モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

可憐なセリバオウレン。北信濃の春を告げる花の群生地を探しに上杉謙信の山城がある髻山へ(妻女山里山通信)

2018-03-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも紹介のカタクリで有名な髻山(もとどりやま)へ、セリバオウレン(芹葉黄連)の群生地を探しに行きました。信濃毎日新聞の記事でも紹介された平出の車道沿いの杉林の群生地ではなく、明るい広葉樹林にある群生地を捜すのが目的です。実は1週間前にも行ったのですが、発見できませんでした。今回は長男を伴なって探索。その結果、前回は群生地まで20mの所まで行きながら発見できなかったことが判明しました。今回は二カ所の群生地を発見しました。道もない藪山の中なので自分がどこにいるかが確実に分かっていないと遭難します。

 足の踏み場もないほどの群生地。凄すぎて言葉もありません。しかし、ここに至る道はありません。イノシシの獣道があり、掘り返した跡やヌタ場があります。地元の人ももう知らないでしょう。この群生地を知っている人はほとんどいないと思われます。すごく分かりにくい所ですから。さらに50mほど離れた場所に、もうひとつの群生地があります。まだ他にもあるかもしれません。昔、薬草としていい値で売れたのでしょう。

 セリバオウレンは、キンポウゲ科オウレン属の多年草。葉はすべて根生し、2回3出複葉。雄花と両性花があります。これは雄花。花びらのように見えるのは5枚の萼片で,その内側の淡い黄色の9枚が花弁なのですが、遠目に肉眼で見るとほぼ純白ですね。中央の赤紫のものは、退化した雌しべ。

 朝早く行ったので瑞々しく可憐です。花の直径は1センチ程度と、かなり小さいものです。しかし、群生すると華やかです。薬草で消炎、止血、精神不安などの薬です。健胃(けんい)、健胃、整腸薬として消化不良や下痢止めにも用います。有効成分は、アルカロイド(ベルベリン)、パルマチン、コプチシンなどです。
 小さいけれど、見飽きないほど可憐な花です。ここも昔は薬草畑だったのでしょうか。しかし、登山道からもすごく離れているし、ここを発見するのは非常に困難です。貴重な群生地なので場所の公表は控えます。また、里山というのは、景色が茫洋としていて目印になるものが少なく非常に迷いやすいのです。セリバオウレンは純白の花なので、背景に暗いバックを選ぶといいのですが、これがなかなか困難でした。

 雄花のアップ。透明感のある萼や花弁が魅力的。内側の淡い黄色の花弁が分かると思います。芹葉黄連という名前の由来は、古代には、カクマグサ、ヤマクサと呼んでいたそうですが、中国名の黄連と、カクマグサ、ヤマクサと同じ植物と間違って、黄連の名をあてたといいます。「本草和名」や「和名妙」に記述があります。また、江戸時代の貝原益軒は「大和本草(1708)」で、「日本の黄連性よし。故に中華、朝鮮にも日本より多く渡る。中華の書に日本産黄連を良とす」と記しています。

 両性花。内側に順に雄しべ,雌しべ。両性花は雄花に比べて黄色っぽいことが多く、そういう個体も散見されました。

 これは日当たりのいいところの両性花。アントシアニンが少なく、緑がかっています。

 セイヨウミツバチが吸蜜にたくさん訪れていました。静かな雑木林にぶ〜んという羽音が響きます。ニホンミツバチが見られないのが残念です。

 コナラの根元に咲く雄花。ここのものは生育がいいのか、草高が20センチぐらいのものまであります。

 雄花の方がたくさん見られます。周りではダンコウバイも咲いていました。アブラチャンももうじき咲くでしょう。山蕗をたくさん見つけたので採取。今回は、アンチョビーと我々がしている原木栽培の椎茸とでパスタにしてみましたが、見栄えはともかく味は絶品でした。次はイカ墨スパゲッティに加えてみようと思います。

(左)髻山山頂。貴重な天測点もあります。低山ですが眺めは抜群です。髻山という奇妙な山名については、拙書でその説を記しています。もちろん上杉謙信とも深い関係があります。(中)アズマイチゲ。日当たりのいいところで数輪が咲いていました。カタクリの葉も散見されました。満開になると、登山道にも咲き乱れます。(右)ウバユリの実。種はほとんど飛んでいました。これから出る若葉は山菜です。

