島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

113-3東山天皇後宮藤原賀子

2022-11-02 | 天皇陵巡り

 櫛笥隆賀(クシゲタカヨシ)(1652~1733)の娘櫛笥賀子(クシゲヨシコ)(1675~1710)は、第113代東山天皇(1675~1709)(在位1687~1709)との間に5皇子1皇女をもうけ、1696年には典侍(ナイシノスケ)に昇進しています。

  御所の東蘆山寺の裏にある蘆山寺陵(ロザンジノミササギ)(上京区寺町広小路上ル)、東側は河原町通が走っていて、私の母校も有るのですが、ここは静かすぎました。

 東山上皇が亡くなって2週間もたたずして賀子も亡くなり、新崇賢門院の院号も追贈されています。

死因は東山上皇と同じく痘瘡によるもので、墓所はここ蘆山寺陵に在ります。

  制札には東山天皇後宮新崇賢門院藤原賀子墓とあります。

 上三人の皇子は乳児で亡くなりましたが、4人目の皇子(東山天皇にとっては第5皇子)慶仁親王(ヤスヒト)が第114代中御門天皇(1701~1737)になりました。

  蘆山寺陵は正面からずっと塀に囲まれた内部も見れます。

 正面がこの陵の主人公慶光天皇(キョウコウ)の石塔です。

 賀子が最後5番目に産んだ閑院宮直仁親王(カンインノミヤナオヒト)(1704~1753)は、世襲親王家の閑院宮を創設、その孫が第119代光格天皇になれたので、自分の産んだ中御門天皇系は消滅しましたが、こちらの方で賀子は今の皇室と繋がっています。

  蘆山寺陵正面右に有ったのが賀子の墓でした。

この陵は明治になってから出来たので、昔の墓を集めたのかその時に作ったのか解りませんが、慶光天皇の祖母としてここに入っていました。

コメント (4)
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