古事記の安閑天皇(アンカン)の章はかなり短く、ヒロクニオシタケカナヒノミコトは大和の勾金箸宮(マガリノカナハシノミヤ)(奈良県橿原市)を造り、陵は河内の国古市の高屋の村(大阪府羽曳野市)にあると書いてあるだけでした。
父親の第26代継体天皇がまだ越前にいた頃に、尾張の目子媛(メノコヒメ)との間に産まれた第1子、広国排武金日天皇(ヒロクニオシタケカナヒノスメラミコト)は越前の岡太神社(オカモトジンジャ)の境内横にある皇子が池で、産湯を使ったと言われています。
その池の周囲には、継体天皇1300年祭を記念して、江戸時代の1830年にに作られた6角形の石の玉垣で囲まれていました。
写真は福井県鯖江市に近い越前市にある岡太神社境内の端にある皇子が池ですが、池らしきものはなく単に中央に石が置いてあるだけでした。
父継体天皇に連れられて、弟と共に中央に出てきたヒロクニオシタケカナヒノスメラミコトは、父の死後第27代安閑天皇として即位し、父が皇后とした継母の手白香皇女の父親(仁賢天皇)の娘、すなわち継母の異母妹の春日山田皇女(カスガノヤマダノヒメミコ)を皇妃に迎え、中央政権とより強く結びつこうとしましたが、子には恵まれませんでした。
安閑天皇の在位期間は2年と短く、70歳で亡くなりました。
陵は古市高屋丘陵(フルイチノタカヤノオカノミササギ)ということで、何故かあまり関係なさそうな河内の近鉄古市駅近くの、交通量の多い道路の前にあり、高屋築山古墳(タカヤツキヤマコフン)という6世紀初頭の前方後円墳です。
制札に継体天皇皇女神前皇女(カンサキノオウジョ)墓とも書いてありましたが、この神前皇女は安閑天皇とは異母兄妹ですし、何故一緒に入っているのか知りません。
日本書紀では、この陵に皇后春日山田皇女と異母妹神前皇女も合葬したと書いてあります。
私は後で知ったので行けなかったですが、この安閑天皇陵の南300ⅿほどに古市高屋墓として、春日山田皇女の墓は宮内庁によって明治8年に治定されてるようですが、何故皇后とは引き離されたのか、皇后なのに何故陵ではなく墓なのかわかりません。
返事
花水木さん:私の好みもどちらかと言うと、
羽生より宇野選手ですね。
カーリングとかペタンクとか、なんとなく好みです。
「先生の娘さんは大丈夫」と言われますが、私はA型娘はAB型、
似てるようで否です。
でも、年下の義理の息子はめちゃくちゃ優しい人ですので、
我々親子は共に良き伴侶に恵まれた?ということで、
チャンチャン!