島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

今週は奈留島を懐かしむ

2011-02-08 | 奈留島
    
 週末に京都に帰る山道の路肩には雪も残り、心配と、いざという時チェーンを着ける元気もなくなってきたので、初めてスタッドレスタイヤに履き替え、「四駆でスタッドレスで浮「ものなし」と思ったら、急に暖かくなってきましたね。
    
 奈留島の漁協とは、今でも家内の電話一本で魚を送ってくれるシステムが構築されているようで、年末はヒラスや鯛で楽しめ、今週は鯵と鯖が料金後納で届きました。
 やっぱり鯵の刺身は   「うまい!」
ですが、京都なので1日かかり、今回は鯵をたたきにした方が美味しかったです。
    
 昼の小堺さんのサイコロトーク番組が、医局のTVに映っていました。
懐かしい 神保悟志 さんが出ていましたよ。「田舎に泊ろう」で泊めて以来ずっと、年賀状も手書きの文を添えて貰っている、真面目で律儀な券\人です。
綺麗な奥さんののろけ話でしたが、奈留島でも、私たちに奥さんの自慢をされていました。
     
 だいぶ陽も長くなって、青野原でも山か雲に沈む夕陽が見られます。
今週、奈留病院の看護婦さんからのメールもあって、奈留島の夕陽も懐かしく思い出されます。
 そろそろ、椿まつりの海鮮グルメウオークもあるんでしょうね。

   返事
花水木さん:廃寺からハイジに跳びましたか!
     予想外の展開で、さすがさすがの血統ですね!
     チャコ:ほんまにこんな名前かいな?と検索してしまいました。疑ってすみません。
     ほんまにチャコでしたが、記憶にない。Wikipediaでチャコ削りと言う道具もあるのですね。
喜珍さん:続いてチャコが久子ですか!
    エリザベス・テーラーがなんでリズ・テーラーになるのかと疑問でした。
     廃寺から最後はチョコで「お後がよろしいようで・・・」
コメント (3)
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広渡廃寺跡

2011-02-02 | 播州
    
     広渡廃寺跡です。
 小野市の真ん中あたり、加古川左岸段丘上にある古代寺院跡です。
古代なんて書くと、エジプトの頃と思ってしまいますが、調べると日本史では奈良・平安時代も古代のようです。
ついでに言うと、廃寺が「廃止された仏教寺院」だそうで、廃寺なら跡に決まっているのになあ・・・。
  日曜日でも、あまり人はいません。もちろん建物はまったくなく、発掘により建物の配置がわかり、人家も何も無かったせいか、奈良の薬師寺と同じ薬師寺式伽藍が全て発掘されていました。
     
 その隅には、いたずらされないように柵で囲われているのが残念ですが、この伽藍がセラミックで再現されていました。
全国で一つしかない20分の1セラミック製、日本一の模型だそうです!
     
 柵の間から写真を撮ると、確かに薬師寺のように東塔・西塔・金堂・講堂のある立派な寺院です。
薬師寺ばかりが有名ですが、奈良時代にはこんな寺院が全国に建てられたのでしょうね。
     
 西塔跡の再現された基壇に上って、この塔の大黒柱が置かれていた心礎(しんそ)をフークに従って熱心に調べました。
     
 続いて東塔跡の基壇にも上がって、金堂と講堂の跡に再現された基壇を眺めます。
各基壇には、平たい丸石を積んだ乱石積みと呼ばれる基壇化粧がなされているのが判りますか。(今知った知識です)
 何故か東塔の心礎は、他に転用されたのか盗まれたのか、中心の柱の穴があいていませんでした。
    2回続いてアカデミックなブログになりました。(この程度が精一杯の背伸びなら悲しいですが)

   返事
和さん:ラシャは昔は良く聞く言葉でしたが、どんな生地かと問われると・・・・
    なんせ、厚い生地ですね?
花水木さん:ギザギザに切れる鋏はピンキング鋏と言うのですね。
    丸い歯車がついた棒を転がして印を付けるのは何というのですか?
    平たいロウセキのばちで印を付けるものは何というのですか?
     子供の時裁縫箱のこれらに触って叱られた記憶があります。
喜珍さん:時を足し算するのはいいですが、時の引き算は寂しくなっています。
中ちゃん:ブログ名変更了解しました。
コメント (2)
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