島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

創工会展

2023-02-13 | 趣味

 京都の南にある京セラ本社ビルです。

京都の大きな有名企業と言えば、日本電産・村田製作所・オムロン・ローム・島津製作所などの技術会社が多いですが、ちょっと嬉しい女性下着のワコール・ゲームメーカーで世界を席巻した任天堂・元祖酎ハイの宝酒造も有ります。

 でも第1位は稲盛和夫さんが創業した京セラでしょうね。

 ビルの前の広場には、何体かの彫刻が飾ってありましたが、その一つに見覚え在りました。

近寄ってみると、朝来芸術の森美術館でおなじみの 淀井敏夫 さんの作品です。

 ビル1階の京セラギャラリーで

  KOGEI―未来への創造と多様性の精神-

いつもの創工会の展覧会です。

代表作品と作家人生のターニングポイントとなった作品を紹介するとあって、一人二作品が展示されていました。

 同級生の染織作家内田明司君の作品だけは、偉くなったせいかサイズがあっただけなのか、二つともガラスの中の展示です。

 会議室の机のような上に展示されてるせいか、作品が多すぎたのか、やや雑然とした展示でしたし、偉くなった人ばかりの作品のせいか、やや面白みには欠けました。

 まあ、偉そうに批評するほど、美術工芸を知ってる人間ではないので、信用などしないで、行って観てください。

 無料ですし、3月10日まで開催してますよ。

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56.生羽二重餅

2023-02-11 | 菓子たくさん

 伯父さんたちのお土産によく貰っていた福井名物羽二重餅は、子供の時から好物でした。

羽二重餅は柔らかいですが、それよりもっと柔らかいのが、今回の 生羽二重餅(ナマハブタエモチ)です。

 藤田まことの「俺がこんなに強いのは、当たり前田のクラッカー」で有名だった前田製菓ではなく、大本山永平寺御用達の福井のマエダセイカの生羽二重餅、「まるごと」「そのまま」なので、食べにくい事を売りにしてる餅です。

 1箱160ℊで750円ぐらい。

 付属の木のへらで食べるのですが、さすがに食べにくく、食べた後の箱も乱れてしまっていますが、あっという間に1箱ぺろりと食べてしまいました。

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思い出話

2023-02-08 | グルメ

 久しぶりに高価な夕食をしました。

子供の幼稚園のママ友家族と集まって、会食です。

 

 京都の刺身も、ある程度金を出せば、すごく美味しいです。

海辺の店で、豪華な刺身盛りも美味しいですが、少しずつ手を加えて、少しだけ食べる京都の上品な刺身も、大変美味しいです。

 今年初めてだと思う酒も飲みました。

3家族15人ほどで、何回も出かけた信州スキー旅行の話で、盛り上がりました。

私が五島に行く少し前ぐらいの50歳前後で、子供たちも20歳前後の頃、皆が夢と幸福に満ちていた頃の話は、何度同じように話しても楽しいですね。

 今回は全部写真に撮って、ブログに挙げようと思ってましたが、撮る前に食べてしまったり、撮ること自体を忘れるぐらい、話に夢中になりました。

 したがって写真は半分ぐらいしかないままに終わりました。

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116‐2桃園天皇女御一条富子

2023-02-05 | 天皇陵巡り

 昨年春の旅行で、海沿いの喫茶店で休憩した時に食べた、ほぼアイスクリームだけのパフェです。

ケーキも食べたのではなく、ケーキは家内の分です。

 と言うことで、今回は残念ながら月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。

 関白一条兼香(カネカ)(1693~1751)の娘一条富子(イチジョウトミコ)(1743~1796)は、1755年に入内し、第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)の女御となって、二人の皇子を産んでいます。

  写真は何回も出てきてる月輪陵の門です。

  その門のアップです。

 夫である桃園天皇が22歳の若さで亡くなった時、二人の間の第1皇子で次期天皇になるべき英仁親王(ヒデヒト)はまだ幼過ぎたので、皇位は夫の姉、すなわち富子にとっては義姉智子内親王(トシコ)が継ぎました。

 この第117代後桜町天皇(1740~1813)(在位1762~1770)の中継ぎ後、富子の実子の英仁親王が第118代後桃園天皇(1758~1779)(在位1771~1779)となったので、富子は皇太后に成り、恭礼門院(キョウライモンイン)の院号も授かっています。

 皇位に就いた息子後桃園天皇ですが、病弱で夫と同じく22歳で亡くなったので、唯一の孫である欣子内親王(ヨシコ)(1779~1846)を富子自身が育て、第119代光格天皇に入内したのを見届けて亡くなり、月輪陵に葬られました。

  その制札21番目に 桃園天皇女御尊称皇太后富子月輪陵 とありました。

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節分

2023-02-03 | ノンジャンル

 本日節分の夜は、おすそ分けの恵方巻と鰯で夕食。

東南東を向いて、しゃべりながら途中までかじって、口直しに鰯を少し食べたところで、写真を撮ることを思い出しました。

 鰯も恵方巻も完食。

鰯の頭も信心からですが、鰯の頭程度の私のブログも、よろしくお願いいたします。

 食後は、老夫婦二人だけの家庭には鬼も寄り付かないので、鬼は外の豆まきはせずに、コーヒーで豆を食べるだけにしましたが、まあコーヒーも豆なので、豆で豆を食べました。

  おやすみなさい

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