長崎。浦上天主堂で祈りを捧げる信者の人
1945年、8月9日、2回目の原子爆弾が落とされた日です!
私は時の流れに自分をおくことが嫌いです。
理由は其のムードに載って自分の判断がくるたっりすることが嫌いだからです。
少しはなれたところから観察するようにしています。ですから、デモとかもどちらかといえばマイナーな物で皆に呼びかけたいと思うときは参加したいと思います。
政府主催の戦没者供養なんていうと引いてしまいます。供養のこころがないわけではありません!ひとり物故のかたに安らかに眠ってくださいとお祈りしたいと思っていました。
しかし Out of Sight ,Out of Mind.
去る物日々に疎し
やはり語り継がなくては消えていってしまう可能性があることに気がつきました
今日の新聞に「長崎の鐘」の歌と小説についてかかれていました。
正確に言うと小説ではなく長崎で被爆した医者の永井隆さんが、被爆直後の「原子爆弾救護報告」をもとに自らの体験や見聞をまとめた記録です。
情報統制された占領下では出版社が見つからず、脱稿から2年半後、つてを頼り、日本軍の残酷さを記した連合軍編成の『マニラの悲劇路』の抱き合わせがその条件だったそうだ。
ベストセラーになり、映画にもなったという。
私は知らなかった。
私が知っているのは、母の語った広島について!
引き上げ船で、博多に着き、静岡の実家に帰る途中、広島をとおった。見渡す限り焼け野原で、列車の中から人々が顔を出し、悲劇を目の当たりに見て衝撃を受けていたと
8月のこの日には私たちこういう話を聞いたと語り継ぎましょう
そして戦争はだめと!