 帰りに妻女山奥の陣馬平へ貝母の生育状況を見に行きました。成長が早いです。2016年と似ています。この状況だと4月15日頃には満開になるかも知れません。見頃は月末まで。森の杏の開花も早そうです。情報は千曲市観光局のサイトで確認を。信州の春は短く、梅、杏、桜、林檎と続けて咲き乱れ、あっという間に初夏になってしまいます。

髻山のセリバオウレン群生地 その1 YouTubeではハイビジョンで大きなサイズでご覧いただけます。

花言葉は、「揺れる心 」。春のまだ冷たい風に細かく揺れていました。セイヨウミツバチがたくさん吸蜜に来ていました。

髻山のセリバオウレン群生地 その2


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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春の儚い命・妖精、スプリング・エフェメラルの節分草が満開の信州千曲市倉科の杉山へ(妻女山里山通信)

2018-03-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 千曲市のサイトで倉科杉山の節分草が見頃ですというので撮影にでかけました。帰郷してからほぼ毎年撮影に行っていますが、その年の気候により咲く時期が異なります。時には2011年の様に雪中の節分草が見られることもあります。ただ今回は花粉症の症状が酷く、撮影に集中できなかったのが残念でした。
雪中の節分草(妻女山里山通信)

(左)群生地入り口。車はこの左の道路脇に停めます。大きな車は、群生地の上の橋のところでUターンできます。(右)節分草の案内。

 セツブンソウは、キンポウゲ科セツブンソウ属で、本州の関東地方以西に分布する、高さ10センチほどの小さな多年生草本。花の直径は約2センチ。花びらに見えるのは萼です。先が黄色く見えるのが退化して蜜腺になった花びら。山地の落葉広葉樹林の林床に生え、石灰岩地を好む傾向があります。関東では節分の頃に咲くのでこの名がつきました。

 セツブンソウの種は、黄色い蜜と一緒にアリが巣に運んで発芽するアリ散布植物。カタクリなどと同じです。アリ散布植物は、セツブンソウ属やカタクリ属以外にスミレ属、イチリンソウ属、フクジュソウ属、ミスミソウ属、キケマン属、クサノオウ属、エンレイソウ属などがあり、自然界におけるアリの働きの重要さが分かります。日本には、アリが絶滅すると絶えてしまう植物が200種以上あるのです。
 昔は木山や芝刈りのために山に入り、下草や灌木を刈ったので、明るい林床にセツブンソウやカタクリがたくさん咲いたのです。セツブンソウやカタクリのように早春に咲き、2、3ヵ月でその年の生活サイクルを終え消えてしまう植物は、スプリング・エフェメラル(Spring Ephemeral、春の妖精、春のはかない命)と呼ばれます。節分草は、万葉集には詠われていませんが、平安時代の「本草和名」や「倭名類聚鈔」に「以倍仁礼(いえにれ)」という古名で登場します。

(左)俯いて咲く小さくて可憐な花。(中)群生地の上には通行止めの標識が。(右)前方に何か大きなものが見えたので行ってみると、林道の真ん中に大きな落石。

 一つの茎から二輪の花。ブックマークもしているブログ「里山の花実」の方と邂逅しましたが、私のブログも見てくださっているとか。このタイプは、戸倉の群生地ではよく見られるとか。

 2月11日のブログで「信州の千曲市のあんずの里倉科にある三滝へ氷瀑の撮影に(妻女山里山通信)」を紹介しましたが、どうなっているかなと見に行きました。まだ少し氷は残っていますね。

 帰りに妻女山奥の陣場平の貝母(編笠百合)の生育状況を見に行きました。ここのところの暖かさで青々としてきました。桜の開花予想も早いですし、今年は開花も早いと思います。満開は4月20日ごろから月末までと予想しています。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトで保全活動をしています。昔は各地に薬草として栽培地があった様ですが、放棄されほとんどが絶滅した様です。歴史を残す大切な帰化植物と捉えています。なお、ここは畑地だったため周囲の山地とは土質が全く異なります。ですから、増えていっても畑地であったところから出て生態系を壊すことはないと考えています。拙書でも満開の写真を載せていますが、4月の茶花なので茶道を嗜む女性にはお馴染みの花です。ただし、薬草ですが誤って食べると死亡することもある毒草なので、持ち帰りは絶対に駄目です。

