島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道3.

2024-09-22 | 京都へ、京都から

 豊臣秀吉の築いたお土居は、この地図の左端を南北に走っていたので、この地図はもう三条口を出てしまっている地域の地図になるのですが、何となく三条大橋が三条口と思ってる方が判りやすいですね。

 地図中央に青線を引いた、細い路地にあったスナック(バー)に友達と集まって、時には向かいの「河しげ」から名物満月弁当を頼んで食べたりした後、麻雀をしていた期間が40年ぐらい前に有りましたので、懐かしい路地です。

写真撮影中に、その頃はまだ20代であったと思っている河しげの三代目と偶然会って、懐かしい話が出来ましたが、彼ももうお爺さんでしたね。

 その後この辺りは、「おやじ狩り」がよく出たので、私たちは近づくのを止めました。

 この路地を三条通から抜けると、そこは15年前から龍馬通の名が付いています。

昔は、三本立てで1本は立ったまま観て、残り2本は出て行った人の席に座れて観てた「田園シネマ」、30円で活劇映画とトムとジェリーやポパイの漫画、それにニュース映画が付いていた「京劇名画座」が有りました。

 戦後10~20年、アメリカの戦争映画で、時々日本の零戦がアメリカの艦載機を撃墜したりすると、場内から拍手が沸き起こっていました。

 その龍馬通にある「酢屋」、酢屋があったから龍馬通の名が付いたのですが、坂本龍馬が暗殺される一ヶ月前まで住んでいて、海援隊の京都本部も置かれていた材木商の家です。

今もそれから持ち主が変わらずに、木工品を扱う店になっていますが、娘さんは(今ではおばあさんですが)私の高校の同級生でした。

コメント (4)
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