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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

凍てつく寒さの里山で想う年の瀬(妻女山里山通信)

2013-12-31 | アウトドア・ネイチャーフォト
 善光寺平に夜間雪が降っても薄雪なので、日が昇ると溶けてしまいます。そのため平野部に雪はないのですが、妻女山の北面は、その薄雪がそのまま春まで根雪になります。日陰の林道は凍てつく寒さでした。

 高速下のトンネル前に駐車して展望台まで登り西を見ると、雪雲に覆われた北アルプスが見えました。爺ヶ岳も鹿島槍ヶ岳も、まだ尾根筋は真っ白ではありませんが、もう少し右の白馬三山は真っ白です。積雪がなくても、特に早朝は道や橋の上が凍結しているので、運転には充分注意が必要です。

 北を見ると、やはり雪雲に隠れた高妻山と飯縄山。しかし、雲は手前で山頂付近は日が当たっていました。手前の南長野運動公園の波形の体育館の右手では、長野パルセイロのホームスタジアムとなるサッカー競技場の建設が始まっています。サッカー不毛の地と言われた信州が、今や松本山雅と長野パルセイロで、信州ダービーと言われるようなサッカー県になったのは、元サッカー少年としては、夢の様で隔世の感があります。

 東を見ると、松代の向こうに真っ白な根子岳と四阿山。手前左には、10月に仲間と登った奇妙山の30mの崖が見えます。右手前の頂上に畑や家が見えるのは、皆神山。その手前が佐久間象山の命名の由来になった象山。本名は臥象山といい、中国の山名をとったものです。

 妻女山駐車場から6つ曲がりを登って林道を行くと、4WDの轍とマウンテンバイクの轍がありました。4WDのは、猟師でしょう。猪狩りか山鳥狙い。マウンテンバイクは、天城山林道を唐崎城跡に下ったのでしょうか。明るい長坂峠に出ると松枯れ病対策のために伐採された赤松の切り株に動物の糞がありました。テンの糞でしょう。テンの高糞(たかぐそ)といって、縄張りのマーキングやメスへのアピールのために、岩上や切り株等目立つ場所に糞をする習性があります。日当りのいい西面にはヤマコウバシがたくさん見られます。冬芽も膨らんで来ました。この時期、北面と南面では、全く別世界です。

 冬芽を探して歩くと、コバノガマズミの赤い実に出会います。枝も毛に覆われています。黄色みがかった冬芽が目についたので何だろうと思いましたが、先についている実ですぐに分かりました。コムラサキです。そして、小さな灌木に揺れるウスタビガの鮮やかな黄緑の繭。これらは、バーント・シェンナーやバーント・アンバーばかりの冬の里山を彩る数少ないアクセント。いつだったか、わざわざ横浜から来て、この天蚕の繭を集めている男性がいました。なんでも、これで織物を織るのだそうです。さぞ奇麗でしょうね。

 川中島合戦の折に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平へ。すっかり冬景色ですが、春に向けて既に緑の葉がたくさん出ていました。蕗の若葉や春一番に咲くアオイスミレの葉など。そこから落葉松林を抜けて堂平大塚古墳へ。雪の上に点々と足跡が。タヌキです。もっと雪が降ると、アニマル・トラッキングの季節です。
 堂平大塚古墳から見る千曲川と北アルプスは、昔から変わらない風景のようで毎年少しずつ移ろっています。目に見えるものだけでなく、目に見えない放射能汚染も免れられてはいません。東京にも猛毒のストロンチウムが降下しました。2011年3月18日港区米大使館前 Sr-90=69715 Bq/m3。ストロンチウム90だけで5.6μSv/h(米エネルギー省国家核安全保障局)。これはとんでもない数値。全く除染されず環境濃縮を始めているはずです。5年10年の間に甲状腺癌や白血病、心筋梗塞が多発するでしょう。脳機能の低下や疾病の重症化も増えることは、チェルノブイリではっきりと証明されています。
 現在の日本は、軍国主義に邁進し始めた、1930年頃と非常に似た危険な状況にあります。2016年から、東京では晩発性障害によるパンデミックが必ず起きます。チェルノブイリ以後25年のウクライナのキエフでは、健康な子供は5パーセントしかいません。東京はそのキエフよりも汚染度が高いのです。プルトニウム粒子「ホット・パーティクル」の毒性 は極めて強く、微粉末1、2個が入るだけで肺ガンを起こしますが、2011年の4月に東京の人は1日当たり10個吸い込んだ計算になるそうです。

