モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」

2013-08-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
 妻女山への行き方です。長期休暇になると、当ブログや妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」へ検索で訪れる方が急増します。そこで、主な検索キーワードに従って、妻女山(旧赤坂山)と斎場山(旧妻女山)、ならびに上杉謙信が陣城を建てたと伝わる陣場平への行き方を説明します。写真と地図を照合してご覧ください。
『甲陽軍鑑』にある川中島合戦の「西條山(さいじょうざん)」とは、「斎場山(さいじょうざん)」のことです。妻女山(さいじょざん)は、江戸時代に松代藩により命名された俗名です。それも本来は斎場山のことを指したのですが、昭和47年の地形図改定の時に、国土地理院が誤って下の赤坂山を妻女山と表記してしまい、それが定着してしまいました。国土地理院のこういう間違いは全国に多々あり、しかもほとんど修正されません。
 妻女山を斎場山ともいうと書いてあるサイトがありますが間違い。斎場山が妻女山と改名され、尚かつ名称が誤って赤坂山に移ったのです。ですから戦国時代の「さいじょうざん」とは「斎場山」のことなのです。決して現在の展望台のある妻女山のことではありません。ほとんどの歴史家や小説家は、この事実を知らずに考証したり本を書いています。つまり、全てデタラメになってしまうのです。
 訪れたほとんどの方が、現在の妻女山展望台で、ここが謙信本陣か。低いな狭いな嘘だなと言って帰ってしまいます(笑)。ぜひ、本当の妻女山(斎場山)や陣場平まで足を運んでください。トレッキング・インストラクターとして生態系や歴史の講演もしていますので、請われれば参上つかまつります。啄木鳥戦法の検証はこちらをご高覧ください。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。(妻女山里山通信)リンク集です。これを読めば、地名の変遷やマスコミや行政がどう地名を扱ってきたかが見えてきます。

・松代の長野IC、屋代の更埴ICいずれからも国道403号線に入り、赤坂橋西の妻女山入り口から高速をくぐって妻女山へ舗装路を登ります。大型車不可。
・妻女山入り口を入り、高速をくぐって右折するとすぐに「上杉謙信槍尻ノ泉」。冬期はこのカーブが凍結するのでトンネル手前に駐車。徒歩で。毎冬JAFの世話になる車両あり。
・妻女山入り口から距離600mを登ると、展望台と松代招魂社のある妻女山(411m)。トイレもあります。戦国時代は赤坂山と呼ばれたところです。さらに50m程進むと、十数台止められる駐車場があります。斎場山や陣場平へは、この駐車場の奥から右の林道を登ります。

・斎場山(旧妻女山)と陣場平(謙信陣城跡)への行き方。駐車場の奥から右の林道へ入ります。2WD不可。雨後、冬期は通行不可。6つ目のカーブまですれ違いほぼ不可。近年、大雨で深い溝ができています。
・分岐の長坂峠までは、6つのカーブがあります。駐車場から長坂峠までの距離は約700m。徒歩で10~20分。

・カーブ間の距離は短く、6つめのカーブの後は尾根に沿って250mほどゆるく登ると長坂峠(東風越)。

・長坂峠から斎場山への行き方。峠を右へ。一端下って急坂を登るとすぐに右手に山頂が見えます。落葉期は長坂峠からすぐ目の前に見えます。
・右の標識のすぐ上が斎場山山頂(512.8m)。山頂は円墳で、斎場山古墳。頂上標識の五量眼塚古墳は誤った俗名です。上杉謙信が第四次川中島合戦の際に本陣としたと伝わる場所です。地元では、下の411mを妻女山(老人は今も赤坂山と言います)、512.8mを本当の妻女山と古くから呼んでいました。里俗伝では、この上で謙信は、楯を敷き周囲に陣幕を張り床几を置き、謡に興じ、自ら鼓を打ったといわれています。妻女山は江戸時代につけられた俗名で、本名は斎場山です。

・長坂峠から陣場平への行き方。峠を左へ林道を250m程歩きます。
・右カーブの手前で左に踏み後があるので、そこを距離にして50mほど登ると開けます。国土地理院の菱形基線測点が見えたら、そこが陣場平。中央の立ち枯れの木に「陣場平」と書いてあります。妻女山駐車場から陣場平までは、約1kmです。
・陣場平は、夏期は薮になりますが、落葉期には下の写真の様な広大な平地が見られます。『甲陽軍鑑』の編者といわれる小幡景憲彩色『河中島合戰圖』(狩野文庫)では、この陣場平と思われる位置に、七棟の陣小屋が描かれています。また、菱形基線測点があるため、地理マニアも訪れます。

