
散歩するには少し遠い所にあるので車で行きましたが、官舎から5分と鰍ゥりません。
真言宗の青龍山妙泉寺

山門をくぐって入って行っても、本堂らしきものはなく、ぐるっとお地蔵さんの列があるだけ。

だだっ広い広場の中央に、何かわからないものが落ちて(埋もれて)いただけでした。
その後患者さんとたまたましゃべっていて、ここの住職夫人と分かったので、尋ねてみると、「最近本堂が焼けたのです」と言われ、ちょっと気まずい雰囲気になりました。
そう言えば火事にあったと聞いたことがあったのが、この寺だったようです。
置かれていたこれは、本堂であることを示す、大事なものですかね。

「女島近海遭難死者碑」という大きな石碑もありました。
明治38・39年と2年続いて、珊瑚漁に男女群島に富江から出漁した舟が多数台風に遭ったようで、日本の海難史上最多の死者が出ています。
この碑は、明治39年10月24日遭難した740余名の霊を祀ってあるそうです。
久しぶりの富江探報です。
自慢になっていますが、私は富江富ゑの名前で、富江病院の情報誌に富江探報を連載していますが、親団体の長崎県病院企業団の「ふくよか」という雑誌の編集後記で、楽しいと褒められましたよ。
返事
花水木さん:前々回はコーヒー、前回は梅干しと交換しています。
今回はスウィ―ツとします。
大雪男さん:ナンバー3のボックスも当たりませんよ、
京都で買わないからかなあ。