【1930年頃の日本】OLD JAPAN-1930s と 東京復興の父・後藤新平より抜粋。以下は左のリンクをクリックしてください。

 1930年(昭和5)年は、Wikipediaから引用すると、「大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌(昭和恐慌)によって弱体化していた日本経済は、世界恐慌の発生とほぼ同時期に行った金解禁の影響に直撃され、それまで主にアメリカ向けに頼っていた生糸の輸出が急激に落ち込み、危機的状況に陥る。株の暴落により、都市部では多くの会社が倒産し就職難の者(学歴難民)や失業者があふれた(『大学は出たけれど』)。恐慌発生の当初は金解禁の影響から深刻なデフレが発生し、農作物は売れ行きが落ち価格が低下、1935年まで続いた冷害・凶作、昭和三陸津波のために疲弊した農村では娘を売る身売りや欠食児童が急増して社会問題化。生活できなくなり大陸へ渡る人々も増えた。」という切羽詰まった時代。軍国主義が台頭し、国際社会からの孤立を深めていきました。

 文化的には、古き良き日本も残っていた時代ですが、都会では西洋文化(1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いたアール・デコ)の影響で、欧米化が進み「モボ・モガ」なる風俗が流行りました。男子の普通選挙が実施され、大正デモクラシーの流れがモダニズムを押し進めた(近代化推進)のですが、軍国主義と覇権主義の台頭の中で抑制され、短い期間で終わりを告げました。動画の中に出て来る運河沿いに建つ写真のビルのデザインに、その影響が見られます。しかし、この美しかった首都東京も、10数年後には焦土と化し、70数年後には放射能汚染されるのです。


 来年も、なんとなく今の生活が維持できるのではないかと思っている人は少なくないんじゃないでしょうか。先人に聞くと、徐々に戦争になるのではないのです。ある朝、目覚めたら戦争が始まっていた。それが事実です。そして、今は貞観、仁和の時と同じく、千年に一度の地震多発期。大地震の確率は極めて高い。たとえば東南海、南海大地震が起きれば、原発は必ず事故を起こします。そうなったら日本に住める場所はなくなります。日本は今、壮大なロシアン・ルーレットの中にいるのです。そんな国の総理が、小4の漢字も書けない米隷属の売国奴という事実。これは日本史上最高の悲喜劇です。国民が覚醒しないと日本は確実に滅びます。ニーチェが神は死んだと叫び、その後哲学も死に、ベルリンの壁崩壊とチェルノブイリと福一でイデオロギーも死にました。ポストモダンは徒花でしかなかった。馬鹿の壁はただの馬鹿だった。次の思想の基盤は真に生物学でないと人類は滅びることは必至です。

*ツイッターをやっていますが、ツイッターは議論には向いていません。権力により情報収集もされています。顔本は尚更危険。よって基本、リプもリツもフォロー返しもしません。バーチャル・フレンドを作るつもりもありません。せめてブログやHP、プロフを読んでからにしてください。会いたいという誠意あるメールをくれた人には、実際に会っていいます。来年が覚醒と革命の年になりますように。

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★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。樹木の写真はこちらにたくさんあります。
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熊に見えたり猿に見えたり。愉快な冬芽の季節(妻女山里山通信)

2013-12-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
 冬芽(とうが・ふゆめ)は、落葉して彩りのない森で見つけられる数少ない冬の被写体ですが、夏芽(かが・なつめ)というのもあって、必ずしも新芽は冬のものだけではないのです。とは言え、冬芽や葉痕(葉が落ちた跡)が作る様々な表情は、なかなか味わいがあり、花もない冬の森の見どころ。また、肉眼ではやっと見えるくらいの蝶の卵が産みつけられているものも多く(ひとつ前の記事参照)、マクロ撮影をして帰って拡大してみて初めて気がつくこともあり、なかなか面白いものです。そんな冬芽の写真を集めてみました。主に妻女山山系のもので、ひとつ関東の山のもありますが、後は信州の旧埴科郡内の山で撮影したものです。

