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京都は朝から暑い日がまだまだ続いていますが、そんな朝早くから、瓢亭の有名な朝がゆを食べる機会がありました。
同伴者の顔で、一番上等な茶室の部屋に通され、瓢亭ご主人夫婦も挨拶に来られ、40年ぶりぐらいの瓢亭を満喫しましたし、かゆだけでもお腹いっぱいになりました。
朝がゆや名物瓢亭卵の写真は、遠慮して撮らずにおきましたが、部屋の隅に射してきた朝日の光を撮って、これで瓢亭気分を味わって下さい。
瓢亭からお土産まで貰って、知り合いとはここで別れました。
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その後は夫婦二人だけで瓢亭の隣の無鄰菴を、これまた30年ぶりぐらいに訪れました。
無鄰菴室内のトイレは、水洗ではありましたがなんか懐かしさが残る和式です。
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無鄰菴は山形有朋の別荘で、1894年(明治27年)に出来ています。
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無鄰菴は庭が有名で小川治兵衛の作庭、疎水の水を引いて、池よりも流れの有る川を重視した庭園だそうです。
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ここにある洋館のこの部屋で、1903年(明治36年)4月21日に元老山形有朋・立憲政友会総裁伊藤博文・総理大臣桂太郎・外務大臣小村寿太郎と誰もが日本史で憶えた4人が集まって、日露開戦直前の我が国の外交方針を決める「無鄰菴会議」が行われたそうです。
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まだ昼前ですので、帰り道の喫茶店で家内はコーヒー、私はみつまめを食べて帰りました。
京都らしい夏の半日でしたが、スイーツは写真に撮りやすいです。
返事
大雪男さん:阪神CSも遠くなっています、最下位争いでしょう。
広島はなんとか決まりましたね、おめでとうございます。CSも勝ってくださいよ!
花水木さん:戦後生まれですし、右翼でもありませんが、
古事記の話は断片的には知っているので、自分でもそうだったんだと再確認しながら書いています。