島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

自由時間

2024-09-09 | ノンジャンル

 月に2回だけ余分に土曜日も家内はデイサービスに行ってくれてるので、その間7時間の自由時間です。

 暑いですが、締め切りも迫ってる?ので頑張って「京都へ、京都から」の取材に、電動自転車で出かけました。

 鴨川沿いになるべく歩道の木陰を利用して南下。

鴨川のところどころに飛び石や、写真では舟橋を模(カタド)ってるのか、石の舟も置いてあります。

橋だけではなく、様々な方法で賀茂川を渡る生活が有ったのでしょうね。

 丸太町橋のたもとに、私は全く知らなかった、梁川星厳(ヤナガワセイガン)(1789~1858)と紅蘭(コウラン)(1804~1879)の寓居跡の碑が有りました。

星厳は美濃大垣出身の勤王詩人で、鴨沂小隠(オウキショウイン)と言う寓居に1840(弘化3)年から10年近く夫婦で住んでいたようです。

それまでは星厳・紅蘭夫婦は連れだって西日本の各地を歴訪してたようで、私たち夫婦もよく二人で西日本を旅しましたが、漢詩も作れずのままでもう旅にも行けず、松ヶ崎の寓居で老々介護をしています。

 鴨川と並行して流れてる鴨川運河に沿って南下するのですが、琵琶湖疏水から鴨川運河を通って伏見へ、そして大阪へと至る船輸送の道は、三条からは暗渠になっていました。

 四条大橋まではすぐに着きました。

四条大橋とその向こうの東華菜館のレトロなビル、前の像は南座もあるので、出雲阿国像です。

 四条からは川端通りを離れて少し東の道を行きましたが、花街の宮川町を通り抜けたかったからです。

中学高校時代には目的もなく宮川町や先斗町を自転車で走っていました。

運が良ければ、シミーズ姿で道路を掃いてるお姐さんが見られるからです。

今回は運が悪いのか?、工事現場のガードマンしか見ませんでした。

 でも、シミーズやシミチョロはどこに行ったのでしょうか?

「母さん、僕のあの懐かしいシミーズ、どうしたんでしょうね?・・・・宮川町でよく見た・・・Mama Do you remenber 🎶」

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする