島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

五島列島冒険ツアー

2014-03-12 | 五島列島
 
 3月9日(日)少し風があって曇ってもいましたが、家内も入っている読書ボランティア童里夢(ドリーム)主催の五島列島冒険ツアーが有りましたので参加。
 総勢40数名が海上タクシーを借り切って椛島一周。
外海は波があって、窓の高さ以上の波を上げてバンバン海上タクシーは走りますが、以外と酔わずに済みました。
 奈留島が翼を広げたラドンの形なら、椛島はそれを背後5㎞ぐらいから狙うモスラの様な形、蝶形の人口 150人ぐらいの島です。
 
 先ずは椛島沖に建った浮体式洋上風力発電の風車の横まで、海上タクシーを着けます。
今回はその横に、以前の小型実証機を利用したような観測塔も浮いていました。
 ここまでは来た事がありますが、ここから先は私にとっては未知の海です。
 
 椛島を左回りに廻ります、湾に入って波も穏やか、瀬渡し船で岩場まで釣りに来ている酔狂な人が沢山います。
 丁度奈留島から見ると裏側にあたる、蝶の右の羽の後縁にある 為石の湾洞(タメシンワンド)、湾洞とは小さな入江の意味で、有名なイタリアの青の洞窟と同じ海蝕洞です。
この奥ずっと入って行くと、椛島の手前にある無人島のツブラ島の池につながっていると言う伝説も有るそうです。
 
 続いて鷹ノ巣崎燈台断崖、ゆっくり進む海上タクシーの前方デッキに陣取っていられるぐらい波は穏やかです。
 垂直の断崖から湧き水が垂れて、崖が黒く光っています、真冬には氷のツララになるそうです。
   その奥に見える天に至る細長い階段、見えますか?!
 
     鷹ん巣がんぎ です。
 「がんぎ(雁木)」って、雪国に有るアーケード様のひさしですが、他にも「がんぎ」は船着場にある海に入っていく階段や城の土塁に内側から登る石段もそう言うそうで、ここではその意味なら納得です。
 見れば見るほど人工の階段と思うような、自然が作った造形ですが、やっぱりここも弘法大師が登っています。
 ここがもっと行き易い場所にあったら、すごい観光地になったはずです、海上タクシーに揺られていく価値は十二分にありました。
 
 そのまま椛島を一周して久賀島の旧五輪教会に行きました。
ここではHISAGASIMAさんのご主人が、わざわざ説明にボランティアで来てくれていました。
 ここのキリスト教墓地は、旧五輪教会に負けないぐらい、いつ来ても良い所ですし、残った2軒の家の人がいつも綺麗に聡怺ヌ理されていて気持ちもいいです。
 教会の前で弁当を食べ、奈留島に帰りました。
半日でしたが、なかなか値打ちの有るツアーで、帰ってからも地面が少し揺れていますので、競馬は入ったのに損でした。

       返事
花水木さん:水イカ・アラカブ・クロは防波堤から釣れたと言ってあげられる、
    上等品のようです。
大雪男さん:花水木さんのコメントが入りだして、私のブログも続くようになったので、
     花水木家のある沼津に足を向けては寝ていません。
コメント (3)
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奈留島百人一首89

2014-03-10 | 奈留島百人一首
 
 89. 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
             忍ぶることの 弱りもぞする

                          式子内親王(ショクシナイシンノウ)(?~1201)
    「玉の緒」→「魂の緒」→「魂を身に繫いでおく緒」→「命」の意味。
 「私の命がなくなってしまうなら、いっそこのままなくなってしまえ!!もしも生きながらえたらば、この恋心が強まって心の底に秘めていることが出来なくなり、皆に分かってしまうので。」
 作者は第77代後白河天皇の第三皇女で、賀茂神社の斎院を務めました。
 この歌はこの小倉百人一首の撰者97番藤原定家に贈った歌だという話もあります。
 私はうわさ話も好きなので、しゃべりたくてしゃべりたくて「忍ぶることの弱りもぞする」という気持ちはよくわかります?。
 