 最初は、妻女山山系に普通に見られるガマズミ(莢蒾)。初夏に白い小花を咲かせ、秋に赤い実をつけます。実は食用になり、いい果実酒ができるのですが、鳥や昆虫達には不評のようで、冬になっても残っています。おそらく酸味が強いのが原因かと思うのですが。ほとんどの場合、動物は酸味や苦みは、毒と判断しますから。
 ゴマキ(胡麻木)は、その名の通り、枝に胡麻の様な香りがあります。初夏に淡黄色の密集した小花をつけ、秋には沢山の小さな赤い実をつけます。 コブシ(辛夷)の写真は、以前に東京都と神奈川県の境にある小仏城山で撮影したものですが、信州の低山でも普通に見られます。暖かそうなやや緑褐色がかった銀白色の綿毛が暖かそうです。リンクのコブシの写真は、仲間と4月下旬に生坂村の京ヶ倉に登った時に撮影したものです。青空に白い花が浮かぶ様は、清楚で華やか。近くでは冠着山(姨捨山)のコブシが有名です。

 両手を広げた熊のぬいぐるみの様な冬芽のマルバアオダモ(丸葉青だも)は、初夏に咲く真っ白な花が里山に映えます。オニグルミ(鬼胡桃)は、猿のようなひょうきんな冬芽が有名です。枝先のあちこちに、色々な表情をした猿がいて見飽きません。オニグルミの実は固く割るのが大変ですが、シナノグルミなどの栽培種のクルミより味が濃く、美味です。レンゲツツジ(蓮華躑躅)は、6月の信州の山を彩る花で、有名な高原の群生地がいくつもありますが、低山でも見られます。有毒なので、動物は食べません。

 リョウブ(令法)は、妻女山にはほとんど見られませんが、標高1000mを超す鏡台山に行くと、尾根筋にほぼリョウブだけの灌木林があります。若芽はリョウブ飯といって食用になりますが、食べられるというだけで美味しいものではありません。シナノガキ(信濃柿)は、豆柿ともいい、直径2センチぐらいの小さな実をつけます。渋柿ですが、冬に樹上で干し柿になったものは渋みが抜けて非常に甘く美味しくなります。これが和菓子の原点ともいわれています。甘い実は、冬の鳥やタヌキなどの重要な食料になります。また、青い実は柿渋の原料になります。私も大きなペットボトル一本分を作りました。タラノキは、ご存知山菜のタラの芽になります。

 樹皮の模様がマクワウリに似ているウリハダカエデ(瓜膚楓)と(黄色い卵が産みつけられています)、樹皮の模様がウリに似ているウリカエデ(瓜楓)。ザイフリボク(采振木)は、別名を、シデザクラ(四手桜)といい、秋に小さなブルーベリーの様な実をつけます。

 他に冬の森で目立つ冬芽といえば、やはり大きなものでしょう。粘性の強い樹脂で覆われた赤いトチノキ(栃ノ木)の冬芽や、大きなホオノキ(朴ノ木)の冬芽が代表的なものです。冬芽は栄養がたっぷりなので、猿やニホンカモシカや野うさぎなどの重要な食料になります。
 善光寺平では、14日から15日にかけて、この冬最初の積雪がありました。積雪は3センチ程度だったので、昼にはみな溶けました。道路には雪が全くなかったので、愛車のビアンキで妻女山まで登りました。写真の様に、西山方面はまだ雪雲の中。もちろん長野市北部も。

 最後は、斎場山(旧妻女山)513mの雪景色。積雪量がわずかなので、まだ白銀の世界ではありません。太陽に黒点が生まれないということで、寒冷化が始まったようです。既にNASAやJAXSAは、そう発表しています。ちょうど戦国時代が寒冷期でした。そのため飢饉が頻発し、食料を奪うための戦も多かったのです。寒冷化は、世界的な不作と飢饉を招くため、実は温暖化より遥かに厄介です。

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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も

★妻女山(斎場山)のパノラマ写真は、「信州の低山1」のページ下部にたくさんあります。
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松枯れ病の原因は、本当にマツノマダラカミキリのセンチュウだけなのか!?(妻女山里山通信)

2013-12-14 | アウトドア・ネイチャーフォト
 我が家の山に、長野森林組合の人が三人来て、枯れ始めた赤松を伐採し、農薬を散布してビニールで覆ってくれました。前回やったものは、二、三十年前で、既にビニールも破れ赤松もかなり朽ちています。父によると前回は外国人労働者を使ったらしく、山中にプラスチックの農薬容器が捨てられ、飲食した空き缶やゴミがそのまま捨てられていました。今回出会った三人は、プロフェッショナルという感じで、20本ほどの赤松を伐採し、玉切りし、農薬(紙パック)を散布してビニールで覆って周りを土で留めるという重労働をいとも簡単にやりこなしていました。ただ、完全に立ち枯れた赤松は伐採しなかったようです。やって欲しかったんですけども。伐採に支障が出る木も同時に伐採されていました。山桜やコナラなどです。赤松の枝もそのままなので、これはこの冬の山仕事になりました。結構大変です。

 しかし、ここ数年しょっちゅうこの山に整備や撮影で通っていて、非常に疑問に思っていたことがあるのです。一般的に松枯れ病の原因は、マツノマダラカミキリの持ってくるセンチュウによるものといわれているのですが、そもそもこの山でマツノマダラカミキリを見たことがないのです。発生する6-7月は、ちょうどオオムラサキが羽化する時期なので、私はしょっちゅう山に入るのですが。見られるのは、ミヤマカミキリキマダラカミキリキボシカミキリ、そして稀にルリボシカミキリぐらい。こんなに松枯れ病になるなら、あちこちにいてもいいようなものと赤松に張り付いて観察したこともあるのですが。発見できませんでした。
 今回の伐採と消毒に使われた農薬は、ヤシマNCS(松くい虫くん蒸駆除薬剤)で、特 徴は、人畜毒性が普通物で、魚毒性もA類に相当ということです。長野森林組合は、千曲市や坂城町もエリア内ですから、連携してこういう駆除を進めればいいのではないでしょうか。

 そんな時に、色々ネットで検索していたら、こんなサイトを見つけました。【木のお医者さん/松枯れの原因・対策】。マツノマダラカミキリも原因のひとつですが、それ以上に排気ガスが原因というのです。写真で分かる様に、松枯れ病は高速道路の排気ガスが直接かかる斜面で大発生しています。この高速道路は、一日の通行量が35000台。高速の手前には、一日10000台以上が通る国道もあります。合わせて45000台以上が毎日通過するのです。いくら排気ガスがきれいになったからといって、これではたまりません。確かに松枯れ病は、高速が開通してから酷くなりました。落葉松の立ち枯れも増えました、杉は比較的大丈夫なようです。ヤマザクラや栗もやられています。『松野まだら』の生涯~マツノマダラカミキリの一生~には、北面より南面の方が酷いと書いてあるのですが、この山の反対側の南面には、ほとんど見られないのです。最初の写真の一番右のカットが尾根の長坂峠ですが、北西の斜面よりずっと被害は少ないのです。こちら側には国道も高速もありません。なにか変ですね。マツノマダラカミキリだけに原因を押し付ける恣意的なものを感じます。その上に、ミツバチ、ハナバチ、ハナアブを全滅に追いやる神経毒のネオニコチノイド系農薬の空中散布。放射能同様、因果関係も説明不可の見えない恐怖。背後には、ベトナムの毒ガス兵器、枯れ葉剤を開発し、戦後それを除草剤ラ ウンドアップとして売る極悪多国籍企業モ ンサントや住 友化学などの巨大利権企業。無知な大衆は、何も知らずに利用され病気になり死んで行くばかりなのでしょうか。神経毒の農薬は、グリホサート系もそうですが、100円ショップにまで売られている異常な有り様です。欧州では製造や販売が既に禁止されている国もあります。