・妻女山、斎場山、陣場平の地図(上が北)。数字の1~6は、写真のカーブの番号です。

地図は、国土地理院の長野 信濃松代を部分使用。長野電鉄は廃線。サイクリング道路に生まれ変わる予定。自転車で山城や古墳巡りができるようになります。
・陣場平への小径を行かず林道を登ると、天城山・堂平大塚古墳という大きな標識が立っています。右へ下ると大塚古墳ですが、ログハウスもあるKさんの私有地なのでひと声かけてください。不在の時はマナーを守って見学してください。標識を直進すると天城山登山口で、天城山を経由して鞍骨城跡や鏡台山まで行けます。鞍骨城跡までは標識が整備されています。歴史マニアに人気の鞍骨城跡は、特に晩秋と早春は熊鈴必須です。また本郭上は展望があまりよくありませんが、東へ20mほど行くと、一畳ほどの展望岩が二つ並んでいます。妻女山駐車場から鞍骨城跡までは、約3km。鏡台山までは、約8kmです。

・妻女山駐車場の林道入り口にある案内看板。熊鈴はあった方がいいです。秋は特にスズメバチに注意。黒い服は危険。運が悪ければ月の輪熊に、運が良ければニホンカモシカに出遭えます。いずれも私有地なので、マナーを守ってください。実は、この案内看板のある林道入口のロープを張った森はうちの山で、週末などは私がよく山仕事をしています。お気軽に声をかけてください。これまでも歴史マニアや歴女など大勢の方を斎場山や陣馬平へ案内しています。もちろん無料です。できますれば下記の本をお買い上げください(笑)。斎場山や陣馬平、鞍骨城跡への行き方の詳しい地図や歴史解説も載っています。『真田丸』関連の山もたくさん載っています。

・千曲川の岩野橋と赤坂橋の間の堤防上から撮影した妻女山-斎場山。陣場平は長坂峠の向こう側になります。

・赤坂橋寄りの堤防上から撮影した妻女山-斎場山。この位置からは、陣場平や清野氏の鞍骨城跡や天城城跡が見えます。鞍骨城跡は、尾根上に高さ約50mの古城がそびえる山城マニア必見の遺構です。

・松代城跡(海津城跡)から撮影した妻女山から天城山(てしろやま)経由で鞍骨城跡(くらぼねじょうせき)への尾根。登山道は、ほぼ尾根の稜線近くを通っています。鉄塔の手前に、駒止めと呼ばれる深い空堀があり、鉄塔の左に二つの空堀があります。妻女山駐車場から鞍骨城跡までは、約90~100分です。
 週末は妻女山や陣場平辺りで里山保全や撮影をしていることもあります。左の写真が私です。出会ったらお気軽に声をかけてください。登り口の登山ノートにもお気軽に書き込んでください。拙書のパンフレットも遠慮なくお持ち帰りください。

この妻女山や鞍骨山も掲載の拙書『信州の里山トレッキング東北信編』川辺書林が好評発売中。平安堂やAmazonで。カラー668枚の写真とコース地図。レアなバリエーション・コースも。

妻女山登山口の上杉謙信槍尻ノ泉から妻女山(さいじょざん)経由で斎場山(さいじょうざん)に立ち寄り、陣場平、堂平大塚古墳、天城山(てしろやま)から清野氏の鞍骨城跡へ。帰路は象山へ下った花めぐりのトレッキングルポです。
仲間の歌うフォークソングがBGMです。




★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も

★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。

 秋の茶臼山トレッキングで、インストラクターをする予定ですが、絵図など使ってミニ講演をする予定です。講演や原稿依頼などご希望がありましたらご連絡ください。(追記:2014年に信州山の達人のひとりに選ばれました。長野県シニア大学で、スライドを使った里山講座も好評でした。自治体や企業、クラブの講演もしています。)

