡り。そして博物館巡りでした。素敵な出会いもたくさんあった充実した旅でした。

 早く着きたいので上信越自動車道で。しかし、途中は拡幅工事で片側通行や対面通行だらけ。思いの外時間がかかりました。まず訪れたのは、上杉謙信、上杉景勝の春日山城跡。ガイドの男性から最も効率的に全部を周れる行き方を教えてもらいました。謙信公の銅像が立つ向こうに本丸。春日山城跡は自然地形をいかした土の城なので、この石垣は公園にする際に造られたものです。

(左)城跡のほぼ全貌。非常に大規模な山城です。2キロ四方あるとか。(右)左上が本丸。その下が二ノ丸。斜面は非常に急で、攻めるのは困難です。

(左)甘粕近江守の屋敷跡。甘粕景持は、千曲川に布陣して妻女山(斎場山)から下ってくる武田軍の別働隊と激戦を繰り広げたといわれています。戦いの帰途の際に、上杉本陣に祀り、謙信自ら戦勝祈願の護摩を厳修したと伝えられる不動明王立像を柿崎景家・直江景綱と共に現在の長野県須坂市にある米子不動尊の本尊として安置したといいます。先日参拝に訪れました。二つ前の記事を御覧ください。 (右)広い三ノ丸。この前に、教育委員会の方と邂逅しました。本丸の裏に井戸丸があるのですが、なぜ水が出るのか。重要な資金源だった青苧(あおそ)の話など。そして、お返しではないですが、現在の妻女山が謙信の本陣ではないことをお話しました。

(左)青苧(あおそ)。別名が多く、紵(お)、苧麻(ちょま)、山紵(やまお)、真麻(まお)、苧麻(まお)などがあります。イラクサ科の多年草木であるカラムシの表皮から採れる繊維で、「越後上布」の原料として珍重されました。小千谷縮(おぢやちぢみ)など、高級織物の糸として、武士の裃(かみしも)や富裕階級の夏の単衣などに使われていました。美しい薄青色の織物です。(右)ウツボグサ(靫草)の群生が散見されました。別名を夏枯草(かごそう)ともいう薬草でシソ科の植物です。名前の由来は、円筒形の花穂の形が、武士が弓矢を入れて背中に背負った道具である靫(うつぼ)に似ているから。城跡に相応しい野草です。日本ではハーブティとして用いられ、また、止血作用と治癒促進作用があるとされ、外傷薬として古くから利用されてきた。強壮剤、うがい薬としても用いられる。ヨーロッパでは、セルフヒールという名で知られる(wiki)。

(左)二ノ丸。(右)本丸。「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」は、芭蕉が平泉で詠んだ俳句ですが、過ぎていった栄華と戦いの日々を想像させます。吹き抜ける爽風が気持ちいい。

(左)本丸から信州の方向を見たところ。今でこそ新潟は米どころ、山梨は葡萄や桃の産地ですが、戦国時代は寒冷期でもあり充分な米は生産できませんでした。川中島や塩田平は、平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。両者とも領民を食べさせるために、信州が欲しかったのでしょう。領主は、小説や大河ドラマの様に絶対的な権力を持っていたわけではないのです。英雄史観では、真実は見えてきません。(右)井戸丸。現在も水があります。礫層があり遠くの山から水脈が通じているのだそうです。彩るのはヤマアジサイでしょうか。
「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態 (妻女山里山通信)

(左)吸蜜するキアゲハ。春型なので小ぶりです。(右)カラスアゲハがアザミで吸蜜。城跡は、また自然豊かな里山でもあるのです。

(左)出陣に際し、謙信公が戦勝を祈願したとされる護摩堂。(右)鎮座する毘沙門天。持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神です。謙信の兜の前立ては日月前立が有名ですが、飯綱権現を前立てとしたものもあります。飯縄権現とは白狐に乗った烏天狗。古代ユダヤ人の一部族ともいわれています。徐福伝説で検索を。

(左)木本のシモツケが林下に咲いていました。(右)あちこちで見られたヤマアジサイ。咲き終えたシャガも。

(左)次に五智国分寺へ向かったのですが、間違えて本願寺国府別院へ。ここがまた凄い歴史を持つ古刹でした。(右)本堂。参拝すると、見事な木彫がありました。本堂は寛政10年(1798)に造立、 文化2年(1805)に建立。
本願寺国府別院

(左)左右の木鼻には、唐獅子と貘(ばく)の木彫。材は欅でしょう。見事です。彫師は誰なのでしょうか。(右)壮麗な本堂内部。自由に入って参拝できます。内陣正面の同一須弥 壇上に宮殿(本尊)と厨子(親鸞聖人)が鎮座しています。

