先日、映画の予告編を見てて、つらつら考えた。
「そして父になる」って映画。
http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/
子の取り違えがテーマなのよ。
「実の子か、育てた子か」と主人公の福山雅治は悩むのさ。
で、俺も悩むのさ。
「そんなん、悩むようなことか?」って。
俺、心が摩耗してるのかもしれないけど、
古今の名作?に出てくるこの手のモチーフについて、まるでピンと来ないんだよねえ。
人として、どこか欠落した部分があるのはこの辺なんだよな…
小学6年のころか、こんなドラマに夢中でした。姉貴と。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%96%91%E6%83%91
百恵&友和のシリーズで、夢中になった方も多いと思う。
これは子の取り違えではないけど、
「私は本当はお父さんたちの子どもじゃないの」ってのが重要なプロットでありんす。
ただ、当時12歳の俺は、「ええっ?」って。
「別に『ホント』はどうでもいいじゃん。今の両親が親でしょ」
百恵ちゃん演じる幸子の気持ちに寄り添うことができなかった。
被曝とか、再生不良性貧血とか、その辺はビンビン来たけど、
上記のプロットについては、まったく感情移入できなかったなあ。
この「赤い」シリーズでは、この取り違えがもろに出てくるのもあったと思う。
伊勢湾台風がきっかけでって話だったような気がするな。
今思えば、俺はちっちゃな頃からそうだったんだなあ。
実はこの話を書く前に、ぼんやりイメージしてたのは、こんな感じ。
ミッションとして人権問題に関わってきた俺。
↓
多くの涙に触れる中で、「家」とか「血脈」とか、そんなのに忌避感を抱いた。
↓
だから、「そして父になる」に違和感を感じた。
でも、書き出してから、ちっちゃな頃からそうだったとあらためて気付き、
その文脈は破綻しました(笑)
実際問題、俺は「赤い疑惑」を見た当時、「幸子が悩むのがわからんわ」って姉貴に。
姉貴の反応は記憶にないけど、母は「そりゃ、悩むでしょう」って。
俺はそのとき、まさに子の取り違えを想起し、
「このババア、俺が実の子でないと知ったら、悩むのか」って悩んだ覚えがあるw
っていうのは真っ赤なウソで、「まあ、人間、そんなもんだろうけど、俺は違うな」って。
心が揺れないにもほどがあるwww
まあ、チラシの裏に書けよって話になっちゃったけど、
「育ての親であり、育てた子だろ!」って思うなあ。
感受性に欠けているのかもしれないけど、
その手の話に出くわしても、今も一切、心が揺れない自信があるねw
それはそれで人としてどうなんって気もするけどね。
「あたしがここの子になって、お父さん、嬉しいでしょ!」
そりゃあ、そうだ!