島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

108-6後水尾天皇皇子高仁親王

2022-08-05 | 天皇陵巡り

 新型コロナ感染者もピークになるかなと思ってたら、まだ頂上に来てないようですね。

老人施設では、入所者に陽性者は一人出ましたが、クラスターにはならず落ち着いて、何とか隔離も解除になってます。

 職員は定期的に再び抗原検査をするようになって、私も時々自分で検査してます。

写真のように今回も陰性ですが、結果出るまでは嫌な気分で、症状もない時はしない方がましかなとも思っていますよ。 

 第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~162)と典侍四辻与津子(ヨツツジヨツコ)(?~1639)との間の第1皇子は賀茂宮(カモノミヤ)(1618~1622)でしたが、その親子を追放して入内した中宮徳川和子(マサコ)(1607~1678)、そして産まれたのが今回の高仁親王(スケヒトシンノウ)(1626~1628)です。

  写真は大極殿跡近くにある般舟院陵(ハンジュウインノミササギ)(上京区今出川千本東入)

 高仁親王が順調に育ったら、2代将軍徳川秀忠が外祖父になれるチャンスだったし、1629年には父後水尾天皇は譲位し高仁親王の即位も予定されてたぐらいでしたが、それを待たずに数え3歳で亡くなりました。

 七つまでになくなった皇族は葬儀をしないという慣例から、死の翌日には般舟院陵に葬られました。

  制札には後水尾天皇皇子高仁親王墓とありました。

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108-5後水尾天皇後宮藤原国子

2022-08-03 | 天皇陵巡り

 8月1日13:00で本当にteacup.ブログは無くなっていましたよ。

「島の医者になって」⇒「島の医者になって、た頃もあった」と15年間続けた私のteacup.ブログは無くなりましたが、幸いこのgooブログに上手に移転出来(一部文字化けしてるとこはありましたが)ましたので、このgooブログの続いての読者でいていただけることを願う次第です。

 15年間で、閉鎖される2時間前までの総アクセス数は25万9260、1年間で1万7千ほどと沢山の人に読んでいただけた幸せ(内365回は私ですが)に感謝しています。

今回gooブログに移って3ヶ月ですが、何故か1日50以上や100以上のアクセス数の時もあったりで、1万近いアクセス数になってます。gooブログの認知度のほうが高いせいでしょうか、新しい読者の方もこんなブログですがよろしくお願いいたします。

 不評の天皇陵巡りも意外と人気になってるのかも?と、楽天家の私は早速また天皇陵巡りを揚げています。

 園基任(モトタダ)の息子園家13代当主園基音(モトナリ)(1604~1655)は、妹光子に続いて娘の園国子(ソノクニコ)(1624~1677)も後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)の後宮に入れました。

国子は4男2女をもうけ、その末子である後水尾天皇の第19皇子が第112代霊元天皇(1654~1732)(在位1663~1687)になりました。

  写真は泉涌寺境内にある月輪陵の門前です。

 死の直前に国子は、息子霊元天皇から新広義門院を宣下され、その日のうちに亡くなって月輪陵に葬られました。

 園家は藤原北家持明院の庶流で、権中納言までしか官位を上げることが出来ない家柄でしたが、国母を続けて二人も出して、後光明・霊元と2代の天皇の外祖父になったことより、左大臣や権大納言を出す力を持てるようになりました。

  月輪陵右横の、写真の民墓に行く人しか入れませんと書かれた柵を越えて、少し月輪陵を横から見てみました。

コメント (7)
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