(左)鮮やかな内陣。唐獅子と象の木彫りが見えます。(右)鐘楼にも体毛が風になびく見事な唐獅子が。ちょうど参拝に来た地元のおばあさん二人に国分寺への行き方を聞きました。そこを左に曲がってずっと真っ直ぐ行くといいよと。母もそうなんですが、田舎のおばあちゃんの真っ直ぐはやばいです。結局迷いましたがなんとか到着。

 五智国分寺のシンボルともいえる三重塔。五智国分寺は、天台宗の寺院で山号は安国山、院号は華蔵院。本尊は五智如来です。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、越後国国分寺の後継寺院です。安政3年(1856)に宮大工曽武川常右衛門、江崎長三郎の手により着工。その後、慶応元年(1865)に上棟され整備されえたそうです。塔の壁面には高田の名工石倉正義銘の十二支と中国十二孝の半分の彫刻がはめ込まれています。かなり骨太な印象の三重塔です。
越後五智国分寺公式サイト


(左)国道8号を西へ。途中名立食堂という車がたくさん止まっていた店が気になったのですが、通り過ぎてしまったので、「うみてらす名立」へ。二階の店で海鮮丼。ボリュームがあります。(中)宿泊は、「道の駅マリンドリーム能生」と決めていたのですが、その前にネットで調べた「長者温泉ゆとり館」へ。いいお湯でした。宿泊もできます。(右)車中泊する「道の駅マリンドリーム能生」へ。昨年の夏に息子達と訪れたときに訪れた「海富丸」で蟹を購入。スタンプカードを持っているので凄くおまけしてもらいました。結局。蟹でお腹いっぱいになりました。
長者温泉ゆとり館 Facebookもリンクしています。
道の駅 マリンドリーム能生

 海まで5mのところで車中泊。燻製のタンをつまみにビールを。キャンピングカーが4台と普通車や軽自動車が10台ぐらい。他に国道沿いには大型トラックが何台も。色々歩き回って疲れたので、9時半過ぎには就寝しました。
 そして、それは起きました。10時22分、突然の地震に叩き起こされました。これは尋常ではないとすぐにFM新潟を。すると、上越中越下越に津波注意報が出たので海岸べりにいる人はすぐに高台へ避難をというアナウンス。周りの車も次々と出ていきました。さてどこへ逃げようと。震源地は山形沖らしいので西へ逃げることに。そうだ長者温泉方面へ逃げようと。坂を登って北陸道と北陸新幹線の間に広いスペースを見つけて駐車。ラジオに耳を傾けました。まあここなら大丈夫だろうと就寝。2時過ぎに目を覚ましてラジオを聞くと、どうやら津波はなかった様です。戻ることにしました。やれやれ。その後、被害が報告されました。被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。
 翌日は、天気が崩れると分かっていたので、富山県の魚津まで足を伸ばしました。埋没林博物館と魚津水族館へ。そして再びマリンドリームへ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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妻女山山系に舞い始めたゼフィルスや蝶。自然豊かな里山の印(妻女山里山通信)

2019-06-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 先週末の晴れた日に妻女山山系へ。ゼフィルスを求めてあちこちを歩き回りました。

 ウラナミアカシジミ(裏波赤小灰蝶)。翅の表は鮮やかなオレンジ色で縁が黒。裏はオレンジに黒い斑点。成虫は栗の花で吸蜜することが多いので、山栗の木の近くを探すと見つかります。幼虫の食草は、コナラやクヌギ、アベマキなど。

 表の黒い部分の幅が広いのでメスでしょうか。

 日を浴びてオレンジ色の翅が鮮やかに光っています。ニジニジとゆっくりと回転しています。何をしているのでしょう。

 テングチョウ(天狗蝶)。名前の由来は頭部を見ると分かります。今年は妻女山山系のあちこちで大量に見られます。

 ミズイロオナガシジミ(水色尾長小灰蝶)。翅の裏の模様が非常に特徴的なので同定しやすいゼフィルスです。シジミチョウを撮影に来ていた女性から、近所のある山で大発生しているとの情報を得ました。この蝶もニジニジとゆっくりと回転していました。幼虫の食草は、コナラ、クヌギ。カシワなど。成虫はクリなどで吸蜜します。

 ムギワラトンボ(麦藁蜻蛉)。シオカラトンボのメスか若いオスなのですが、拡大して尾部付属器を見ると、どうやらメスの様です。

(左)陣場平入り口のヒメグルミかオニグルミ。この山系には両方あります。(右)オカトラノオ(丘虎の尾)の蕾。あちこちに群生地があります。

(左)ヤマホタルブクロ(山蛍袋)。(右)今年の花はなぜか大きい。

 週初めは、林道倉科坂線へ。かなり歩きました。ミドリヒョウモン(緑豹紋)。やっと撮影できました。食草はスミレ。成虫は、アザミやクリなどで吸蜜します。ヒョウモンチョウは、飛んでいる翅の表だけを見てもなかなか同定できませんが、メスグロヒョウモンのメスだけは、すぐに分かります。最近は、ツマグロヒョウモンが庭に舞ってくる様になりました。

