この地図、中央の駅が近鉄西大寺駅、右に平城京跡、地図を離れた少し下方に前回の垂仁天皇陵、上方三つの前方後円墳の一つが今回の第11代垂仁天皇皇后の日葉枢Q命(ヒバスヒメ)の陵です。
したがってこの垂仁天皇夫婦の陵は、歩ける範囲の距離にありました。
今年のゴールデンウイークの上天気の日に、近鉄西大寺駅から歩いて、この辺りの陵を巡りました。
三つの陵が軒を連ねる、綺麗で散歩には絶好の地に佐紀陵山古墳(サキミササギヤマコフン)、すなわち日葉枢Q命の狭木之寺間陵(サキノテラマノミササギ)はありました。
前回書いたように、夫の垂仁天皇に謀反を起こした妻のサホヒメの遺言に従って、垂仁天皇は丹波から4姉妹を妻に迎えましたが、妹二人は姿かたちが醜いので丹波に返しました。
4姉妹の長女で綺麗な、古事記では氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)、書紀では日葉枢Q命は、垂仁天皇との間に5人の子をもうけ、その内の一人が後の第12代景行天皇です。
日葉枢Q命、なんとなく目にも耳にも心地よい響きの名前を持つこのお姫様、私は好感を持っています。
その死に際して、夫の垂仁天皇は弟である倭彦命の家臣の生き埋めのむごさを思いだし、「殉死の替わりになるものを」と、家臣の野見宿祢に命じて、家臣の替わりに埴輪を作って埋める習慣を作ったようです。
返事
花水木さん:橘は東京では育たないのですね。
皇居には左近の桜は植えられても、右近の橘は植えられないということは、
やっぱり明治の東京遷都は間違いでしたね。