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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

原発がほとんど止まっているせいか。今年の信州は激寒。今朝も-8度。(信州・妻女山里山通信)

2013-02-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今年の信州は激寒です。晴れても、最高気温が0度とか1度とかでは融雪しません。寒いわけです。なにせ、54基もある原発のほとんどが停止しているわけですから、それまで海に放出されていた莫大な温水がなくなったわけです。影響がないわけありません。いったいどれくらいの温水が流れていたのだろうと呟いたら、ある方が計算してくれました。あくまでも概算ですが、気が遠くなるほどの温水が流れていたことが分かります。

ーーーー国内総発電出力、約10基はおシャカですけど50基稼働で5000万KWと概算、排熱はその出力の倍1億KW、1基あたり、70tの海水を7℃上昇、50基、毎秒3500t海水を7℃上昇させる。原油1万トン積みのタンカーならば、3秒で満タン。0度の海水を1万トン分いい湯加減?にするならば、18秒で1万トン分の海水が42℃の適温に!でも、「原子炉冷却水温泉」入りたくない。ーーーー

 原油1万トン積みのタンカーならば、3秒で満タン。それがずっと流れ出ているわけですから、環境への影響は計り知れないものがあります。原発は、発電する量の二倍のエネルギーを温水として放出しているわけです。原発の周りに熱帯魚が棲めるわけです。温暖化の原因は、原発です。ウランを掘り出して加工するのにも、運送するのにも大量のCO2を出します。その上、事故が無くても放射性物質を垂れ流しているのです。なにより、放射性廃棄物の最終処分方法が、ないという状況。たかが、お湯を沸かすために、今後何十万年も溜まり続ける放射性廃棄物を管理しなければならないなど、狂気の沙汰です。

 しかも、ほとんど全ての原発が停止しているにもかかわらず、日本中どこでも大停電の話は出ません。電力は足りているのです。石油の埋蔵量は、いつまでたってもあと40年。それはそうです。調査するたびに油脈が発見されるんですから。ず~っと40年です。地熱発電は、有望です。ただ、メガ発電から個別発電に変換が必要。メガ発電は利権の温床になります。小規模発電で買い取り制にすればいいのです。リスクも少ない。

 原発をつくるごとに交付金が出てくる仕組み、電源三法は、1974年に『日本列島改造論』の田中角栄が作りました。札ビラで過疎地の人々の顔をひっぱたく作戦は、この時以来続くわけです。70年代の二度のオイルショックを経て、日本は原発一辺倒の道を突き進む事になりました。リスク分散を考えれば、地熱発電など自然エネルギーや他の方法も進める余地はあったのですが、欲に目がくらんだ政府、官僚、財界は巨大利権を生む方法をとりました。それは悪魔の選択だったのです。心をなくした豊かさと引き換えに、私たちはかけがえのない自然や積み重ねて来た歴史を失ってしまったのです。

 昨年予測した様に、芸能人が「炭坑のカナリア」になっている状況。相変わらずのグルメ番組。汚染地へのロケも多い。これでは次々と犠牲者が出るでしょう。実際、有名人の体調不良や病気、怪我が増えています。実は、政治家や高級官僚、財界人の家族の多くは、すでに避難しています。知らぬは庶民ばかり。芸能人も「炭坑のカナリア」ばかりではありません。マスコミ業界なので情報は入るはずです。危機意識の高い人、逃げられる人は逃げています。こちらと、こちら。結局ローマ帝国も、政治家と官僚の腐敗で滅びています。古代中国も、清王朝もそうでした。今の日本も全く同じです。日本には、孫崎 享さんの『戦後史の正体』にあるように、長期的な展望も戦略もなく、場当たり的に己の利害に邁進する官僚と政治家がいるだけなのです。

 見えない放射能に対して、危機感を持つというのは、相当に難しいことです。尚かつ、水と安全はただで育った一般の日本人に、生命に対する危機感を持たせるというのは、実はかなり難しいことです。ほとんどの人は、自分を客観的なステージに置く訓練ができていません。これには本能を鍛える訓練が必要で、知性だけでは対処できない問題です。知識+応用力+想像力+創造力が試される極限の世界。それを必要としているのが今の日本だと思います。答えのある問題しかやらないから想像力と創造力がつかないんです。サバイバルもやらないから、本能的な危機感が育たない。これは支配者に従順な羊を育てる教育の賜物です。このことに気づいて、自分で調べ考え行動しないと生き延びれません。

 とはいっても、厳しい事実とは向かい合わないといけないけれど。絶対にダチョウ症候群に陥ってはいけないけれど、気分転換を持つ事は絶対に必要。山登り、カラオケ、サイクリング、釣り、なんでもいいのです。できれば野生の勘を取り戻せるような、自然の中で体を動かすものがいい。ストレスを溜めない様にしましょう。

 写真は、2月17日(日)に、妻女山展望台か撮影した大パノラマ。山座同定を入れてみました。一番右奥の高い山に名前を入れ忘れましたが、斑尾山です。哀しい事に、この長野市北部の高原や山岳地帯は、汚染されています。

明日、『国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティックを更新します。

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■原発・放射能情報
健康を守るためのデータをどこで知るか? - とある原発の溶融貫通(メルトスルー)
URLクリックで飛べるリンクつき。信頼できる良質なサイトばかり