★追記
『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)では、妻女山から斎場山や陣場平、鞍骨城跡への行き方を写真と地図(下記)で詳しく説明しています。長野県内の平安堂書店さんや蔦屋書店さんでお求め頂けます。東京は銀座の長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO しあわせ信州シェアスペース」でも。最近は、首都圏から信州の里山に登りに来る人も増えています。こちらのAmazonのページからも買えます。他の通販サイトでも。しかし、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいと思っています。

 表紙カバーは、青木村の子檀嶺岳(こまゆみだけ)です。ルビがないととても読めない山名ですが、その由来や歴史についても本文では詳しく書いています。単なる山登りのガイドではなく、生態系や歴史、里人のその山に対する想いなどについても記しています。それを抜きにしては里山の魅力は半減します。豊富な写真と合わせて、観ても読んでも面白い本になっていると思います。最近増えている山ガールや女性のハイカーにも楽しんでもらえるように、可愛いイラストを入れたり、美しい山野草の花のマクロ写真もたくさん入れました。もちろん、ベテランの藪山好き男性にもきっと満足していただける変態コースも入れてあります(笑)。体力のある方には、23キロというロングコースもあります。
 扉は、千曲市倉科の三滝の最上部にある三の滝。真夏でも水温が10度と低く、爽風が吹き、気持ちのいい谷です。ここから三滝沢を詰めて、鏡台山まで約2時間半。標識も整備された登山道があります。冬は、条件が揃えば美しい氷爆が見られます。

 目次のパノラマ写真は、長野市南部の妻女山展望台からのもの。本文中には、特殊な技法で写真を6~10枚つないだパノラマ写真が、何枚も掲載してあります。目次に掲載された山は、38座。山名索引には78座載っています。コースは74と豊富です。ファミリーを含めた超初心者向けのコースから、一般向け、経験者向け、あるいはバリエーションルートが好きな藪山好き向け、体力の要るロングコースと、バリエーションも豊富です。
 各山の紹介は、まず歴史から始まり、自然の生態系へ。コースの紹介でも、歴史や生態系などにも触れています。ハイカーだけでなく、歴史好き、山野草好き、昆虫好き、サイクリストやトレランの人たちにも役に立つ本だと思います。また、山へは登れないけれども山が好きな人、山に登れない日などに読んでいただけると幸いです。

 地図は、国土地理院の承認を得て私が描き起こしました。コースは縮尺の関係上、必ずしも厳密ではありませんが、必要以上に情報を入れ過ぎると、重要なポイントを見落とす恐れがあるので、できるだけシンプルにを心がけました。よって、所要時間は基本的には、登りのみを記しています。また、車で行かれる人が多いので、駐車スペースを必ず記しています。山名については、自然地名は貴重な文化財産との考えから、できるだけ記するようにしました。山名というのは、必ずしもひとつではないので、可能な限りそれらも本文中に記しました。
 本文中には、私が撮影した様々な写真が豊富です(なんと668点)。パノラマ写真だけでなく、花(145点)や蝶などの昆虫、野生動物や地衣類、菌類から粘菌まで。コースの重要なポイントの写真を載せているのも特徴です。コース写真などは、本文と記号でリンクしているので、照らしあわせて読んで頂くと状況が分かりやすいと思います。もちろん季節によって変わりますが。
 この猛暑に信州といえども里山はさすがにきついですね。でも人気の蓼科山、黒斑山、水ノ塔山、東篭ノ登山、四阿山、根子岳などの亜高山も掲載しています。登らなくても高山植物や蝶などの写真も豊富なので、高原散策にも役に立つと思います。山名の由来や歴史なども記しているので、歴史マニアの方にもお勧めです。

 コラムは、10本入れていますが、実はこれが結構肝なんです。いずれもこのブログで非常にアクセスの多いものを再構成してリライトしたものです。意外な驚きや発見があると思います。
「怪しくも美しい粘菌も宇宙船地球号の乗組員(上の写真)」「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」「イカリモンガってなにもんだ」「猫にマタタビ、熊に石油」「「森の哲人」ニホンカモシカの好奇心」「オオムラサキの悲劇」などなど。長野県シニア大学の講座でも反応や評判がよかった話です。ホームページでは、ホール・マウンテン・カタログと記していますが、隅から隅まで里山の魅力が、ぎっしりと詰まった本に仕上がったと思っています。
 長野でのシニア大学の講座も大好評でした。来週の月曜日と金曜日には、松本のシニア大学で2時間の講座をしますが、そこでも里山の素晴らしさと共に危機を、そしてこの本の紹介もさせていただきます。里山ブームですが、里山を総体的に記したビジュアル豊富な本というのは、ありませんでした。そう言う意味でも多くの人達にお読みいただきたいと思っています。

