( 会津若松にある 鶴ヶ城。 幕末の戊辰戦争では一ヶ月に及ぶ戦いがあった。 昭和40年復元。)
会津若松に来たのは始めてです !? 高知城のガイドを初めて 戊辰戦争にも興味を持つようになりました。
江戸城の無血開城がありましたが 幕府軍の兵士は西軍(官軍)に抵抗し 逆に武力討伐を狙っていた 西郷など
薩摩 土佐 長州軍(新政府軍)は錦の御旗の元に攻め上げていきます。
以前大河ドラマ 『 八重の桜 』 で有名になった? 会津戦争の砦 鶴ヶ城ですが 私は高知(土佐)の
ガイド?として 明治維新期の戊辰戦争の様子をもう少し知りたいこともあって 旅の帰りに会津若松に立ち寄った
次第です。
会津若松の駅に荷物を置いて 鶴ヶ城まで歩きました。魚の目の痛いところは我慢して 旅は歩きが基本 と
頑張って歩きました。多分この日は11000歩は歩きました。途中西軍(官軍)の墓所があり 薩摩や土佐 か来て
戦乱の中で散った兵士達のお墓が並んでいました。戊辰戦争では白虎隊の話しが有名ですが 敵軍であれ 同じ
日本人の兵士を快く祀ってくれていることに感心しました。ちなみにこの時西軍の総大将は 板垣退助でした。
相変わらず 雨が続いていますが 雨の合間にバイクで動いています。少し体調が悪く 風邪気味ですが 明日は
美子さんがフラのレッスンを兼ねて 東京へ来ます。私も又高速バスで新宿へ出て ランチを共にする予定です。
そんな訳で 1593年に完成した七層の天守閣ではありません。往時の城は明治政府の命令で取り壊された。
鉄門。 高知城にも同じ名前の門があった。 木の扉に鉄板が打ち付けられている。
左 野面積み(のづらづみ)の石垣と 右切り込みはぎの整った石垣。私の得意分野です・・?!
大岩の表面を削り 石と石の隙間を合わせ 頑丈な岩の壁にしている。ペルーのクスコと同じ。
天守閣から見た 鉄門と千飯櫓。 城内は広く 茶室などがあります。
戊辰戦争の様子を描いた浮世絵。
会津戦争。 西軍の前で降伏を申し入れる 松平容保。 京都所司代を勤めたこともある。
西軍(官軍)の総大将は 土佐の 板垣退助。 自由民権運動のリーダーでもある。
有名な飯森山での 白虎隊の自刃の図。
お城のスケールは大きい。 堀も高知城より 広く 深い。 1ヶ月の戦いに 持ちこたえた。
五層の天守から見た会津若松の風景。遠くに見えるのは会津磐梯山 ?
高い石垣と広い堀。
狭間(さま)から敵を狙い 銃を撃つ 兵士の像。
会津若松市の花は 立葵(たちあおい) 道理で駅前などかしこに 立葵が咲いていました・・。