ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

  沖縄の思い出 最終編  ! 石牟礼道子(いしむれみちこ)さんのこと。

2018年02月14日 | 自然 花 写真

 

     ( 入り口は地味ですが 仲々大変な仕事をしている 沖縄宇宙通信所。 無料見学出来る・・。)

沖縄旅行の報告も長くなりました。 今回で終わります。 下記の文章は沖縄とは無関係ですが・・? 

  最近 石牟礼道子さんが亡くなられた・・。 新聞にも大きく報道された。
『 水俣病は人柱だった。 』 という言葉は重い。 私も大学生の頃から
『水俣病』という言葉を聞き出し TVニュースで身体を震わしながら苦しむ
患者の姿を 恐ろしい思いで見ていたのを思い出す。チッソ水俣工場が排出した
有機水銀が 魚介類の食物連鎖により中毒症状が出た。歩くことも話すことも
ほとんど出来ず 当初原因も分からず奇病とされた。海で獲った魚を食べた人々が
中毒で苦しみ 死んでいった。胎児にも影響が出た。1953年のことである。 

1950~1960年代 チッソは水俣湾に未処理の公害物質を廃棄し続けた。工場側は
中毒患者が出てからもその責任を認めず 患者が続出した。まさに『公害の人柱』と
なった人々が多く出たのである。 石牟礼道子さんは『 苦海浄土 』の中で患者の
立場で この世のものと思えない姿で死んでいった人々のことを 書き記した。

高度経済成長期に起こった公害の原点と言われた水俣病 1960年代日本は『公害大国』と
言われた。イタイイタイ病 四日市ぜんそくなど世界を震撼させた公害が多く起こった。
国は1967公害対策基本法を制定、1970年公害国会で環境保護や 様々な規制をした。
1970年代四大公害病が裁判で争われ 何れも原告側が勝利した。その後環境基本条例が
出来 環境省も創設された。日本は『公害先進国』と言われ その対策・克服を通じて 
世界的にも評価された。

健康障害に苦しむ人々を救うには長い年月を要した。イタイイタイ病の企業との和解は
今世紀2013年にようやく成立した。その間の身体的 精神的苦しみはいかばかりか ? 
石牟礼道子さんは会話が通じなくなった人々の声を魂で聞き取り本に綴った。金銭的補償で
こと終わりとして 忘れられていくことに強い危機感があったという。『人の一生に値段を
つける たまらんですよ!』 それは名護市長選で辺野古反対派が負けたことで 基地建設が
承認されたとして 決着させようとする政府と同じ考え方である。悪いことはフタをして 
風化させ終わりにする姿勢は 原発事故の扱いとも通じている。水俣病の経験が生かされて
いない。

『 この世に罪があるというなら 知らんということが一番の罪 』 と石牟礼さんは書く。
風化して 忘れ去られ 数十年前の出来事が忘れさられ 又同じ過ちを繰り返す。来月は
東日本大震災から7年を迎える。事故の教訓がないがしろにされてはならない。
 

人工衛星から見た ブラジルの熱帯雨林。

最近はオゾンホールが小さくなってきているというニュースがあります。

『 いぶき 』 という人工衛星は 自然環境を知る力強い味方ですね・・。

みちびき四号が 昨年10月打ち上げに成功 ! 日本版GPSの誤差がほぼ無くなると期待されている。

日本はもうこんなに沢山の人工衛星を打ち上げているのですね・・。

これが本当の月の地図・・!?

レーダードーム。 この沖縄の宇宙通信所は 日本の人工衛星といつも通信している・・。

もう一度 万座毛ビーチ。 自然の凄さを感じました。

 

こんな碧い海を見るため また沖縄に来たいと 思いました・・。

森のカフェの前で 嘉手苅さんと。 

今回も 色々 楽しい思い出がありました。 嘉手苅さんはじめ 皆さんに感謝します !

 

コメント (1)
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