 ルリシジミ(瑠璃小灰蝶)のメス。しましま模様の脚が可愛いゼフィルスです。幼虫の食草はマメ科、バラ科、タデ科、ミカン科などの花。

 ヒメウラナミジャノメ(姫裏波蛇目)。幼虫の食草は、イネ科のススキ、チヂミザサなど。可愛い蝶ですが、アップで見ると顔がヒゲモジャです。

 オカトラノオの花も咲きだしました。花穂の下の方から咲いていきます。アリが好んで訪れます。

 今年は本当にテングチョウが多い。そこらじゅうで目にします。

 右に上信越自動車道のサービスエリア。千曲川の流れ。崖の見える金井山。城跡があります。左奥は拙書でも紹介の高社山。今年はカッコウとホトトギスの鳴き声があまり聞かれません。サンコウチョウは早めに訪れた様です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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信州最古の不動霊場・日本三大不動尊の米子不動尊からレンゲツツジ満開の米子大瀑布へ(妻女山里山通信)

2019-06-14 | アウトドア・ネイチャーフォト
 13日(木)は、ほぼ全国的に梅雨の中休みで晴天。気温も上がりそうということで米子瀑布へ。米子瀑布は拙書でも詳しく紹介していて何度も行っているのですが、米子不動尊の本坊(里堂)に行ったことがないことに気づきました。まず、参拝に向かいました。米子大瀑布は、レンゲツツジが見頃でそれは見事でした。

(左)真田の六文銭の旗が翻る山門。(中)里堂本堂(本坊)。奥様に撮影とブログ掲載の許可をいただいています。ご住職と奥様は、いずれも真田家の後裔です。(右)本堂木鼻の唐獅子と象は、あとから取付けられたものの様です。諏訪立川流の模倣の様ですが、造形レベル技術レベルは低いです。現在は幕末から明治の様な高度な宮彫りができる職人は残念ながらいません。高い技術を持っているにもかかわらず、仏師に比べてその社会的地位が低かったことも一因かもしれません。友人の宮彫研究家(左にリンク)によると、生活は厳しかった様です。

(左)境内には多くのお堂や像があります。愛染明王が鎮座する愛染堂。良縁・縁結びの仏様。私も祈願しました。(中)子宝授かりの明神が鎮座する大岩。(右)山門の右にある小瀧。

(左)戻って米子大瀑布へ12キロのドライブ。対向車があるのでカーブではクラクションを。曇天の日はライトを点灯。鹿や猪、猿の群れに遭遇することもあります。駐車場へ。すでに何台かいました。(中)コースの看板は、まず瀑布へ向かう左回りを示していますが、実は右回りが正解です。理由は後で説明します。(右)右回りで、まず鉱山跡地の四阿へ。最初の分岐を左へ、遊歩道と書かれたコースをつづら折れで登ります。途中に熊よけの鐘があるので鳴らしましょう。

 拙書では四阿まで30分(休憩を含まず)と記していますが、今回は20分で着きました。四阿から見る左に権現滝、右に不動滝。合わせて夫婦滝。滝の轟音は、ここまで聞こえます。錦秋の紅葉も見事ですが、緑溢れる瀑布もまたいいものです。四阿でお昼にしました。今回は、全粒粉の食パンにレタス、トマト、ベーコンソテー、卵焼きにタルタルソースの手作りサンドウィッチに豆乳ドリンクでした。あまりにインスタ映えしない画なので載せませんが。
 大瀑布は、北東向きです。そのため朝早く来ないと日の当たった瀑布は撮影できません。そのベスト撮影ポイントが鉱山跡地なので、最初にそこに登るべきなのです。季節によっても時間は異なりますが、米子大瀑布を何度も撮影に来ている人は、皆知っています。ただ、こういうコントラストの強い画もいいものですね。

 四阿から望む米子大瀑布のパノラマ。3枚のカットをフォトショップで合成していますが。左と右で光が違うので上手く合成できていません。太陽が真後ろにあると容易なのですが、横にあると厄介です。明度彩度色調調整を細かくしても限度があります。やり過ぎると作り物っぽくなってしまいます。
 中央奥は根子岳、左へ大隙間、さらに左に四阿山。拙書では米子大瀑布から滝の上に登り、子根子岳−根子岳-大隙間-四阿山-浦倉山から大瀑布に戻る23キロの周回コースも紹介しています。23キロで10時間かかります。トレランの速い人は4時間で周るそうです。左の平地は、鉱山の工場や住宅地や映画館などがあった場所です。

