島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道2.

2024-09-18 | 京都へ、京都から

 京の七口の一つ三条口(粟田口)は、なんせ東海道の起点ですし、この地図に打った1~5は私の幼稚園から大学までの所在地ですので、1.の幼稚園に通った頃からや、映画館に通い続けた中・高校まで、自宅から一番近い七口として生活圏に入っていました。

 こんな狭い範囲で生活していた井の中の蛙が、離島に行ったとは自分でも信じられない時が有ります。

 戦後すぐの河原町御池の写真がFacebookに乗ってたので、お借りしました。

京都市役所は今もそのままです、右の洋館が京都ホテル(今のホテルオークラ京都)の様で、戦時中に広げられた御池通は進駐軍のテニス場になってます。

市電の辺りが、祇園祭でも辻回しが行われてる河原町御池交差点です。

多分カメラの位置は三条口辺りですので、右のバスが止まってるもう少し右に、この写真の数年後から私が通い出した1.河原町幼稚園(今は信愛幼稚園)が有ります。

 地図は右側を南北に流れる鴨川と三条大橋・三条口の手前付近です。

上端にある青〇河原町教会の付属のような幼稚園に行ってたので、結婚式に歌う有名讃美歌は結構歌うことが出来ますが、島で行った教会の結婚式の讃美歌は、全く知らない歌ばかりでした、

 もう一つの青〇の古くからあるまあ有名な喫茶店 六曜社 、大学時代は一人で街に出るとよくここに入って、だいたいホットオレンジジュースを飲んでいました。

全席が相席だったので、何か出会いがあるかもしれないと期待して行ってましたが、そんなことは全く起こらなかった私の青春時代です。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする