ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

 牧野富太郎博士のこと(続き)。 梅特集 No 4

2022年03月09日 | 自然 花 写真

       

  ( 若い頃の牧野富太郎博士。 高知の自由民権運動の影響もあり 弁士として活動した時代もありました。)

 

今日は3月9日 サンキューの日だそうです。 だので ? いつもブログを見て下さっている皆さんに感謝して スタートです。。

前回のトップにあった蝶ネクタイに丸いメガネ。 外へ出るときは大きな鞄を下げて・・。 なんだかうれしそうな牧野富太郎博士。

彼が植物採集にいくつ行く時は いつも 立派な帽子と蝶ネクタイをしていました。植物への尊敬の気持ちのあらわれで 大好きな植物に

会えるのが嬉しくてたまらない・・。 自分は草木の精かもしれない・・と言う程でした。  


生涯集めた標本は40万点。調べて分類し、名前を付けた植物が1500種類。 多くの本の出版や研究雑誌に関わり、『 牧野日本植物図鑑 』

を残しました。 その為には お金をどんどん使い。 裕福だった実家の店を潰してしまいます。 多くの子供がいました。妻や家族は

借金取りに追われる貧乏な暮らし。しかし、どんなに苦労しても、家族を巻き込んでも  富太郎は絶対に植物への愛と学問だけは ?

手放さなかったのです。 

 

物心がつく前から富太郎は山野の草花が好きでした。祖母が店の事で忙しく、独りの時間がたっぷりあったせいかもしれません。

博士の子供の頃は まだ学校制度はありませんでした。寺子屋に通っていろはを習い その後 佐川の領主が開いた塾に移りました。

侍だけが学ぶ時代はもう終わったんだ。 世の中が開けてきたから、僕のような町人でも いくらでも学問をしていいんだ。』 

塾では 中国の学問のほか。 アメリカ、ヨーロッパの教科書を翻訳して英語、地理、物理、天文なども教えていました。 富太郎は

10歳でしたが、 全てが面白く、中でも物理の本と 世界の地理や 自然の本が お気に入りでした。  

 

13歳の時に。 小学校が出来ましたが 彼は2年通ってつまらなくなって止めてしまいました。 ただ、授業で使われた博物図だけは

とても面白く、心に深く残ったと、後に言っています。  彼は山野を歩き回って 色んな草木を手に取り、詳しく観察したり 時には

口に入れたり 気になる物は持ち帰って 観察しながら絵を描きました。 しっかり見ると描きたくなり、描いていると、もっと見たく

なる・・、 この繰り返しで 観察する目を育てたのでしょう。  

 

西洋には分類学という学問がありました。多くの植物をその特徴でグループに分けるとその世界全体が分かります。しかし大変な仕事です。

余程沢山の実物を集めて、細かいところまで観察する必要があります。『 いつか必ず日本の植物の全てを明らかにする。それができたら

植物の世界を皆で共有できる。だから出来るだけ沢山の植物を集めて 観察して新種を発見 名前のない植物に名前を付け、世界中に発表

するんだ・・! 』 その情熱は 生涯衰えることはありませんでした。

 

彼は店を継ぐのをやめ おばあさんに頼み込んで 東京に出ました。彼は自分自身にこう約束をしました。『 忍耐を要す 精密を要す 

山野に足を運ぶ労を厭わず・・』など。 東京大学植物学教室に出入り 植物誌 というデータベースの制作に取りかかります。 

                           (続く)

 

 

梅はそろそろ 最盛期を過ぎつつあります。 追っかけて 早咲きの桜が満開を迎えています。

梅は香りがあり それだけで 春の雰囲気を感じることが出来ます。

     

      家庭においても育てられている梅を多く見ることが出来ます。

桜とは違った枝の張り方で 観賞になるせいでしょうか・・?

野生 ? の梅も多く見られます。花が一杯ついて それも仲々見事です。

幾つか紹介しました。 梅は桜同様 多くの人々に愛されて来た樹木だと思います。

もうこの梅の時期が過ぎていくのは 残念ですが 又来年を期待したいと思います。

地域によっては これからが見頃のところもあるでしょうね・・。

よくみていると 虫がいつも来ています。 この共生関係が 生態系ですね。

 

コメント (1)
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