( 日本植物学の父 牧野富太郎博士。 丸いメガネトと蝶ネクタイ。採取した植物を新聞にはさみ 保管する。 )
今日は二十四節気の一つ 『 啓蟄(けいちつ)』 です。土の中で冬ごもりをしていた生き物達が 目覚める頃のこと。
人間もそうですが 春のうららかな暖かさに 命が活き活きと躍動するのを感じます。花だけでなく 新芽が小さくても
しっかりした緑色をして 芽吹いてくる様子がとても新鮮で 寒い冬が終わって 春が来た! 実感がします・・。
牧野富太郎博士の人生をNHK朝ドラが来春放映することは 先日2月9日にお伝えしました。高知県出身の有名人なので
県を挙げてドラマを応援する態勢を取りつつあります。先日牧野植物園へ行ったら 早速幾つかの催しをPRしていました。
私も分かりやすい博士の伝記を図書館で借りてきて読んでみました。何よりも彼の熱意 行動力 絵の上手さに感心します。
富太郎は江戸時代の終わりに土佐の佐川村で生まれました。この一月前に坂本龍馬が脱藩事件を起こしていました。日本が
新しい国に生まれ、変わろうとする時代の大きな節目に 富太郎は生まれたことになります。高知県は坂本龍馬 板垣退助
岩崎弥太郎など明治維新の英傑を輩出していますが 牧野富太郎博士は 学問分野で『 植物学 』を世界レベルに引き上げ
『 日本植物学の父 』 とうたわれる スケールの大きい人物でした・・。
『 生家は酒蔵と小間物屋を営む大きな商家でした。裕福な子供時代を過ごしましたが、家族の縁には薄く 幼い時に父親と母親を
病気で亡くし、祖父も失い。祖母浪子が商売をしながら 彼を育てました。高知市に近い佐川で山野を駆けめぐっていた時 草花に
大きな関心を持つようになり 自分の人生をかけて植物の世界を探求しようと決意をしました。 』 と伝記にあります。
『 富太郎はやせっぽっちで目鼻だけははっきりしていたのですが、体が弱かったようです。富太郎の体を丈夫にしたのは 大好き
だった草木を求めて 毎日のように野山を歩き回った結果でしょう。特に彼が好きだった花は2月に咲く 梅花黄蓮(ばいかおうれん)
でした。 』 この花は以前紹介しました。(2月9日)
『 植物は 時を知り、花を咲かせ、実り、季節に合わせて姿を変える不思議、草木にはたくさんの種類があり、それぞれがみんな
自分だけの花や葉を持っている不思議、富太郎にはその不思議の世界を探検することが楽しくてたまらなかった・・ 』 ようです。
(科学者の伝記 牧野富太郎(日本植物学の父)から) (続く)
牧野植物園がある五台山(ごだいさん)から 高知市内を見下ろす。
牧野植物園は博士逝去の翌年 1958年(昭和33年)開園されました。山間は未だ花や緑が少なく冬の様相です。
以前この池には 大賀ハスが葉を広げていました。今は沢山のメダカがいました。左奥は温室です。
いつも花に目が奪われていますが 枝だけの様子もお目に掛けないと・・?
こんこん山 春、夏に向けての準備に忙しい・・。
幼少から植物に興味を持ち 独学で植物学の研究を続け 94才で亡くなるまで精力的に活動された。
自らを『 植物の精 』と呼ぶほど情熱をもって 自分の好きな植物に熱中・・・。
大河ドラマの主人公にしてもいいほどのスケールの大きさ 破天荒な人生を生きた博士。
草をしとねに 木の根を枕に 日本の草花を求め まとめ上げた人生でした。
花びらが落ちているのもありますが 博士の好きな 梅花黄蓮(ばいかおうれん)の現在です。
代わって 雪割りイチゲ白い花を咲かせていました。
園内では シナマンサクの花が あちこち咲いていました。
温室で開かれている ラン展の一部です。
ようやく待ちに待った 白木蓮(はくもくれん)が 咲き出しました。 乞う 来週 !