島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

丹後半島の旅2.

2022-06-22 | 

 丹後半島間人(タイザ)近くにあった立岩(タテイワ)遠景です。

最初に遠景で観たせいか、私の頭の中にあった立岩より小さく感じました。

立岩はマグマが冷えて固まった柱状節理の大きな岩の塊です。

 2014-3-12のブログで紹介した、五島列島椛島の鷹ノ巣がんぎの写真ですが、こっちのほうが迫力あったと思いますが、ここは普通の観光旅行では行けない場所なので、返す返すも残念です。

 砂浜を歩いて立岩に近づき見上げると、それなりの迫力はありますし、ベタ凪の日本海の海の色もきれいでした。

 第31代用明天皇の第3皇子麻呂子親王(マロコ)が、この地で鬼退治をして、退治した鬼をこの岩に封じ込めたので、今でも岩の中から鬼の号泣する声が聞こえてくるそうですが、その日は風も波もないので聞こえませんでした。

 奈留島の洞窟が鳴る話を思い出します。

 異母兄(異母と言っても異母同士も蘇我氏の姉妹)である第31代用明天皇(父は第29代欽明天皇)の皇后穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)とその子聖徳太子の母子像も、この海岸に立っていました。

 その頃の天皇家の無茶苦茶血が濃い結婚で生まれたのに、聖徳太子(兄妹の子に近い)は賢かったんですね、というか血が濃かったので極端だったのか。

 蘇我氏と物部氏の争いから逃れてこの地に居た穴穂部間人皇女は、都に帰るときに世話になったこの地に、自分の名前の間人(ハシヒト)を贈ったそうですが、村人たちは畏れ多いと、皇后が退座(タイザ)したということにして、間人をタイザと読んだそうです。

 その間人の漁港を見下ろす旅館にわらじを脱ぎ、明るいうちから誰もいない露天風呂に一人つかって、ぼーっと海を眺めていました。

 夕食のお刺身盛り合わせが旅の目的の一つでしたが、野菜多すぎと思いました。

でもこの野菜が美味しかったですよ。

 旅の朝食はいつも2~3杯食べるのですが、もう歳ですね、茶碗にこれだけで終わりました。

 接客係が男性で、この人が優しく良かったので、この人がいる間ならもう一度行きたい旅館でした。

 帰りは天橋立の小型版である小天橋によって、その久美浜湾を見ながらこれを食べたぐらいで、豊岡にも少し寄って帰りました。

 一度行くと、また行きたくなるのは、映画と旅行ですね。

コメント (6)
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