◉里山の歴史や自然に関するフォトエッセイやルポ、講演などを承ります。お問い合せは、左上のメッセージを送るから直接メールを送って下さい。

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真夏の信州は激混み観光地を避けて超地味な史跡巡り(妻女山里山通信)

2013-08-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州は、車をちょっと走らせればすぐに観光地や高原です。観光地に住んでますという人も少なくはないのです。都会の人にすれば羨ましい環境かもしれませんが、観光シーズンはどこも満員。というわけで、シーズン中は誰も行かない様なマイナーな史跡巡りをするのです。ということで、今回行き当たりばったりで辿り着いたのが、上水内郡小川村の山の中にある戦国時代の「戸隠神社信仰遺跡」。非常にマイナーです。相当の歴史マニアでないと行かないでしょう。
「上杉謙信・武田信玄の川中島合戦の際に、戸隠三院の人々は武田方に味方して上杉謙信に追われ、かつて神社の荘園であった小川村の筏ヶ峰(いかだがみね)に移り、ここに宝光院、中院奥院を建て法灯を守りつつ故郷へ戻れる日を待ちました。しかしながら頼みの武田家は滅亡してしまい、関ヶ原合戦の敗北で上杉景勝が米沢へ移されるまで、30年もこの地で過ごしたのでした。現在、三院跡にはひっそりと小社が祀られています。」(小川村サイトより引用)

 写真は、今回訪れた奥の院から見た戸隠連峰。遠くに見える戸隠を毎日拝みながら、戦乱の世が去る事を祈ったのでしょう。しかし、戻るのに30年を要しました。今聞こえるのは蝉の声のみ。福島の避難者を思いました。30年で帰れるでしょうか。無理でしょう。プルトニウムは半減期ですら24000年ですから。アーニー・ガンダーセンは、福島の放射能汚染水が太平洋に流出するのを止める方法はないと言っています。美しい信州の山並みですが、あの戸隠連峰をオスプレイが飛ぶ予定なんです。

 この「戸隠神社信仰遺跡」へは、国道19号線の小川神社向かいの道から標識に沿って登って行きます。小さな集落を抜けてつづら折りに山を登り、本当にこの道でいいのかなと不安になりつつ、林道を4キロほど詰めると「戸隠神社信仰遺跡」の看板のある場所に着きます。道の脇に一台ほど駐車できるスペースがあります。そこから200mほど参道を登ると小さな祠のある奥の院に着きます。熊鈴があった方がいいでしょう。そんな所です。奥の院は戸隠方面が伐採されていて展望があります。戦乱の世が終わる事を毎日祈念し続けた人々の想いが偲ばれます。帰りは、この場所ではUターンできませんが、100mほど進むと旋回できる場所があります。

 行き当たりばったりの旅は、そのまま西進して白馬へ。白馬三山(白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)の雄姿が見えました。猛暑で今年は残雪の量が少ないのではないでしょうか。この直後沢山のパラグラーダーが蒼天の大空を舞い始めました。安曇野は自然放射線量が元々高い地域ですが、この夏糸魚川からプルームが遡って更に上がった日がありました。この美しい田園風景を見ていると、とてもそんなことは想像できません。そこが放射能の最も恐ろしいところなのです。さて、どこへ行こう。

 仁科三湖の最北に位置する標高832mの高原にある青木湖へ。子供達がカヌーをしていました。この後、手前の黄色いゴムボートから子供達が、ライフジャケットをつけて次々と湖に飛び込んだのですが、結構高さがあり、一番小さい子は身長より高くなるほど。でも思い切って飛び込んでいましたよ。年上の子は前方宙返りや後方宙返りで飛び込んでいました。高原の湖なんですが、水温は以外と温いんです。川中島には、青木姓を名乗る人々が沢山いますが、仁科氏の一派が川中島合戦後に住み着いて、故郷の青木湖を偲んで青木と名乗ったといわれています。