(左)四阿の周囲や学校跡地はレンゲツツジが満開でした。(右)美しい花ですが、有毒なので絶対に蜜は吸ってはいけません。野生動物や牧場の牛も食べません。庭木にするのも厳禁です。

(左)その隣にはコンロンソウの群生地。コンロンソウは、中国西方にある崑崙山の雪にたとえたものといわれています。黄河の源で、玉を産出し、仙界とも呼ばれ、仙女の西王母がいるとされた山です。(右)花びらが4枚でアブラナ科とはすぐに分かったのですが、名前がなかなか出てきませんでした。このとき一頭のアサギマダラが吸蜜に訪れたのですが、撮影できませんでした。残念。

 満開のレンゲツツジ越しに見る権現滝。下界は26〜28度ですが、ここは20度。爽風もあって快適です。何度訪れても見飽きない風景です。去りがたい静かな時間が流れていきます。

(左)鉱山跡地へ。四阿は左の広場で、学校や校庭などがあったところです。右には住宅地や精錬所、映画館や浴場があった場所。14キロ下の須坂駅や上の鉱山まで索道(ロープウェイ)がありました。ここに子供や大人が1500人も暮らしていたのです。(右)その台地から望む米子大瀑布。彼らは毎日この風景を見ながら暮らしていたのです。目を閉じると、子供達の歓声や、精錬所の機械の音が聞こえてくる様な気がします。大きなリュックを背負った高齢の男性が二人下ってきました。根曲がり竹でしょう。月輪熊の大好物でもあるので、採取は容易ではありません。皮付きのまま焼いたり、鯖の水煮缶詰との味噌汁は信州人のソウルフードです。私は淡竹で満足ですが。

 その台地から北を見ると、須坂市街地や妙高が見えます。北信五岳は、「まみくとい)と覚えます。斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱です。

 台地の下から泉坑山。右方向の山腹には鉱山の跡の穴も見えます。

(左)権現橋、不動橋を渡って米子不動尊の奥之院へ。(右)1743年(寛保3年)に、米子村の竹前氏によって本格的な採掘が始められたということですが、その竹前氏の墳墓の様です。

 不動滝。以前は直下まで行けましたが、落石の危険があるので手前まで。私と息子二人は、あの真下まで行ったことがあります。現在は、許可を得た滝行の行者のみが入れます。今回は、大町から、遠くは和歌山、大阪、東京から訪れた方々と邂逅しました。こういう出会が楽しいのです。帰りに林道を下っていくと歩いている男性が。一度通り過ぎたのですが、バックして戻り話を聞くと渓流釣りの帰りとか。乗っていきませんかと。下に置いた車まで送ることに。テンカラで釣り登ってきたそうです。私も昔はフライフィッシングをしていたので、釣り談義に。釣果はと聞くと、大きなイワナが3匹とまずまずとか。米子川は金気水なので魚はいませんが、支流にはいるのだそうです。途中で別れて、私は温泉に向かいました。

 米子不動尊の開山と歴史、米子瀑布群と奥之院などについては、下記リンクの公式サイトを
米子不動尊 本坊米子瀧山不動寺 公式サイト

梅雨の晴れ間の米子大瀑布(ムービー)


日本のギアナ高地、米子大瀑布へ。薄雪を踏んで幻のソブ池へ(妻女山里山通信) 幻想的な初冬の風景がなんとも美しい。

錦秋の米子大瀑布へ。瀑布の上にある幻のソブ池探索も(妻女山里山通信) やはり紅葉は素晴らしい。週末は、マイカーは入れません。シャトルバスのみです。

【信州の山】四阿山カルデラ一周 Mt.Azumaya from The Yonako falls in Nagano


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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梅雨の晴れ間に妻女山陣場平へ。麗しく咲く花と逞しく里山で生きる昆虫たち。古事記と万葉集(妻女山里山通信)

2019-06-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 貴重な梅雨の晴れ間に保全と撮影で妻女山陣場平へ。雨後なので道は枯れ葉が積もった場所や粘土質の場所は泥濘状態で危険です。私や妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーは、何度も車で登っているので大丈夫ですが、四駆でも初めての方は止めたほうがいいです。雨で深くえぐれた道なので、どこをトレースすればいいか知らないと車を壊すからです。

 陣場平でまず帰化植物の除去をしました。丸太のベンチに立てかけてあるのは作業に使う山鍬(やまくわ)。ヒメジョオンは少なくなりましたが、オオブタクサはこれからです。昨年は今頃鳴いていたカッコウとホトトギスの鳴き声がまだ聞こえません。ヒメウラナミジャノメがたくさん舞っています。

