( この季節に 芙蓉(ふよう)を見るとは 思いませんでした・・。 )
高知へ戻っての楽しみの一つは TVで横川先生の『 高齢者寺子屋 』 を見ることです。 以前も紹介して
いますが 88歳で もう20年以上癌と付き合っている先生が 人生の 生き方をお話される番組です。
先生の頃は人生60年で 定年後数年の余生で人が亡くなっていました。今は80歳で (女性は88歳)
健康寿命も70歳。定年も65歳になって 年金も65歳から70歳へ 延びようとしています。世界でも
高齢化のトップを行く国で 社会でも試行錯誤が なされています。
そんな中 高齢期をどう生きるか ? 特に重い病気や障害を抱えた人がどう生きるか? 大事な問題ですね。
私も降って湧いたように その仲間に入ってしまったので 他人事で無く 自分の問題としても 考えて行かなくては
なりません・・。 先生も言ってますが ある意味 病気を持つことは幸せかも知れません。命を大切に出来るからです。
先生は定年の翌年に癌だと 宣告され 多分25年以上 『 多病息災 』だそうです。癌と言われても 人生より
逃避せず がむしゃらに飛び跳ねて来た ! と仰っています。黒井さんもそうですね。90まで生きるぞ! という
凄い迫力です。 病気が恐れ入る程の迫力があります。若い人々も 池江さんとか堀ちえみ さんとかも必死で治療
しています。 気合いだよ ! とは何人かの人に言われました。
先生は命以上に大切なのは 今を生きることだと言います。 健康だと1日1日がただ過ぎていく 感じがあります。
重い病気だと 今日一日もすごく大切に感じるし 寝るときも心から 今日も ありがとうと言って休むことが出来ます。
夜中起きて眠れない時も いい時間を貰った という 気になります。一つ一つ確かめながら生きる。誰かの本に
死ぬまでの1回1回のご飯を味わい ながら楽しむという話しがありましたが 私にも分かる話です。
少し難しいですが 先生が紹介した俳句に 『 浜までは海女も蓑着る 時雨かな 』がありました。 どうせ海に
入れば濡れてしまう白い着物を濡らすまいと 時雨に蓑を着るのは 生きているその時を 大事にするという思いです。
本当に生きるということは その日常を大切にすることです。逆も真なりで 今日を大切に生きることは命を大切に
することだと その俳人も、先生も言っています。もう長くないかも知れないと思う時 ようやく人生の 生きている
時間の大切さを思うのです・・。
土田さんの言葉に 『今日死んでもいいように 百まで生きてもいいように』 というのがあります。 人は 事故で
台風で 今日死ぬかも分かりません。人生百年時代ですから 百まで生きるかも分かりません。先の分からない人生を
しっかり生きていこうという意味だと思います。何時来るか分からない死を怯えるより 目の前の日々を大切にする。
そんな覚悟が心を軽くしてくれます。11月1日手術予定ですが それまでもそれ以降も 与えられた時間を
横川先生のように 『 がむしゃらに飛び跳ねたい 』 と思っています・・・。
もう種が出来ていますから 花の季節もそろそろ終わりですが ホント可憐な感じで 大好きです。
ユリオプス・デージー ですね。
前回載せた 矢の根梵天花(やのねぼんてんか)です。 確かにムクゲに似ています。
トレニア 今盛りです。 野生化した感じです。
ピンクも可愛い。
チェリーセージ。久し振りに見た感じです。
お城に咲いていた 黄花コスモス。
夏コスモス ?
高知でよく見る 七変化。 ランタナとも。 薄ピンクに黄色がからむ・・。
今年初めての 玉すだれ。 すだれとは集まって咲くことを意味しますが この時は一本だけ・・。
銀杏(いちょう)も黄色みを増してきました。
お城の堀で見た 泥亀・・です。 もう睡蓮は咲いていませんでした。
お城の城壁を別アングルで 写してみました・・。