 湖の対岸からは、湖岸に下りられる場所がいくつもあります。道路脇に駐車してカヌーを漕ぎだす人達がたくさんいました。カヌーはやりたいですね。水面から見る風景は、全く違う世界ですから。昔、ディンギー(ヨットの小さいやつ)をやっていたことがあるのですが、あの水面を疾走する爽快感は忘れる事ができません。

 お腹がすいたので、急遽信州新町へ戻ります。信州新町道の駅へ。ここは地元でも知る人ぞ知る安くて美味しい蕎麦のメッカです。ところが、ローカルテレビで紹介されてしまったのです。案の定かなり混んでいましたが、回転も速いので大丈夫でした。天ぷらは家で食べているし、名物おしぼり蕎麦は冬が旬なので大ザルを注文。つゆは甘くなくすっきり、蕎麦は腰もあって安定の旨さでした。売店の手作りコンニャクや蜂蜜もおすすめです。信州新町はジンギスカンも有名ですが、これはしょっちゅう食べています。信州人のBBQには欠かせません。北海道と違うのは、野菜に乗せて蒸し焼きにするのではなく、信州リンゴのタレに漬けた肉を直接焼いて食べるということ。冷えたビールに合います。

 食欲が満たされた後は温泉でもと12号線を麻績村へ。ところが運転手とカーナビが優秀なものでどこをどう間違えたか脇道へ。すると上ノ平展望台の小さな看板を発見。即行ってみようとなりました。山道を登って行くと最後は軽トラがやっと通れる様な農道へ。ギリギリ3ナンバーも行けそうだと登ると、そこが展望台。しかし、佇まいがどこか変。どうも中島さんの私有地のようです。淡竹のタケノコ狩りは無料。孟宗竹は無料だけど要予約。水仙五千株、ジャーマンアイリス三千株。無料望遠鏡付き。駐車場四阿あり。北アルプスのパノラマ山座同定看板もありと至れり尽くせり。残念ながらこの日は北アルプスは霞んでいましたが、ここはおすすめです。

 更に展望台最上部へ登ると、反対側には北信五岳(妙高山、斑尾山、黒姫山 、戸隠山、飯縄山)が望めるのです。そして眼下には、日本の棚田百選の塩本の棚田が見えます。住人はほとんど老人ばかりで、若い人達は下に下りてしまっているのでしょうけど。下の国道を走っていたら決してお目にかかる事のない風景です。信州を走る時は、幹線道路から外れることです。但し、事前にネットで情報を充分に得る事が大事。舗装道路が突然山中で消えたり、舗装路でもとんでもない深山に連れて行かれたり、遭難しかねない事態も。それと、山道は夜間は走ってはいけません。魔界の世界に突入します。

 上ノ平展望台から、眼下に信州新町とろうかく(楼閣)湖。遠くに戸隠連峰。2011年の3月15日の夜には、この犀川沿いに放射性プルームが遡ったのです。知人の奥さんの実家が旧美麻村で、毎年キノコ狩りをしていたのですが、キノコから90ベクレル/kgの値が出て愕然としたそうです。この写真の風景も斑状に汚染されています。それが現実です。

 上ノ平展望台から西方を見たところ。くっきりと晴れていれば北アルプスの大パノラマが堪能できます。その手前は、大姥山やヒカゲツツジで有名になった京ヶ倉など、登って面白い山がたくさんある山域です。ヒカゲツツジは、ゴールデン・ウィーク頃が見頃です。1000m足らずの山ですが、急登や岩場が多く首都圏からも登山者が訪れる人気の楽しい山です。
ヒカゲツツジ咲く春の京ヶ倉スライドショー。友人のフォークソングがBGM。ヤマザクラが満開。
灼熱の夏の京ヶ倉スライドショー。ジャズ「Willow Weep For Me」がBGM。行程の様子がよく分かります。
 そして、この後はひと風呂浴びようと、北アルプスが一望できる麻績村の「シェーンガルテン麻績」へ。ホテルとレストランですが、日帰り入浴もできます。入浴後にテラスでビール。名古屋からのサイクリストに出逢いました。自転車談義の後で、放射能汚染の話へ。奥様がロシア人で、色々情報が入って来たとか。7月末からは度々福一からは閃光や放射能の高濃度の蒸気が噴出されるのが目撃されています。収縮どころかもう手の施し様がない事態に進んでいると海外の専門家は見ています。信州の高原の美しい風景を前にしてなんとも不似合いな話題でしたが、福一からは300キロも離れていない場所なのです。情報弱者でいたら、もしもの場合大量被曝する可能性があります。そんなことを話して、URLカードをお渡ししてKさんと別れ帰路につきました。

