太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

親子水入らず

2024-04-28 09:33:55 | 日記
シアトルから、義兄が単身やってきた。
木曜日の夜に来て、月曜日に帰るという、およそアメリカ人ぽくない日程で。
義両親ともに80になり、年に1度会えばいい方という親不孝を少しでもカバーしたいということらしい。

夫と義兄は、まったく正反対。
水と油。
分刻みで予定をいれないと気が済まない兄と、余裕がたっぷりあるのが好きな弟。
もっともっと高見を目指して邁進したい兄と、自分のペースで悠々と泳ぎたい弟。
義兄が18歳でシアトルに行ったとき、夫は14歳で、もう40年近くも離れて暮らしていることになる。

親子水入らずの笑顔

親子4人で、昔話に花が咲く。
昔飼っていた猫や犬のこと、幼馴染やその家族のこと、他愛のないそういうことを話せる親がいるということは、なんて幸せなことだろう。
離れていても、母とはわりと電話で話をしたけれど、父とは殆どそういう時間を持てなかった。
もとより、父は人の話を聞くより自分がしゃべりたい方だから、しみじみ話をすることはなかったけれど。

父の晩年で、とても心に残っていることがある。
父が亡くなる数年前に、父の誕生日にサプライズで帰省したとき、車いすを2台借りて、両親を伊豆に花見に連れていったことがあった。
両親は歩くことができるけれど、土手道を長く歩くには車いすのほうが楽だろうと思ったのだ。
生まれて初めて乗った車いすに、「こりゃぁ楽だ」と父は大喜びだった。
伊豆までのドライブ中に、

「お父さん、私たちが子供の頃、しょっちゅうこうしていろんな所に連れて行ってくれたよね」

と私が言った。
父は週末のたびに、ドライブやデパートなどに連れて行ってくれたのだ。
すると父は、

「そうだっけなあ。あの頃はそれだけが楽しみで・・・」

と言い、黙ってしまった。

「おとうさん、ありがとうね」

振り向くと、父は寝息をたてていた。



隣家の末っ子トレイ

いきなり我が家に乱入してくる可愛い闖入者だが(昨日もやってきた)、この写真は渋々家に帰るところ。右側に見える白いフェンスが、トレイの家だ。
義兄や夫の子供の頃の写真は、まさにトレイのような男の子で、
義両親が隣家の子供たちをひとしおかわいがるのは、息子たちと重なるからだと改めて確信した。

今日も、兄と弟は連れだってビーチに行く模様。
私はやることもあるし、今日は遠慮しておく。

「行くのはいいけど、2時間もいるのは嫌だよ。15分ぐらいで充分」

という弟に、

「なーに言うか!1か所に長くいられないお前のために2時間で切り上げようって歩み寄ってるんだからなー」

と切り返す兄。
仲良く言いっこしながら短い家族の時間を楽しんでくれるといい。



慣れ、とは

2024-04-26 07:53:12 | 日記
ちょうど1週間前、遅番の仕事から帰宅したら、夫が夕食の準備をしていた。
その日はすき焼き(カセットコンロを買ったことだし)だったので、材料を切るだけだったのだが。
手を動かしながら、夫が言った。

「今日、仕事辞めてきた」

まるで、「豆腐、切っておいたから」というかのごとくサラリと。

「(* ̄- ̄)ふ~ん」

それに対して私はそう言った。

「またすぐ見つけるよ」

「そだね」

この10年余りで、私はここまできた。
最初の何回かの転職のときには、私は大騒ぎだった。
転職=あまりよくないこと、というイメージが日本人にはあったし、
もし仕事が見つからなかったら、という不安もあった。
辞めたそうな夫を説得し、不安に押しつぶされそうになり、どうしてこんなことになったのかと、考えても詮無いことで眠れなかった。
それが今は「(* ̄- ̄)ふ~ん」である。

心に波風たたぬわけではない。
でも、ここで大騒ぎをしようがしまいが、何も変わらない。
辞める理由も聞かない。
聞いたところで、もう辞めてしまったことでもあり、どうしようもない。むしろ、聞いたことでストレスが増えるのは御免である。
何がどれだけ嫌か、ということは、その人でなければわからないということは、夫と暮らすようになって身に染みていることだ。
それについて、説得したり話し合っても、もともとが違う人間なのだから、解決には至らない。

なんとなく、そんな予感はごくうっすらしてはいた。
まあまあ機嫌よく出かけていくから、このまま乗り切れるかと思っていた矢先。


私はこのことを、口に出さないようにしていた。
以前は、黙っていることができずに言いふらすことで心の均衡を保っていたのだが、そうやって自分にとってネガティブなことを共有の潜在意識にやたらと広めるのはよくないように思うようになったからだ。

数日前、マイクに会ったときに話した。マイクには何でも話せてしまう。スポンジのようにすべてを吸い取って、いらぬジャッジをしないマイクには助けられている。
昨日、日本人の友人に会った時、近況報告のひとつで話した。
彼女は、私が夫に出会う前から夫の友人だった人で、私の知らない夫も知る人だ。

「またやりよったん?」

そう言って、アハハと笑った。
胸にあった塊が、スッと溶けた。

「たくましくなったわー、昔は大騒ぎしてたやんか。
ま、あれやね、転職は趣味みたいなもんやねえ」

趣味で転職されてたらかなわないが。

「またいつもみたいになにか見つけてくるって。家があるし、シロも働いてるんやし、絵だって売ってるんやから大丈夫。
うちなんか、20万円ぐらい家賃払ってるねんで」

友人はシングルマザー。
ようやく娘が大学を出たと思ったら、車だ何だとまだお金がかかる。

私は何もなかったような顔をして、私がやることを淡々とやる。
心配しても仕方がないし、悪い方に考えれば気持ちも滅入る。
よどんだ雰囲気でいたら、それに合った現実しか起こらないのだ。
仕事中にケガをして働けなくなったとか、病気になって働けなくなった、とかではなくてよかった。
元気でいてくれたら、どうにかなる。