 89. 鯵イカよ 絶えなば絶えねは 困ります
            獲れないことの 弱りもぞする

                  よ・絶えなば絶えね・ことの・弱りもぞする  18字 同じ
 「鯵やイカに限らず誰に尋ねても、奈留島周囲から五島沖まで魚は無くなってしまったのか、獲れなくなっています。なんといっても漁業は奈留島の命運を握っているので、何とかしてほしい!」
 奈留島に住んでいると、心の底から漁業復活を祈るようになりますが、なかなか有効な策は見つからないようです。
   しかし、この鯵の刺身はうまいです!!
 
 奈留島で獲れるイカの中でも値段が高いのは写真の水イカ、世間で言うアオリイカと言うやつです。
 自分では釣れたことないですが、皆よく防波堤でも釣っているので、時々貰えます。
刺身はもちろん、イカが沢山入ったチャンャ唐ナも、イカが沢山入った海鮮パスタでも、大根と一緒に煮ても、スルメでも、イカは美味しいですね!

    返事
大雪男さん:あと10首ほどですが、3月中は無理になりました。
花水木さん:PM2.5なんかなかったので、昔はもう少しは見晴らしも良かったかもしれませんが、
    烽火の煙は福江島からいつも見えたのですかね?実用的だったか、どうなんでしょうか?
コメント (2)
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奈留島百人一首88

2014-03-07 | 奈留島百人一首
 
 88. 難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ
            身を尽くしてや 恋ひわたるべき

                       皇嘉門院別当(コウカモンインノベットウ)(12世紀末頃) 
 「難波の入江に生えている蘆の刈り根の一節のように短い一夜の仮寝をあなたと過したばかりに、この先ずっと難波の海の澪標のように身を尽くし恋続けなければならないのでしょうか。」
 一夜の思い出に、ますます恋心がつのってますと言う意味か、一夜の過ちを後悔してる歌なのか、はっきりしないような気がする歌で、貧乏くささがむしろ鼻につく感じもしますが、どうでしょうか?
 
 88. 遠見番山の 役のかりねの ひとよゆゑ
             薪燃やしてや 指示わたるべき

                 の・のかりねの・ひとよゆゑ・してや・わたるべき  19字 同じ
 東風泊の北に193.2mの遠見番山(トメバンヤマ)が有ります、五島藩はこの山の上に烽火台を置いて、五島の島々の間を早く連絡する体制を整え、山の上に役人が常駐して烽火で合図していたようです。
 
 城岳へ行く途中からフークと一緒にこの烽火台跡まで登ったことがありますが、木々が茂ったせいか見晴らしはそれほど良くなく、烽火台と思われる崩れた石垣が残るだけでした。
 こんな所で、いつ来るかわからない合図の煙を待ち、すぐに煙を上げる準備をしている役人も大変だったでしょうね。

      返事
大雪男さん:上五島にはもう薪の風呂はないのですか!
    私も小学校ぐらいまでは五右衛門風呂でした。
花水木さん:五右衛門風呂を焚くのは、子供の頃の私の役目、
    薪の火の明かりで勉強していました?
     風呂がぬるいと、裸のまま外に出て薪を足していたのを思い出しました。
福山市さん:隣の家の、煙抜きのような明り取りのような小屋根は、
     京都の私の家にも有って、梁を伝ってそこまで登り、屋根の上に出たりもしていました。
     私は、花水木さんがロッキングチェアでじっとしているような人とは思えませんが。
コメント (2)
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奈留島百人一首87

2014-03-05 | 奈留島百人一首
 
 87. 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に
           霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