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34度! 猛暑の茶臼山で真夏のキノコ狩り(妻女山里山通信)

2013-08-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 確か梅雨明け前の長期予報では、北信越はやや冷涼な夏なんてことだったと思うのですが、連日34、35度という猛暑が続いています。さすがに夜は21度ぐらいまで下がるのですが、昼間は信州にしては湿度の高い毎日。用もあってなかなか山に行けない日々が続きましたが、先週末やっと最も暑い時間に行く事ができました。久しぶりに樹液バーを覗くと、オオムラサキを始めほとんどの昆虫が姿を消していました。例年より半月程早い光景です。そこで、妻女山から久しぶりに茶臼山へ脚を延ばしました。真夏のキノコ狩りが目的です。

 クラクラする様な暑さの中、笹薮を抜けてまず眼に飛び込んで来たのがアカヤマドリ。傘の直径が30センチ位になる真夏のキノコで、茶色の傘に白いひび割れができるのが特徴です。虫が入り易いキノコなので、本当は10センチ位の幼菌が欲しかったのですが、幸い写真のものは15センチぐらいでしたが虫がまだ入っていませんでした。迷わずゲット。傘の裏の菅孔の部分は取り除いて調理します。このキノコは、和風の調理が合いません。タマゴタケもそうですが、洋風の方が合うのです。おすすめは「アカヤマドリのプロヴァンス風オムレツ」。タマゴタケもそうなんですが、卵やバター、クリームとの相性がいいのです。「タマゴタケのクリームパスタ」。リゾットなどにも向いています。

 急登の草むらに見つけたのがシロオニタケ、毒キノコですが、形が可愛い、面白い。たぶん一度見たら忘れないでしょう。そして、灌木の下の薄暗い中に白く怪しく光っていたシロタマゴテングタケ。死の天使と呼ばれるドクツルタケ、タマゴテングタケと共に、三大猛毒キノコと呼ばれるものです。特に真夏の白いキノコは、食べない方が賢明です。キノコ屋の言葉に「どんなキノコも一度は食べられる」というのがありますが、もし猛毒キノコだったら、たぶん二度目はありません。これを7、8本採りました。これを汲取式トイレの便槽に入れておくとひと夏ハエが発生しないのです。防火用水なら蚊が発生しません(但し動物が飲み水として利用しないところ)。しかも、いずれは生分解して無害になる天然の除虫剤です。

 そんな猛毒キノコを食べる虫がいるのですから、自然界は不思議です。キノコを食べる虫は多くて、コウチュウ目に属するオオキノコムシ科・デオキノコムシ科・コキノコムシ科、ゴミムシダマシ科等。ハエ目にはキノコバエ科・チャボキノコバエ科・ツノキノコバエ科・ホソキノコバエ科・クロキノコバエ科等。ナメクジやカタツムリ・キセルガイもよくキノコについています。なにか解毒のシステムを持っているのでしょう。毒キノコではありませんが、月の輪熊もヒラタケ、オシロイタケなどは食べる様ですし、椎茸にニホンカモシカの食痕があるのを見た事もあります。次に見つけたのが、写真の緑色のキノコ。以前ここにはアイタケが出たので、そうかなと見るとつばがあります。違う。テングタケ科かベニタケ科のようですが、未同定です。なんでしょう。

 帰路に見つけたのがオニイグチモドキとアカジコウ。どちらも食菌ですが、オニイグチモドキはそれほど美味しくもないし、アカジコウは残念ながら虫が沢山入っていて傷んでいました。他に沢山出ていたのは、ニガイグチモドキとブドウニガイグチ。どちらもニガイグチと付く様に毒キノコではないのですが、強烈に苦くてとても食べられません。昔、不注意で一本ニガイグチがキノコ鍋に入ってしまったことがあり、全部捨てたそれこそ苦い経験があります。

 往路とは違う林道を歩いていると、特有の白粉臭い香りに包まれました。下を見るとクサギの白い花が満開でした。この花は、昔、祖母が使っていた様な白粉の香りがするのです。クサギの秋の青い果実は、羽根つきの羽根の様でこれも特徴的です。