まるでサイコ映画~患者にだまって放射能の人体実験をしてきた科学者たち
  「プルトニウムファイル」という書籍が再発売「放射性物質は呼吸で吸うと最大の危険」

東京被曝『★海洋汚染の図(海流つき)』
 危険な魚と安全な魚をどう調べるか。見分けるか。うんこがちょっとついてるけど微量だから問題ありませんという食品をあなたは買いますか。放射性物質は、それより比べ物にならないほど危険です。しかも足し算。次第に蓄積します。問題は多くの場合、急性症状が出ないということと。五感で感じられないということ。これが判断力を狂わすのです。しかし、晩発性障害は、必ず出ます。癌や白血病ばかりではありません。
25年後のウクライナのキエフで、健康な子供は5パーセントしかいません。東京はそのキエフより汚染が酷い。25年後の東京がどうなるか、子供でも分かります。福島、おして知るべし。
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村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル『国分寺・国立70Sグラフィティ』

2013-02-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 新しいブログ『国分寺・国立70Sグラフィティ』を始めました。序文にも書きましたが、70年代というのは、学生運動がある程度沈静化して、アメリカ文化を若者に浸透させる新たな愚民化政策が始まった頃と私は捉えています。アメリカのグッズ紹介を中心としたカタログ雑誌『ポパイ』が創刊されたのもその頃。実は、その原点となった本があるのです。

 それは『USAカタログ』。なんと発行は、あの米のポチ新聞、読売新聞社。まさに、アメリカの商品を日本の若者に売り込むために発行されたムックでした。日本は高度経済成長のピークで、若者を中心にハワイ、西海岸ブーム。円も1ドル360円固定から変動相場制に移行し、270円ぐらいと高くなったため、学生でもバイトすれば海外旅行ができる時代になりました。多くのバックパッカーが海外に飛び出したのもその頃です。

 50年代から60年代にかけて、カウンターカルチャー、サブカルチャーが台頭し、ヒッピー文化が生まれました。ヒッピーの発祥の地は実は日本です。70年代初めの国分寺は、その中心のひとつでしたが、中頃になると高度経済成長に乗って、もう少しお洒落な方向へと時代が動いていきました。雑誌文化が花開いた頃です。そして、二度に渡るオイルショックでの急落。ジェットコースターに乗っている様な時代でもありました。

『国分寺・国立70Sグラフィティ』では、私が学生時代にアルバイトをした、今では世界的な作家、村上春樹さんのジャズ喫茶(夜はジャズバー)「ピーター・キャット」を中心とした70年代の国分寺と国立を、色々なエピソードを街の思い出等とともに描いて行きたいと思います。と同時に、その時代の検証を改めてしてみたいと思っています。

 それは、ブログの序文でも書きましたが、外務省の国際情報局長だった孫崎 享さんの『戦後史の正体』(創元社)を読んだことも大きな理由となっています。氏がいうように、日本の戦後史は、アメリカからの圧倒的な圧力下にありました。対米隷属を強いるための戦略は、大手広告代理店、マスコミを通じて、テレビや雑誌等の編集内容にまで深く浸透し、庶民の流行やライフスタイルにまで大きく影響していたというわけです。戦後史をほとんど学校で教えないわけは、そこにあった。米隷属の真実を教えるわけにはいかなかったということです。

『戦後史の正体』を読めば、戦後の文化や風俗、芸術や文学、音楽などの評論も、パラダイムの組み替えが必要だと思わずにはいられません。前記した、70年代というのは、学生運動がある程度沈静化して、アメリカ文化を若者に浸透させる新たな愚民化政策が始まった頃と私は捉えているというのは、そういう事なんです。続きはブログでどうぞ。少しずつ書き溜めながらアップするので、更新は不定期です。更新は、ツイッターでお知らせしますが、興味のある方はブックマークをお願いします。

 掲載の写真。左は国分寺ピーター・キャットで使われていたマッチ。右上は、ピーター・キャットでアルバイトをしていたムサビの三人組。左が私。レイヤーカットにレイバンもどきのサングラス。ウォッシュアウトのGジャン、ベルボトムのジーンズ、ハイヒールのブーツ。恥ずかしくなるほど当時の流行そのものです。右下は、ムサビに合格した時に研究所のみんなと合格祝いの旅行で伊豆の白浜へ行った時のもの。ネイビーのタートルネックセーターに水色のコーデュロイのスリムのパンツ。靴はアイリッシュセッターもどきのワークブーツ。パーマの長髪と70年代真っ盛りのいでたちです。流行に流されれば俗物、無関心なら空け者。でも流行というのは江戸時代でもあって(いやもっと古代からあったかも)、それはポップアートを産んだり、音楽でも重要なムーブメントだったりしたわけで、決して軽んじるべきものではないと考えます。
「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信):村上春樹さんとの出会いから、ロンドンへ、そしてアマゾンへと旅は続いたのです。
『国分寺・国立70sグラフィティ』村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

孫崎 享さんの『戦後史の正体』導入部
戦後の日本外交を、対米従属派と自主独立派の抗争という視点から捉え、米国の占領政策がいかに我が国の深部まで蝕んでいるかを露にした、今、日本人の必読書といわれる注目の書籍。上のリンクで導入部100pが読めますが、ぜひ全部読む事をおすすめします。高校生にも分かるようにと書かれているので、とても分かり易い。しかし、驚愕の内容です。

「ピーター・キャット」のエンディング・テーマ曲。閉店の時にいつも流していました。
Since I Fell For You (Remastered)


追記(2015/9/8)
こちらのサイトでは、32本の記事が全て読めます

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