(左)カタバミ((酢漿草・片喰)カタバミ科カタバミ属の多年草。家紋にもあり、地方名はなんと180種以上あるそうです。「すいば」は分かりますが。「すずめぐさ」「ねこあし」は可愛いですね。全草が酢漿草(サクショウソウ)という生薬で、消炎、解毒、下痢止めなどに用いられるとか。(右)陣場平のあちこちで咲いているオヤブジラミ(雄藪虱)セリ科。花は2,3ミリでアリが蜜をなめに訪れています。小さな種はいわゆるひっつき虫で、山仕事でズボンのあちこちに大量にひっつく厄介者です。

(左)ノビル(野蒜)の花とムカゴ。初めはネギ坊主ですが、皮が破れて蕾が現れ、次にムカゴが現れます。古事記にも登場する古くから親しまれて利用されてきた山菜です。ノビルの味噌焼きやノビル餃子は絶品です。
「いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに」(古事記:応神天皇)
「 醤酢(ひしほす)に
蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて
鯛(たひ)願ふ 吾にな見えそ
水葱(なぎ)の羹(あつもの)」(万葉集:長忌寸意吉麻呂)
(右)一度ほとんどの葉がニホンカモシカに食べられてしまったセリバオウレン(芹葉黄連)ですが、たくましくまた葉が出てきました。今は餌になる植物がたくさんあるので大丈夫でしょう。

(左)シオヤアブかと思ったのですが、アオメアブかな。何か捕まえた様です。(右)オオヒラタシデムシ。生き物の死骸やゴミ溜めに集まる森の掃除人。

(左)陣場平にもオオムラサキの食草のエノキ(榎)があります。今週末辺りオスが出現してもいい頃です。(右)シナノガキ(信濃柿)の花。豆柿ともいいます。2センチぐらいの青い実を水に浸けておくと柿渋ができます。

(左)翅がボロボロです。ヒメウラナミジャノメがたくさん舞っているのですが、これはなんでしょう。ヒメジャノメ、コジャノメもいますし。実はこの後でイボタノキでアサギマダラを初見したのですが、ノイバラの向こうで近づけませんでした。(右)シマサシガメ。カメムシの仲間で、蛾や蝶の体液を吸います。

(左)イボタノキに現れたヒメトラハナムグリ(姫虎花潜)コガネムシ科。花粉を食べに来たのでしょう。幼虫は朽木内に棲み、腐朽材を摂食します。(右)ミナミヒメヒラタアブのオスがイボタノキの花に顔を突っ込んで吸蜜しています。花と同じぐらいの大きさしか無い可愛らしいハナアブです。

 ミナミヒメヒラタアブ。体長は8(メス)、9(オス)ミリしかありません。気がつくのさえ難しいほど。以前、オスがメスを抱えながら飛翔しているところを撮影したことがあります(下の記事中)。午後一時過ぎに小雨が降ってきたので山を下りました。途中シジミチョウを撮影に来た二人の女性と邂逅。ミズイロオナガシジミを初見したとか。色々情報を交換しました。
ネオニコの空中散布のない長野市茶臼山は昆虫の天国(妻女山里山通信)

 なぜか南欧原産のウスバベニアオイの花が。隣にはゼニアオイの花も。里山に園芸種の花が捨てられることもあります。また、タイヤに付いたり土砂に混じって種子が持ち込まれることもあります。綺麗ですが、寡占する様だと除去が必要になります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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妻女山陣場平へ。梅雨の里山を彩る咲き出した木々の花々。激辛極旨カレー(妻女山里山通信)

2019-06-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今年の梅雨はまとまった激しい雨が降るタイプの様です。気温も低めで季節が戻った感じですが、晴れるといきなり暑くなって、またその温度差に悩まされます。ドラスティックな梅雨なので、災害が心配ですね。

 前の記事で登った篠山(しのやま)を、陣場平下の堂平大塚古墳から見たカットです。中腹にウィーゴカントリー倶楽部の芝が見えます。こちらから見ると山が壁の様に見えますが、山頂から麓までは2キロぐらいの水平距離があります。しかし、山頂すぐ下にあんな公園があるとは知りませんでした。行き方など詳細は前の記事を。

(左)陣場平付近では、シモツケが咲き始めました。草本のシモツケソウもありますが、この山系では木本のこればかりです。(右)陣場平で、オオブタクサを抜きます。ひげ根なので、これぐらいなら簡単に抜けますが、2m、3mになってしまうと抜けません。50本は抜いたでしょうか。なかなか絶滅は困難ですが、4,5年前を考えると毎年仲間を集めて抜いているので、かなり減りました。

 いずれも花の大きさが5、6ミリぐらいで、見ようとしないと見えてこない花たち。(左)サワギク(沢菊)だと思うのですが、栄養が足りないのか小さいです。(中)帰化植物のアメリカフウロ(亜米利加風露)。(右)花びらや葉の付き方、色や大きさからミドリハコベ(緑繁縷)かなと。