 余りの暑さと湿気のためか昆虫達も少なめで、オオムラサキはメスを一頭見たのみでした。ツバメシジミが一頭。クサフジで吸蜜するハキリバチが一頭。腹部に黄色い花粉をたくさん付けています。バラの葉を丸く切る害虫とされますが、餌でなく巣のパーティションに使うという面白い生態を持っています。コナラにドロバチが?と思って撮影したのですが、帰って拡大してみると触覚が蜂ではない。見当をつけて調べてみると、ハチモドキハナアブでした。キノコももどきは多いけれど、昆虫類はもどきとつく擬態が本当に多い。進化というのは不思議なものです。

 茶臼山展望台から見た風景は、靄(もや)っていました。信州の夏といえばカラッと晴れて、暑くても湿度が低くて入道雲がニョキニョキが定番なのですが、この暑さと湿度には参りました。北アルプスどころか、そう遠くない虫倉山もほとんど見えません。ずっと虻とヤブ蚊が追い掛けて来るのにも参りました。タオルを二つに折って振り回しながら歩きましたが、たいしたことはしていないのに体力をかなり消耗しました。

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希少なチャイロスズメバチに邂逅。カブトムシとクワガタの蝸牛角上の争い(妻女山里山通信)

2013-08-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 戻り梅雨のような天気で、湿度100パーセント近くの曇り空の中を登ってくと何もしていないのに汗が吹き出します。こういう日は、蝶も翅が湿って重くなるためか活性が鈍くなります。下の方にある樹液バー(樹液酒場)には下りて来ずに、幹の高い所に留まって翅を広げて風に当てて乾かしているものもいました。そんな中をあるコナラに近づくと見慣れない客人がいます。頭と胸が赤茶色で、腹が黒い蜂。頭を削岩機の様に激しく振りながら吸汁していました。これは希少なチャイロスズメバチか!? 噂通りかなり攻撃的で、アオカナブンやオオムラサキを一切近づけません。来るとすぐに排除します。これはオオスズメバチより凄いなと思いながら撮影しましたが、とにかく動きが速くせわしないので、なかなかピントが合いません。厄介な被写体でした。
◉追記:チャイロスズメバチの写真は、2016年8月の記事にいくつも載っています。アーカイブスを御覧ください。

 このチャイロスズメバチは、社会寄生種といい、極めて珍しい生態を持っています。チャイロスズメバチは造巣能力を持たず、女王蜂は他のスズメバチより遅く活動を始め、キイロスズメバチやモンスズメバチの働き蜂が羽化直後に巣を乗っ取り、女王蜂を殺し相手の働き蜂に自分の生んだ卵の世話をさせるのです。チャイロスズメバチが羽化し始めると巣の中は、二種類の蜂が共存するわけですが、やがて全てチャイロスズメバチに入れ替わって行きます。他のスズメバチ類に比べて強靭な外骨格をもつため、大顎や毒針の攻撃に強く、オオスズメバチの攻撃を受けて逆に撃退する事もあるそうです。それでも、樹液バーでは、さすがにカブトムシやクワガタは排除できませんが。生息地や個体数も少ないので、貴重な出会いでした。一時的社会寄生をするものとしては、トゲアリ(背中の棘が凄い)がいます。これも妻女山山系では極普通に見られる昆虫です。

 同じ樹の左に回ると、そこではカブトムシのメスとノコギリクワガタのオスに挟まれて、オオムラサキのメスが樹液を吸っていました。グラマーなカブトムシのおばさんは、狭い隙間に体を斜め横にして差し込んで吸汁。ノコギリクワガタは角が邪魔なので閉じて吸汁。オオムラサキは長い口吻を活かして吸汁。三匹は争いもなく吸汁に集中していました。カブトムシの脚のひと振りはオオムラサキにとっては脅威で、時には口吻が切断されることもあります。今回は、そういうこともなく、長閑で平和な時間が流れて行きました。この後オオムラサキが飛び立つまでは・・・。

