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佐伯祐三展行ってきました。実物はやはりちがう!

2008-08-18 17:46:39 | 絵画

綾展⒃⑽儡曚任FONT color=#004000>佐伯祐三展に行ってきました。


そこにはとてもたくさんの作品があり久し振りに感動してかえって来ました。


彼の画家としての活動は5年ほど、作品数は多くて400点あまりもあります。


少数の作品は売買されたりしていますが、遺言を守った夫人がほとんどの作品を持ち帰ったので散逸しないで残されているのです。


其の中の数点のみアップします。


1917年大阪北野中学卒業後9月に上京するまでに描かれた自画像


1898年大阪の名刹の寺に生まれた彼は実家が空襲で焼けた為若い頃の作品は残っていない。


これは美術学校に入る前の作品だが印象主義的な技法が見られる。


それにしても才能を感じさせられる



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FONT style="BACKGROUND-COLOR: #ffff80">(2)1924年パリ遠望/FONT>


憧れのパリでセザンヌに傾倒して描いた絵


1924年マルセイユからパリに来た彼は美術時代からセザンヌ焦がれていた。そして憧れの実物に触れ作品を描く。形の真似はまねと思うが、、



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3)モーリス.ド.ヴラマンクの小麦畑(1906年ごろ)


オヴェール。スル。オワーズ(私のゴッフォのところでhttp://blog.goo.ne.jp/0720micchan/e/40601e853c172b6c21a4e0bd49ac8772


で既出ですが、)20年位前にゴっホも住んでいた


そこにヴラマンクが住んでおり、そこで佐伯の絵を見てもらうと


アカデミックという罵声を浴びせたという。


ホービオズム(野獣派とも言う)の大家であるヴラマンクは


印象派風の佐伯の描き方に対して理屈過ぎるといいたかったのだと思う。


ゴッホがなくなって20年、同じ麦畑でもでもこれだけ絵画の世界は進歩するのですね。



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(4)1925  レ.ジュ.ド.ノエル.(正面からの絵)


それから彼の絵は飛躍的に変化する。


佐伯祐三が親交を結んだ小説家の芹沢光治良にたいして、


『この町の付近に、僕の荒涼たる心境を表現するモチーフがたくさん目にとびこんで、本当に仕事に夢中になった』と語っていた。


パレットナイフでいっきがきしているが実際の店を前にした観察に忠実な作品である。



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彼の体を心配する母親の説得などもあり、一時帰国する。彼は日本の古い山水画や宗教画を見るために留学するといっていたという。


日本で描いた作品は趣の異なる作品である。



6)1927年再渡仏して、広告(ヴェルダン)


一年余りでパリに戻る。日本での苦悩が嘘のように絵筆が進んでゆく


初冬から年明けまでの4ヶ月で、100点以上の作品を制作した。連日の野外での写生は病弱の彼の体に打撃を与え、結核が再発し、徐々に精神を蝕んでゆく広告の美しさに魅入られたように描く



FONT style="BACKGROUND-COLOR: #ffff80">(7)1927街角の広告


ななめの構図の絵が多くなる



8)1928 郵便配達夫


(風邪をこじらせて、外出不能になって最後の制作のひとつ)


この作品の実物を見て驚いた。


この写真でも不十分だが、実物はもっとつやがあり


インディゴとブルシャンの色調が強い。


どのパンフ、絵葉書を見てもほとんど制服や帽子が黒に近い


実物からは光の中にブルーを感じるのです。其の美しいこと



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そしてパリでなくなるのです。享年30歳


私は、彼の作品の中にブッフェのものと同じ物を感じてならないのです。


何かいきいそいで、寿命の尽きるのがのが分かってるようなかき方をしている気がしてならないのです


トテモ見ごたえのアル久し振りに感動した展覧会でした。


それはたくさんの見応えのある、そして意味深い、展示のしかた、作品数、展示なさる方々の彼の作品に対する思い入れみたいな物がつったわってくる展覧会だったからだと思います。


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コメント (8)
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