氷高皇女(ヒタカノヒメミコ)の父は草壁皇子、母は阿閇皇女(後の第43代元明天皇)です。
氷高皇女の祖母である第41代持統天皇が望んでいた父草壁皇子の天皇即位は、皇女が9歳の時に草壁皇子が亡くなったので、ご破算になりました。
しばらくして皇女の同母弟が第42代文武天皇になりましたが、この弟も体が弱かったので、いつ亡くなるかも分からない。
そこで弟の息子(首皇子(オビトノミコ)後の第45代聖武天皇)が大きくなるまでの中継ぎ要員として、氷高皇女は独身のまま置かれたそうです。
尚同母妹の吉備内親王は長屋王と結婚しています。
弟の文武天皇は予想通り夭折したので、先ずは母親である阿閉皇女が第43代元明天皇になり、その後母元明は譲位し、自分は後見役として太上天皇に成り、予定通りとっておいた氷高皇女が即位し第44代元正天皇(ゲンショウ)(680~748)(在位715~724)となりました。
その治世中には、718年養老律令制定、後ろ盾になっていた藤原不比等は720年に亡くなりましたが、722年百万町歩開墾計画・723年三世一身法(サンゼイッシンホウ)と受験日本史で学んだけれど中身は覚えていない法令を次々と定めています。
譲位して甥の聖武天皇に位を譲った後も、独身のまま20年以上生きて(68歳)、ここ奈良の北、甥夫婦や母親の陵にも近い奈保山西陵(ナホヤマノニシノミササギ)(奈良市奈良阪町)に葬られています。
聖武天皇陵から元明・元正天皇陵に向かう道に、セメント漬されて半分地中に埋まった道標がありました。
返事
花水木さん:俵屋吉富の雲龍ですね。
京観世と雲龍はどっちが好きかは好みの問題ですが、
どっちが古いかは詳しく知りません。