 オオムラサキのメスが飛び立った後にその事件は起きました。なにを思ったかカブトムシのおばさんがノコギリクワガタのイケメン男子にちょっかいを出したのです。体当たりでノコギリクワガタを排除しようとしました。しかし、クワガタに頭を挟まれ万事休す。と思いきやクワガタはカブトムシが重くて投げられない。するとカブトムシはクワガタの下に潜り込んで激しく左右に振りました。クワガタは上から押さえつけようと必死。やがてクワガタが角でグイグイ押してカブトムシを退散させましたが、クワガタが激戦の疲れからぐったりしている間に、カブトムシのおばさんはUターンしてきて何食わぬ顔で吸汁を始めました。やがてクワガタは、もうういいわという様な感じで木を下りて行きました。結果的には、カブトムシのおばさんの勝ちでした。タイトルに荘子の「蝸牛角上の争い」と書きましたが、彼らにとっては生存競争の大事な戦いなわけです。

 やがて陽が射して来ると、オオムラサキの吸汁も見られる様になりました。アオカナブンを真ん中に右にメスが一頭、左にオスが二頭。この時は、お腹がすいていたのでしょう。メスに求愛するオスはいませんでした。腹が減っては交尾もできないということでしょう。なにせ3時間から、長いのになると20時間も交尾しているというのですから。これは、大量の精子を細い管からメスの腹部にある交尾嚢に入れるのに時間がかかるからともいわれています。オスの腹部を見ると、それほど大量の精子が蓄えられているとも思えないので、作りながら入れているのではないでしょうか。メスは精子をかけて受精させながら産卵しますが、精子の粘性で卵を葉に接着します。交尾しなくても一定の時期が来ると産卵してしまいますが、当然無精卵なので孵化することはありません。『オオムラサキの一生(195秒)』

 オオスズメバチが吸汁している所を撮影していると、アオカナブンがやってきて少し離れて吸汁し始めました。撮影していると盛んに吸汁していたオオスズメバチがグイッと頭をもたげました。思わずドキッとしましたが、私を睨んだわけではなくアオカナブンに気がついたのです。この後すぐに強烈な頭突きをかませてアッと言う間にアオカナブンを地上に落としました。オオスズメバチの縦に並んだ勾玉(まがたま)型の眼は、どこを見ているのか分からないので恐怖です。たいてい飛び立つ前には前脚で顔を拭うので、その動作を始めたら飛び立つ方向を塞がない様にしないといけないのですが、稀に顔を拭かないでいきなり飛び立つものがいるのです。これは要注意。顔に激突して飛び去ったこともありますが、それは恐怖の瞬間でした。

 このオオムラサキのオスも、メスと求愛飛行をしていたのですが、なにが気に入らなかったのかお見合いを放り出して、葉の上に留まりました。羽化してかなり経つので翅もずいぶん傷んでいますが、この個体は奇麗な方です。オス同士の縄張り争いだけならこの程度でしょう。中には、翅が根元まで避けてしまったものや、地上でカナヘビにでも喰われたのか、両翅ともU字型に欠損したものもいます。それでもなんとか飛んで吸汁したり求愛したりしているのですから逞しいものです。しかし、コナラの根元にはオスの翅が落ちていました。昨年「今年初見のオオムラサキのメスは三途の川の畔にいた」で書きましたが、襲われて翅をほとんど失う様なこともあるのです。

 今年はゼフィルスの出現が激減しています。蝶の研究家のT氏は千曲市のネオニコチノイド系農薬の空中散布の影響を疑っています。彼が100頭ほど放蝶したウラゴマダラシジミは全く見られなかったそうです。私も一頭も確認していません。そんな中、長野市側の林道でやっと一頭のルリシジミ(瑠璃小灰蝶)を見つけました。翅の表は美しい瑠璃色ですが、留まると閉じるので、せわしなく舞っているときしか見られないのです。縞々の可愛い靴下をはいています。陣場平に出ると、葉の上にアゲハモドキ(擬鳳蝶蛾)というジャコウアゲハにそっくりな蛾がいました。昼間ですが、夜の蝶の雰囲気がある美しい蛾。思わず浮かんだのは、新宿のネオン街。赤く咲くのはケシの花~。藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」。なんとも里山に不似合いな曲ですが、田舎のおじさんはよくラジオで演歌を聴きながら農作業してますから、必ずしもミスマッチではないのかも。ちなみに私は娘の宇多田ヒカルの歌ばかり聴いていますが。さて、今週は暑くなりそうです。オオムラサキのオスは約3週間、メスは約4週間の命です。たくさん子孫を残してくれるといいのですが。

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