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清野氏と上杉景勝の鞍骨城跡へ登山道整備と撮影に登る。拙書の読者に邂逅(妻女山里山通信)

2018-03-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 毎年今頃に行っている鞍骨城跡(鞍骨山)までの登山道整備と撮影にでかけました。最高気温は11度。風も弱く穏やかな日でした。用事があったので登り始めは10時過ぎ。普通なら90分で鞍骨山山頂ですが、今回は登山道整備しながらなので2時間はかかるでしょう。

(左)妻女山展望台と松代招魂社奥の駐車場。20台ぐらいは余裕で駐車できます。4月には桜が咲き乱れます。(中)駐車場奥から右の林道へ。妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーが作ってくれた登山ノートがあります。拙書のパンフレットも置いてあります。(右)林道に落ちていたウスタビガの繭。雨にあたって色が抜けていますが、本来は鮮やかな黄緑色です。繭に卵が産み付けられていますが、右の卵は他の昆虫によって食べられています。繭は空で羽化して飛び立っていった様です。

(左)10分ほどで長坂峠。昔、東風超えと呼ばれた辺りから撮影した長坂峠と斎場山(旧妻女山)。斎場山古墳が山頂で、上杉謙信の本陣と伝わる場所です。(中)そこから250mほど真っ直ぐ歩くと右へカーブします。その手前を左へ50mほど登ると陣場平。(右)菱形基線測点のコンクリートが目印です。妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと貝母(編笠百合)の保全活動をしているギャップです。また、第四次川中島合戦の際には、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる場所です。

(左・右)その貝母(編笠百合)です。先週に比べても順調に生育しています。日当たりのいい場所のものは、右の様に青々としています。

(左)陣場平を後にして林道を登っていくと、ほどなく天城山(てしろやま)登山道入り口。林道は右へそれていきます。(中)天城山の巻道を通って二本松峠。(右)案内がまた逆方向に回されていました。倉科側が清野坂、清野側が倉科坂なんです。これを回した人は、妻女山の駐車場から左へ伸びる清野の林道が。林道倉科坂線と表記されているのに気付かないのでしょうか。清野の人が倉科へ行く時に登るので、清野側が倉科坂なんです。

(左)笹の茂る尾根を歩いて、深さ6mほどの駒止と呼ばれる深い堀切。(中)超えてしばらく歩くと、前方に突然鞍骨城跡のシルエットが現れます。(右)ほぼ平坦な尾根を、ヤマガシュウなどのバラを切りながら進むと高圧線の鉄塔をくぐります。

(左)これがヤマガシュウ。針の様な鋭いトゲがあり、これが登山道を塞ぐと前に進めなくなります。剪定ばさみで切っていきますが、大変手間のかかる作業です。掴んだら痛いなんてもんじゃありません。悲鳴を挙げます。(中)鉄塔の先に二条の堀切。越えると鞍骨城跡城内です。(右)コナラの木に菌えい。三つほど採取しました。

 一の郭から左を巻いて登ると広い二の郭。上に本郭が見えます。ここから右手に回って登ります。ここで上から男性が下りてきました。話を伺うと象山から登って鞍骨から妻女山へ下りると。割とマイナーでマニアックなコースなので、どこでお知りになりましたと聞くとガイドブックでと。ひょっとして私の本ですかねと出すと、ああそうですと。まさか著者と邂逅できるとは思っていなかった様です。花の写真が多くていいですねと。
 実は愛読者と結構出会っているんです。その度に色々な嬉しい感想を聞かせていただいています。大病を経験して体力作りに里山歩きを始めた人とか。日本中の山城を歩いている人とか、4000回も山に登って拙書の山では登っていない山は二つだけという人とか。本に載っていない山やコースはブログでともお伝えしています。逆に情報を得ることもあるのです。コメントで書いてくださる人もいますが、メッセージから非公開のメールをくださる方も少なくありません。これは助かります。