 冬の山には、真っ赤な実があちこちに見られます。あちこちに見られるというのは、鳥も虫も食べないということなのですが、ヒヨドリジョウゴの様に猛毒のものもあるので、うかつに口にしないことです。ガマズミやコバノガマズミは、食べられます。高酸化作用があり、果実酒にしても美味しいのですが、なぜか鳥や虫達には不評のようです。強い酸味が嫌われるのでしょうか。森の珊瑚の様なクマノミズキは、信濃柿と並んで、冬の森の生物の大事な食料です。

 冬枯れの森は、全てが枯れてしまうわけではなく、ヤブソテツ、リョウメンシダ、ミツバアケビなどのように青々としたものも多くあるのです。以前ニホンカモシカが冬はなにを食べているのだろうと、追跡したことがあるのですが、上の三つは全て食べていました。他には枯れ葉さえ食べています。ニホンカモシカの場合は、パンダの様に食物を限定せず、色々なものを少しずつ食べる習性を身につけたことで、氷河期から生き抜いて来たのだろうと思います。他には杉や檜の幼木の柔らかい葉を食べますが、杉と檜があった場合は、檜の方を食べるのを確認しています。私はニホンカモシカではありませんが、個人的に檜の方が栄養があって美味しいだろうなと思っています。

 例年より落葉松の落葉が遅い信州ですが、なんと葉がまだ青々したツリバナを見つけました。初めて見ました。ツリバナの赤い実も鳥や虫達はあまり好まないようです。戦国時代の川中島合戦で上杉謙信が七棟の陣城を築いたと伝わる陣場平に行くと、冬枯れのミズヒキが逆光に光っていました。まもなく雪に埋まるでしょう。と書いたのですが、後日よく見ると実が四裂しているので、マユミでした。ツリバナは五裂です。皮もピンクではなく赤。妻女山では、ツリバナはもう少し標高の高い尾根筋に、マユミは北面の斜面に見られます。

 寒波の襲来で、善光寺平は北部と西部の山々が白くなりました。長野盆地のことを地元では善光寺平と言います。川中島というのは、千曲川と犀川に挟まれた地域のことです。同じ長野盆地でも千曲川と犀川を境に天候が異なることがよくあります。この写真でも、虫倉山は白く、手前の茶臼山も北面は白くなっていますが、撮影地の妻女山は全く積雪がありません。それぐらい違います。信州に出かける時には、怪しいツイッターにアップされた写真より、長野国道事務所千曲川河川事務所のライブカメラで確認することです。チェーン規制などは、ドラぷらで。積雪があると、アニマル・トラッキングの季節が始まります。

ミツバチの激減と、人間の脳発達の阻害の原因物質(農薬)が関連?

ネオニコ系農薬:欧米は規制の方向 日本は使用を推奨 :有機農業ニュースクリップ

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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』77年の3月、羽田空港からロンドンへ、空中分解しそうなアエロフロートで飛んだ。村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。
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妻女山里山デザインプロジェクトの作業は、椎茸栽培のクヌギとコナラの伐採(妻女山里山通信)

2013-12-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今年最後の妻女山里山デザインプロジェクトの作業は、椎茸栽培のクヌギとコナラの伐採でした。作業は、いつもプロジェクトに協力してくれた先日急逝したKさんの隣の山林。持ち主のお婆さんに伐採の許可を得ての作業です。まず伐採する木を選別。地衣類や苔がついていない奇麗なものを選びます。特にゴムタケが生えた形跡のあるものは避けます。椎茸栽培の難敵ですから。

 樹高20m以上あるクヌギを選びました。まず受け口を作って慎重に切り進めます。その後、反対側からチェーンソーを入れて行き、ある程度の所で止め、くさびを入れました。倒れないのでくさびを抜いて、切り口を確認して2センチほど切ったところで、クヌギがゆっくりと倒れ始めました。倒す方向も予定通り。さらにクヌギを一本と、コナラを一本切りました。伐採されたクヌギやコナラは、これで死んでしまう訳ではありません。来春には蘖(ひこばえ)が出ます。ひこばえとは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことです。クヌギやコナラは旺盛に株立ちするので、何度も何度も伐採されたものは、「山親父」といって面妖な人の顔に見える姿になるものもあります。適度に伐採し、かく乱してやらないと里山は活性化しないのです。
 伐採作業中に、偶然Kさんの息子さんがやって来ました。お父さんのこと、今後のこと、我々の活動内容などを話し、連絡先を交換して、いずれ偲ぶ会を開きたい旨を伝えました。

