島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

送り火2024

2024-08-17 | 京都

 今年も送り火の日が巡ってきました。

前日の15日、暑いなか火床の準備が始まっていました。

 8月16日送り火当日、関東に近づいてる台風の影響か、午前中は風もあって曇り空でしたが、火床の準備は終了。

1年に1日だけ、私の家は送り火の「妙」の特等席になります。

 隣の教習所に集まってきた一般大衆を眼下に見下ろしながら?、部屋の電気も消して点火を待ちますが、今年は上手に点火しました。

 点火が遅れたり、火床の勢いが悪かったりすると、火床を受け持ってた家は怒られるそうですが、今年はどこの家も怒られないでしょうね。

 「妙」以外に我が家の窓からは、遠くにですが「船形」も見えます。

孫Ⅲ-1と、テレビ中継の「船形」と実際の「船形」を見比べています。

 送り火の日が消えたら、秋が始まるはずですが、消えた後テレビをつけたら阪神負けてましたので、阪神の火も消えそうです。

 また家内が食べなくなってきました、この火は消えてくれるなと祈ってます。

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志賀山越8.

2024-08-14 | 京都へ、京都から

 最初の頃に揚げた地図ですが、志賀山越は荒神口から斜めに、当時は何もさえぎるものはなかったので真っ直ぐに、山越えの入り口まで作られた道であることがよく解りますね。

 私が車で志賀山越(山中越)を行く時は、白川通から御蔭通(高野川に架かる御蔭橋(ミカゲバシ)からずっと延びてる道)へ左折して、市バス③系統の終点北白川仕伏町(シブセチョウ)に行きますが、この白川通も年末の高校駅伝や女子駅伝のテレビ中継で、京都以外の人にも馴染みのある通りになってると思います。

 その北白川別当町の交差点に、私の大学時代からある懐かしの喫茶店 ジュネス もう50年以上行ってないですが、まだやってました。

 北白川仕伏町にはバプテスト病院が有ります。

初孫の孫Ⅱ-1は、産まれてすぐに産院からここの小児集中治療室に入り、島から駆け付けた私の最初の孫の面会は、このバプテスト病院でした。

 京都の西松尾神社近くから、繁華街や京都府立医科大学の前を通ってここ北白川仕伏町まで長い距離を走る市バス③系統は、よく私も利用してましたが、ここでUターンします。

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志賀山越7.

2024-08-12 | 京都へ、京都から

 道端にあった地図の青矢印に沿って、左端の子安観世音から志賀越道を進みます。

 すぐに疏水分線(白川疏水)を跨ぎました。

哲学の道沿いから銀閣寺で西へ折れた疏水分線は、高度を保ちながら不思議にも南から北へと流れて、松ヶ崎浄水場まで行ってます。

 志賀越道と疏水分線が交差する位置には、こんなトーチカのようなセメント造りの円柱の建物が有って、疎水と関係ありそうですが、何の説明文も有りませんでした。

 このすぐ北には京大農学部グランドが有って、大学入学早々のほぼ素人の私も、このグランドでデビューしてますし、その冬には雨の中独走の初トライもした、想い出の地です。

 志賀越道から一筋北に 京大人文科学研究所 のスペイン風の目立つ建物が有ります。

東畑謙三というまあ名のある人の設計だそうです。

 この辺りは、私が尊敬してたぐらいの大学の友人が下宿していたので、よく歩いた場所です。

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志賀山越6.

2024-08-09 | 京都へ、京都から

 またまた「京へと続く街道あるき」から無断借用のですが。京都大学の塀に沿って吉田山との間を直角に進むと、京大構内によって分断された志賀越道(シガゴエミチ)に又出会えることがよく解りますね。

 吉田山にある吉田神社は859年創建で、一時は藤原氏の守り神として全盛を誇っていましたが、今は何となく節分の日だけ有名になる神社のイメージが有ります。

 吉田神社のある吉田山は、船岡山・双ヶ丘(ナラビガオカ)と並んで、平安京造営にあたって基準になったと思われる、京都盆地の中にある山と言うか丘ですし、吉田神社の北の裏参道近くに立つ石柱にも、この山の周囲にある天皇陵の名が有りました。

 斜めの志賀越道が今出川通と交差する手前に、結構立派な大日如来石像が有りました。

 その軒先に立つ北白川西町道標、1849(嘉永2)年建立

東 吉田社 銀閣寺 真如堂 黒谷

すく 比えいさん 唐崎 坂本

北 北野天満宮 平野社 下上加茂 今宮 金閣寺

南 三条大橋 祇園 清水 知恩院 東西本願寺

沢山の行き先が書いてある大きな道標ですが、一番遠い唐崎や坂本が何故「すく」なのか不明です。

 今出川と志賀越道が斜めに交叉する交差点には、先の大日如来石像よりも大きくて目立つ 子安観世音(白川石仏)が有ります。

交通量も多く目だつ場所にあるので、私も存在を知ってましたが、最近車が突っ込んで一部が欠ける事故もあったようです。

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72.笹だんご

2024-08-07 | 菓子たくさん

 家内の友人から、新潟土産を貰いました。

「笹だんご」、てっきり「坊ちゃん」に出てくるので有名だと思いましたが、それは「笹飴」でした

 餡を中に入れたもち米と上新粉の餅を、笹の葉に包んでイグサで結び、蒸してあります。

旧暦の端午の節句に、無病息災を祈ったり、田植えを終えたお祓いを兼ねて食べた、ハレの日の餅菓子で、粒餡の代わりに、レンコン・人参・小松菜などお惣菜を入れることもあるようです。

 1個200円と、手間がかかりそうなのに安いです。

 貰ったのは、1931(昭和6)年創業で、一番有名だと思われるこの田中屋本店の「笹だんご」です。

この店のマスコットはこの「あかねちゃん」らしいです。

 そもそも「笹だんご」が新潟土産の菓子として有名になったのは、1964(昭和39)年の新潟国体開催の時のようですので、「坊ちゃん」は関係なかったですね。

 いつものように断端を見せようと包丁を入れましたが、潰れてしまい噛んだより汚い写真になってしまいました。

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