(左)二の郭からは右の南面へ向かいます。私と倉科のMさんがかまぼこ板に描いた矢印を辿ってください。見上げると石積み。清野氏の時代の後の上杉景勝の時代のものといわれています。(中)欅の大木で石積みが壊されています。悩ましい問題です。(右)南面の虎口から見る鞍骨城跡本郭(鞍骨山山頂)。2時間かかりました。まず昼食。その後、山頂のノイバラとヤマガシュウの切除。大変です。

 山頂から見下ろす松代城跡。右手前に文武学校。その手前に神社のある離山。右に象山の尾根の先端。松代城跡の右、旧長野電鉄屋代線の線路跡は、広大な駐車場となっています。
清野氏と戦国時代』 鞍骨城跡の主、清野氏についての詳細な歴史です。

(左)山頂から南南東を見ると鏡台山。ここから縦走できます。長野県立歴史館を起点として、森将軍塚古墳から五一山脈を五里ヶ峯へ。沢山峠を経て鏡台山へ。戸神山脈を北へ辿り鞍骨山経由で斎場山。土口へ下りて歴史館に戻ります。20キロのループコース。詳しくは拙書で。(中)北を見ると長野市民の山、飯縄山。(右)千曲川を挟んで対岸には、AC長野パルセイロのホームスタジアム。試合の日にはここまで声援やチャントが聞こえます。

 鞍骨城跡から東へすぐの東の展望岩から妻女山。山座同定や地名を書き込んでみました。晴れていれば、虫倉山の左に白馬三山からの北アルプスが見られます。

(左)鞍骨城跡から南面の道を下ります。転落に要注意。(中)帰りに堂平大塚古墳に寄りました。Kさんが友人と椎茸の原木栽培のホダ木を伐採していました。別れて山蕗を採り、原木椎茸を採り帰路につきました。山蕗と椎茸とスギヨのビタミン竹輪のかき揚げを作りましたが絶品でした。
(右)戸倉上山田温泉の万葉温泉に行く途中で、屋代のスバルさんに立ち寄りました。60週年のカートピア特集号とノート、カートピア3月号をいただきました。息子達が小さい頃、スバル車のペーパークラフトで特集記事で載せてもらったことがあるんですと言ったら、STI組み立てキットをいただきました。拙書を作るにあたっては、フォレスターで登山口まで何度も行ったので、そのことをお話して拙書も紹介しました。愛車は狭い林道であちこちぶつけてボロボロですが(笑)。

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上杉謙信の陣場平へ貝母の芽吹きを撮影に。初物の蕗を求めて某所へ。ミツバチと邂逅した信州の春日(妻女山里山通信)

2018-03-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 長い冬の信州にもやっと春の兆しが訪れ始めました。先日の雨で里山の残雪もほとんど溶けました。まもなく里の早咲きの梅も咲き出すでしょう。この冬は厳冬だったので、スプリング・エフェメラルの発芽は、例年より少し遅めです。

(左)山へ行く前日、所要で長男の処へ。一緒に19号沿いのやばね食堂へ行きました。私は味噌ラーメン。信州味噌で有名な長野は味噌ラーメンの美味しい店がたくさんあります。これも美味でした。(中)長男が頼んだ豚肉の辛味噌焼き定食。美味かったそうです。奈良漬と野沢菜漬け、トロトロの干し柿がつきます。満足。(右)食堂は高台にあるのでいい眺め。雪をかぶった根子岳と奥の四阿山が見えます。高山も春の兆しが見えます。

(左)翌日は妻女山奥の陣場平へ向かいます。6番目のカーブはアイスバーン。危険です。(中)山藤のさや。中の種は炒って食べられます。(右)15分ほどで陣場平に到着。落葉松林の向こう側に貝母(編笠百合)の群生地があります。

 第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平。妻女山里山デザイン・プロジェクトとして私が仲間と保全活動をしている貝母の群生地があります。この日はその発芽状況を見に来ました。一見冬枯れで何も無い様に見えますが、春は確実に訪れ始めています。

