2007年6月から本格的に再開した「島の医者になって」、私の家族からのコメントに始まって、奈留島を離れて本土に出て行った(やまもも)さんや(浮岡)さんなど、奈留島関係者からの島を懐かしがるコメントも届きだし、奈留島人を繋げる役にも立ちだしたかとも思えるようになりました。
島に行く前に働いていたH病院の多数の皆さんの激励のコメントや、その中にあって私の文章のお師匠さんでもあり、名前を次々に変えながら今も突っ込んでくれてる(Toitenn)さんのコメントに勇気づけられ、再開始は順調でした。
奈留島の夕陽はいつもきれいでした
奈留島のブログ「島のターシャのガーデンから」の(tozyoko)さんは、島一番の文化人でいろいろお世話にもなりましたし、このブログ繫がりでなんといっても(花水木)さんがコメントしてくれるようになったのが、私のブログが続いてる要因です。
島の(喜珍)さんのブログ「喜珍日記」ともつながって、公私ともにいろいろお世話になり、五島市職員としてブログネタを書く助けにもなってくれました。
(tozyoko)さんは私より年上でしたが、色々不幸があってブログも閉じられ、島からも出ていかれましたし、(喜珍)さんは若くして亡くなられましたので、私の大事なコメンテーターを二人もなくしています。
「喜珍日記」はまだそのまま残っていますね、ということは私のこのteacupブログのほうも、ずっと残るのでしょうか?
海上保安庁の制服も島では着れました
新しい「島の医者になって、た頃もあった」に飛んでください。
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