手直し3回目

2024-04-25 09:12:51 | 絵とか、いろいろ
遊び心で仕上げた夜のコオラウ。
仕上げたつもりになって、額装までしたが、昨日、マイクとコリンに見せて感想を聞いたあと、手直しを加えた。

最初

2回目

最後の手直し

山肌の、中心の下側。
紙の色がかなり明るくて、そこに目がいってしまうということで、暗い色の紙を重ねてみた。
やり直しができるのは、コラージュの良い点。
あとの2点と一緒に、来週、ギャラリーに持ち込む予定。




タンジェリンの剥き方

2024-04-25 08:50:31 | 食べ物とか
日本ではもうミカンの季節は終わりごろだが、ハワイでは店頭にミカンが並ぶ。
ミカンといっても日本のミカンではなく、
店頭に並ぶといっても、むろんハワイで採れるのでもない。
タンジェリンといわれるミカンは、カリフォルニアあたりからやってくる。

タンジェリンは、日本のミカンよりも小ぶりで皮が薄く、皮と実が密着している。
甘さははっきりしていて、ミカンよりも当たりはずれなく甘いように思う。

さて、その剥き方だけれど、多くの人はお尻のほうから剥く。
お尻のほうが柔らかくて、親指が簡単に入って剥きやすい。
しかし、ヘタのほうから剥くと、白い繊維のような筋が皮と一緒に剥けて、具合がいい。
おへそのようなヘタを、ポンと取る。
最初、固くて剥きにくいのを我慢すれば、あとはするりときれいに剥ける。

ミカンのあの筋を、丁寧に取り除いて食べる人もいる。
私はめんどくさいからそのまま食べるけれど、筋がないほうが舌触りがいいので、なければないに越したことはない。

昔、叔母とこたつでミカンを食べていた。
叔母は話をしながら、ミカンの筋をゆっくり取っていた。
私が2個食べ終えても、まだ最初のミカンの筋取りをしていて、見ているこちらがめんどくさくなる。

「そんなにその筋が嫌いなの?」

すると叔母は言った。

「特に意味はないけど、こうしてると落ち着くのよねぇー」

なるほど。
確かに単純作業の繰り返しは瞑想状態に近く、頭がすっきりするかもしれない。
筋を取ることで落ち着きたい人は、今まで通りお尻から、
さっさとつるりとした実を食べたい人は、ヘタから剥いてみるといいと思う。




闖入者

2024-04-24 19:32:19 | 日記
義両親の家に遊びに来ていた、隣家の3人兄弟の末っ子トレイが、いきなり我が家に乱入してきた。
トレイは7歳。
映画「ホーム アローン」の主役の男の子に、トレイは似ている。
猫たちは、普段慣れない子供に追いかけまわされて気の毒なばかり。
子供が身近にいないのは猫だけじゃなく、私たちとて同じだ。


「コーちゃんは、どこ?」

寝室のベッドのカバーの下に隠れているコーちゃんを、カバーをはがして頭をなでる。

「僕はね、ただ挨拶したいだけなんだよ」

コーちゃんは必死に我慢している。
3匹の中でも比較的フレンドリーなボーイ猫も、最初のうちはおとなしく触らせていたが、さすがに怖気づいて逃げ出し、
ガール猫に至っては、どこに隠れているやら姿が見えない。

トレイの発散する、すさまじく勢いのあるエネルギーに圧倒される。
トレイの上には、キーリーとライリーという兄がいて、彼らは雨が降っていても、庭の遊具(父親の手作り)で遊びまくっている。
まさに、電池が切れるまで。


取り繕うとか、フリをするとか、遠慮するとか、そういったことからまったく自由な子供という生き物(?)に感動する。
今にしか生きていないことに、羨望すらおぼえる。
私も、子供の頃はそうだったんだろうか。
人は、いつからそうではなくなっていくのだろう。

義父が迎えに来て、名残惜しそうにトレイは帰っていった。
滞在時間は15分ぐらいだったが、私も夫も、猫たちも疲れ果てた。
人も猫も、子供とどうして付き合っていいのか、さっぱりわからないのだ。
こんな子供が3人もいたら、毎日、思わぬことが勃発して、振り回され、自分のことどころではないかもしれない。
甥が小さかったとき、姉が言った。

「もし、いきなりこの状態を押し付けられたら、絶対無理」

つまり、生まれた時からの思い出や愛情の積み重ねがあるから、自我が出て扱いにくくなったときも何とかやっていける、ということなのだろう。


義両親は、隣家の3人兄弟をとても可愛がる。
昔の息子や孫と重なるのかもしれない。
義両親の、彼らの扱いかたが、これがまた上手で、どうしたらあんなに寛容に自然に対応できるのかと思う。
祖父母と離れている兄弟たちも、よく義両親になついていて、よくこうして遊びに来ているのだ。


今頃、家で猫の話をしているトレイの姿が目に浮かぶ。
こうして夥しい思い出を重ねていって、彼らはどんな青年になるのだろう。
子供を産まない、育てないという体験を、私は今生でしているだけで、それについてよかったとも悪かったとも思うことはないのだけれど、時折、もし子供がいたら、という想像しようもないことを思うことがある。