(左・右)貝母の発芽。茶色いのは、最低気温がまだ零下のためアントシアニンが出て植物自体を守っているのです。最低気温が零度を上回るようになると緑色になります。

(左・右)こんな風に落ち葉を突き上げて、時には突き破って成長します。4月20日過ぎには満開になるでしょう。4月の茶花でもあり、その慎ましやかな群生は誰をも魅了します。ただし、死亡例もある強い毒草なので持ち帰りはご遠慮いただいています。今年も松代夢空間主催のハイキングを4月29日に開催します。インタープリターをしますが、お問合わせは松代夢空間へお願いします。

(左・右)そして、妻女山山系では最も早く出る蕗の群生地へ。初物を探しに行きました。春に苦い山菜を食べるのは、ツキノワグマやニホンカモシカもします。いわゆるデトックスですね。冬にたまった毒を体外に排出します。セイヨウミツバチが吸蜜に訪れていました。山蕗は里蕗と同種ですが、味の濃さが違います。この蕗味噌は絶品。

(左・右)福寿草の群生地へ。ここにもセイヨウミツバチが。越冬したルリタテハやテングチョウも舞っていたのですが、最高気温が20度で、活性が高すぎて撮影させてくれませんでした。堂平大塚古墳では、友人だった亡きKさんの弟さんと邂逅。世間話を色々。眼下に千曲川、向こうに鹿島槍ヶ岳を中心とした仁科三山の勇姿。

(左・右)陣場平から長坂峠を経て斎場山(旧妻女山)へ。山頂は二段の墳丘裾をもつ斎場山古墳で、謙信の本陣跡という里俗伝があります。長坂峠で三人の男性に出会いました。山系のルートを聞かれたので、持っていた拙書で説明しました。たいへん興味を持っていただいたのでURLカードもお渡ししました。山城の探訪をされているとか。この山系では、日本中の山城を2000ヶ所訪れたという人や、200ヶ所訪れたという若い夫婦とか、北信の山城を撮影調査しているという人にも出会ったことがあります。拙書にも、山城があった山は、その歴史や由来をできるだけ詳しく記しています。載せられなかった山城は、たとえば茶臼山の布施の茶臼ケ城・修那羅城・篠ノ城などはブログでアップしています。右上でプルダウンメニューからブログ内検索をしてください。

 帰りに妻女山展望台から。西の白馬三山。右手前に茶臼山。一番右奥に神城断層地震で山頂が4割崩壊した虫倉山。ブログ内検索で、崩壊前の姿と崩壊後の姿の記事が読めます。

 北方の眺め。左に戸隠富士の別名をもつ高妻山。右に長野市民の敬愛する飯縄山。飯縄権現は東京の高尾山の祭神です。天狗伝説は秦の始皇帝の時代の除福から古代ユダヤ人まで遡ります。畑では春掘りの長芋の作業が最盛期。冬越しの長芋は水分が抜けて濃厚です。トロロは定番ですが、海老しんじょやお好み焼き、さつま揚げなどに使うと最高です。

 東方。真田十万石松代城下の奥に左に奇妙山。拙書でも詳しくコースを紹介しています。激レアな薮山好きの超ハードなコースも。もしかしたらこのルートを登り来きった人は私以外にいないかもしれないというコースも拙書では載せています。奥に見えるのは菅平の根子岳と四阿山。
 信州の春は短いのです。梅、杏、桜、林檎と次々に咲き、駆け抜けるように初夏になってしまいます。桃源郷の期間はすごく短いのです。だから貴重なのです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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古代科野国を忍ばせる千曲市土口の古大穴神社へ諏訪立川流の木彫の撮影に(妻女山里山通信)

2018-03-03 | 歴史・地理・雑学
 前回の記事で、千曲市の八幡(やわた)にある武水別神社へ諏訪立川流の木彫を紹介したのですが、記事を読んだブログ「北信濃寺社彫刻と宮彫師」を上掲する友人の宮彫研究家から、土口の古大穴神社の木彫はいいですよとメールが。近所なのに灯台下暗しでした。さっそく撮影に出かけました。
◉古大穴神社御由緒
「創建年月不詳。江戸時代亨保12年4月(1727)諏訪大明神造立。往古は日ノ尾(南山)に鎮座という。明治3年9月(1870)拝殿再建。太古から塚穴が多く大穴郷(おおなごう・於保奈・多穴・大穴)と呼ばれていた。境内の石段の処に大きな古墳があった。よって明治13年12月(1880)社号を古大穴神社と改称。祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)」
 なお、尾根の北側に鎮座する上杉謙信が庇護した会津比売神社の御由緒には、森将軍塚古墳に埋葬されているという初代科野國造の武五百建命(たけいおたつのみこと)の妻とされる会津比売命(あいづひめのみこと)夫婦が、この地に住んでいたという里俗伝があります。会津比売命は、建御名方命の孫になります。建御名方命は大国主命の子ですから、つまり出雲系です。彼女の夫は大和系。古代科野国は、出雲系と大和系が結婚してできたというわけです。