 今年は落葉が遅く、ニワトコ(接骨木)の葉が、まだこんなに青々としています。蝶の研究家のTさんが伐採したクヌギの冬芽に産みつけられた蝶の卵を探しています。そして、非常に驚愕し憤慨していました。異常に少ないのです。この春に彼が放蝶した数百頭のウラゴマダラシジミも、その後全滅した様です。いつもならその時期に大量に発生するゼフィルスが、ほとんど見られないのです。屋代の一重山も全滅状態だと言っていました。彼も、間違いなく千曲市による松枯れ病の空中散布が原因だろうと指摘しています。坂城町も空中散布をしているので、葛尾城跡の山林の蝶が壊滅状態だと言っていました。農薬を有機リン系から、ミツバチの大量死を招いた神経毒のネオニコチノイド系に変えたことが原因と思われるのです。EUは、ネオニコチノイド系農薬のうち 3 種の殺虫剤の暫定使用禁止措置の実施を決定しました。日本の基準は、その規制される前のヨーロッパの、なんと500倍という緩さ。いずれ人的被害も必ず出るでしょう。

 やっと見つけた蝶の卵。本来なら何百と見つかっていいものです。空中散布をしていない長野市の西山では、相当量が確認できたと言っていました。

 最後に、Kさんが亡くなる数日前に強風で倒れて、彼が処理し始めた落葉松の倒木を片付けることにしました。古墳の上に倒れていたので、このままでは古墳が傷む可能性があるからです。作業は、30分ぐらいで終了。ちょうど11時を回った頃なので、山を下りて昼餉にすることしにました。息子さんは、ログハウスを使ってもらっていいですよと言ってくださったのですが、それは偲ぶ会まで封印ということに。

 今回のメインは、ブイヤベースでしたが、どうも事前の打ち合わせが甘かったようで、材料がバッティングしてしまいました。まあ、それでもフランス産のフュメ・ド・ポアソン(魚スープ)を使い、私が作ったサフランを入れて、そこそこの味に仕上がりました。そして、Kさんが持って来たチーズ・フォンデュに、日本海産の焼いたタラを浸して食べたり、前回のパエリアでも好評だったエビとイカのピルピル。さらに私が持って来た鴨のパストラミも好評でした。今回は、ガスコンロではなく、K氏が持って来た、移動可能な薪ストーブと私が持って行った七輪が威力を発揮しました。他にも、バゲットにチーズや焼いたハムを乗せて食べたりと、小春日和の穏やかな昼餉がゆるゆると続いたのでした。海外へしばしば出張するTさんが、じゃあ今度パリでなにか美味しい材料を探してこようというので、みな楽しみにしています。今回、常連のフランス人のTさんとその彼女は都合により不参加でしたが、女性も大歓迎です。但し、トイレがないので、山の中でやる勇気があることが条件の場合も。今回は妻女山の駐車場だったので、トイレはあります。まあ、山ガールなら慣れているでしょうけど。

 この時期気をつけなければいけないのが、枯れ葉が厚く積もった林道の走行。枯れ葉は、乾いていても湿っていても、非常に滑りやすく、スタッドレスも効きません。走行には十分注意が必要です。写真の茶色い枯れ葉は、ヤマコウバシ。緑色は、ヤマガシュウです。

 風が出て来たので早めにお開きにしました。麓では、長芋の収穫が最盛期。霜が降りた後の長芋は、糖度が増して美味です。長芋は膵臓がんの予防や、インフルエンザの予防にも効果があるそうです。とろろだけでなく、お好み焼きや薩摩揚げ、海老しんじょに入れたり、中華炒めにも合います。長芋を使ったレシピは、「MORI MORI RECIPE 男の料理」をご覧ください。この冬は、まだ積雪がない妻女山ですが、この風景が白銀に染まるのもまもなくでしょう。

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★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
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