
若松島巡りの目的は、一番端の日島曲古墓群をもう少し先の方まで見に行くことです。
室町時代、もっとさかのぼって奈良時代の頃から、ここは海上交通の拠点だったようです。
その頃からの墓がトンボロの上に形作られ、海を見ながらづっと並んでいます。
整備した為か、あまりにも綺麗に並びすぎているのは気に入りませんが。

古墓群の見ている東シナ海の海、位置的にもこの景色は奈留島の大串の野首によく似ています。
西のはて!
風の中一人でじっと眺めていると、少し涙が出てきます。
お弁当にしました!

ここから少し日島の先へと進むとディアパーク、野生の鹿が100~200頭居るそうで、ここから海を泳いで奈留島まで鹿が来るようです。
目の前を突然鹿が2頭横切り、私も鹿も驚いて、写真は撮り損ねました。
海の見える高台に、こんな石塔が建っていました:釜崎宝篋印塔

古墓群の石塔やこの石塔は、福井県の高浜から室町時代にわざわざ運ばれてきたようです。
北は青森県から南は鹿児島県まで、日本海や東シナ海の海岸沿いに高浜からの石は分布していて、その頃から海上交通がよく整備されていたことを示しているそうです。
夏の子供会の水泳遠足に、京都の子供は日本海の高浜海水浴場に行きます。私の親は子供会に行かせなかったので、私にとって高浜は羨ましい憧れの場所でした。
今は原子力発電所やサーファー天国に成っている若狭湾の高浜、そこから室町時代にここまで石が運ばれているので、今の時代私が自転車でここまで来るのも何の不思議も無いのですが・・・。
やっぱりなんで一人ここに来ているのか不思議に思うことはあります。
自転車の一人旅は、私を哲学者に、いやロマンチストにしてしまいます。
返事
花水木さん:冬の一人自転車は、絵になるというより悲哀感一杯です!
やまももさん:亀の子たわしは本当のようですね。
自分が嘘つきなので、人の話も素直に聞けないひねくれ者です。
すみません
西のはて・・・少し涙を流し、すぐにお弁当。
ここが1番好きです。
しかし、奈留島近辺は不思議が一杯ですね。
嘘だと思っても仕方ないかと思います。
私も何年か前に原付で若松島に行きました。
家から持ってきた母に作ってもらったお弁当を持っていったのですが、
その時は鹿が沢山いて、浮「ので扉のついたバス停の中で食べました。
古墳群は、むかしむかしは五島も歴史の中で
重要な位置を示していたのだなぁ。と思わせてくれますね。
奈留島の遠足も中学生くらいなら若松島に行くのもよかったのかもしれませんね。
毎回千畳敷に行くよりは、歴史が身近に感じられたのかもしれません。