島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道14.

2025-01-10 | 京都へ、京都から

 昨日は今季初めてうっすらと積雪あって、今日は大雪の予想でしたが、朝起きても雪はなし。

でも8時ころから吹雪になって、あっという間にグランドは白くなりました。

 正月明けましたので、再び「京都へ、京都から」の東海道編に戻ります。

久しぶりなので、前回の地図再掲しますが、今は三条大橋を出立して約1㎞ちょっと行った蹴上付近です。

 写真は、地図のインクラインの下をくぐるトンネル「ねじりまんぽ」です。

「まんぽ」はトンネルの意味の古い言葉らしいですが、私は使ったことありません。

ねじりまんぽは内壁のレンガをらせんに積むと強度が増す方法(理屈はもひとつ理解不足)で作られたトンネルです。

この写真の西口の扁額(ヘンガク)には、第3代京都府知事北垣国道の揮毫した雄観奇想(ユウカンキソウ)(見事な眺めと優れた考えの意)が掲げられています。(半分しか写ってませんが)

 このねじりまんぽを左に見ながら蹴上の坂を上り、京都市営地下鉄東西線の蹴上駅入り口を通り過ぎて日ノ岡峠を進みます。

電動自転車なので、スイスイ上りますが、江戸時代はなかなかの難所だったので、もっと急坂だったようです。

 日向大神宮(ヒムカイダイジングウ)の一の鳥居が見えてきました。

ここが本来の粟田口(京の七口)らしいですが、東海道を行き来する旅人は道中安全をこの神宮で祈り、その門前には弓屋・井筒屋・藤屋という京で有名な茶屋も並んでいたそうです。

 日向大神宮の参道を少し登りましたが、もっと上に本堂は有るようなので諦めて、この写真琵琶湖疏水の蹴上舟溜まりを見るだけにしました。

ここからインクラインは始まり、またこの疏水の水はここから埋設された約4.6㎞のベルギー製鋳鉄管を通して東本願寺まで運ばれ、防火用水として使われている本願寺水道の始まり地でも有ります。

この水源地と京都駅近くの東本願寺の高低差は48ⅿなので、充分屋根まで届く水圧の防火用水になるそうで、1897(明治30)年に完成したそうです。

 東本願寺の前の烏丸通を通る京都市電の軌道も、お東さんの前だけ避けるように膨らんで通してますし、明治の頃の東本願寺は力があったんでしょうね。

 向かいに蹴上浄水場が見える広場に、この義経地蔵が有りました。

金売り吉次と共に鞍馬山から奥州に向かう牛若丸(義経)一行が、この日ノ岡峠に差し掛かった時、馬に乗った平家一族の9人とすれ違い、一団の一人が誤って泥水を蹴り上げ、義経の衣服を汚してしまい、謝ることなく通り過ぎたので、義経はその9人を切り殺したそうです。

その後我に返った義経は後悔し、村人に9人の菩提を弔うように頼んだそうで、その時造られた9体の一つがこの地蔵だそうです。

源義経、立派な人なのかどうかわからないですね。

 一説にはこの馬の蹴り上げから、蹴上(ケアゲ)の地名も生まれたようです。

私の小学校時代、バスで山科の郊外学舎に向かう時にここを通る時は、いつも皆が自分の髪の毛をつまんで、「毛あげ」と叫んでいましたね。

 ブログ書き終えて外を見たら、明るくなってましたが雪は2㎝ほど積もってました。

今日はどこも大雪らしいので、皆さんお気をつけて!

コメント (3)
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