(左)小さな流れに行者ニンニクとワサビの葉。行者ニンニクは以前醤油漬けにしたものが。山椒醤油も焼き魚に最適。ずっと前に葉山葵の酒粕漬けも作りました。(右)ユキノシタの群生。空を舞う天女の様な可愛い花が咲くのは今月末ぐらいかな。葉は、やけどや湿疹の薬草で、天ぷらにもなります。

 林道から見た陣場平。標識に従って細い踏み跡を歩き、落葉松林を抜けると貝母(編笠百合)の群生地のあるギャップに出ます。川中島の戦いで、上杉謙信が陣を構えたと伝わる平地です。

(左)フジバカマの仲間だろうというのは分かりますが。キク科ヒヨドリバナ属はこの山系でも色々あって混乱します。これは葉が互生。一段ずつ対生のものも長坂峠に。この上の林道には、マルバフジバカマの群生地があります。分類は専門家でも難しいようで、ヒヨドリバナは変異に富み、2倍体、倍数体などがあり、交雑もしやすい様です。(右)帰化植物の除去で、誤ってアリの巣を壊してしまいました。クロアリでしょうか。蛹を守ろうと必死です。巣はすぐに修理されるでしょう。

 スイカズラ(吸葛)が、イボタノキやサンショウの木にあちこちで絡みついて咲き出しました。冬を耐え忍ぶことから忍冬(にんどう)とも。白い花が黄色に変わることから金銀花ともいいます。花をたくさん摘んで作る忍冬酒には、利尿作用があり、膀胱炎、腎臓病、各種の皮膚病、強壮に効くそうです。

(左)イボタノキ(水蝋樹・疣取木)の花も今が盛り。ウラゴマダラシジミが大発生するといいのですが。(右)ニワトコ(接骨木)スカズラ科の赤い実。 鎮痛、消炎、止血、利尿薬の民間薬として有名です。

 在京時代によく通った湯島などにあるデリーのカシミールカレーが無性に食べたくなってネットで買いました。鶏もも肉をヨーグルトとカレー粉に浸けてソテーし、ゆで卵を。玄米ご飯で。超激辛ですが、複雑で深みのある旨さがやみつきになります。私は袋ごと温めますが、鍋で煮立てるのは厳禁です。野菜が欲しければサラダを添えてもいいのですが、素揚げしたポテト、ニンジン、カボチャ、旬のアスパラガスやズッキーニも合います。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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篠山と角間猪平ふれあいの森へ。長野市民もほとんど知らない穴場です(妻女山里山通信)

2019-06-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 先日、妻女山奥の陣場平へ帰化植物の除去をした帰りに、実山椒と山蕗を採ろうと下ると、旧知のS夫妻が大量の山蕗を採っていました。なんでも伽羅蕗を待っている人が10人ぐらいいるそうです。作り方は古典的なもので、水を一切使わず砂糖と醤油で2週間かけて煮詰めていくというもの。大変ですね。
 世間話をしながら採取。すると猪平(いのたいら)という四阿のある綺麗な公園が深い山の中にあるけど、人に出会ったことがないという不思議なところなのと。帰って調べてみると、長野市南部の篠山(しのやま)と分かりました。6日は暑くなるそうなので、避暑を兼ねて行ってみました。

(左)長野市篠ノ井塩崎の長谷寺(奈良長谷寺の開基より百年前に創建されたと伝えられ、奈良・鎌倉と並び「日本三所長谷観音」と称される)から山道を登っていきます。ほぼ全面舗装ですが、「ポツンと一軒家」に出てくるような細い道です。危険すぎて右が切れ落ちているところでは撮影できませんでした。軽自動車なら余裕でしょうけど、ガードレールがないので脇見運転は厳禁です。(右)ウィーゴカントリー倶楽部の南側を巻いて林道を登っていくと、南側が上になっているアバウトな絵地図が。残念ながら長野市のこの手の看板はレベルが低いです。妻女山展望台の看板など最悪です。太陽光の影響も考慮していないので数年でボロボロです。しかも色々間違っているし、実際の地形と全く違うし。観光客の評判も悪い。私はエンバイロメント・グラフィックスとかインフォメーション・デザインのデザインやアートディレクションもやっていたので、オンブズマンとして参加させて欲しいです。観光立県なのですから、もっとレベルを上げて欲しいものです。

(左)最後は未舗装の道を登ります。(右)けっこう広い駐車場。右下にもあって20台ぐらいは余裕で止められます。山林作業の邪魔になるので、林道上には止めないでの標識。拙書でもそのことを記していますが、大事なことなんです。最近は、ハーベスターなどの高性能の林業機械も入りますから。

(左)フタリシズカ(二人静)。(右)林道を登るとすぐに「市民ふれあいの森公園」。四阿とベンチやテーブルがたくさんあります。下草も綺麗に刈られていてよく手入れがされていますが、人影がまったくありません。善光寺平の多くの場所から見える大きな里山なんですが、篠山という名前を知らない人がほとんどでしょう。高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されており、篠ノ井の地名の元となったのですが、篠山の語源でもあるのでしょう。この時、多くの高句麗の豪族が帰化しています。高句麗人はツングース系で石の文化を持つ民族で、長野市には高句麗式積石塚古墳として大室古墳群が、多くが破壊されましたが妻女山にもあります。陣場平奥には堂平積石塚古墳群があります。日本に馬産を伝えた人々といわれています。

 四阿から東方の長め。左に延びる戸神山脈の先端は、私がホームフィールドとする妻女山山系です。梅雨が近づいて空気が湿っているためか風景が霞んでいます。麓は暑そうですが、ここは下から吹き上げる風が快適です。ツツジの名所だそうですが、ほぼ咲き終わっていました。

 眼下は屋代の市街地。遠くに先日登った大松山。手前の御姫山と大嵐山は、地味で静かな戸神山脈の里山ですが、拙書にも載せています。トレランの人がよく走る尾根です。御姫山と大嵐山は、千葉から来た80歳の男性が、拙書の山で登ったことがない山が二つだけあると言った山です。

 右へ目を向けると鏡台山。双耳峰の真ん中に満月が昇ると鏡台に見えるといいます。姨捨の棚田から見た鏡台山に登る月を描いた歌川広重の「田毎の月」は有名です。あら!鏡台山の北峰と南峰の表示が、左右逆です。困ったもんです。
歌川(安藤)広重「信濃 更科 田毎月 鏡台山」でキノコ狩り。クリタケとナメコを300本ぐらい採取。妻女山の秋模様(妻女山里山通信)

 更に右へ目をやると坂城、上田方面。眼下に千曲川。村上義清の葛尾城跡の左上は五里ヶ峯。前述の鏡台山と五里ヶ峯を経由して、長野県歴史博物館を起点終点として、戸神山脈と五一山脈を結ぶ周回コースは、トレランの人に人気です。拙書の、妻女山と鏡台山と五里ヶ峯の地図を3枚つなげると、コースの全体が分かります。

(左)公園にはツツジ科のシャクナゲが。他に海を渡る蝶、アサギマダラが大好きなフジバカマや、オオルリシジミの食草のクララなどが見られました。(右)下草や笹が綺麗に刈られた公園の森。向こうには池もあります。この一帯は、干害保安林です。埴科、更科や小県は、瀬戸内と同じくらい雨の少ないところなので、溜池がたくさんあります。

(左)モクレン科のホウノキ。蓮に似た白い花は日本の樹木で一番大きく、実は赤いパイナップルの様で、南洋の香りがします。(右)太い白樺の森があったり。篠山への登山道入り口を見落として歩いた林道の先には、ドイツトウヒの森。偶然にワラビの群生地を見つけて採りました。

(左)戻って篠山への登山道を発見。(右)階段が続きますが山頂はすぐそこ。

(左)約5分で山頂へ。907.7mです。(右)笹が刈り払われて三角点があります。眺望はほとんどありません。ここから西へ300mほど行くと、915mの高圧線鉄塔のあるピークがあるのですが。まあいいでしょう。下って四阿でお昼にしました。フォッカッチャにレタス、スライスチーズ、ビアソーセージ、オリーブ油とタルタルソースを挟んで。美味しいけどなにか足りないなと。トマトを入れ忘れました。
 帰りはあの狭い道を下るのは嫌なので、ゴルフ場の正門へ向かって北の信更町へ下り70号線を稲荷山へ。篠山へは、こちらのルートがおすすめです。今回は、長谷寺に参拝できなかったのですが、いずれ。特に1802年に建てられた鐘楼の見事な木彫が誰の制作か気になります。諏訪立川流か大隅流か、他の流派か。ここから塩崎城跡や小坂山経由で登るコースもあります。
 さて、開けて7日は朝から雨模様。信州も梅雨に入った様です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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上杉謙信の陣場平へ帰化植物の除草と撮影に。実山椒を摘み、咲き出した樹木の花を撮影する午後(妻女山里山通信)

2019-06-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
 昼近くに妻女山奥の陣場平へ。5日ぶりなので帰化植物の繁茂が心配でした。ヒメジョオンとオオブタクサを除草。7月には妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーを集めて人海作戦を決行します。里山保全は本当に大変ですが、やらないとすぐに荒れてしまいます。オオブタクサやセイタカアワダチソウなどは、根から他の植物の成長を阻害するアレロパシー(他感作用)をするので厄介です。

(左)手前の菱形(りょうけい)基線測点越しに見る陣場平。入ったら突然タヌキと遭遇。びっくりして逃げていきました。数は減りましたがウスバシロチョウが舞っています。他にはコミスジやカラスアゲハ、モンキチョウなども。(中)貝母(編笠百合)の実も大きくなり、枯れ始めてきました。今年は実成りがいいように思います。この種や球根を蒔いて増やします。(右)貝母の実。糸巻き状のさく果です。枯れるとホウセンカの様に弾けて飛び散ります。

(左)実に艶があるのでヤブヘビイチゴですね。(中)カメムシの仲間のアワフキムシの幼虫の巣。茎の右に黒いものが見えますが、これが幼虫です。植物の茎から液を吸い、その排泄物を泡立てて暮らしています。色んな種類がいます。(右)山椒の実。これを両手いっぱい摘みますが、けっこう時間がかかります。今回は、コウナゴではなくて、カタクチイワシの小ぶりな煮干しと煮てみました。実は一度茹でこぼします。その後、煮干しと出汁醤油で薄味に煮込んだらできあがり。食欲の落ちる梅雨時に、これをご飯にのせていただくと馬鹿旨です。

 落葉松のベンチで休憩。湿度が低く南風が快適です。BGMは蝉の声。麓の小学校では運動会の様です。懐かしい校歌が聞こえてきました。帰化植物の除草でけっこう疲れたので、友人のログハウスへ昼食に。

(左)気がつくと20年は使ってきたザックがさすがにボロボロになったので、山仕事用のザックを買いました。ポケットが7つもあるのが魅力です。(中)昼食は、石焼き窯焼きフランスパンにハーブサラダチキンとポテトサラダのサンドイッチ。タルタルソースとエキストラバージンオリーブオイルをふんだんに。舐めて喉にピリッとくるのが本物。それ以外は偽物です。(右)網を張らない徘徊性のハシリグモの仲間かな。少し色が濃いですが、この山でよく見られるイオウイロハシリグモでしょう。以前、ハナアブを捕らえたところを撮影したことがあります。

(左)カエデの仲間ですが、どうやらメグスリノキの様です。メグスリノキの成分や効能。(中)ノイバラの花。(右)モクセイ科のイボタノキ(水蝋樹・疣取木)も開花。イボタロウムシというカイガラムシの仲間の昆虫が樹皮に寄生し、分泌した白いロウ状物質であるイボタ蝋が取れ、日本刀の手入れ、家具の艶出し、織物の艶づけ、薬品などに使われます。また、ウラゴマダラシジミやイボタガの食草です。

(左)ウツギの花。卯の花です。脳内を「夏は来ぬ」の歌が流れてきます。ホトトギスはまだ鳴いていません。(右)エゴノキの花も満開です。英国で「スノーベル(雪の鐘)」といわれる様に、吊り下がったたくさんの白い花が美しい樹木です。

(左)ヤマホタルブクロが咲き始めました。(中)花の中。(右)ナワシロイチゴも咲き始めました。アシクダシ、サツキイチゴ、ワセイチゴ、サオトメイチゴ、ウシイチゴなど別名も多い。夏になる赤い実は食べられます。

 妻女山展望台からの松代方面。先日登った大松山も見えます。保基谷岳と大松山は尾根続きで、向かいの根子岳と四阿山の間が菅平高原です。

(左)翌日は、昼頃に陣場平へ。途中で甥っ子とマウンテンバイクで来た友人の息子に遭遇。久しぶりにいろいろな話をしました。陣場平で帰化植物の除草をしていると、葉の上にウスバシロチョウが。動きません。触れてみるとわずかに腹部が動きました。その生命を終えようとしています。(右)蜘蛛の巣に引っかかって絶命したウスバシロチョウ。ウスバシロチョウの季節もまもなく終わりです。6月の末には、オオムラサキが舞い始めます。たくさん羽化するといいのですが。

(左)翌日も梅雨入り前になるべく除草をしたいと陣場平へ。終えて山蕗と実山椒を採ろうと下のギャップに行くと、旧知のSさん夫婦と邂逅。山蕗を採っていました。世間話をしながら採取。採った山蕗は一度茹でこぼします。皮を剥かなくていいのが山蕗。(右)実山椒も茹でこぼします。小枝つきのままです。同じ味ですし、煮ると違和感なく食べられます。

(左)JAのスーパーで買った小女子と身欠き鰊。身欠き鰊は山菜と一緒にと書いてあるように、この季節の定番です。(中)小女子は実山椒と薄味の出汁醤油と5分ほど煮て完成です。酒の肴に白飯のおかずに。(右)山蕗には身欠き鰊を入れて煮ます。風味付けに少し山椒の実も入れました。毎日火を入れていくので、最初はかなり薄味に。これもいいおかずになります。滋味豊かな山菜は、急激な気温変化や梅雨時の蒸し暑さに耐えられる体を作ってくれます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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