島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

志賀山越1.

2024-07-05 | 京都へ、京都から

 続いて京の七口の一つ荒神口(コウジングチ)から滋賀県に抜ける、志賀山越(シガヤマゴエ)(私としては普段使ってる山中越(ヤマナカゴエ)の方が馴染みが有りますが)の回に移ります。

 地図は又、増田潔「京の古道を歩く」からの無断掲載ですが、荒神口から青矢印の経路です。

 写真で左右に走る河原町通りと前後の荒神口通りの交差する、ここが荒神口です。

私には大学や研修医・修練医時代におなじみの交差点ですので、この辺から出発します。

 その前に荒神口通りを少し西に行った所にある、最近新しい校舎になった鴨沂高校(オウキコウコウ)を紹介します。

1872(明治5)年に開校、1923(大正12)年に京都第1高等女学校、1948(昭和23)年京都府立鴨沂高等学校になった、私の出身京都市立堀川高校より名門です。

最近は成績や人気に陰りが見えてたそうで、校舎を新しくし、制服を変えて又人気が出てきたようですが、新築前の土塀と立派な門のあった時代の方がいい感じでした。

山本富士子・田宮二郎・団令子、同い年の大信田礼子や中退ですが沢田研二と、昭和のスターを鴨沂高校は輩出させています。

ちなみに鴨沂は、鴨川のほとりの意味だそうです。

 その隣にあるのがこの清荒神(キヨシコウジン)、そもそも荒神口の名は、京都七福神の一つで1600(慶長5)年にこの地に移された清荒神から起こってます。

江戸時代には護浄院(ゴジョウイン)(天台宗)の院号を賜り、今に至ってるそうなので、まあここが志賀山越(山中越)の起点でしょうね。

 境内には第119代光格天皇の胞衣(エナ)(胎盤)を埋納した、この御胞塚(オンエナヅカ)が有ったので、天皇陵巡りでも紹介していましたね。

コメント (8)
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