                        寂蓮法師(ジャクレンホウシ)(1139?~1202)
 12歳で子供のいなかった叔父の83番作者藤原俊成の養子になりましたが、俊成に実子97番作者でこの小倉百人一首編者の定家が生まれたため、23歳頃に藤原定長(フジワラノサダナガ)を改め坊主になって寂蓮法師と名乗ったようです。
遠慮深く静かな人で、特にこの仕打ちを恨むことなく、新古今時代の代表的な歌人になっています。
 「激しく通り過ぎていったにわか雨、その雨のしずくも残ってまだ乾ききっていないまきの葉に霧が立ち昇ってくる、なんと寂しい秋の夕暮れであることよ。」
 この歌は小倉百人一首の中で最もよい歌だと、多くの人が言っているようで、確かに声を出して詠むリズムは、私でも素晴らしいと思います。
 またこの歌から、宝塚スター「霧立のぼる」の喧シが生まれています。
 
 87. 木片の 塵一つない 薪の山に
           煙立ちのぼる 秋の夕暮れ

                      の・まきの・に・立ちのぼる・秋の夕暮れ  17字 同じ
 家の横に薪を積んだ家も、奈留島ではよく見かけます。
家屋から出た廃材をきれいに切りそろえてきちっと積み上げている様子は、奈留島島民の気質を表しているのかもしれません。
  
 奈留島にはもちろん電気もプロパンガスもきていますし、石油で風呂を焚く家も沢山有ります。
それでも風呂だけは薪で焚く五右衛門風呂の家もまだまだ残っているようです。
 夕方のフークとの散歩の時、煙突から煙があがっている家も所々に見かけます。
 奈留島百人一首の中で最もよい歌とはなっていませんが、寂しそうで暖かい煙を眺めながらの佳作とはなりました。

     返事
大雪男さん:奈留島の店にはまだ紙テープが売られているので、
    完全中止にはなっていないかもしれません。
福山市さん:ウォーキングの船からの写真届きました、ありがとうございます!
     福江港で別れのテープをまだやっているのなら、禁止は私の思い違いかも?
     この3月の別れには、皆さんテープの別れをやられてるかもしれませんね。
花水木さん:同じくすみません
     禁止は私のかん違い?今月の別れのシーンを見に行って確認します。
コメント (3)
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奈留島百人一首86

2014-03-03 | 奈留島百人一首
 
 86. 嘆けとて 月やは物を 思はする
           かこち顔なる わが涙かな

                               西行法師(1118~1190)
 「嘆き悲しめ!と月がそう言って私に恋の物思いをさせるのだろうか?いや、そうではない、月のせいでないのに月のせいであるかのように、私の涙はこぼれます。」
 有名な「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」は解り易い歌ですが、他の西行の歌は、私にはもひとつ意味をしっかり理解できない歌が多いです。
 この歌もなんかもひとつしっくり意味を理解できていません。
 
 86. 嘆けとて 3月は別れの 思ひする
           かわいいい顔に みな涙かな

                    嘆けとて・月・は・思・する・か・顔・涙かな 20字 同じ
 3月になると、奈留高校卒業生のほぼ100%は島を出て行きます。
他にも教職員や警察官の転勤など、3月は別れの季節です。
島で別れと言えば、やはり港での見送り、特に昼の九商フェリーは唯一奈留島から長崎本土に行ける直行便なのです。(ややこしくも太古も本土に行ける直行便ですが)
 
 高校3年生を見送る3月末の休日は、吹奏楽も港に繰り出して、別れの一大セレモニーですし、もちろんここで演奏されるのはユーミンの「瞳を閉じて」。
 テープの別れは何故か最近は禁止されました、こんなぐらいの紙テープによる汚染はかまわないと思うんですが、何でもかんでも極端に走りすぎの世の中、悪いこと・不衛生なこと・汚いこと・不健康なことにも、少しは目をつぶることも必要だと思います。

   返事
花水木さん:良い写真を撮りたいのですが、私のパソコンは古いので、
    キミマロズームでさえ画素数を落として撮っているぐらいです。
     そろそろパソコン買い換えたいです。
大雪男さん:性能の悪い私の物も、使い道はひとつに絞られてきましたが、
     そのひとつさえも思うようになりません。
コメント (3)
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