(左)鳥居は、平成25年12月に再建されたものです。(中)狛犬の奥に拝殿。後ろの山は、斎場山(旧妻女山・斎場山古墳・上杉謙信本陣跡)から続く長尾根の先端になる薬師山。拙書でも詳しく紹介しています。(右)御由緒や沿革や彫刻の説明。

 拝殿の彫刻は、立川和四郎富昌の弟子立川(池田)文四郎の作(文政13〜明治19年)。正面の虹梁(こうりょう)には、立川流得意の龍。左右の木鼻には、獅子と貘。

(左・右)龍が三頭。夫婦龍と子と思われます。その下の虹梁には、牡丹に獅子。手毬の透かし彫りの中には玉が入っています。驚いたことに、これらは一本の欅から彫られているのです。実に見事で精緻な木彫です。

(左・右)左右の木鼻には獅子と貘。耳が小さく立っていて体毛が荒ぶっているのが貘。耳が大きく垂れていれば象です。獅子は、師匠の富昌の作風と非常に似ています。惜しむらくは、大量の蜘蛛の巣と蛾の卵ですね。左の獅子の口の中にわずかですが丹塗か弁柄塗の痕跡でしょうか。

(左・右)貘は象に比べて少ないのでアップにしてみました。貘は、中国伝来の伝説の動物で、人の悪夢を食べてくれるといいます。 熊の胴体、虎の四肢、牛の尾、象の鼻、犀の目、猪の牙を持つと言われ、鉄や銅を好んで食べ、その尿には金属を腐食し溶かすという作用があるといいます。

(左・右)左右にある酒呑童子(しゅてんどうじ・酒顛童子・酒天童子・朱点童子)。丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。『大江山絵詞』(大江山絵巻)。こういう盗賊の頭、または義賊が神社に彫られているというのは面白いですね。
酒呑童子ウィキペディア

(左・右)波に浜千鳥(千鳥)。
「わすられむ 時しのへとそ 浜千鳥 ゆくへもしらぬ あとをととむる」(よみ人しらず 古今和歌集 巻十八 雑歌・下) 「忘れられた時に今を偲べと、どこへ行ったかわからない浜千鳥がその足跡をとどめるように、ここにこうして書き残しておく」

 これも牡丹。見事です。続いて古のつかないあんずの里森にある大穴神社に向かいました。

(左)大穴神社の一の鳥居。大穴神社と記されています。二の鳥居には大宮社と。大穴神社が元の社号で、おそらく南方熊楠が猛反対した明治の悪法合祀令で三社が統合されたのではと思います。(中)拝殿。左に社務所。左右に御柱が。(右)左右の木鼻の獅子と象。前記の貘と比べると、その違いが分かると思います。作者は不明ですが、諏訪立川流の流れを感じます。

(左)拝殿内部。(中)拝殿後背の覆屋に囲まれた本殿。(右)御神木の欅。樹齢900年とありますが、どうでしょう。主幹は折れて大きな虚(うろ)ができています。撮影後は近くの温泉に入って帰路につきました。
 今日の長野市南部は16.3度。明日は20度だそうです。陣場平の貝母(編笠百合)の生育状況を見に行こうと思います。満開は4月下旬でしょうか。拙書やブログでも紹介し、信濃毎日新聞や松代夢空間でも掲載されたので訪問者が非常に増えました。慎ましく美しい花ですが、極めて強い毒草なので決して持ち帰らないでください。倉科の節分草の様子も気になります。いずれもカタクリと同じスプリング・エフェメラル、春の妖精、春の儚い命と呼ばれる野草です。詳しくはブログ内検索をしてください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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